109 さよなら、私の女神様
その瞬間、カチャリ、と社長室のような扉が開く音がしたものだから、
「ひゃあああああああああ!!」
なんていうあからさまに怪しい悲鳴を上げながら、剣様を突き飛ばしたのが数時間前。
片付け時間の間ずっと、百面相をしてしまう顔が抑えきれなかったのが原因なのか、放課後に生徒会室に剣様と私を残し、他の3人はあっさりと帰ってしまった。
「打ち上げの相談だってまだなのに」
……私はそんなに、おかしな顔をしているんだろうか。
鞄に入れていたミラーで表情を確かめ、ほっぺたをむにむにと揉む。
剣様はまだ、文化祭の活動記録を書いている。
こういうのは、待っていた方がいいんだろうか。
……恋人、だし。
一緒に帰ったりするんだろうか。
まあ、毎日とまでは、いかないまでも。
思い悩んでいると背中に温かな重みを感じた。
「ひゃあっ」
突然のくすぐったさに思わず声を上げる。
後ろに寄りかかってきたのは当然剣様だ。
「つ、つつつ剣様……っ」
「待っててくれてるの?」
剣様がニヤつく。
待っているのは確かに本当なのだけれども、剣様のその顔に頷くのはちょっと癪だ。
剣様に対して、癪だと思う事があるなんて、今まで思ってもみなかった。
剣様が目の前に居ないと、こんな風には感じなかっただろう。
こうして目の前に居て、一緒に生活をしていないと。
剣様は私の女神様だった。
強くて優しくて、いつだって正しくて、生きる世界そのものが違う、生きる指標にすべき尊い人だった。
全てを肯定できる人だった。
普段の姿を知っても、そのイメージは変わらなかった。
尊大な態度も、ちょっと意地悪なところも、イメージが崩れる事は無かった。
けど、今、目の前に居る剣様はそんな女神様じゃない。
ここに存在して、触れる事ができる“剣様”だ。
「剣様は有名人なので、あんまり毎日一緒に帰るつもりはありませんけど、でも……今日くらいは…………。一緒に帰りませんか?」
今までだって、何度か一緒に帰る事はあった。
毎日でもなければ、気付かれないはずだ。
おずおずと言うと、剣様は、私の頭にそのツンとした綺麗な鼻を押し付けた。
「私は毎日でもいいのだけど」
「そういうわけにはいきません」
剣様は、さんざん私の頭で遊んだ後で、
「じゃあ、そろそろ帰りましょうか」
と顔を上げた。
「教員棟に寄ってから帰るわね」
「はい」
そんな会話をしたにも関わらず、剣様は、こちらを向いてただ立っている。
「剣様?」
文房具を鞄にしまい込み、奈子は怪訝な顔を向けた。
剣様がゆるゆると近付いてきて、きゅっと奈子を抱きしめる。
………………!?
今日の朝から剣様は、あったかくて、くすぐったくて、ドキドキしてしまう。
剣様は私の心臓を壊す気なんじゃないだろうか。
朝からずっと、冷める暇がない。
剣様は、ずるい。
もしかしたらちょっと甘えっ子で、意外と泣く事もある。
今、私の隣に居る剣様だ。
思っていたよりもはしゃぐし、思っていたよりもかわいい。
ここに存在している。
この人が、私が大好きな剣様だ。
確かに剣様は、私の女神様だった。
いつだってそこに居て、私の事を救ってくれた。
けど、もうそんなものじゃ収まらないのだ。
もう、女神様だなんて呼べない。
ずっと一緒に居たいから、女神様だなんて呼んであげない。
さよなら、私の女神様。
タイトル回収でした〜!
まだもうちょっとだけ二人のお話は続きます。