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締切を守らない愚か者

作者: 駒場脩

 暗い道を歩きながら、スマホでひたすら文字を打つ。時折指は止まるが、頭の中から文章をひねり出し、懸命に文字を打つ。しかし、物語の続きがなかなか思い浮かばず、文字を打っては消す。


 俺はスマホの文字を打っては消すを繰り返していた。


 こんなことをしているにも理由がある。短編小説の提出締め切りがあと1時間もないのだ。


「あと、57分か」


 締切は21時。現在の時刻は20時3分。普通なら間に合わないが、俺は文章を書くのが超がつくほど得意だ。絶対に面白い作品をかける。


 俺は脳をフル稼働させながら、足を一歩ずつ前へ進める。自分の足りない頭で物語を捻り出そうとする。


(この際、駄作の誹りを受けていいから、物語として成立するテーマが欲しい)


 神に祈ると、すぐにネタが思い浮かんだ。


(もういい! これにしよう。俺は天才だ。一匹狼だ! 面白い作品にできる)


 正直、面白くなるかどうかは分からないが、この作品にしようと決めた。物語をより良いものにするのではなく、ただ締切を守りたいだけだったのだ。

 小説を書く者として恥ずべきことだが、そんな恥はさっきすれ違ったお婆さんの犬に食わせておけば良い。


 とにかく、頭の中で、文字を浮かべ、スマホに打ち込むことで物語を書き進めようとする。しかし、一歩前へ進むと、文字を一つ消してしまう。こんなことをしているのだから、執筆作業の進捗はゼロだ。


 俺の邪魔をするのは、歩くという行為だけではない。車のエンジン音や自転車の車輪が回る音だ。せっかく、浮かんだいい文章やセリフを乗り物の音がかき消してしまう。


「俺は天才だ。やれるぞ」と自分を鼓舞しても成果は出ない。ただ時間を浪費しただけである。


 一文字も進まないまま、道を歩き続ける。焦る気持ちが強くなり、ふと上を向くと自宅のマンションに到着した。


「無事に帰れたか」


 そう呟き、エントランスへと入っていった。


 階段へと繋がる扉の鍵穴に鍵を差し込み、階段を登っていく。階段を登る間も小説を書き続ける。そうでもしないと、締め切りに間に合わないのだ。


 3階まで登ると早足で303号室の扉の前に立つ。303号室とは、俺が住んでいる部屋だ。


 家の鍵を開け、中へと入る。誰もいないはずの1Kの家に「ただいま」と声をかけた。


 もうお気づきの方はいると思うが、俺という人間はかなり変な人間だ。人がいないところで、ぶつぶつと呟く不気味な人間なのだ。偶然、行きたがった人にとっては恐怖でゾッとするだろう。まぁ、俺は気にしないが。


「さてと、風呂でも入ろうかな」


 俺は風呂に入ることにした。締め切りがあるのに流暢なことをしているんじゃないと思われるかもしれないが、スマホを持っていく。そのことで、風呂に入りながらも執筆ができるのだ。リラックスしながら、小説を書ける。なんて、理想的な環境なのだろうか。



 湯船にお湯を張ると、知り合いからもらったはちみつレモンの入浴剤を手に握りしめる。お風呂の前に立ち、袋を開け、つぶ状の入浴剤を投入する。


 粒からは泡が出てくる。泡は水面に向かって昇っていく。水面まで到達した泡は消えた。


「癒されるなぁ」


 俺は執筆そっちのけで、入浴剤の香りを楽しんでいた。はちみつの甘い匂いとレモンの酸っぱい香りが心地いいのだ。


 入浴剤が完全に溶けきると、俺は我に帰った。


「やべぇ!残り30分だ!」


 時刻は20時30分。残り時間はあと小一時間だ。風呂の中で文字を打とうとするが、はちまつとレモンの香りと風呂の心地よさでなかなか手が進まない。

 そうしていくうちに、35分、40分、45分、50分、55分、56分、57分、58分と時間を空費した。



 20時59分。俺は賞の主催者に対して、五十音をひたすら書いた原稿を提出した。これが1時間以内で


 締め切りに苦しんだ馬鹿な男のすべてだ。どんなことを言われようとも、後悔はしていない。

 浴室から上半身を外へ出し、近くの棚へスマホを置いた。


「風呂入って、寝て忘れよう」


 俺ははちみつレモン風呂を堪能することにした。時間を気にせずに。


締切は守りましょう。

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