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半俵の米袋

作者: 仁
掲載日:2024/02/01

一人息子が死んだ後での精米は初めてだった。


夫が腰を手術してからは、同居のあの子がずっと米袋を持っていた。

その息子は三十五歳で死んだ。嫁も貰わずに。子供も作らずに。

半俵、つまり30㎏の米袋の重さ。それが、もうすぐ七十を回る私の腰骨に、酷くいやらしくしがみつく感じがする。ずっと息子が担いでいた重さ。これからはもう、担いでもらう事も出来ない重さ。


子供に死なれた後も人生が続く。

そういう事が容易に起こるという道理は知っていたのだが、自分の身にそれが起こるとは考えた事がなかった。

多くの時間を二階の自室に引き籠っていたあの子。

働きに出る事もしなかった。出来なかったのだろうと思っている。

それでいてそれなりに酒が好きで、晩酌位遠慮するなと言えば、拒む事などしない。ずっと以前から、殊更よそ様にはそんな息子の存在を話す事はしなかったけれども、この狭い世間では隠し通せるものでもない。世間的にはどうしようもない穀潰しだという烙印がとっくに押されていた事だろう。私と、あの夫との子供なのだからそれも仕方がない。

でも、それでもその生活は、そんなに悪くはなかった、と思う。息子の心根は優しかったから。他所の似た境遇の子供の話を聞くと、食卓を共にできるという事すら貴重なのだと知る。

私の息子は、「ちょっと晩御飯の支度を手伝って」と言うと「いいよ」と答えて降りてくる。晩ならば、来客の心配もなく、安心だから。そして、食器を並べ、食卓を共に囲む。そうした方が良いとあの子も思っていたのか、余程の事がなければ夕食に顔を合わせないという事はしなかった。それがあの子の優しさ。


今でも時々、つい起った事何もかもを忘れて、二階に「ちょっと晩御飯の支度を手伝って」と、声を掛けてしまう事がある。

誰も、何も返事を返さない、暗がりへの呼び掛け。夫もそれを聞いているのだろうけれど、息を殺しているかのように、何の音も発さない。私も、同じ様に息を殺して待つ。待っていれば、もしかしたら返事が返って来る様な気がしてしまうからかも知れない。或いは、返事が返らない理由をいつまでも思い出さない様な気がするのかもしれない。

けれど、頭は嘘を吐き続けていても、涙腺までいつまでも騙し通せるとは限らない。やがて私は、光の歪みや、液体が頬を流れる感覚に、現実を教えられる。

そんな時の涙が一番塩辛く、やがて私は、返事が返るまでは決して音を立てまい、という、自分と神様との賭けに負けた事に気付く。この負けは過酷だ。代償が大き過ぎる。いつも息子の命を取り上げられるのだから。


半俵の米袋は百円玉三枚で精米が仕上がる。夫は重い物を運ぼうとしないから、私がその仕事をするしかない。仮に夫が「重いだろうし俺が精米してくるよ」なんて言うタイプの人間だったとしても、きっとその仕事だけは譲らなかったろうと思う。

ここには息子だけが知っていた重さがある。

世間的にはただの引き籠もりだとしか評されなかっただろう私の息子。でも、あの子は生きている間、一度たりとも半俵の米袋を、私達両親に担がせる事を自分に許さなかった。外で衆目に晒される事が嫌だった筈なのに、しかしそれ以上に、私達親共に米袋を担がせる事を嫌った、あの子。

それが、世間の人がどう人間を評価しようと関係無く、私が私の息子という人間を量る事が出来る尺度。でも、そんな事を考えている私自身も、息子が生きている間には、終ぞ本当に知る事はなかった、重さ。人間の一生が分かる重さ。

私は、私自身の人間の重さを知る事は無い。それなのに、実際に私の腹の中に抱いた事のある、そして胸の中に抱いた事のある、あの子の人生の終わった後の重さまで、知る羽目になってしまった。

ああ、出さなければ良かった、と思う。腹の中から出さなければ良かった。だってあの子は、あまり外には出たがらなかったのだから。

そして、これからずっと、私は米袋を担ぎ続けなければならない。生きるという事は、今日ではこんな風に変わってしまった。

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