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あなたの運命 私の王子様



 コルネリアが、公の場で緑のドレスを身に着けることはない。深い青のドレスに、サファイアのチョーカー、冷たい色を身に着けて、唇には真っ赤なルージュがひかれる。夜会のたびに、コルネリアのその姿を見て、ラウロは少しだけ落ち込む。青色を身にまとう、コルネリアにとって、自分は押し付けられたにすぎない夫なのではないかと思ってしまう。

 鏡台の前に座るコルネリアは、氷の薔薇の君と呼ばれるにふさわしい、触れると怪我をしてしまいそうな美しさを持っていた。その鏡越しに目が合うと、コルネリアは、かつての冷たい視線をそのまま向けた。久しぶりに見たそれに、思わず生唾を飲み込んでしまう。その不作法に、またコルネリアが視線を強くした。


 「コルネリア……」


 コルネリアは、目を細めて、静かに立ち上がり、夫のエスコートを断って、玄関に向かう。毛皮の外套を羽織るコルネリアのむせかえるような艶やかさに、眩暈がしそうになった。コルネリアが、この見た目でありながら可愛らしい人だと知ったら、どれだけの男がこの人を欲しがるだろうか。想像するだけで、ラウロは、焦りを覚えた。自分が人より持っているものと言えば、金ぐらいなもので、それ以外に、コルネリアを惹きつけられるものが思いつかなかった。夜会が催されるロッセリーニ伯爵邸に着いて早々、いつも通り、コルネリアとラウロは別行動になる。いつもそうだ。妻は決して、夫のエスコートに喜ばないし、近くにいることを望まない。

 商談相手との付き合いがあるとはいえ、ラウロはコルネリアと一度も純粋に夜会を楽しめたことはない。妻が、それを、絶対に望まないからだ。コルネリアは、今日も早々にワイングラス片手にバルコニーに出た。それが、どれほど危険なことか、自分を正しく理解できていないコルネリアには分からないようだった。


 「……デル・コルヴォ夫人、今日もバラのように美しい」

 「サルダーリ男爵」


 つい最近、金鉱を掘り当て、裕福に片足を突っ込み始めた愚かな男だ。金鉱採掘のために、かけた金の回収がやっとできたに過ぎないくせに、ラウロの妻に声をかけるなど、社会的に抹殺してやろうかと爪を噛みたくなる。


 「バラの女神に今宵もお会いできるとは、俺はなんと、運に恵まれていることか。神に感謝しなければなりませんね」


 神に感謝して、そのまま昇天しておけ。それほど、目立つ容姿ではないが、どことなくコルネリアへの執着を感じる。そもそも、この男がコルネリアに声をかけてきたのは初めてではない。


 「宮廷の小鳥は、愛らしい花を転々としていると聞きますわ。耳に心地いい言葉で花を満開にするけれど、手折ったら、飽きて捨ててしまう悪い小鳥だそうよ」

 「小鳥が花を転々とするのは、本当に愛する花にいまだとまることを許されないからですよ」

 「花は美しく咲き誇るものですが、その茎は手折るには易く、とまるには弱いものですわ。小鳥には止まり木を探すように、教えて差し上げたら?」

 「小鳥は愛する花を手折り、飾り、愛でることを望むのです。とまることは望んでいませんよ」


 コルネリアは、言葉遊びに飽きたように、赤いワインに唇を寄せた。


 「本当に花を愛するならば、土に根をおろした、その姿を愛するべきですわ。花は咲き誇りますが、いつか盛りを過ぎて枯れ行くもの。手折った姿を愛するだけならば、花を真実、愛することにはならないわ」


 ラウロは、土に根をおろしたバラを愛していた。その棘が、いくらラウロの手を傷つけ、膿ませ、朽ちさせようとも、その傷ごと、バラを愛していた。たとえ、そのバラが、花を落とし、枯れて、棘だけの姿になろうとも、ラウロは変わらず愛するだろう。


 「あなたの夫は、小鳥にもならないでしょう?」

 「さて、どうでしょうか」

 「あなたの夫は、違う花を愛していますからね。バラのように高貴ではなく、愛らしく可憐な花を」


 ラウロは、一歩、バルコニーに近づきそうになって、止まった。コルネリアが、初めて微笑みらしい微笑みを浮かべたからだ。


 「違う花を愛でていても、私は構わないわ」

 「それは、あなたが違う小鳥を愛しているからですか?」

 「私は、ただ、バラとして咲き、バラとして枯れるだけ。小鳥がいなくとも、同じです」

 「ならば、私という小鳥を選んでいただきたい」

 「僕の妻は、僕のために咲いているのですが」


 ラウロが、バルコニーに出ると、男は振り返る。地味さで言うと自分と同じだが、男にはにじみ出る野心と若さがあった。


 「バラは、あなたのためには、咲きませんことよ」


 コルネリアが、冷たく言い放つと、サルダーリ男爵は嘲笑を隠さなかった。


 「コルネリア、帰りましょう」

 「コルネリア様、私という小鳥をお忘れなきよう」


 サルダーリ男爵は、コルネリアの手をとって、その甲にねっとりと口づけを落とした。手袋越しとはいえ、不快感がこみあげてくる。コルネリアは、何も答えを言わないが、小さく微笑みを浮かべた。それが、男に対する答えになったのか、満足気に、サルダーリ男爵は会場へと戻った。行き交う瞬間に、鼻で笑われた。

 コルネリアを、馬車まで、なんとか紳士的にエスコートした。サルダーリ男爵の、あの嘲笑も不愉快な行動も、どうでもいい。それに、コルネリアが応えたように見えたことが問題だったのだ。

 「コルネリア、サルダーリ男爵とは、もう二人きりにならないでください」


 馬車の中で、絹の手袋をとり、座席に放るように置いたコルネリアは、少し考えるように瞬きをして、顔を上げた。


 「私に、あの程度の男が御せないとでも仰っているの?」

 「ああいうやつが、一番たちが悪いんですよ。あいつは、僕に似ています」

 「似てないわ!」


 コルネリアは不愉快そうな表情を隠しもせずに、そう言った。


 「いいえ、たちの悪さはそっくりだ。僕が、こんなにしつこい奴だって、コルネリア、分かっていなかったでしょ?」


 コルネリアの向かいに座っていたラウロは、背を屈めて、コルネリアの隣に移った。座席に放っていた手袋は、足元に投げ捨てる。それを、注意するような表情をコルネリアが浮かべた。


 「どうせ、捨てるから、いいんです」

 「また、そんなことを言って」


 コルネリアは、気に入っていたのにと小さく漏らしたので、同じものを作らせようと決めた。


 「なんですの?動いている馬車の中で、移動するなんて、危ないわ」

 「それで、返事は?」

 「なんの?」


 不快そうにコルネリアは表情を消した。押し付けられた小鳥がうるさく鳴くことが、煩わしいかのようだ。


 「2人にならないと約束してください」


 深いため息をついてから、コルネリアは小さく頷いた。


 「言葉にして」

 「しつこいわ!分かったから。2人にはなりません」


 コルネリアの手袋をしていない素肌に触れても、その手は振り払われることはない。


 「良かった」

 「何が、良かったものですか。あの程度のことが躱せないようでは、社交などできません。私のことを馬鹿にしているわ」

 「もし、ここで、平気って言われたら、不埒な男があなたにどんなことをしたがっているのか、教えようかと。ついでに、新色の口紅を、試そうかなって」


 胸ポケットのハンカチの隙間から、口紅を取り出すと、コルネリアは目を細めた。


 「また、そんなものを持ち歩いていらっしゃるの?」

 「妻に似合うものを持ち歩くのは、夫の役目ですから」


 夜会で、一度も塗られたことのない淡いピンク色は、コルネリアを派手派手しいバラから、繊細でたおやかなバラに変えてしまう。コルネリアは、それを夜会でつけることはないが、緑の庭では、いつもその愛らしさを身に付けていた。あの庭を愛し、深緑色のドレスを着たコルネリアに、ピンクの口紅を付けるのは、ラウロの仕事だった。


 「夜会ではつけませんわ」

 「知っていますよ」


 コルネリアのその愛らしさを、自分だけのものにしたいと思っているのは、ラウロの方だ。手を繋いだ状態で、コルネリアがラウロに体を預ける。外では見せない、その仕草も、ラウロだけのものだ。だから、ラウロは、このバラを決して手折ろうとは思わなかった。夜会での冷たいバラのコルネリアも、ラウロの前でのたおやかなバラも、どちらもラウロのためだけのコルネリアだ。バラが咲き誇り、いつか枯れ、棘だけになる日が来ても、その棘さえもラウロだけのものだと思うと愛さずにはいられなかった。

 ラウロは、コルネリアの小鳥ではない。でも、コルネリアは、ラウロのためだけの薔薇だ。愛するバラのためならば、ラウロはきっと、何でもする。そうすることで、コルネリアが安心できるのであれば、外での冷たい妻の仕打ちも愛しく思えるのだ。


 「コルネリア、仕事も落ち着いていますし、明日はどこかに出かけますか?」

 「……家にいたいわ」

 「家でいいんですか?」

 「緑の庭で、一緒にいて」

 「緑の庭で?」

 「あの庭は、ラウロ様の瞳の色と同じなの。とてもきれいで、大好きだから」


 ああ、好きだ


 ラウロは、体を預けたまま、目を閉じたコルネリアのつむじにキスを落とす。コルネリアは目を閉じたまま、ほんの少しだけ微笑んだ。コルネリアというバラを、ラウロはいつまでも愛するだろう。その棘という、ラウロを閉じ込める檻も、愛しくて堪らなかった。




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[一言] 最後まで一気読みした感想として、拗らせまくった阿呆しかいない物語ですな。 青春物語的な少女漫画にある行動をしがちな大学生が作った物語にしか見えません。 青臭すぎて、大人が大人の役割を放棄し…
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