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コルティジャーナ  ー アマリッリの取り調べ ー

作者: 前田エマ

 夜の社交界の女。

 その名は、アマリッリ。


 彼女は、公爵の囲われ者でありながら、騎士ロザリオの想い人でもありました。




 公爵は、アマリッリが自分以外の男を想っている事を知りながら、目を瞑っていました。

 でも、犯罪者として追われていると分かれば、話は別です。

 自分の愛娼が、犯罪者と関わっていたのなら、政治生命に関わります。


 裁きの場に出された彼女は、散歩服と、最低限の装飾品を身に付けていました。

 夜のドレスに比べれば、余りにも簡素で露出の無い、ありふれた趣向の服です。

 しかし、その飾り気の無い、ありふれた服が、彼女の美貌と全身を、聖女の如く見せていました。



 この国随一の高級娼婦であった彼女は、当時のスーパースターでありました。

 現代の歌手・アイドル・女優やタレントの人気を、百人分合わせた位の、人気がありました。

 昼間には、彼女の元へ列を成して、贈り物を持ってあらゆる人が訪れました。

 時に、国王の謁見よりも、人数が多い日もあったのです。


 一言ラテン語で話せただけで、学者は歓喜の涙を流して、出会えた幸運に感謝したと言います。

 手紙や贈り物も数多く、外国の王公貴族からも届けられました。

 外国の国王からも、

「是非王妃に!」

 との声も、少なくありませんでした。


 学深く、才長けて、美しい。歌や楽器の嗜みもありました。

 しかし、欲は無く、大人数のサロンは開催しませんでした。

 財は、教会や養老院・孤児院等へ寄付していました。

 実は、貴族の庶子では無いか、との噂もありました。




高級娼婦(コルティジャーナ)アマリッリ。前へ。」

「はい。」


 裁判官の声に従い、彼女は前に進み出ました。

 そして、低く知的な声は静かに、けれど、よく響きました。


「事実のみを述べる事を、神に誓います。」

「では、質問に答えてもらおう。貴女は、騎士ロザリオを知っているか? 」

「はい。存じ上げております。」

「今、何処にいるか、知っているか? 」

「存じません。」

「生きているのか? 」

「そう、信じております。」


 力強いけれど、静かなそのまなざしは、裁判官の目をまっすぐに見つめました。

 …この人は、本当の事を言っている。

 裁判官は、これ以上尋問する意味が無いので、証拠不十分につき釈放を命ず、と口にしようとしました。


「もっと調べれば、何か分かるに違いない。きっとぼろを出すはずだ! 」


 公爵…先王の弟にして、現国王の伯父。

 蔑ろにはできませんが、裁判官は法に従わなければなりません。



「閣下。お言葉ながら、これ以上は。」

「うるさい、何とかして取り調べを続けさせろ。」

「この高等法廷において、証拠も無く、証言も無く、罪人にすることはできません。拷問もできません。」


 元老院のあちらこちらが、ざわつき始めました。公爵は、わめき続けています。

 公爵は、ここヴェネツィアの領主なのです。領主の命令には、逆らえません。

 裁判官は、困ってしまいました。


「アマリッリ、身の(あかし)になるものは、無いか? 」


 しばらく、うつむいていた彼女は、顔を上げて答えました。


「では、私の家から、楽器を運ばせて下さい。この身に、嘘偽りが無い事を証明いたします。」


 元老院は、ざわめきました。

 かの、有名なアマリッリの演奏が聴けるとあって、皆、興奮しています。

 裁判官は、密かに微笑みました。


「では、そのようにしなさい。」



 しばらくすると屋敷からは、チェンバロとリュート、そしてガンバが運ばれてきました。

 どこからか呼ばれた者が、楽器の調弦を始めています。

 アマリッリが指を動かし温めながら、楽器を運んだ使用人の1人1人に感謝を伝えているさまは、使用人達から日頃慕われている様子が見てとれました。


 使用人達が下がると、アマリッリは置かれた楽器を眺めると、おもむろにチェンバロの前に座りました。

 そして、指を軽く鍵盤の上に置き、いくつかの音を鳴らすと、歌い始めました。



 アマリッリ、麗しの君よ…


 それは、古き、歌曲(マドリガーレ)


 この矢を取り、わが胸を切り開け

 さすればそなたは、わが心の内を知るだろう…



 皆、うっとりと聞き惚れています。

 裁判官は、感心しました。

 自分の名前が使われた曲を歌いながら、騎士ロザリオの想いと、自らの潔白を訴えている。

 これで全てが、明らかになったと閉廷できるだろうと、胸をなでおろしたのです。



「ふざけるな! こんな1曲で何が分かるのか? 」


 公爵は、歌が終わった途端に、わめき出しました。

 元老院中の人々は、あきれたまなざしで、公爵を見つめました。

 裁判官は、仕方なく尋問を再開しました。


「騎士ロザリオに初めてあったのは、いつか? 」

「それは、ある嵐の日でございました。」




 夢見るような瞳で、語り出したところによれば、



 昼下がりに自分の屋敷の前を、傘も差さずに歩く男がいた

 見れば、教会でよく見かける男だった

 あわれに思って、中へ招き入れた


 男はお礼にと詩をささげてくれ、それを歌ってくれた

 男の外套を見ると、裾がほつれていたので、繕う間紅茶を出した

 嵐はやむこと無く、晩餐を共にした

 食後にぶどう酒を飲みながら、語り合ううちに、気付けば私室で朝を迎えた


 それから何度か屋敷で会ったが、戦争が始まり、男は戦場へ向かった

 しばらくすると、男の子供を身ごもっていることに気付いた

 それからは、屋敷には来ていないし、手紙を受け取った事も無い

 居場所も分からない



 と、いうものでした。




 裁判官は、次はリュートを弾くように命じました。

 アマリッリは楽器を手に取り、音の調子を確かめると、弾きながら歌い始めました。



 姿を隠さないでおくれ、わが太陽よ

 そなたが姿を現すのなら、この魂は苦しみから逃れられるだろう



 曲の調子は明るいのに、切々と、恋の苦しみを歌い上げる様子に、人々は心をわしづかみにされました。




 裁判官は、静かに尋ねました。



「戦争が始まってから、屋敷に訪ねて来た事は、本当に一度も無いのだな? 」

「はい。」

「どこかで会った事は? 」

「…一度だけ、ございました。」

「それは、いつ、どこで? 」

「3ヶ月前オペラに行った日の帰りに、ゴンドラに乗っていた時に、すれ違いました。」

「会話は、交わしたか?」


 アマリッリは、一度うつむくと、答えました。


「一言だけ。」

「どのように? 」

「『お元気か? 』と。わたくしは、『はい、どうぞご無事で』と。」



 裁判官は、しばらく黙っていましたが、最後に、ガンバを弾く様に命じました。




 ガンバ…ヴィオラ·ダ·ガンバとも、呼ばれる弦楽器です。

 ヴァイオリンが発明される前から、あった楽器でした。

 既に、ヴァイオリン等は発明されていますが、この時代は共に独奏や伴奏の為に、よく使われていました。



 アマリッリは、ガンバを両手で持ち上げると、そっと椅子に腰かけました。

 それから、慎重に膝の間にガンバを置き、弓を右手に取ると、弦に滑らせて音の調子を確かめました。



 われは心に感じる

 安らぎをかき乱す、苦しみの如きものを


 魂を燃やす松明が、ひとつ輝く

 もし、これが恋ではなくとも、

 やがては愛に変わるだろう



 恋の終わりを、心のどこかで知りながら。

 永遠に変わらない愛を、騎士ロザリオに誓う。

 アマリッリの覚悟は、人々の涙を誘うのでした。




「これ以上の尋問は、不要。アマリッリは、釈放とする。」

「ふざけるな! 絶対に許さん! お前は犯罪者と情を交わして、わしを侮辱したのだ! 誰が許しても、わしは許さん! 屋敷から出ていけ! 」



 元老院中の人々は、またしてもあきれたまなざしで、公爵を見つめました。

 大体、囲ったのは良いものの、放ったらかしにしていたのは、皆が知っていました。


 アマリッリは、静かに淑女の礼を取り、その場を後にしました。そして、屋敷には二度と戻りませんでした。




 その夜、1艘のゴンドラが、船着き場を出ました。

 ゴンドラに乗った2つの人影は寄り添い、どこかへと、消えてゆきました。


お読み頂き、ありがとうございます。

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