83 そうとしか見えなくて(3)
「ごっ、ごめんなさ……っ」
叫びながら、床にひれ伏す。
剣様がとても珍しくきょとーんとした顔をした。
小節先輩の髪から、ポタポタと水滴が落ちる。
「水もしたたる」
呟いた小節先輩に、
「いい男」
とハモって応答したのは双子だった。
こてん、と首を傾げた剣様が、周りを見渡す。
小節先輩が作業に使っていたノートPCは全くの無傷だ。
床に手をついて涙を浮かべた奈子に、剣様が声をかけた。
「……特に濡れてはいけないものが濡れたわけじゃないから、大丈夫じゃないかしら」
「僕はずぶ濡れなんだが?」
小節先輩のツッコミに取り合う者はいなかった。
その優しさに心打たれながら、奈子がすくっと立ち上がる。
「小節先輩!保健室に行きましょう!」
手を差し出すと、
「あら、取りあえず脱ぐだけなら、隣の部屋を使うといいわ。私が付き添いするから」
と口を挟んだのは剣様だった。
剣様が……、小節先輩に……?どうして?
や、やっぱり、私と小節先輩を二人きりにさせたくなくて!?
そ、そんなに小節先輩と二人きりになりたいの!?
つい、むっとしてしまう。
「大丈夫です!私がやってしまった事は、私がなんとかしますから!!」
すかさずほぼ500mlの水をかぶってぐしゃぐしゃになった小節先輩の制服の袖を引き上げる。
後ろからなんだか怪しげなオーラを感じたけれど、ここで剣様と小節先輩を二人きりに出来るほど、人間できてはいなかった。
今、水をかけてしまって、申し訳ない気持ちはあるものの、この瞬間から応援できるかどうかは、また別の問題だ。
ズカズカと、隣の部屋まで引っ張って行った。
「ずいぶんずぶ濡れですね」
制服を脱ぐ小節先輩を見ながら、まるで他人事の様に言う。
「君がやったんだろ」
「そうなんですよね」
小節先輩は両手でバサバサと制服を振ると、簡易的に作った物干し竿に制服をかけていく。
「なんでこんな事したんだ?」
それは責める声ではない。純粋に疑問なのだろう。
「その……わ、わざとかと思って……。剣様の手に、触ったのが……」
つい、目が泳ぐ。
「わざとじゃないが」
「ですよね〜……」
今ならわかる。
小節先輩はわざと触ったんじゃない。
けど、万が一恋愛と関わりある関係だったら、とは思ってしまう。
「あの……。小節先輩は、……剣様が好きなんですか?」
「あ?」
これ以上ないほど、嫌そうな顔を見た。
剣様に見せたら、恋愛感情などカケラもなくてもボッコボコにされそうな顔だった。
「あ、いいです。もう」
「ありえない!」
いいって言ったのに……。
わざわざ否定する程という事か……。
そこにあった椅子に座り、奈子は肩を落とした。
「本当は……小節先輩程の人だったら、応援しないといけないって、わかってるんですけど」
「どうしてだ?」
「だって……、剣様に幸せになって欲しいから」
「それは……」
小節先輩は、眼鏡をクイッとした。
「本人の希望を鑑みてという事か?」
「剣様の……」
「春日野町は僕の事が好きなのか」
「え……」
血の気が引く。
「そんな話、聞いた事もないです、けど。見てたら、もしかしてって、思って……」
「確信があるわけでも確定なわけでもないんだろ。じゃあ、そんな顔してまで応援する事じゃない」
「そう…………ですね」
「春日野町が、もっと、小動物にしては頭のいいちまちました奴が好きだったらどうするんだ」
「そう、ですよね。私、ちょっと、突っ走っちゃって……」
「……そういうのは、本当に好きな奴がわかってから応援すればいい」
返事をする代わりに、乾いた笑いを返した。
そこへ、剣様が異様に怒った調子で部屋に入って来た。
「いつまでも、何してるの。二人で」
「制服を乾かしてたんですけど」
「あなたまで裸の小節と一緒にいる理由ないでしょ!?」
確かに、小節先輩はパンツ一丁だ。
パンツが濡れていないだけマシだったというものだ。
「穿いてるぞ?」
「けど、私が濡らしちゃったのだし……。穿いてます」
「十分、アウトよ」
そう言って、剣様は部屋から出そうと私をずるずると引きずり、廊下へ出た。
まるで、背後にいる小節先輩がどんな顔をしているのか知っているみたいに、剣様はピシャリと教室の扉を閉めた。
小節くんにとっての「かわいい後輩」は、原っぱの子リス、よくて妹(5)くらいの感覚です。