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先輩の彼女  作者: 槇 慎一
12/12

12 俺が決めた女


 俺から見て『彼女』だと思っていた女のことを、槇先輩はずっと『生徒』だと言い張っていた。


 そんな槇先輩が卒業式を迎える少し前、入籍したことを俺に教えてくれた。長い間気持ちを伝えていなかったらしいし、実際には付き合っていなかったから『生徒』、『婚約者』、『妻』となったわけか。


 周囲では一番早く知っていた。それも、学食に新しいサイドメニューができてたみたいな感じの報告だった。名前も『藤原』になると。名前まで!何故?全くわからなかった。まるで、彼女と結婚するというより、保護者になるためのように見えた。


 ある日、大学のロビーで女たちに囲まれている槇先輩を発見した。面倒そうに目を伏せ、自分のこめかみに手をあてた左手の指に、ライトが反射して光った。近づいてよく見たらやはり薬指で、指輪は細身だった。女避けかと思うくらいにピカピカだった。俺は悪戯心が復活した。



「藤原先生!」

と声をかけてみた。彼はすぐに反応した。

「もう、名前が馴染んでいるんですか?早速指輪着けて、愛妻家ですね。向こうから光って見えましたよ?」


 そこへ、知らない女が出てきて俺に相手をしてほしがった。俺は最初、面白半分で見ていたが、そいつの何か必死な感じが、俺の何かと同じ気がして、観察してみることにした。母親がヴァイオリンの小石川先生というのも良かった。


 去年の冬の実技試験に、ヴァイオリン専攻の同級生の伴奏をした。その時に小石川先生のレッスンに同伴した。小石川先生の音楽への強い情熱、厳しい指導、美人で勝ち気そうな雰囲気は好みだった。その娘か。なるほどよく似ている。演奏も。音大には楽々入れるレベルだが敢えて選択しない。それでいて、情熱がある。


 この女を落とすのに、一番効果的な曲は何か考えた。普通の女になら『ラ・カンパネラ』か、いやもっと短時間ですむ『革命』を適当に弾けば充分だ。本気なら『幻想即興曲』を甘い雰囲気たっぷりに弾いてもいい。それでも5分だ。


 俺は、珍しく自分に勝負してみた。別にそいつが落ちても落ちなくても、次の教授の初レッスンの練習だと思えばいい。俺は一切おふざけ無し、格好つけも無しで、『ワルトシュタイン』を全楽章通して真面目に弾いた。


 俺の母親は、威圧的な父親におどおどしているだけだ。父親は俺の音楽には反対だったし、母親が俺の味方にならなかったように、俺も母親を庇うこともしなかった。酷い扱いをされていた訳ではないが、あの母親の人生は、俺のおかげで更に悪くなったかもしれない。父親と上手くいかなくて、申し訳なかった。兄と父親、母親は上手くやっているから、逆に俺はすんなり東京に出してもらった。俺はもう、家に帰るつもりはない。


 あいつはあいつで、父親の決めた婚約者……家柄がいいだけで面白くもかっこよくも若くもない、幼稚部からの女子校出身のブランド嫁が欲しいだけだとレストランでぶちまけてきた。安いワインで酔った訳ではないことはわかった。そして、独り暮らしの俺の部屋に誘った。俺の部屋ですぐに抱き合い、互いの何かをうめあわせるように求めあった。そして、互いに決意した。


 それからすぐに、そいつは俺を小石川先生に紹介してくれた。小石川先生は、伴奏に同伴した俺のことを覚えていてくれたし、教授の門下なのも、特待生なのも、実家がどこなのかも知っていた。


 小石川先生の名前は旧姓で、そいつは平山マヤというのだそうだ。

「マヤさんのように、明るい発音の、いい名前ですね」

 俺は槇先輩になったつもりで言ってみたら大当たりだった。


 小石川先生は、

「高橋くん、平山になる気はある?」

と聞いてきた。

「はい」

と答えた。


 実家で俺が欲しかったもの、それを全てマヤがくれる。俺は、マヤの望む、若くて面白くて格好いい男になろうと決意した。


 今住んでいる、音大生向け防音マンションは今月末で引き払い、マヤの実家に入ることにした。今の部屋よりも広い、俺専用の部屋……別宅と、そこにスタインウェイのグランドピアノを用意してくれるようだ。

 マヤと平山家を大切にしていこうと思う。


 平山慎二になりましたと、槇先輩に言ったら驚くだろう。槇先輩の驚いた顔が見たい。


 どんな風に演出するか、考えるのが楽しくなり、俺は始終微笑むようになった。



 









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