86 剣様の憂鬱
突き刺さる視線。
『好き』だの『頑張って』だの、どこまでもどこまでも無神経な同じ言葉ばかりの手紙。
『応援してください』だなんて、自分の事ばかりが書いてある手紙。
自分の存在が勇気になる。それは嬉しい事だったけれど、私はアイドルでも芸能人でもない。
手紙を貰えば貰うほど、自分が希薄になっていく様に感じた。
それだけの視線が私に集中しているという事実は、私の心を疲弊させた。
「中等部の新入生への言葉、春日野町さんがやってもらえるかな」
中等部2年に上がったばかりの頃に、高等部の生徒会長からもらった言葉。
それを無碍にする事も出来ずに、私は壇上に立った。
集中する視線。
どれだけ出来る人間なのか、どれだけ美人なのか、本当に頭はいいのか、英語は喋れるのか、胸の大きさは。
視線の全てが友好的というわけではなかった。
下心の視線、値踏みする視線。
目の前にいるのが、人間なのかどうかも、わからなくなっていった。
そんな中、私が見つけたのは、1枚の手紙。
『初めまして。中等部1年、朝川奈子といいます。』
なんていう、馬鹿みたいに丁寧な手紙。
『今日は、春日野町先輩の挨拶、ありがとうございました。在校生の方の挨拶のおかげで、緊張がほぐれました。』
そしてその手紙は、思った以上に簡素だった。
それ以外は、まるで日記か文通の様だった。
『中学では、算数は数学って名前が変わるんですよね。内容も難しくなるって聞きました。予習はしてあるけど、数学はそれほど得意な方ではないので心配です。』
「…………」
それだけ?
ファンレターなら、『剣様ほど数学が出来れば』だの『応援してください』だの『勉強を教えてほしいです』だの、何か書いてあるものじゃないのか。
けれど、異様に謙虚なその子の手紙には、そんな言葉が現れたことはない。
最初は、気にも留めなかった。
けれど、なんだか少しだけ“友達”が出来たような気がしたのも本当だ。
疲弊した心が少しだけ温かくなった。
初めて意識したのは、あの日。
その年の、英語スピーチコンテストの当日だった。
最近、まばらに登場する様になったハチマキやうちわを持った、ファンクラブの面々。
それも、ハチマキとうちわまでは学校側が許可したというのだから、頭が痛い。
けど、その中で、じっと、こちらを見る視線を見つけた。
ハチマキもうちわも無く、ただ、一番前の列で、こちらを見ていた。
紅潮した頬で。
視線はまるで犬だった。
全てを許している様な、そんな純粋な瞳だ。
その子があの、2週間に一度ほど、手紙をくれるあの子だと知るのに、それほど時間はかからなかった。
まあ、目立っていたのだ。ファンクラブの中でも。
ただ、派手だとかどうだとかじゃない。
なんだか、ファンクラブの中でも好かれる方の立場にいるようで、いつでも楽しそうだった。
正直、その子のそんな姿は、私にとって、嫌なものではなかった。
決め手は、文化祭の時だ。
生徒会の仕事とクラスの展示と、二つの重要な部分を任された私は、疲れ切っていた。
クラス展示での枕草子に関する展示も、有名な作品だけあって、手を抜く事はできなかった。
とはいえ、当日は生徒会の仕事があってクラスの方には参加できないから、展示に決まってよかったと胸を撫で下ろしたのも束の間。
当日、クラスメイトのバンド演奏のボーカルに抜擢されてしまったのだ。
当日は好評だった。
その後、たくさんの手紙を貰った。
けれど、気付いてしまったのだ。
「みんな……舞台での話ばっかり」
理解していたつもりだった。この顔があるから、これだけ他人に好かれるのだと。
……けど。
「時間かけて、頑張ったんだけどな」
クラス展示だって、同じくらい頑張ったのに。
図書館や博物館へ足を運んだ日々が思い出される。
見やすいレイアウトや文字サイズまで、学んだり話し合ったりして頑張った。
尽き果てようとした時、手に取ったのは奈子からの手紙だった。
『枕草子の展示、見ました。イラストや文字色が目を引いて、ポップな内容なのかと思いきや、小ネタが豊富でとても楽しかったです。』
「…………期待を裏切らない子ね」
見てくれた人がいる事に、ちょっと泣いたのを覚えている。
その日から、その手紙は私の宝物になった。
いつだって、一番前に、奈子がいないか探した。
奈子がいないとダメなのは、実際、私の方なのだ。
剣様の片想いのお話でした〜!