49 たった一つの席
姫野夏菜は、ただ、特別教室の校舎の中で、うずくまっていた。
こんな顔のまま、外に出たくはなかった。
ただ、階段の裏、床にうずくまり啜り泣く。
足元が、暗く見えづらくなってくるのを感じる。
夕闇が迫ってきているのだ。
流石にこの時間まで待っててくれる人など居ないだろう。
今日は、このまま好きなだけ泣いてしまおうか。
そう思いかけた時、隣に、とすん、と誰かが座る気配を感じた。
ビクリ、とする。
……顔をあげると、そこには剣様が居た。
「剣……様…………」
黙ってそこに座る。
じっと、目の前だけを見ていた。
そこは、白い壁しかない。何もない空間。
じっとそこに居た。
そこに居て、やがて、
「姫野」
と剣様から声が掛けられる。
「あなたには、いつだって感謝してる。ファンクラブの設立の時からずっと、変な輩から私の事、守ってくれて。厳しい規約作って、守らせて、大変だったでしょう」
「剣様……」
あまり会った事もないのに、認知してくれている事が嬉しかった。
感謝していると言われて嬉しかった。
けど。それなら。
「それなら……私だって、生徒会に入れてください」
かぶりつく様に見た剣様は、優しい瞳で、けれど、絶対に、こちらを向く事なく喋った。
「ごめんね、姫野。申し出は嬉しいけど、私の隣は一つしかないの」
ビクリ、とする。
ポロポロと、また涙がこぼれた。
「ピンとくる事ってあるでしょ。この子がいいって。この子じゃなきゃって。私はあの子に、そう思ってしまったの」
そして、剣様は、紙の束を見せてきた。
綺麗な紐で纏められている、数百枚はあるだろう、上質な紙の束。
「あの子が、どんな風に私を応援してくれていたか知っている?」
その言葉で、ピンとくる。
この紙の束は、朝川からのファンレターだ。
中学時代から、何かある度に送っていたファンレター。
嘘でしょう?
ファンレターそのものは、剣様に渡る事などないはずなのに。
これが……剣様の気持ちだっていうの?
「……知っています。そんなもの……見たくありません……」
知っている。
そんな事知っている。
だって、隣で見ていたから。
手紙だって最初の頃は、失礼じゃないかって、何度も何度も私に確認させた。
『こっち見て』のうちわだって、『キスして』のうちわだって、必死に作っているのを何度も見ている。
どれだけ一途に、どれだけ真っ直ぐに、剣様だけを見ていたか知っている。
分かってる。
こんなの、どっちの気持ちが大きいかなんかじゃない。どれだけの事をしてきたかなんかじゃない。
剣様の心が動いてしまったのが全て。
けど。
「う……っ、つるぎ……さまぁ…………」
そんなわかりきった事で、気持ちがどうにかなるわけじゃない。
「つるぎさまぁ……!つるぎさまぁあああああああ」
剣様は、そんな風に泣きじゃくる私に、優しく諭す様に腕を回した。
それは、恋愛の抱擁じゃない。
ただ、慰める為の手だ。
出来るだけ触らない様に気をつける腕が、逆に悲しかった。
恋愛なんて、した事ないと思っていた。
けど、こんな苦しくて切なくて幸せな気持ちに名前をつけるとしたら、それがいい。
失恋なんてした事はなかったけれど、こんな苦しい気持ちがあるなら、きっとこれがそうなんだろう。
さて、次回から、新展開です!