42 ありがとうの言葉(2)
「……私、剣様の婚約を取り消して貰いたくて、ここまで来たのに。何も出来なくて。引っ掻き回しただけで……。おじいちゃんがいなかったら、もっとひどい状況だったかもしれない。それが……」
「ふぅん……」
剣様は、じっと私の髪を見る。
剣様の方が私よりも10センチほど背が高いのだ。
剣様が、何か思案する。
こんなに静かに、こんなに真っ直ぐに、こんな風に剣様と向かい合えるようになった。
今だって、心臓はヒリついて、悲しい事以上にこの状況に対して涙がこぼれてしまうけど。
それでも。
私は剣様と向かい合う事が出来るようになった。
認知されてしまって、これ終わりだけれど。
なんて幸せな人生なんだろう。
「私は、」
剣様の声が降り注ぐ。
優しい雨みたいに。
「朝川が居てくれて、良かったと思ってるわ」
「剣様」
「朝川が引っ張って行ってくれなかったら、お父様に声を上げる事なんてなかった。あの場所に居る事なんてなかった。朝川が背中を押してくれたの」
そう言われて、ああ受け入れて貰えたんだって、許してもらえたんだって、そう思えて、ボロボロと涙がこぼれた。
「隣に居てくれてありがとう。あなたが居てくれたから、私も声を上げる事が出来たの」
「剣様ぁ…………」
「居てくれてありがとう」
これが最後だから。
最後に、剣様のこんな声が聞けて良かったと思えた。
ここで死んでも悔いがないって、思った。
「剣様ぁあああああああああああああ」
手で顔を覆うと、グジュグジュとそのまま手で涙を拭う。
「剣様こそ、私のそばにいてくれて、ありがとうございます!大好きなんです!大好きなんです!!」
そう言うと剣様は、困ったような、少し照れたような笑みを浮かべた。
その笑顔が素敵だったから。
その笑顔を壊したくなくて、ボロボロと涙が流れるままに、笑顔を作る。
それは、どうしても涙と鼻水でグチャグチャだったけれど。
涙がボロボロと溢れるので制服までグチャグチャだったけれど。
鼻をすするばかりで、なんて言っていいのかわからなかったけれど。
それでも、最後を飾るにしてはいい笑顔だったはずだ。
「またね」
と、剣様が言う。
もう生徒会室には行かないのに。
だから私も、
「はい、また」
と、社交辞令のような、それでいていつかまた会えるんじゃないかと期待して生きていけそうな、そんな言葉を返した。
あれほど、したくはない“期待”だったのに、こうなってみると、それだけを心に生きていける“期待”というものは、それほど悪くはないように思えた。
帰り道はやっぱり涙がボロボロで、電車の中でも、家の中でも、そのグチャグチャの顔のまま、どうにも出来なかった。
翌日の朝は、いつも通りの朗らかな天気で、目が腫れまくっている事とか、今日からはもう生徒会室には行かない事とか、そんな事を忘れてしまいそうだった。
午後、生徒会長選挙の結果が貼り出された。
当選と書かれた文字と、剣様のポスター。
そのポスターを見上げ、小さく、
「おめでとうございます」
と呟いた。
それがあまりにも眩しくて、やっと泣き止む事が出来たのに、また、泣きそうになった。
綺麗にお別れ出来ましたね!