花の微笑み 冷たい言葉
デメトリア王女殿下の喪服を作っているのは、実は、デル・コルヴォ商会だ。非常識だからと、断られる中、レオノーラに泣きつかれて、ラウロは承知せざるを得なかった。信用で取引がされる商会において、それは危険な橋だったが、断るのも危険だと思い、承諾した。いくつか取引がなくなったが、それ以上に新たな取引が増えたから、ウィンウィンだと思うことにした。デメトリア王女殿下の喪服は、贅を尽くしていて、一着の単価も高い。婚約者への嫌がらせのためだけに、それだけの金を使うデメトリア王女の性格の悪さには、ラウロも少し引く。でも、心優しきレオノーラは、そんなデメトリア王女の悪いところは見えていないようだった。
「前の婚約者への思いを断ち切れないのよ」
涙ながらにそう言っている天使は、人の悪いところが見えないらしい。思い出したその台詞は、今やデメトリア王女よりも、コルネリアのために存在する言葉のようだ。コルネリアは、元婚約者への思いをまるで断ち切れていないし、断ち切る気もないらしい。
招待を受けてから、慌てて作らせたドレスとアクセサリーを、侯爵に宛てて届けさせたのは、コルネリアに届ければ絶対に断られることを承知していたからだ。婚約者の色を纏うことが、社交界ではルールだから、ほんの少しだけ、緑色をアクセントにしたアクセサリーも付けた。くすんだ黄色のドレスに緑のリボン、緑色の石の小さなピアス。この程度なら許されるだろうというぎりぎりを攻めたつもりだったのだが、馬車に乗っているコルネリアは、どれ一つ身に着けていなかった。
打ちのめされそうだ
ラウロは、思わず、両目を手で覆って天を仰ぎたくなった。玄関に迎えに行ったときは、何とかこらえたが、後ろのティーノは明らかに堪えられていなかった。主人が、どれだけ頭を悩ませて、その配色を選んでいたか、ティーノは知っているからだ。コルネリアはいつものレディ・メイドを連れていて、その子から手渡された手袋を嵌めている最中だった。薄紫の流れるようなマーメードラインのドレスは、確かにコルネリアに似合っている。髪飾りは真珠でそれを繋ぐように青色の石がきらめいている。ピアスはシルバーだったが、右耳だけはシルバーの鎖の先にサファイアが遠慮がちにつけられている。デザインは、とてもいいが、それは、かつての婚約者の色だ。さすがに、傷つくし、ものを申しても許される気がする。
「気に入りませんでしたか?」
ものを申したい気持ちに蓋をして、精いっぱい紳士的な言葉を選んだ。
「何が、でしょう?」
「ドレスと、アクセサリーをお届けしたはずです」
「受け取れないと申し上げたはずです」
今まで、オズヴァルドからは受け取ってたじゃないか!と言いたくなったが、ぐっとこらえた。
「それに、あの色は私には似合いません」
父親にはきっとそう言い訳したのだろう。絶対に似合う色を選んだ自信があった。淡い色は、確かにコルネリアには似合わないが、紫や青ではなく、暖色をくすませた色は、コルネリアの上品さを間違いなく引き立てると確信していた。そのうえ、こんな色を身に着けられてしまったら、婚約者としての立場がなくなる。今日は胸ポケットに、コルネリアの色味に近いハンカチを入れてきたというのに、自分だけ、浮かれているようで、めちゃくちゃに傷つく。あのドレスを見たら、さすがのコルネリアも気に入って、身に着けてくれると思ったのだ。商人としてのプライドも、ずたずただった。コルネリアとは何の会話もなく、王宮に向かう。すでに帰りたい。
招待を受けた若いカップルたちが、会場の扉前に行儀よく並んでいる。みんながみんな仲睦まじいというわけではないが、明らかに自分たちよりは良好だろう。コルネリアは、嫌そうに、ラウロのエスコートの腕に手を重ねた。
「デボラ、あなたは控室に」
「はい、お嬢様」
いつも控えているレディ・メイドが、機械のように礼をして下がったのを見届けて、コルネリアは一歩前に出た。順番に名前を読み上げられて、会場に入っていくカップルたちの最後尾に並ぶ。会いたくなさすぎて、迎えが遅れてしまったので、着いたのも最後だったようだ。前のカップルが入っていき、後は、コルネリアと自分だけという時になって、コルネリアが腕をぎゅっと握った。コルネリアでも緊張するのかと思って、視線を思わず向けると、コルネリアもこちらを見ていた。
そして、ふわりと花がほころぶように微笑んだ。
「え」
「ラウロ・デル・コルヴォ伯爵子息、コルネリア・バルベリーニ侯爵令嬢」
名前を呼ばれて、目の前の扉が開く。反射的に歩き出したが、心臓が痛いくらい拍動していた。
どうして、なんで、今まで、そんな顔してくれたことがない。というか、オズヴァルドに見せていた微笑みってあんな感じだったか?あれより、さっきの微笑みの方が、破壊力がすごかった、絶対。
動揺しまくって、頭がぼんやりしたが、何とかエスコートはつづけた。王女殿下への挨拶の列に並んで、なんとか冷静さを取り戻す。もしかして、対外的には、仲のいい婚約者を演じることにしたのかもしれない。つまり、今日は、あの氷のような表情ではなく、あの麗しい微笑を見せてくれるということか。先ほどの微笑みが忘れられなくて、心臓がうるさすぎて、思考がまとまらなくて、やっぱり冷静じゃないことが分かった。
「こ、コルネリア嬢?」
「なにか?」
呼びかけても、コルネリアがこちらを向くことはない。ついでに言うと、とても冷たい視線のままだし、声も低い。対外的に、仲のいい婚約者を演じる説はなくなった。明らかに不仲な二人にしか見えないし、ラウロの戸惑いはより一層大きくなった。
「ご用がないなら、話しかけないでくださる?」
さも不愉快そうな言動に、訳が分からなくなった。王女殿下に挨拶をする時も、完璧な淑女らしく、とても美しくカーテシーして見せた。ラウロは、混乱を一瞬収めて、何とかそれらしい動きをした。
「まあ、取り換えっこしたのに、あなたはいつもと同じ格好なのね?レオノーラは、青色のドレスとアクセサリーだったわよ」
「ええ、王女殿下もいつもと同じ色ですわね」
「コルネリア嬢!?」
肝が冷えて、思わず声を上げると、睨みつけられた。それを、心底楽しそうに、デメトリア王女は眺めている。
「うふふ。本当に罪作りなレオノーラ。大好きだわ。ここに、真実不幸な夫婦が誕生するわけね、素晴らしい。餞別を送りたいくらい」
「お心遣いいたみいりますわ」
失礼にならない程度に、腰を下げて、コルネリアはさっさと挨拶を切り上げた。真実不幸な夫婦というのが、自分たちだということは分かっていたが、さすがに、そこまで明言されると辛くなる。なんとか体裁でもと思っていた自分が馬鹿らしくなるが、同時にさっきの微笑みは何だったのだろうかと思った。本当に、花がほころぶようで、何度思い出しても、好意を持っている相手への微笑みだとしか思えない。出力を間違えたのか、それとも持ち上げて落として傷つける作戦なのか。それであれば、めちゃくちゃ効果がある。あの微笑みを見たいがために、おそらく、自分はこの婚姻への抵抗感の一切が消えてしまった。
「デル・コルヴォ伯爵子息」
「……あ、はい」
今まで、一度も呼びかけられたことがなかったことに、気が付いて、ラウロはまた地味に傷ついた。しかも、他人行儀にも程がある呼びかけだ。せめて、家名ではなく、名前で呼んでほしい。
「あなたも、お付き合いがあるでしょうから、気遣いは結構です。私も、お友達と話してきます。帰りはそれぞれに」
「でも、」
「私は、妹の馬車で帰りますから」
話す気はありません、と背中で語られて、ラウロはエスコートしていた腕をおろした。会場では、若いカップルが幸せそうに踊っている。その中に、前回までは自分の隣に立っていたレオノーラの姿もあった。王子様と王女様のように、麗しい二人は、楽しそうに踊っていた。自分とは大違いだ。ラウロはとぼとぼと、友人の輪の中に入っていった。