その3
風の音以外なにも聞こえない朝。
薄い壁越しに淡い光が入ってくる。
砂漠が目の前で湿度が低いせいか、昨夜は快適に寝られた。
この世界の時間は、前次元とさほど変わらない様だ。クラフトモードに表示されている時計で比較すると、誤差は感じられない。
シェルターから降りて、光源を直視しないようにして空を見渡す。
今気付いたのだが、太陽?らしき光源の光の円が、丁度8の字の様に二つに見える。道理で暑いわけだ。
昨日砂漠で倒れていたせいか、自分の体色も以前より浅黒くなっている。でも日焼け独特のヒリヒリは感じない。
自己修復能力があるそうで、大概の損傷はすぐに修復されてしまうらしい。浅黒くなったのは環境適応なのか?
「さーて、朝食にしますかねえ。」
サットが何も反応しないので、独り言をぶつくさ言いながら準備する。
クラフトモードにすると、夜の間に動物性素材が採取できていた事に気づいた。表示されていた素材の原型画像を見て、思わず噴いた。
「オイオイなんだこりゃ...でかいサソリだなあ!」
知っている形とは少々違うが、明らかにサソリ型の虫?が表示されていた。体長8mって書いてあるぞ?
他にも、虫系の生物の写真が十数種リストアップされている。全然見たことない奴まであるし...
虫以外の種はいないらしい。
「これなんて、いかにも危なそうだよなー。」
体長四メートルのトンボの羽が生えた蜂のような生物。毒針を持っていそうな気が...。
でも、素材に毒系は入ってないな。ま、どのみち自分は毒無効化されるんだけどね。
前次元でサットと同化したとき、同じ身体に同居する代償で希望を聞かれたので、簡単には死なない仕様をお願いしたら、若くて長寿な肉体と怪我の自動修復、状態異常無効な体にしてもらった。
つまり地球上の生物とは異質な存在に進化した。今の自分は、精神だけ人間で他が訳の分からないものになっている。
実は性別も変えられるらしいが、やらない方が良いとサットから言われている。
男性の精神体ではいきなり女体はコントロールできないそうだ。脳の使い慣れに時間がかかるとか何とか。別にやりたくもないが。
「あーそうか、自分以外に料理とか出すときは、毒が入ってないか注意だな。」
もっともこちらに来てからは、人間はおろか生物の動く影すら見たことがない。
あんなでかいのが飛んでいるのを目撃するのも恐ろしいけど。
きっと隠れているのだろうが、今のところ危害を加えて来たりはしないみたいだ。
分子クラフトの素材採集は比較的近くで行われるらしいので、居ることは間違いないのだが。
自分不味そうなんだろうか。あの手合いは味覚なんか関係ないんじゃないか?
何を馬鹿なことを...。
そのような事を考えていたら流石に空腹の限界だ。せっかく手に入れた動物性素材なのだから、タンパク質の料理が食べたい。
まあ素材はアレだが...。
「ふう、うまかったな。」
シェルターへ戻り、クラフト画像からハンバーグみたいなのを選んで食べてみた。とりま王道でしょ。必須栄養素を血中に直接補給モードにもできるのだが、それは緊急時のみにしたい。食べるの超好きだし。(笑)
事前にクラフトしておいた皿の上に、調理したてのような料理が付け合わせのポテト&ニンジンもどきと共に、一瞬光った後瞬時に現れる。シンプルな塩コショウ味だったが、中々美味だった。昆虫ってうまいのか?分子クラフト様々という訳だ...。
元来カロリーとかも殆ど摂らなくて良いらしいが、やはり脳が記憶しているのでストレスを感じるらしい。結局断食のようなことはやらない方が良いらしい。する気もないのだが、これだけ美味いと原料さえ思い出さなければ困らないだろう。まあ、贅沢は言えまい。
さて、次は...
「...森と砂漠以外で良い環境はあるだろうか...」
この次元に来て、人はおろか生物すら目撃してない。文化があるのかも分からない。
サットが言うには、元の自分と比較的近い波動の次元にシフトしたようなので、多分哺乳類や人類?もいるはずだ。知的生命体とかも期待したい所だが。
コミュニケーションとかは相手の話を最初の10分くらい聞いているだけで自然に理解するらしい。前次元ではその能力を使って知りうる限りの言語を覚えまくった。
こちらが脳で日本語を使うだけで相手に通じるから、便利なものだ。これだけ便利な体なのに、移動は普通なんだよなあ。まあ、戦闘や緊急時には素早く動けるんだけど。
何でもこの体、鍛えただけ高められる様になるらしい。実際格闘&戦闘訓練はサットに嫌と言うほど仕込まれた。生きるために必要な技能の獲得の為なら、サットは惜しみ無く協力してくれた。もちろん宿主の身体を守るためと言うのもあるだろうが。
だから人並み以上には動ける自信がある。でも持久力&体力育成は時間がかかるらしい。通常生活時間も込みで色々考えると、1日20km位の徒歩移動が限界だろうな。
夕方まで睡眠をとってから、シェルターや移動に邪魔なものは分解保存した。日中は暑かったが、外因的影響はサットが新陳代謝を自動調節してくれるので、睡眠は快適だ。素材は再利用可能なので、必要ならまた作れば良い。
リュックと外套と砂避け&乾燥防止のマスクを装備して、明るい夜を選んで移動する予定だ。今更だが月も見える限り3つあるようだ。そのせいか影のない所は視界良好だ。近くの砂丘の一番高そうな所に移動し、位置を確認する。すると、広大な砂漠に点在する森が数ヶ所続いた先に灯りが見えた様な気がする。
地平線ギリギリ位なので高輝度の星と見間違えたのかもしれないが、どうせ行く宛もないのだから取りあえず近付いてみようかなと考えた。
急坂を駆け降りる。小刻みに小ジャンプしながら砂丘を下り、出来るだけ高低差の少ない場所を選んで移動する。
身体訓練で平均時速50km程度の早さで走れる。スタミナがすぐ尽きるので、やがて徒歩になり果てしなく続く砂の大地をトボトボ歩く羽目になった。
昼間の熱気が嘘のように涼やかだが、乾燥しているのかすぐに喉が乾くのには閉口する。疲れたらその場で座り込んで休む。朝方近くに森の近くに到着したので、そこでビバークする。日中は素材回収も兼ねて休憩。
「あーあ、飛んで行けたら最高なのになあ。」
それならそれなりの苦労はあるのだろうに、単純な思考が脳裏をよぎる。すると、珍しくサットの声がした。
「その体で味わう苦痛も快楽も、全ては経験のため。君はこの次元に居られる最低限の波動にしか成長してない。生活に自信をつけ、生きることを苦に思わなくなるほど堪能できるようになれば、移動など造作もなくなるだろうよ。」
「ああ、久しぶり。」
「君のクラフトレベルはまだ低い。今の機能でも生活するのには困らないだろうけど、より自由を勝ち取るための思考や工夫は続けた方がいいと思うんだけど。」
「え、そうなのか?」
「霊的な成長や精神の器の大きさに伴って出来ることが増えていくと思うよ。何か新しいことを経験したら、常にクラフトはチェックしておいた方がいいね。」
ほお、これは楽しみだ。もしかすると、将来本当に飛べる日が来るかもしれない。いや、絶対飛んでみせる。疲れるのは苦痛ではないが、色々進まないのはマンネリするので避けたいものだ。そう考えていたら、サットはすぐに反応した。
「何事も経験になると言ったでしょ?怒りも、悲しみも、イライラも、全てだね。」
「そうだな。でも、理屈と感情は別物だからなあ。」
「理性と感性のバランスを保つのが鍵だよ。それを無意識に出来るようになったら、素晴らしいんだけどね。」
「...やってみるさね。どのみち逃げられはしないんだしな。」
今日はやけに饒舌だな?と思ったせいか、サットはまた黙りこんだ。お説教されるくらいなら黙ってもらった方がましだとも思ったが、如何せん孤独に飽きてきたので喋り相手がいた方が良いと言うのも正直なところだ。しかし結局サットはそれきり喋りかけて来なかった。
それから数日が経過した。その間、全く生物らしき姿は無かった。しかし休憩時にクラフトモードをチェックすると、生物のリストは徐々に増えている。
最初は砂の中にでも居るんだろうとか森に隠れていたり何かに擬態しているのか?とか考えて注意を払っていたが、全くその気配もない。
危険が近づいたらサットがアラームを出してくれるはずなのだが、それも全く無い。そのサットもコンタクトを取ってこない。
物凄く孤独を感じるようになった。衣食住は今のところ全然困らない。しかし、それでも困る事はあるものだと実感させられる。
それから更に数日が経った。こちらに来てから、2週間くらい経過したか。
不意に森の中の開けた場所に出た。明らかに人為的に作られた壁が行く手を阻む。高さは10mはあるだろう。砂岩のような材質だが、触ってみると案外頑丈みたいだ。厚みも結構ありそうだ。
どこか入り口はないか探してみることにした。それと友好的かどうかは分からないので、隠密行動しないと。
「光学隠密」と念じる。瞬時に姿が見えなくなる。それと同時に視界が昼間のように明るくなる。体表に沿って迷彩保護幕を形成する分子クラフトで、風雨の影響や多少の衝撃にはびくともしない。
しかも赤外線暗視機能&エコーの様な超音波探知画像で視界確保できるという優れものだ。
唯一の欠点は生体エネルギーを使うので、長時間使うと疲れて動けなくなることだ。実は戦闘になった場合は戦力には何気に自信があるのだが、あくまで友好関係構築と異文化交流したいので穏便に済ませたい。
周辺の森に隠れつつ壁と距離をとりながら周囲を調べる。大規模の村くらいあるようだ。
こちらには脳内マップ機能があるので、歩いた場所の周辺を大まかな地図にして視界に表示できる。今まで歩いてきた道すがらも、全て記録されている。理由は不明だが、あとで必要になるらしい。
3時間弱位で周囲は一通り調べてみたが、入り口らしきものは無かった。壁の囲いは楕円形になっていて、短い部分でも3km位の直径で、長い部分だと5km位だ。
そして最初に村の壁へ行き着いた場所から真反対側は切り立った崖になっていて、今までの砂地が途中から砂岩へ変化している。崖の底は見えないし、30m位先に対岸が見える。橋のようなものは今のところ見えないので、もしも向こう側に渡るなら何か手を考えなくては。
しかしまずは、ここの壁の入り口からだ。壁破壊とかしたら確実に騒ぎになるだろうし、見知らぬ者がそのタイミングで現れたら怪しさ倍増だろう。
隠密しているなら、クラフトで最初から梯子でも作って壁を乗り越えておけばよかったと後悔した。結構長時間迷彩を使っていたので、流石に疲れてきた。明るくもなってきたし、一度森まで撤退してビバークすることにした。