78 夏の匂い(2)
ザクザクと、砂浜を歩いた。
「あれ……」
剣様は、確かにそこに居た。
こっちの方が人気が少ないから。静かな場所で、海でも見てのんびりしてるんじゃないかと思ったんだ。
その予想は、確かに当たっていた。
思った以上に、人が居なかったけれど。
もう遊ぶ時間が過ぎてしまったからか、剣様の他には誰もいなかった。
そこは、大きな砂浜とは離れている。奥まったところにある砂浜で、少し入江になっている。
砂浜の向こうには、切り立った崖と、青く続く海が見えた。
近づいちゃいけない気がして、後ろから剣様が砂浜に座る姿をじっと眺めた。
一人でぼんやりとする剣様は、とても綺麗だ。
この情景を切り取って、ずっと置いておけたらいいのに。
長い髪が揺れる。
剣様は、いつも気を張っているのに、時々ものすごく無防備になる。守らないと、と思わせられる。
ここで見守る覚悟を決めた頃、剣様が、振り返った。
何か気配が伝わってしまったのか、もう戻るつもりだったのか。
「朝川……」
少し驚いた表情を見せた剣様は、すぐに微笑みを見せた。
暮れていく空の下で見せる笑顔は、それだけで世界がより一層幸せになるような笑顔だ。今、世界中の幸福度が上昇した。
「そろそろ、お迎えに来たんです」
「ああ」
そう返事はするけれど、剣様は立ちあがろうとはしなかった。
その場までお迎えに行った方がいいのかと、サンダルを砂に埋めながら歩く。
剣様は、座っている場所の横をポンポンと叩いた。
まるで、そこに座りなさいと言っているみたいに。
「え……?」
「座って」
ううん。実際に、私の聞き間違いでなければ、剣様は私がそこに座るように言ったのだ。
「えっと、ここに座るんですか?私が?」
「ええそうよ。さっさと座りなさい」
じゃあ、失礼します。
剣様の横に、腰を下ろす。
ほんの50センチほどのところに。
近過ぎただろうか、もっと遠く?
混乱と、困惑と、幸福と、夢と。
色々な感情がないまぜになり、冷や汗となって噴き出る。
夢のような光景だった。
夢にまで見た光景だった。
「いい場所ですね」
「ええ。あなたはもういいの?みんなと遊んでいなくて」
「小節先輩が、ウミウシ持って追いかけてくるので逃げてきちゃいました」
「それは大変そうね」
剣様は、小さな蕾が綻ぶようにふふっと笑った。
「剣様こそ、いいんですか?みんなと遊ばなくて」
「もう、たくさん遊んだわ。……私は、一人の時間があまりないから、こういう時間も大事にしたいのよ」
「だからって、一人でぼんやりは危ないですよぉ〜。変な人、沢山いるんですから」
「大丈夫よ。私、これでもそこそこ強いの」
「ダメです」
「実戦でだって、全然……」
「ダメです」
奈子は、一度目よりも強い語気で言った。
まっすぐ、剣様を見ていた。
「朝川……」
まっすぐに目が合う。
こんなに剣様と目が合う事は、初めてのような気がした。
「わかったわ」
剣様はちょっと投げやりにそう言うと、プイと横を向いてしまう。
「剣様は、かっこいいですけど」
奈子は、真剣だった。
「綺麗なんですから。私みたいな事考えてる人間だって、沢山居るんですから。だから、ダメなんです」
夕陽が差す。
明るいオレンジ色の光の中で、剣の瞳に、奈子の顔が映った。
奈子の強い言葉が、剣の耳に届く。
奈子の肩よりも少し短い髪が、潮風に揺れた。
いつだって、ふわふわと転がる、犬みたいな短い髪。
見た目は可愛いくせに、変なところで強くなる。
心配なんてしちゃって。
自分の方が危ないくせに。
手が、届きそうだった。
手は、届くんじゃないかと思った。
だから。
奈子のその手に、自分の手を伸ばす。
「あっ!」
突然、奈子が手を引いた。
「いい加減、戻らないと……!」
そうよ、ね…………。
夕闇が差し迫る。
ただ、大きく波の音だけが聞こえるこの場所で。
剣は行き場のない手を、きゅっと握った。
いつになったら甘くなるんでしょうか!