7 先輩の失態
優秀者演奏会は無事に終わった。
槇先輩には及ばないが、俺にもファンがいて、名前はほとんどわからなかったが顔だけは覚えるようにした。鞄に持ちきれない程の花とプレゼントを両手に抱えて帰宅することになった。俺はマンションが近くだから着替えずに帰っても構わない。鍵はどこだっけ……?鞄のポケットか。この状態で、どうやって出すんだ?
そんなことを考えながらホールを出た。大学の正門までの間に、誰かに呼び止められた。
「高橋君!」
走ってきたのは、ノートの女だった。何かを僕に差し出した。プレゼントか。
「チケットありがとう。高橋君も、すごく良かった!上手なんだね!」
俺は、正直複雑な気持ちだった。槇先輩に渡したけど受け取ってもらえなかったから俺に、じゃないだろうな。
そこへ、槇先輩が現れた。手には何も持っていない。確か、去年も誰からも受け取っていなかったように記憶している。
「かおり?」
俺はハッとした。
「えっ?」
そう言ったのは女だ。
俺は驚いて声を出せなかった。ノートの女は後ろを振り返り、槇先輩の存在に驚いた。
槇先輩は、振り返った女が予想していた人間ではなかったことに驚いた……そういうことだろう。
俺は何も言えなくて、何も言わなくて正解だった。何も言える筈がない。今は部外者た。
沈黙の後、
「すまない、人違いだ」
槇先輩が謝った。いつもの声だった。おそらく、今間違えたのは、彼女の名前……。特別甘い囁きでも何でもなかった。それでも、普段先輩が大学の女達に対する、愛想も色気もない、事務的な会話とはまるで違う呼び掛けだったのだ。先輩は彼女をそんな風に呼ぶのか……。
俺はちょっと面白くなった。この女は先輩の彼女に似ているのか。165センチ位、下ろしただけの、黒くて長い髪、お嬢様っぽい洋服。あのもやもやがなくなるような気がした。演奏会が無事に終わって俺は変になっていたのだろう。おそらく、先輩も疲れて間違えたに違いない。
「行こう?……先輩、お疲れ様でした。失礼します」
俺は、呆然としている女を誘って歩きだした。
「大丈夫?歩ける?」
俺は優しく言った。女は黙って着いてきた。
「鍵、出してくれる?鞄の外側のポケット」
花束や、細々したプレゼントを抱えて手が離せない風を装って、女に鞄から鍵を出してもらった。
女も、まだプレゼントを持っていた。
「それ、僕に?」
女は頷いた。俺のマンションに着いた。
「鍵、開けてくれる?」
女は、少し戸惑いつつも……俺の部屋のドアを開けた。
そこから先は、言うまでもない。
「俺を、先輩だと思っていいよ」
女はたちまち小さな女の子のようになり、俺の胸で静かに泣いた。
俺は優しく女を抱きしめた。
槇先輩、間違えたりして……。