3 それは絶対、彼女でしょ
音楽大学の近くには、ランチができる店はたくさんある。駅の向こうまで行けば別の大学もあり、食べることには困らない。俺は練習時間や勉強時間を考えて、ほとんど学食に行った。
音大はクラス単位の授業が多い。男子皆で学食に行くと、槇先輩がいた。一緒にいるのは先輩方だろう。
「あ、高橋」
「槇先輩、こんにちは」
「こっち来れば」
「ありがとうございます」
槇先輩と仲良くなりたがっていたクラスメートが、たちまち元気になって先輩方のテーブルの近くに席を取った。槇先輩はもちろん他の先輩方も、俺達皆に優しかった。
「男同士仲良くしないとな。二年生も、ピアノ科男子はこの学年でこれだけだし」
やはり、共通認識なんだと皆で笑った。
それからまた女達がやって来て「槇君!槇君!」と、学食はたちまち賑やかになった。槇先輩は「ごちそう様、お先に」と、サッと席を立って何処かに行った。行動が早いな。
放課後に大学内にある楽器店に行くと、槇先輩がいた。まるで後をつけ回しているみたいだ。流石に恥ずかしくなって、真面目に挨拶をした。
「こんにちは」
「あぁ、よく会うな」
槇先輩は笑った。俺は何と言っていいかわからなかった。
「先輩は何を?」
「あぁ……生徒の楽譜を、ちょっとね。僕とはタイプが違うし」
「レベル的には、どんな感じなんですか?」
「この辺りか?まぁ、趣味だから。専門には進まないだろう」
「そうなんですか?意外です」
「普通の家はピアノより勉強を優先させるんだろ?」
「あ、そうですね。てっきりピアニストを目指すのかと」
「そうだと、僕も嬉しいけどね。手も大きいし、音色が豊かで表現力がある」
「最高の彼女じゃないですか」
「『彼女』じゃないから」
先輩は、モシュコフスキーの上級者向け練習曲の楽譜を買って出て行った。趣味でもそれだけ弾けるレベルの生徒なのか……。
聴いてみたい。そんな機会はあるだろうか……。俺が好きな槇先輩の彼女。興味をそそられた。