85 あなたの事を考えたくなくて
初めて……学校を休んでしまった。
健康だけが取り柄だった。
そうでなくても、きっとどんな高熱があっても、剣様と同じ学園内に居たいというその一心で、学校には行ったはずだ。
あの瞬間より前の私だったら。
奈子は、体温計を眺める。
一般的には高熱と言われる体温。
考えすぎて、熱が出てしまったのだろうか。
どちらにしろ、今日は学校には行きたくなかった。
頭の中を、昨日の剣様の言葉がぐるぐると回る。
『いるわ』と、剣様はそう言った。
それは、好きな人が居るという意味の言葉。
……もしかしたら、恋愛感情の好きじゃ無いかもしれないし。
なんていう、自分に都合のいい解釈を思うことすら、気持ちが悪くなる。
涙で天井が歪む。
今日はこんな景色ばかりだ。
サイドボードには、冷めてしまったお粥。
食欲もない。
好きな人が、自分だったらいいという感情を、ぐるぐると思い出す。
そんな事、あり得ないのに。
剣様が、私を好きだなんて。
なんて、烏滸がましい。
それに、万が一剣様の好きな人が私だったら、と思うとゾッとする。
剣様の隣に立つのが、万が一私だったら……。
いや、もし、私が指名されても、私はそこには立たないだろう。
似合わないにも程がある。
そんな剣様の一時の優しさで、剣様を地上に引きずり落とし、不幸に落とす人間になるつもりはなかった。
好きな人がいる。
剣様には、好きな人がいる。
考えたらいけない。
相手が誰であっても、許せない自分がいる。
それが、例え私であっても。
そんな風に、泣きながら、一日を過ごした。
夕刻、コンコン、とドアがノックされた。
「奈子、ちょっといい?」
「お母さん」
「学校のお友達がいらしてるんだけど、お通ししてもかまわない?」
「誰?真穂ちゃん?」
「いいえ。生徒会の人達だって」
ドクン、と心臓が波打つ。
もし、剣様が心配で駆けつけてくれたのだったらどうしよう、と思う。
それはとても嬉しい事だけれど、合わせる顔がないのも本当だ。
この顔は、剣様の恋愛を応援できない事の象徴なのだから。
けど、“人達”という言葉が少し気になった。
東堂先輩達が居るなら、会いたい、とも思う。
「お通し、して」
意を決して、そう言った。
部屋に入って来たのは、東堂先輩二人と、小節先輩だった。
じっと、凝視する。
剣様が、ドアの向こうから現れないかと思ったからだ。
けれど、その様子はない。
こんな、ベッドに寝たまま、熱も下がらないままの姿で、剣様に合わせる顔なんてなくて、いなくてほっとしているはずなのに。
剣様だけがここまで来なかった事で、こんなにも虚無感を感じるなんて。
「ありがとうございます」
と、顔だけで笑う。
真っ赤な腫れぼったい目で装った笑顔に、3人は少し呆れた顔を向けた。
何かあったなんてきっと知らないのに、3人は優しかった。
「ほら、プリン。プリン好きでしょう」
杜若先輩が、小さな箱に入ったプリンを差し出す。
「ありがとう、ございます」
4人で食べるプリンは、甘くて甘くて、やっぱり泣けてくる。
それから程なくして、杜若と菖蒲に癒された奈子は、すっかり眠ってしまった。
「きっと、夜、眠れなかったのね」
菖蒲がそう言って、奈子の頭を撫でる。
小節がため息を吐きながら、
「顔、出してもいいぞ」
とドアの向こうに声をかける。
ドアの向こうから顔を出したのは、他でもない剣だった。
申し訳なさそうな顔をして、ベッドの脇に座り込む。
静かに、剣は右手を奈子の頭に乗せた。奈子には絶対に、気付かれないように。
ベッドに寄りかかる様にして、そのまま奈子の寝顔を眺める。
小節が、鼻だけで「ふぅ……」と息を吐いた。
小節くんは鼻息が荒いタイプですね。