114 やめてもいいんじゃないかしら
「照明関連は完了です。演劇部の方には詳細を知らせてあります」
「そうね。今日の仕事はこれくらいかしら」
「お疲れ様です、剣様」
生徒会室の会長机で、奈子は作業報告を行なっていた。
クリスマスイベントの準備は順調。
だと言うのに、剣様の顔が一瞬、何かを悩むように歪む。
その歪み加減も、美人特有の美しさがあるわけで。
見惚れていると、剣様は顔を上げ、唐突にこう言った。
「その『様付け』、もうやめてもいいんじゃないかしら」
「…………」
言われ、きょとんとする。
様付けを、やめる???
言われてから、恋人を様付けで呼んでいる事に気がついた。
「けど……」
少し戸惑いながらも、言葉にする。
「剣様は……、私の中でずっと剣様なので……」
剣様が、考えを巡らせる。何かを見渡すみたいに。
「すぐじゃなくてもいいわ。準備が出来てからで」
その日は、それだけで会話が終わった。
私の中で、剣様は剣様だった。
ファンクラブに入ってからは特に。
みんな剣様って呼んでいたし、私の中で剣様は女神様だったから、次元の違う人だったから、様付けがあまりにも自然だったのだ。
けど確かに、これから一緒に過ごす中で、デートの最中にでも、恋人を様付けで呼ぶと、どうしても上下関係が出来てしまうというか、ロマンチックから離れてしまうというか。
それは剣様にとって、好ましい状況じゃないのかもしれない。
……まあ、あるいは、私にとっても。
自室の鏡に向かって、
「剣」
と声に出してみる。
ううん……。
なんだかしっくり来ないかも。
「剣さん」
ちょっと変な感じ。
「春日野町さん?春日野町先輩?」
いや、苗字は違うよね。
きっと、名前で呼んで欲しいって事だろうし。
そして翌日。
剣様に会えた、お昼休みの事だった。
「おはよう、朝川」
「お、おは、おはようございます、剣様」
ただ、挙動不審になっただけで、呼び方自体は変わらない一日が始まった。
何これ、何これ、何これ、緊張するぅぅぅぅぅぅぅ。
「きょ、きょきょきょきょきょ今日は、トンカツがうまく作れたので、つつつつつ剣様の分ももってきてあるんです。剣様にも食べていただこうと……」
あ………、この敬語もやめないと……。
「思って……」
ぽやっと剣様の顔を見る。
自分のとは別に分けた綺麗で小さなお弁当箱に入った小さなトンカツを、ちょっと嬉しそうに見る剣様がいる。
頬を赤らめて、微笑んでいる。というより、少しニヤけている。
確かに、もう女神様って感じじゃないな。
こうやって二人でいる時は特に。
「剣ちゃん」
それは、思わず口から出た。
「え………?」
驚いたようにこちらを見た剣様は、すっかり顔が真っ赤だった。
「え、あ、ええ。いただくわね」
きっとどう反応していいのかわからなかったに違いない。
そのままトンカツの話をしている体を装って、剣様はトンカツにお箸を伸ばした。
モグモグと剣様の口が動く。
そして、食べ終えたかと思うと、
「ふふっ」
と声を出して剣様が笑った。
「え?え?え?」
剣様が、クスクスと嬉しそうに笑う。
「いいえ。とっても美味しいわよ、奈子」
一瞬、時間が止まったような気がした。
ぶわっと身体が熱くなる。
こんなところで、突然名前で呼ぶなんて。
この瞬間の世界全てを、宝箱の中に閉じ込めておきたくなる。
もう、それはずるいよ、剣ちゃん。
もう何話かで終わりにしてもいい気がしますね!