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超絶可愛くない僕の婚約者が、悶絶するほど可愛い子猫になって夜な夜なスリスリしてきます

作者: 初春餅

 あれは僕の十歳の誕生日のことだった。


 たまには外での息抜きが必要だろう、という大人たちの計らいで、僕の為に湖畔でのピクニックが催されたのは。


 僕は王の一人息子だった。


 生来の気質としては、活発な方だったらしい。だがその立場ゆえ、幼少の頃から厳しく自重を求められ続けた僕は、この頃既に子供らしくない冷めた子供になりつつあった。これではいかん、と誰かが思ったのだろう。


 一緒に行ったのは母、いとこたち、父を支える諸侯らの子供たちだった。子供と付き添いの貴婦人たちだけで二、三十人はいただろうか。それから侍女、召使、コックに護衛となかなかの大所帯だった。母はこの時身重で、ゆっくりと歩く様子が実に優美だった。


 僕は久しぶりにはしゃいでいた。


 空を映す鏡のような湖と、水辺のすぐそばまで広がって咲く花々。


 ぶ厚いチーズをのせたカナッペと、ジャムやクリームがたっぷり塗られたタルティーヌ。


 僕たちは大いに食べ、湖に浸した足を蹴り上げ、だだっ広い草地を走り回った。


 母は貴婦人たちと談笑し、少し年上の娘たちは年少の子供たちに花冠を編んでやり、辺りは幸せな午後の空気に満ちていた。


 途中まではごくごくありふれた、楽しい思い出として記憶に留められるべき誕生日だった。


 だが、甲高い子供の声と、子供の体が放つ熱。


 それがこの時、丁度上空を飛んでいた怪鳥を刺激した。


 地に魔獣がいるように、空には怪鳥がいる。


 人が彼らのような大型の異形と遭遇することは滅多となかったが、一たび彼らと出会ってしまえば、それは大抵悲劇に終わった。


 突如、日が陰る。


 少女の一人が耳をつんざくような悲鳴を上げる。


 太陽を覆い隠す巨大な漆黒の翼がはためき、煤のような羽が降る。赤く燃え立つ猛禽の目がまっすぐに僕を捉える。


 来る――。


 僕はその場にいる子供たちの中で、誰よりも目立つ見た目をしていた。


 王族らしい鮮やかな金髪、王家の青と言われるくっきりと濃い青の瞳。肌の色つやは良く、体に傷ひとつなく、明らかに手を掛けられて育った美味そうな子供だった。


 硬い羽に覆われた体躯が風に乗って急降下する。人間の子供など一口で丸呑みにできるくちばしがカッと開く。


 誰も動けなかった。


「シルヴァン!」


 母が僕の名を叫んだ。


 食われる、と思った瞬間、僕は横から押し倒された。


 さっきまで僕がいた場所で、怪鳥のくちばしがガチンと耳障りな音を立てて虚しく合わさる。


 僕は背をしたたかに打ちつけ、痛みに顔をしかめながら目を上げた。


 ――う……。


 この時、僕の周囲の時間が止まった。


 僕と同じ年頃の少女が、僕の両肩の横に手をつき、上から僕を見下ろしている。


 柔らかそうな猫毛の髪は、シナモンのような甘い茶色。それほど長くなく、ゆえに結ばれてもおらず、重力に沿って顔の横でふわりと揺れている。僕を見下ろす薄青の瞳は、人よりも賢い動物めいて、僕の様子を淡々と窺っていた。


 その透き通るような薄青の中に、屈辱に頬を染める僕の姿が映る。動けなかったのは僕も同じだった。


 飛び上がった怪鳥が上空で大きく旋回する。僕の周りは既に騎士で固められている。鈍い光を放つ幾本もの剣とやり合うのは分が悪いと思ったか、怪鳥はやがて飛んでいった。


 その姿が遠い点となるまで見届けた後、騎士の一人が構えを解き、僕の上にいる少女の頭を撫でた。


「イヴ、よくやった」

「兄様」


 少女がふんわりと笑う。くすぐったそうなその笑顔に僕の目が釘付けになる。


「シルヴァン」


 侍女に支えられた母が来て、僕を抱きしめた。


「よくぞ、無事で」

「平気です。あの娘が僕を庇って」

「ええ、ええ、見ておりましたよ」


 母は優雅に片手を伸ばし、僕の命の恩人を呼んだ。


「イヴ、こちらへ」


 イヴは彼女が兄と呼んだ騎士に促され、畏まって僕の母の手の内側に入った。


 母は僕とイヴを抱きしめ、しばらく離さなかった。


「忠義なる娘よ。よく守ってくれました」


 母がイヴをそう褒め称えるのを聞きながら、僕はちょっと違うなと思っていた。


 彼女は別に、僕が王太子だからという理由で僕を守った訳ではない。ただ彼女の目の前に、今にも怪鳥に食われそうになっている子供がいたから、それを阻止しただけである。そこにいたのが誰であれ、彼女はきっと同じことをしただろう。彼女とはほぼ初対面だったが、見下ろされ見上げ、しばし見つめ合った仲、そうだという確信があった。


 あったが、僕は黙っていた。


「そなたに、この上ない栄誉を与える」


 母は猫を撫でるようにイヴの髪をうっとりと撫でている。きっと撫で心地が良いのだろう。あんなにも柔らかそうな髪なのだから。


「だがその前に……今日のところは、好きなだけ菓子を取らせよう」

「身に余る幸せにございます」


 愛らしい声が僕の耳をくすぐった。


 この日はこれでお開きとなった。


 城に戻る道中も、城に戻った後も、僕は皆に気遣われたが、「かえって印象深い誕生日になった」と笑顔で告げて皆を安心させた。


 皆の気遣いへの配慮でもあったが、事実そうだったからだ。


 薄青の目をした、猫のようなイヴ。


 彼女の姿はそれからしばらく僕の頭から離れなかった。


 後日、イヴは城に召され、彼女の父と共に畏まって登城した。僕の母である王妃は親しげに手を広げ、イヴを腕の中に迎え入れた。


「――ウェストシドウェスト、よく来てくれました」


 母に声をかけられ、イヴの背後にいる彼女の父、ウェストシドウェスト伯が腰を折る。服の上からでも分かる、鍛え上げられた武人の体つきをしている。イヴは王妃の腕の中で、何故こんなに撫でられているんだろうと思っているような顔をしていた。


「さあ、イヴ」


 王妃が体を離し、侍女が差し出した小さな銀のティアラをイヴの髪に留める。薄青の瞳に薔薇色の頬をした、可憐なお姫様ができあがる。


 この日、イヴは「王妃の愛し子」なる特別な称号を与えられた。


「王太子のおそばに侍ることを許す。今後はなおいっそう、忠義を尽くし王太子に仕えるよう」

「……イヴ・ウェストシドウェスト、謹んで承ります」


 イヴは重ねた両手を胸に当て、恭しく跪いた。


 そうだな……。


 僕は彼女から目をそらした。


 快活な猫のようでもなく、貴婦人を気取る幼い少女のようでもなく、ただ己の責務をわきまえた、騎士のような横顔がそこにあったから。


 分かっている。麗々しい称号も、そこに勝手に付随してくる特権も義務も、お前はちっとも望んじゃいないんだろう。


 だが彼女の意思などお構いなしに、彼女は今この瞬間から僕に縛りつけられた。


 イヴ・ウェストシドウェスト。有力諸侯、ウェストシドウェスト伯の一人娘にして末娘。年は僕より一つ下。ウェストシドウェスト家は武勲の誉れ高い家柄で、彼女の四人の兄たちもまた、騎士としての将来を嘱望されていた。長兄は既に王家の近衛である。あの日、彼女の頭を撫でて労ったのはこの長兄だった。


 ――私も兄様たちのようになりたい。


 ウェストシドウェスト家の末娘は、二歳だか三歳だかの時に早々とそう宣言し、宣言通りすくすくと鍛錬に励んで育った。この子は女の子だからこういうのは止めさせよう、とは誰も思わなかったらしい。そういう家風なのだろう。活発で身のこなしが軽いイヴは、同じ年頃の少年たちに混ざって剣を振るっても彼らに引けを取らなかった。


 王妃から僕とイヴの将来をほのめかされ、ウェストシドウェスト伯は首をひねった。


「あまり向いている気はしませんなぁ……。あの子は何というか、口数の少ない地味な子で、取柄といえば裏表がないことくらい……」

「裏表がないとは……! 今のような世の中で、何と得がたき資質でしょうか……!」


 母はもう何を言われてもこんな感じだった。


 分からんでもない。目の前で僕が怪鳥に食われかけ、もう駄目だと思った瞬間、颯爽と僕を救ったのがイヴである。母の目にはもうイヴが僕の守護天使か何かに見えているのだろう。ただでさえ妊娠中の女性というものは、情緒が不安定になると聞く。伯が辞した後も、母は「ウェストシドウェストは実に欲がない」と褒めちぎっていた。


「――イヴ」


 イヴと顔を合わせる機会は増えたが、周囲には常に人がいて、おちおち二人で話すこともできなかった。何度目かの茶会の折、僕は「王太子の庭」を案内したいと申し出て、彼女を連れ出すことに成功した。


 王太子の庭とは、僕の為の私的な庭園である。


 僕がそこで思索に耽ったり、単にくつろいだりする時に使うらしい。その頃の僕にはまだ必要のない空間で、だから彼女を案内できるほどそこに出入りもしていなかった。


 中に足を踏み入れると、爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。少し尖った縁を持つ、薄緑の薔薇が綺麗に植えられている。イヴがうっとりと薔薇を眺めた。お前は花が好きなのか。


「遅くなったが、礼を言う……。あの時は世話になった」

「勿体ないお言葉にございます」


 イヴははっと僕に向き直り、腰を落として畏まった。


「楽にしろ。イヴ、何か聞いていると思うが……その、僕たちのことで……」

「はい。ウェストシドウェストの名にかけて、精一杯務める所存でございます」

「……そうか」


 僕は曖昧に笑った。


 何て可愛くないんだろう。


 生真面目そうなイヴの顔には、「お家の為に頑張ります」と書いてあった。


 ――僕はお前の気持ちを尊重したい。ここだけの話にするから、嫌なら嫌と言ってくれ。


 本当はそう言って、お前を解放してやるつもりだったのに。


 僕は彼女の手を取り、無言で中を一周してから皆のところへ戻った。


 イヴが気に入ったようだったから、薔薇は後で花束にして届けさせた。


 僕たちの相性は悪くないと周囲から判断された。


 僕とイヴの表面的な交流はその後も続き、僕が十五歳、彼女が十四歳になった時、僕たちは婚約した。








「――あそこまで駆けてみるか?」

「はいっ!」


 イヴは意に染まぬ婚約を強要されつつも、どこまでもイヴらしかった。


 茶会や音楽会などはさすがに淑女の恰好で来るが、狩猟や遠乗りの際は、当然のように男物の狩猟服や乗馬服で来る。貴婦人のように優雅に横乗りするイヴなど僕は見たことがなかった。


「迂回?」

「何の! このまま跳び越えましょう!」


 一緒に馬で駆けている時は、気持ちが通じ合っているような感覚があった。


 ただ無心に馬を走らせるイヴの髪が風になびき、その薄青の目が捉える地平線は、僕たち二人だけのもののようで。


 室内に戻ってしまえば、イヴはグダグダだった。


「イヴ」

「は、は、はい」


 体は機敏でよく動くけれど、イヴはびっくりするくらい口下手だった。しかもよくどもる。「ありがたき幸せ」だの「身命を賭して」だの、騎士の決まり文句のようなものはサッと出てくるのだが、いかんせん普通の会話が弾まない。彼女の好きな花を聞き出すのにも一年かかった。


 イヴは薄緑の薔薇が好きだという。奇しくも僕の庭園に植えられている薔薇と同じ色だった。


 この辺りではよく育つ品種で、花から作られる薔薇油なども豊富に出回っている。僕は薔薇油をいくつか取り寄せ、香りが一番気に入ったものをイヴに贈った。次に会った時、イヴは嬉しそうに礼を言ってきた。裏表がない彼女だから、これは本当に喜んでいる。僕のイヴから僕の庭園と同じ香りがするようになり、僕は切らさないよう定期的に贈った。


「あ……あ……す、す、すみませ……」

「あ、いや、大丈夫だから、イヴ……」


 イヴはすぐどもる。どもったら恥ずかしそうに顔を赤くする。それが気の毒だったので、何とか気持ちをほぐしてやれないものかと僕は頭を悩ませた。


 ――甘いお菓子があれば、女の子の緊張なんてすぐに解けますよ。


 名うての女たらしに相談すると、そんな答えが返ってきた。成程、そんなものなのか。言われてみればイヴも確かに甘いものが好きだった。


 ――それから「キレイな目だね」と囁きながら距離を詰めて……。

 ――分かった。ありがとう。


 僕は婚約者との交流という名目で、週に一度、イヴとお茶をすることにした。


 結果として、僕がイヴの表情のちょっとした変化から、彼女の好みを察知するのが上手くなっただけだった。


 イヴは数ある菓子の中でも、シナモンロールが特に好きだった。これがサーブされた時の目の輝きが違う。


「イヴ、お前はシナモンロールが好きなんだな」

「はい」


 イヴが幸せそうに笑う。名うての女たらしの言葉通り、シナモンロールがイヴの緊張をすっかり解いている。イヴは今、自分が普通に受け答えしているなんて気づいていないんだろう。


「シナモンロールのどこが好きなんだ」

「えっ……美味しいですし、形も渦巻きで可愛いですし、いい匂いがしますし、時々レーズンとかくるみとかが入っていますし、あと、上にかかっているお砂糖が……」


 饒舌だなオイ。


 僕とお前でこんなに会話が弾んだことなど未だかつてあったか。


「シルヴァン様……?」

「いや、何でもない。気にしないでくれ」


 自分で言うのも何だが、僕は女性たちから異性として意識される要素のほぼすべてを兼ね備えていた。


 まず見た目がいい。美貌を謳われる王妃譲りの顔立ちに、鮮やかな金髪とくっきりと濃い青の瞳。加えて王太子という他の追随を許さぬ圧倒的な身分を持ち、性格は温厚で冷静沈着、剣を取っても隙がない。剣についてはイヴに庇われたあの日の屈辱を胸に、鍛錬に励んできた結果だったが。


 それなのに、そのどれ一つ取ってもイヴには何も刺さっておらず、僕はシナモンロールに完全に負けていた。彼女の心を解きほぐし、彼女を夢中にさせているのは僕ではなくシナモンロールである。


 まあ、そうだろうとも。


 イヴにとって、僕との交流は彼女に課せられた義務でしかない。


 ――ウェストシドウェストの名にかけて、精一杯務める所存でございます。


 もう、本当に可愛くない。


 可愛くないが、せっかく会話が弾んでいる。僕はもう少し膨らますことにした。


「レーズンとくるみではどっちが好きなんだ」

「ああ……うう……ああ……レー、ズン……? ああ……」

「ふぅん……。レーズンとくるみ、どっちもは?」

「ああっ、そんな……そんな贅沢なこと……」


 イヴは困ったように目を潤ませ、顔を赤らめた。


 ――う……。


 僕は首を振った。いやいや、可愛くない。イヴが可愛いなんてことがあるものか。そんなことは断じて認めない。


 その数か月後にやってきたイヴの十七歳の誕生日には、レーズンとくるみがどっちも入ったシナモンロールを届けさせた。


 勿論、それだけという訳にはいかないから、彼女の為に誂えた真珠の髪留めも贈った。翌朝、今は近衛となっている彼女の三番目の兄から、彼女がうっとりと幸せそうにシナモンロールを食べていたことはさりげなく聞き出した。


 イヴからは騎士の候文のような礼状が届き、本人とはそれから数日後に会った。


「あの、ありがとうございました……」

「うん」


 イヴがくるりと後ろを向き、真珠の髪留めを見せる。


「どう、でしょうか」

「似合っている」


 ぱっと振り返ったイヴがあまりにも嬉しそうな顔をしていたから、僕は危うく勘違いしそうになった。


 イヴが――僕を好きだと。


「綺麗だ」


 そのせいなのか何なのか、僕は名うての女たらしのようなことを口走っていた。僕の場合は紛うかたなき本心だったが。


 イヴは「は、はい」と言いながら髪留めに手をやった。


 随分細いんだな、お前の手は……。


 イヴの手には相変わらず剣だこがあり、状況に応じて跳んだり走ったりも躊躇なくしていたが、年頃になってくるにつれ、何ともいえない女性らしい雰囲気を帯びるようになっていた。


 男の世界と女の世界、子供のうちは曖昧だったものに、徐々に線引きがなされてゆく。


 王妃や王族の女性が主催する、女性たちだけの茶会なるものがあり、そういう時は僕と会う予定がなくてもイヴは登城していた。


 その日も王妃の茶会があったというので、僕はイヴに会えるかと思い、茶会が催されていた庭園の方へ足を向けた。


 茶会は丁度お開きとなったところのようで、イヴは同じ年頃の少女たちと連れ立って歩いていた。イヴが一人になってから声をかけようと思い、イヴの姿を目で追っていると、少女たちはイヴを取り囲むようにして人気のない方へと誘導していった。


 穏やかではない雰囲気だった。


 気になって後をつけると、少女たちは蔦の絡まる岩壁の前までイヴを追いやり、彼女の前に皆で立ちはだかった。一体何のつもりだろう。僕が軽々に出ていくのはよくないが、これは少々度を越しているように見える。


 僕がそばにいるとも知らず、少女たちは皆でよってたかってイヴをなじり始めた。


「目障りなのよ。さっさと身を引いてちょうだい!」

「子供の頃にちょっと庇ったというだけで、いつまでも恩着せがましくシルヴァン様にまとわりついて」


 彼女たちの言っていることがあまりにも的外れで、最初は何を言っているのか分からなかった。


「麗しいシルヴァン様に、あなたのようなぼんやりした娘は釣り合わないわ」

「そうね、見た目も中身も、本当にぱっとしない」


 イヴは目を伏せるばかりで何も言い返さなかった。少女たちはその後も似たようなことをくどくどと言い続け、やがて一人が焦れたように声を荒げた。


「何とか言いなさいよ!」


 イヴは彼女に突き飛ばされ、地面に倒れた。


「何をしている」


 僕は急いで彼女たちに近づいていった。甘いと言われればそれまでだが、彼女たちは王妃の茶会に招かれるような家柄の娘である。そんな娘がいきなり人を突き飛ばすとは思わず、油断があった。


 少女たちは僕の姿を見て顔色を変えた。


「シルヴァン様、これは……」

「イヴ・ウェストシドウェストが王妃の愛し子と知ってのことか」


 本当は「僕の婚約者と知ってのことか」と言いたいところだったが、この騒動の原因はむしろそこであり、僕に付随する立場ではイヴを守れない。だがイヴは女性たちの世界の最高位にいる王妃が特別に目をかけ、愛し子とまで呼んでいる存在である。


 僕が思い出させるまで、彼女たちはそんなことも忘れていたらしい。今になってうろたえ始めた。


「そ、そんなつもりでは……」


 少女たちはガタガタと震え、イヴを突き飛ばした少女に至ってはうっすらと涙ぐんでいた。人を突き飛ばしておいて、何故お前が泣く。僕は嫌悪感をこらえ、低く言い捨てた。


「立ち去れ。二度はない」

「も、勿論でございます」

「感謝いたします、シルヴァン様」


 少女たちはそそくさと淑女の礼をとり、去っていった。


「イヴ、大丈夫か」


 イヴの手を取って立ち上がらせる。


 何故反撃しなかった、お前は彼女たちよりも圧倒的に強いだろうに、そう言いたかったが、それこそが反撃しなかった理由だということも分かっていた。彼女は誰より高潔な騎士だ。


「……平気です。受け身を取りましたので」

「それでも、痛いものは痛いだろう」


 イヴがはっと目を見開き、泣きそうな顔になった。


 そうだな……。


 怪鳥に食われかけた時でさえ、一歩も動けず突っ立っていた僕に気遣われるのはさぞかし屈辱だろう。


 だが彼女をこのままにしておくことはできなかった。


 僕はイヴの手を僕の腕に添えさせ、彼女を馬車まで送り届けた。


「イヴ――」

「お見苦しいところを、お見せいたしました」


 馬車の前でイヴはぎこちなく頭を下げた。彼女の態度からは、これ以上僕と話したくないという彼女の思いがひしひしと伝わってくる。


 強いて引き留めることもできず、僕は彼女が乗り込んだ馬車を黙って見送るしかなかった。








 それからのイヴの態度はあからさまだった。


 彼女が城に来ている時は、それまでは何となくそちらに足を向ければいつでも出会えていたというのに、それ以降ぱったりと出会えなくなった。僕たちの茶会に至っては、当面の間お伺いできぬと連絡が入る。


 ――己が弱さに打ち克つべく、しばし鍛錬に邁進いたしたく。


 どういうことだ……。意味が取れないが、あの少女に突き飛ばされたことを言っているのか。


「何だ、それ……」


 気に入らなかった。だってイヴ、これじゃ何も分からない。


「……待っていろ」


 僕との茶会に来ないというなら、別件で城に来ている時を狙うまでだった。


 イヴが来ているかどうかなど、僕が知りたいと思えばいつでも知れる。イヴは女性たちの茶会に加え、近衛に所属する三番目と四番目の兄に差し入れを持ってきたり、近衛の鍛錬に混ざって稽古をつけてもらったりしている為、何だかんだで城にはよく顔を出していた。


 今日も二人の兄たちのところに来ているとの情報を得、僕は彼らのいる西の側防塔へと向かった。急がないとまた会えなくなる。近道とばかりにひょいと鋸壁を跳び越え、僕は一直線に側防塔を目指した。


 その時だった。


 草むらからふわりとイヴの薔薇油の香りがして、僕は足を止めた。


「イヴ、そこにいるのか」


 振り返って草むらを見回す。イヴの姿はないが、確かにイヴの香りがする。


「イヴ……?」


 揺れる草むらに目を落とす。


 そこには一匹の子猫がいた。


 シナモンのような甘い茶色の、柔らかそうな毛並み。うっとりと目を閉じ、前足をしきりに舐めている。僕の視線を感じたのか、子猫が目を開けた。


 イヴと同じ、薄青の瞳だった。


「イヴ……」


 僕は思わず呟いていた。色味がイヴによく似た子猫は僕につれない一瞥をよこし、たっと走り去る。


「待て、そっちは……!」


 子猫が向かった先は、先日あった落雷により、鋸壁の一部が崩壊している区域だった。危ないので今は立ち入り禁止になっている。


「ニャッ!」


 不安定な瓦礫の山を駆け上がっていた子猫が悲鳴を上げた。尖った瓦礫の隙間に突っ込んだ右前足が抜けなくなり、小さな体が足掻いている。


「ば、馬鹿。無理に引き抜いたら――」


 僕の制止も聞かず、子猫は勢いに任せて前足を引き抜いた。


「ニャァァァ!!」


 ほらもう言わんこっちゃない。


 僕は有無を言わさず子猫を抱え上げ、側防塔に向かってひた走った。


 腕の中からイヴと同じ薔薇油の香りがする。


 子猫は最初のうちは僕の腕の中で暴れていたが、しっかりと抱えて走っているうちに大人しくなった。


 側防塔に到着すると、僕は中にいる騎士たちの手を借り、子猫を押さえて傷口を洗った。鳴いても暴れても僕は手を止めなかった。子猫の背の色は甘い茶色だが、胸や腹の辺りは白い。そういうところもイヴを彷彿とさせた。傷口を消毒し、包帯を巻き終えた頃、イヴの三番目の兄が「戻りましたー」と顔を覗かせた。あ、そうだ、イヴは……。


「あれ、殿下。何故こんなところに」

「イヴは?」

「ついさっき帰りました」

「そうか……」


 彼はイヴを送っていっていたのだろうか。子猫を見捨ててさっさとここに来ていれば、あるいは彼女に会えたのかもしれない。だが傷ついた小動物を放っておくことはできなかった。イヴに似ているとあれば尚更だ。


「おや、殿下。その猫……」

「何だ」

「イヴに似てますね」

「そ……」

「あ、ほんとだ。何か見覚えあると思ったら、そういうことかぁ」


 続いて戻ってきたイヴの四番目の兄が、朗らかに笑って三番目に同意した。四番目が言うには、この子は最近この辺りをよくうろついている子猫らしい。


「言われてみりゃあ、これはイヴだわ……」


 四番目は三番目に指摘されるまで、イヴとの類似にまったく気づいていなかったという。嘘だろう。本人かと思うくらいそっくりなのに。


「邪魔をした」


 僕は手当てを終えた子猫を抱え、自室に連れ帰った。イヴに似ているせいか離れがたい。ミルクを用意させると、子猫は小さな舌でちまちまと飲んだ。


 か、可愛い……。


 あまりの可愛さに僕は悶絶した。


 しばらくすると満腹になったのか、子猫は長椅子に飛び乗って丸くなった。すっと目を閉じ、うとうとし始める。


 夜になっても起きなかったので、そのまま長椅子で寝かせていたが、翌朝、僕が目を覚ますと子猫はいなくなっていた。








 その午後、僕は婚約者のご機嫌伺いという名目で、ウェストシドウェスト家を訪問した。婚約者であり王太子である僕は何の問題もなく中に通される。しばらく待っていると、イヴが気まずそうな顔で現れた。


 おい……。


 イヴの右手首に巻かれた包帯に、僕の目は釘付けになった。


「……その手首は、どうした」

「ひ、ひ、ひねってしまい……」


 イヴが目を泳がせながら答える。


「どこで」

「あ、に、庭先、で、こ、こ、転んで」

「ふうん……。お前にしては珍しいな」

「あ、う、う、うっかり、していました」

「そうか。日常生活に支障は」

「い、い、いえ、そんな、お、大袈裟なことは」

「そうか。何か入用のものがあれば言え」

「勿体ないお言葉にございます」


 最後は定型文で答えられるものだったせいか淀みなく答え、イヴは臣下の礼をとった。


 僕は彼女をじっくりと眺めた。


 ――ひねったというのは本当なのか……。例えばだが、尖った瓦礫でつけた擦り傷などではないのか。


 そんな埒もない考えが頭に浮かぶ。


 もう少し問いつめたいところだったが、負傷している女性の家に長居をするのは道義にもとる。僕は早々に暇乞いを告げ、イヴは明らかにほっとした表情になった。


「そうそう。言い忘れるところだった」


 立ち去り際、僕は本来の用事を思い出した。今日はこれを告げにきたのだ。


「聞いているかもしれないが、来月からお前は城に上がることになった。それまでに治るといいな」

「は……」


 イヴが固まった。まだ何も聞かされていなかったらしい。日取りまで正式に決まったのは今朝のことだったが、ウェストシドウェストも話くらいはしておいてやればよかったのに。


「お前はこれから、王妃のそばで淑女の振る舞いを学ぶ」


 少女らによるイヴ突き飛ばし事件の後、僕は母に「行儀見習いか何かの名目で、しばらくイヴを預かっていただけないでしょうか」と持ちかけていた。


 ――無論です。そなたの頼みなら。


 母はすぐに乗り気になった。


 あの怪鳥事件以降、母は子供を二人産んでいるが、いずれも男子だった。娘に飢えているのは何となく伝わってきたし、母がイヴの撫で心地を気に入っているのも知っていた。


 母が了承した後、ウェストシドウェスト伯にも話を通した。


 ――母のそばで、宮廷の女性らしい振る舞いを身に着けさせるといい。

 ――ああ、そういうのが必要なんですね……。

 ――必須ではないが、イヴにはあった方がいいと思う。

 ――そうでしょうね、ひとつよろしくお願いします。


 ウェストシドウェスト伯からは、胸の前で拳を合わせる騎士の礼でもって承諾された。


 母の庇護下に置くことでイヴを少女たちの魔の手から守り、同時にイヴの立場を改めて皆に知らしめる。これが第一目的だったが、一つ城の下に住むことで、僕とイヴが顔を合わせる機会も格段に増えることになるだろう。


 いつまでも避けさせてやるものか。


 数日の間、負傷したイヴも負傷した子猫も、どちらもしばらくなりを潜めていたが、そのうちどちらも側防塔の辺りに再び出没するようになった。


 さりげなく聞き込んだところでは、イヴが来ている日と、子猫がその辺りで目撃された日は完全に一致していた。


 こうも一致するなら、それは偶然ではない……。


 その日、イヴが兄たちに会いにきているとの情報を得、僕は急ぎ側防塔へ向かった。


「あれ、殿下。今日はどうしました?」


 明らかに誰かを捜している様子で中をうろつく僕に、騎士の一人が声をかけてくる。イヴはいないようだ。じゃあ猫だ。あの子猫は――。


「先日助けた猫が気になって……」

「あー、殿下、お優しいですもんね。そういえば今日は見かけないな……おい誰か! 例の子猫を見た者はいるか!」

「い、いや、そこまでではない。ありがとう。邪魔をした」


 礼を言ってそそくさと塔を離れる。


 帰りに例の崩壊した鋸壁の辺りまで足を伸ばしてみたが、イヴにも猫にも会えなかった。


 落胆を覚えつつ自室の扉を開けると、小さくて茶色いものが中からニャーと出てきた。


「え、お前ここに……いや待て、どうやって入った」


 尻尾を振って悠々と去っていく子猫の後を追い、後ろから抱き上げる。


「見せてみろ」


 負傷していた前足を見ると、傷はすっかり塞がっていた。毛に覆われていて分かりにくいが、跡も残っていないようだ。部屋に戻り、扉を閉め、二人で長椅子に腰掛けてからそっと尋ねた。


「イヴ……?」

「ニャー」


 子猫は迷うことなく返事をした。


「イヴ……」


 やっぱり、お前だったのか……。


 僕はたまらず彼女を抱きしめた。


 イヴ、何でこんな姿に。


 聞きたいことは色々あったが、僕はとりあえず彼女の小さな背を撫でた。


 目が勝手に潤んでくる。


「イヴ、ずっとこうしてみたかった……」


 何て柔らかい毛並みだろう。母がやたらとイヴを撫でているのを見た時から羨ましくて仕方がなかった。


 イヴは僕に撫でられ、ゴロゴロと喉を鳴らした。


「ふふ……可愛いな、お前は」


 僕は長椅子に横たわり、腹の上にイヴを乗せて撫でた。温かくて気持ちいい。その温もりにいざなわれるように、僕はそのまま眠ってしまった。彼女はその隙に窓から出ていってしまったようだった。


 だが彼女とはこれで終わりではなかった。


 人間の時の彼女よりむしろよく会った。


 イヴがカエルを狙っているところに出くわした時は全力で止めた。


「イヴッ……! それだけは駄目だ……! 超えてはならない一線だ、分かるな……⁉ 食べものなら僕がいくらでも用意するから……!」


 猫のイヴは人間の時のイヴと同じくらい活発だった。


 だが人間の時よりのびのびと気ままで、僕に撫でられるのが好きだった。


「おいで」


 抱き上げて頬を寄せ合えば、イヴの耳がぱたぱたと僕の頬を叩く。くすぐったいのと気持ちいいの中間だった。


 そうやって二人で甘い日々を過ごしているうち、いよいよイヴが城に上がる日がやってきた。


 その午後、城の回廊を歩いていた僕は、畏まって母の斜め後ろを歩く人間のイヴとすれ違った。


 イヴは何ひとつ秘密などないような顔で、楚々と僕に頭を下げた。








 初日の夜からイヴは僕の部屋に忍んできた。


 僕の方でも来るかと思って窓を開けて待っていたから、来たからといって驚きはない。驚きはないが、彼女が僕の部屋を夜に訪れたのはこれが初めてのことだった。


 これが、一緒に住むということか……。


 僕は感慨に浸りながら、今日一日頑張ったイヴを労った。


「イヴ、今日は大変だったな」

「ニャー」

「僕の部屋へ来る道はちゃんと覚えたか」

「ニャー」

「よしよし、いい子だ」


 イヴが僕の指をざらりと舐める。


 今夜はずっとここで過ごす気だろうか……?


 僕は悪戯心を起こし、早々に寝台へ上がった。掛け布を取って横たわり、片手で頭を支えてイヴを招く。


「未来の妻よ、我が褥に侍るか?」

「ニャー」


 イヴは躊躇なく僕の寝台に飛び乗ってきた。だっ……大胆なやつめ……。驚く僕を尻目に、彼女はさっさと僕にくっついて丸まってしまう。


「急に元に戻ったりしないよな……?」


 誘っておきながら、不安になって尋ねた。そういうのはまだ心の準備ができていない。


「ニャ」

「ああ、すまない」


 僕がイヴを撫でないので、イヴが催促するように上に乗ってきた。腹の上で丸まるイヴを撫で、彼女の温もりを手に収める。


 ああ、落ち着く……。


 知らない間に僕は熟睡していた。


 目が覚めた時、イヴはもういなかった。


 彼女との初めての夜に見た夢はもう憶えていない。


 甘い余韻しか――。


 昼の間はままならないようで、イヴが城に上がって以降、僕とイヴの逢瀬は常に夜となった。


 イヴの訪れは気まぐれで、二日連続で来る時もあれば、平気で十日ほど姿を見せないこともあった。来たら来たで、彼女は僕の足にまとわりついて甘えてきた。じゃあと手を伸ばしても、抱かれたくない気分の時は絶対に抱かせてくれない。昼のイヴと夜のイヴはまるで別人で、同じなのはシナモンのような甘い茶色の毛並みと、透き通るような薄青の瞳だけだった。


 王妃の計らいで僕とイヴの茶会は復活しており、僕は久々に人間の方の彼女と再会した。


「こうして会うのは久しぶりだな」

「は、は、はい」

「元気にしていたか」

「は、はい」


 人間のイヴは相変わらず口下手だった。僕はカップに口をつけ、何気なく尋ねた。


「暮らしに不自由はないか」

「……」


 イヴが突然きゅっと眉根を寄せ、泣くのをこらえているような表情になった。


 そうだったな……。


 こんな暮らしを強いた張本人が、どの口でそんなことを尋ねるのかと呆れているのだろう。


「……苦労をかける」


 僕がそう言うと、イヴは驚いたように首を振り、はらはらと涙をこぼした。


 ま、待て。泣くな。お前に泣かれると僕は……。


「イ……」

「優しく、しないで、ください」


 思いもよらない言葉だった。


 優しく、なんて。


 できているんだろうか――?


 僕がもし彼女の恋人だったら、ここで即座に立ち上がり、構わず彼女に近づいて涙を拭い、「泣くな」とまぶたに口づけただろう。


 だが恋人でも何でもない僕は、薄青の瞳が悲しげに濡れるのを、テーブル越しにただ見ているだけだった。


「失礼いたしました……」


 イヴが優雅に立ち上がり、淑女の礼をとった。


「退席を、お許しください」

「ああ」


 ここで「駄目だ」とは言えないだろう。


 人間の方のイヴの態度は、僕を避け始めた頃と少しも変わらなかった。むしろ悪化している。無理に城に上げたのがよくなかったか。一応、理由はあったのだが。


「……今日はもう、来ないかと思った」


 その夜、大分遅くなってからイヴは僕の寝台に潜り込んできた。


 昼間とは別人のような顔をして、ゴロゴロと喉を鳴らして僕に撫でられる。


 屈託のない仕草も表情も憎たらしいほど愛らしく、彼女に含むところなど何ひとつなさそうだった。


「お前のことが、よく分からない……」


 僕を振り回して楽しいか。


 ぱたん、と褥の上に手のひらを投げ出すと、僕の指先にイヴの前足が乗った。


 王妃を思わせる優雅な動きだった。


「ああ、そう……」


 これは行儀見習いの成果だろうか。


 そういえば人間の方のイヴの立ち居振る舞いにも、騎士とは違う種類のしなやかさが見られるようになった。定型文の言葉遣いも以前ほど武人くさくない。ああ、いや。待て。もう何も考えられない。指先に感じるぷにぷにの感触が僕の思考を奪う。これは、そう――。


「いいな、これ……」


 こんなことで、誤魔化されるなんて。


「イヴ……世界が終わるその日まで、お前とずっとこうしていたい……」


 イヴが僕に預けたその薄桃はぷるぷると柔らかく、しっとりと温かで。


 不覚にも僕は吸い込まれるように眠りに落ちた。








 その日はイヴの目と同じ、薄青の快晴だった。


 絶好の狩猟日和である。


 これから数日、森のほとりの城館に滞在し、僕たちは狩りに興じることになっていた。


 イヴは王妃の随員だったから、珍しく――というより初めて、貴婦人の恰好で来ていた。天幕の中で淑やかに座っている姿が新鮮である。こういうのも悪くない。


 ――待ってろ、イヴ。カエルよりずっと食べでがあるものを取ってきてやるからな。


 イヴの方にちらりと目をやると、母がイヴの肩に手を添え、何事か囁いた。イヴは頷き、立ち上がって僕のところまで見送りにくる。母に言われて来たのは分かっているが、それでも嬉しかった。


 折角なので僕はイヴの希望を聞いた。


「兎と鹿、どっちだ」

「し、し、鹿」

「分かった」


 僕は僕の権利として婚約者の髪に口づけた。


 義理堅いイヴは僕が贈った髪留めをつけてくれていた。


 合図の笛が鳴り、狩りが始まる。


 猟犬が獲物の匂いをたどり、僕たちが馬で追う。鹿、猪、野兎。矢を放ち、追い詰め、獲物が疲れて足を止めたところでとどめを刺す。


 今日はイヴがそばにいないが、その代わりに天幕の下で僕の帰りを待っているのかと思うと、僕の男心は大いにくすぐられた。


 仕留めた獲物は即座に解体され、昼餐となるか、保存の為の処理が施される。僕の成果を反映し、今日のメインは鹿肉のローストになった。


「お前の為に狩った」

「あ、あ、ありがたき、お言葉」


 イヴは珍しく定型文でどもった。その後、「とても、おいしい、です」と彼女の方から話しかけきたのも珍しいことだった。


「いい天気だな」

「はい」

「明日もこんな風に晴れたらいい」

「はい」


 ――優しく、しないで、ください。


 僕たちはどちらも、あの気まずい終わり方をした茶会のことを忘れたように振る舞っていた。


「ニャー」


 ――え?


 食後のデザートまで食べ終え、僕たちが再び狩りの準備を始めた頃、愛らしい鳴き声がした。


 下を見ると、僕の足元にイヴがまとわりついている。


「ば、馬鹿。ここで猫になるやつがあるか」


 僕は急いでイヴを抱き上げた。


「夜まで待てなかったのか」


 声を潜めて彼女をたしなめる。


 とりあえず抱き上げたイヴの背を撫でていると、背後で女たちの声がした。


「あら? イヴは?」

「おかしいわね、さっきまでここに……」


 ――ほらほら、どうするんだお前は……。


 イヴは僕の腕の中で気持ちよさそうに喉を鳴らしていた。


「兄上、ねこー!」

「ぼくにもだっこさせてー!」


 そこへ年の離れた弟たちがわっと駆け寄ってきた。


 九歳と七歳のやんちゃ盛りが僕の足にべったりと体を預け、きゃあきゃあとイヴに手を伸ばす。イヴは驚いたように僕の手からすり抜け、広い野原にたっと駆けていった。


 あ、外で見るとイヴってほんと小さいな……と思っていると、目にも留まらぬ速さで飛来した怪鳥が彼女をくちばしの中にザッと収めた。


「――イヴッ!」


 怪鳥の全長は馬二頭分程度、大きさからして巣立ったばかりの雛だろう。今すぐ取り返せばまだ間に合う。僕は腰に差した剣を抜きながら跳ぼうとした。


「承知」


 え?


 僕のよく知るイヴの声がして、僕の横から小さな影が跳んだ。いつの間にやら狩猟服に身を包んだイヴが空を駆け上がり、怪鳥の雛の背の上にとんと乗る。


 イヴは流れるように剣を抜き放ち、怪鳥の首を一息に斬り捨てた。紫がかった薄桃色の血をほとばしらせ、怪鳥の頭と胴体が地に落ちる。イヴは素早くその横に着地し、腹部に切り込みを入れて手で押し開いた。薄桃の血と体液があふれ出る。イヴは構わず中をかき回し、イヴと同じくらいどろどろに汚れた子猫を引っ張り出した。


「イヴッ!」


 イヴは子猫を胸に抱き、血相を変えて彼女のもとへと駆け寄る僕に臣下の礼をとった。


「猫は無事にございます」


 子猫イヴはイヴの腕の中でぷるると軽く身震いした後、呆けたようになっていた。


「イ、イヴ」

「はい」

「その、恰好は」

「着替えました」

「何故……?」

「え、ええと、その、やはり私も午後の部は参加いたしたく、王妃様の許可はいただきました」

「そう、か……」

「はい」

「それで、その猫は」

「シルヴァン様の愛猫と存じます」

「え、い、いや、おま」

「ご命令通り、救出いたしました」


 違うッ! あれは名前を呼んだだけだ。そもそも僕が助けにいこうとしたら、後ろから急にお前の声がしたから驚いて。


 イヴは子猫を抱いたまま、僕の前に跪いた。


「私はシルヴァン様の盾」


 僕を見上げる薄青の瞳は、絶対的な忠誠をたたえている。


 もう愛かと思うほど。


「そうでない時は――シルヴァン様の剣でございます」


 馬鹿……。


 お前は何を言っているんだよ……。


 僕はぐっと眉を寄せ、しかめ面を作ってやった。


「……お前は思い違いをしている」


 頭上の日が陰る。


 空から煤のような羽が降る。


 身構えるイヴを目で制し、僕は有無を言わせずその場にいる者全員に命じた。


「皆下がれ! イヴ、お前もだ!」


 さっきイヴのせいで抜きそびれた剣を抜き、大口を開けて急降下してくる怪鳥と向き合う。先程の雛とは比較にならない大きさだった。成鳥だ。


「僕はお前を盾にするような男ではないし」


 突進してくる怪鳥を右から一閃、ほぼ同時に左からも一閃、僕は怪鳥の体を熟れた果実のように割り裂いた。開いて落ちた四つの肉の塊の真ん中で、勢いよく噴き出す薄桃の血と体液を浴びる。


「この通り――僕はお前より強いんだ」


 髪を掻き上げ、不機嫌にイヴを見やる。イヴは深々とこうべを垂れた。








 あの忌まわしい十歳当時のピクニックを彷彿とさせる慌ただしさで、狩りはお開きとなった。


 イヴと僕、そして僕の懐で丸まっている子猫は、一足先に馬で森のほとりの城館へと向かう。


 城館では既に湯の用意がされており、イヴと子猫、どちらも血と汚れを落とした後は、僕の部屋へ連れてくるよう命じて僕は二人を召使に託した。


 僕自身も用意された部屋に入り、石鹸と熱い湯で体に浴びたもろもろを洗い流す。すっきりした後は緩いブレーだけを穿き、ガウンを軽く引っかけた。


 紅茶を飲んで一息ついていると、子猫の方が先に来た。


 綺麗に洗われ、首に金色のリボンを巻かれている。


「……こうして見ると美人だな」


 すり寄ってくる子猫をいつものように撫でてやった。


「お前は結局、誰だったんだよ……」


 イヴによく似た、誰とも知れぬ可愛い子猫は、僕に撫でられゴロゴロと喉を鳴らしていた。


「殿下、ミルクをお持ちしました」

「ああ、ありがとう。そこに」


 ちびちびとミルクを飲む子猫を飽かず眺めているうち、イヴも来た。


 ――これは……?


 イヴは妙にしどけない恰好をしていた。想像でしかないが、裾の長いガウンの下にはほとんど何も着ていないのではないだろうか。イヴは恥ずかしそうにうつむき、ガウンの前を手でぎゅっと合わせていた。ああ……。


「違う……」


 確かに、綺麗に体を清めて僕の部屋へよこせと命じたが、そういう意味ではない。


 仕方がないのでイヴをそばに呼び、ガウンの上から更にショールで巻いてやった。


「寒くないか」

「はい」

「まあ座れ」

「はい……」


 僕はイヴを長椅子に促した。イヴがどもらない。体をしっかり動かしたせいだろうか。僕はイヴの隣に座り、ずっと訊きたかったことを尋ねた。


「何故、僕を避けていた」


 イヴがびくりと顔を上げた。


 どんな答えが来ようと受け止めるつもりで待っていると、イヴの薄青の目が潤み、ぽろりと透明な雫がこぼれた。


「……シルヴァン様はお強くて、ご立派で、私なんかにも優しくて」


 何だ、唐突に。


 イヴはぽろぽろと泣きながら言葉を続けた。


「だから私は……シルヴァン様のおそばにいるのが、どうしようもなく苦しくて」

「そうか……」


 褒めといてそんなことを言うか。


 はっきり言ってくれてありがとうという気持ちと、こんなにはっきり言われるとさすがに……というショックが心の中でない交ぜになる。イヴは顔をくしゃくしゃにしていたが、それもまた可愛いかった。もう認める。イヴは可愛い。


「面目次第もございません……! シルヴァン様は私が身を挺してお守りすべき尊いお方。好きになってはいけないと分かっていたのに……!」

「待て。お前もしかして今、僕のことを好きだと言っているのか」


 あの流れでこう来る? もしかして聞き間違いか? ああそうか、これは夢か。僕は今イヴを撫でながらうたた寝でもしているのか。なーんだ、これは僕が見ている支離滅裂な夢だ。


 夢とは思えぬほどの瑞々しさで、イヴは泣きながら頭を下げた。


「はい……すみません……」

「い、いや、謝らなくていい。イヴ、僕たちはいずれ結婚する訳だから、お前もそういう気持ちでいてくれたら嬉しい……」

「結婚? 何のお話でしょう……。私はシルヴァン様をおそば近くでお守りする為の、かりそめの婚約者でございます」

「――お前こそ何を言っている?」


 誰だ、お前にそんなデマを吹き込んだのは。


 イヴは悲しげな表情のまま、不思議そうに首を傾げた。


「父が申しておりました……。裏表のないお前なら、二心なくシルヴァン様にお仕えするだろう――というのが、王妃様のご意向のようだ、と」


 違うぞ、ウェストシドウェスト!


 僕はイヴを勢いに任せて引き寄せそうになるが、いや、そんな強引なことをしてはいけないとぎりぎりで思い止まる。僕のような自制とは無縁の子猫がイヴの膝に「ニャー」と飛び乗った。


「あ……」


 イヴは慣れた様子で子猫を撫で、子猫もすっと目を閉じて気持ちよさそうに丸まった。


「その猫、もしかしてお前が飼っていたのか」

「あ、いえ……飼っていたというほどでは……」

「お前に慣れているように見えるが」

「あ、それは……」


 イヴは訥々と説明し始めた。


 この猫は、兄たちがいる側防塔のそばで、数か月前から見かけるようになった子猫だという。


「初めてこの子を見かけた時、何だかすごく親しみを感じて……」


 だろうな……。身内かと思うくらいお前と色味がそっくりだ。


 イヴはそれから子猫を見かける度、抱き上げて撫でるようになった。


 僕が子猫と初めて出会った日も、この子は直前までイヴに抱かれていたという。


 ――イヴ、そこにいるのか。


 避けているはずの僕が現れ、イヴは焦って藪の中に飛び込んだ。その際、あまりにも慌てていたせいか、普段の彼女らしくもなく、うっかり右手首をひねってしまったという。


「成程……」


 子猫とイヴは偶然にも、同じ日、同じ部位を傷めていた。


「成程、成程……」


 子猫からイヴの香りがしたのは、直前までイヴが抱いていたから。


 とどのつまり、すべてはただの偶然だったということだ。


 だが、最初に重なったこの思わせぶりな偶然のせいで、僕は正しい道筋を思い切り見誤った。


 イヴが来ている日と、側防塔付近で子猫が目撃された日は完全一致していたが、今にして思えば、これは僕が答えを誘導した面がなきにしもあらずだった。


 ――言われてみればそうですよ、殿下ぁ! 不思議な偶然もあるもんですねぇ!


 いい加減な記憶で安請け合いする四番目ではなく、ちゃんと考えてから喋るタイプの三番目に確認していたら違う答えが返ってきていた可能性がある。


 子猫がイヴに見えていたのは、僕がそう思って見ていたから。


 ただそれだけのことだった。


「シルヴァン様が……この子と一緒に過ごしているのを、時々お見かけいたしました」


 イヴが子猫を撫でながら言う。


「その様子がとても仲睦まじく……叶うならば、私もこの子になりたいと、何度、願ったか」

「イヴ……」

「あ、この子、何ていう名前ですか?」

「……………………シナモン…………」

「まあ。ぴったりですね」


 ――叶うならば、私もこの子になりたいと、何度、願ったか。


 お前だと思ってた……。


 子猫を撫でるイヴの手に、僕は自分の手を重ねた。


「この子になる必要なんてない。お前はお前のままで、僕と過ごせばいい」

「ですから、私は……」

「違う、イヴ」


 僕は彼女の手を引き、流れるように抱きしめた。


「シルヴァン様……?」


 自制なんて、今一番不要なものだ。


 僕は今度こそ間違えず、僕の愛しいイヴを腕の中に収めた。


「お前は僕の盾ではなく、王妃の愛し子でもなく……お前は僕の、愛しい子猫だ……」


 彼女の膝の上で、別のイヴが「ニャー」と返事をする。


 僕はイヴの髪を緩く撫で、もう片方の手を彼女の頬に滑らせた。


 顔を近づけても、イヴは目を見開いたままだった。


 その後は知らない。


 僕は目を閉じたから。


 初めて触れたイヴの唇は、夢の中の菓子のように甘かった。


「これで、分かったか」


 唇を離し、至近距離で尋ねる。


 イヴは驚いた猫のように固まっていた。


 そうだな……。あの子がお前に似ているんじゃなくて、お前の動きが猫っぽいんだ。まったく紛らわしい。


「分からないなら、分かるまでやる」

「わ、分かり、ました」

「よし」


 頬を真っ赤に染めたイヴから少しだけ体を離し、僕は彼女の顔を覗き込んだ。


「分かってくれてよかった。それで、かりそめではない、僕の大切な婚約者が、僕としなくてはならないことは何だ」

「し、しなくてはならないこと……?」


 そんなものがあるのか、と言わんばかりにイヴは驚きの表情を浮かべた。


 ある。


 ものすごく大切なことが。


「盾に、なること、以外で……?」

「盾は忘れろ。それは違うと今言っただろう」


 うーん……。


 ずっとそう考えて生きてきた彼女に、いきなり言っても難しいのかもしれない。イヴの答えを待っていたら日が暮れそうだったので、僕は早々に答えを教えてやった。


「僕と仲睦まじくすることだ」

「仲、睦まじく」


 オイ何だ。その「初めて聞いた外国語」みたいな反応は。


「『仲睦まじく』が分からないか」

「は、はい、お恥ずかしながら」

「でも、お前には僕とこの子が『仲睦まじく』見えていたんだろう?」


 ――その様子がとても仲睦まじく……叶うならば、私もこの子になりたいと。


 どういう状態が「仲睦まじい」か、お前は分かっているくせに。


「だったら……分かるだろう?」


 お前もこの子のようになればいい。


 この子のように僕を訪ね、僕と手を触れ合って。


 ちなみにお前は知らないだろうが、この子は僕の腹の上に乗るし、躊躇なく僕の寝台に潜り込む。


 イヴはふんふんと納得したように頷いた。


「そう難しく考えず、この子を見習ってみるといい」

「承知」


 何が承知だ、馬鹿。お前絶対に分かってないだろう。


 そう思った時だった。


 イヴが妖艶に目を細め、僕の腿にそっと手を乗せたのは。


 しなやかな大人の猫が女の姿をとったかのように、イヴは僕に体をすり寄せた。


 僕は猫のように固まる。


「これで……合っておりますか……?」

「あ……ッ……合ってる……ッ……!」


 年齢的にも法的にも、特に問題はなかったので、この後、僕は早々にイヴと結婚した。




(完)

☆後日談・結婚後の二人☆


 寝台の上で僕は気だるく尋ねた。

「お前と初めてまともに顔を合わせたのは、僕が怪鳥に食われかけたあのピクニックだと思うんだが」

「はい」

 イヴは今にも寝入りそうな、とろんとした声で答える。

「ちなみにお前はあの時、どこにいたんだ?」

「あ……。エレオノール様に、花冠を作っていただいておりました……」

「え。あそこにいたのか」

 そう言えば、従姉のエレオノールを始めとした、少し年上の少女たちが年少の子供たちに花冠を編んでやっていた。

 割と僕のすぐそばで。

「あそこにいたのか……」

 こんな茶色のふわふわしたのが、そんなすぐ近くにいただなんて。ちゃんと見ていなかったから気づかなかった。

「そうか……」

「はい……」

「それで……花冠は作ってもらえたのか?」

「……」

 返事の代わりに健やかな寝息が聞こえてくる。

 僕は笑ってイヴの髪を撫でた。

 小さなイヴの為の花冠は、きっと作られなかっただろう。その後、それどころではなくなったからだ。

「悪いことをしたな……今度、何か埋め合わせをしよう」

 花冠をわくわくと待っていたイヴは、さぞかし可愛かっただろう。

 花冠がなくとも可愛いイヴの頭をほぼ無意識に撫でていると、もう一匹がニャーとやってきた。

「――シ」

 僕は唇に人差し指を当てる。

 最初のうちこそイヴは疲れて朝までぐっすり眠っていたが、そのうち慣れてきたのか、まるで熟練の騎士のごとく、あるいは警戒心の強い猫のごとく、少しの物音でも目を覚ますようになった。

 そうなると、僕の護衛を自認していた頃のように、寝ぼけたまま辺りを警戒し始めてしまう。

 僕は片目を閉じて言った。

「……イヴはよく眠っている。お前もお休み、シナモン」

 シナモンはツンと僕に背を向け、不本意そうに丸くなった。




☆後日談2・シナモンの為の花冠☆


 ――花冠の作り方を教えてくれ。

 ――まあシルヴァン。王太子って随分と暇なのね。

 エレオノールの辛辣な物言いはいつものことだった。やたら鋭い彼女のこと、誰の為の花冠なのか察しがついているのだろう。彼女は特に理由も聞かず、からかいもせず、「初心者にはシロツメクサがいい」とか「初心者は茎が長い方が編みやすい」とか言いながら懇切丁寧に教えてくれた。

 幸いそれほど難しくなく、まあまあ上手く編めるようになると、エレオノールは「タンポポやれんげを時々編み込むと可愛いのよ」と更なる上級テクニックを伝授してくれた。

 ――よし、これなら。

 僕は満を持してイヴを外へ連れ出した。

 シナモンを懐に抱き、空いている手でイヴと手をつなぐ。行くのは王城内の野原である。鳥や風が運ぶ種が勝手に芽吹き、自然の花畑となっているその一角はすっかり春の装いだった。

「イヴを抱いていてくれ」

「…………シナモンを、でございますか?」

 しまった。勝手にイヴだと思い込んで、そう呼んでいた時の癖でつい。

 僕はちょっとした言い間違いを装って「そうだ」と頷き、二人に背を向けて黙々と野花を摘んだ。

 イヴたちの隣に座って花冠を編み始めると、イヴはますます不思議そうな顔になった。

「花冠ですか……? どなたのお子様に……?」

「……シナモンに……」

「まあ、それは素敵ですね!」

 イヴの為というのを何となく秘密にしたくなり、物凄く苦しい嘘を吐いてしまう。イヴはわくわくと僕の手元を覗き込んだ。

「シルヴァン様は何でもお出来になるのですね……」

 イヴの賛辞がくすぐったい。僕は照れ隠しでひたすら指を動かし、それを見たイヴが「なんと滑らかなのでしょう……」と更に褒めてくれるという変なループに入った。

「あの、シルヴァン様、これでは大き過ぎるのでは……?」

「……これでいい」

 本当はお前の為の花冠だから。

 イヴはふんふんと頷いた。

「成程、首飾りにするのでございますね」

 いや、首飾りにしても大き過ぎるだろう。気づかないものなんだな……と思いながら、僕は出来上がった花冠をイヴの頭に乗せた。

「え……?」

「よく似合う。春の妖精みたいだ」

 イヴがぱっと赤くなった。可愛い。名前だけ使われたシナモンは、付き合っていられないというように欠伸をし、ふらりと駆け去ってしまう。灰色のしなやかな猫がどこからか現れ、彼女の後を追っていった。

「わ、わ、私も編みたいです。お、教えていただけませんか」

「ああ」

 イヴがどもるのを久々に聞いた。僕はエレオノールのように懇切丁寧に教えてやる。一生懸命花冠を編んでいるイヴはやっぱり可愛かった。

「誰に編んでやるんだ?」

「……シ、シナモンに……」

 絶対に違う。首飾りにしても大き過ぎる。

 僕は笑いを噛み殺し、甘えるように彼女の肩に頭を預けた。

「出来上がったら、ここに乗せてくれ」


☆おしまい☆


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