秘色のさよなら ピンクゴールドの鎖
ラウロは今日、何度目かになるため息をぐっと呑みこんで、ついでに唾も飲み込んだ。婚約が破棄されて、新たに結ばれた日から、数えて7日後、今日は初めてコルネリアに会う日だ。なぜだか分からないが、最初から嫌われているので、このマイナスからのスタートをどうにかしたいという一心で、今日は、プレゼントも用意した。ピンクゴールドの装飾を施した一粒ダイヤモンドのネックレスだった。華美過ぎず、日常にも使えて便利だろうと思って選んだ。商会を営んでいるだけあって、自分のセンスは割といい方だと思う。女性に喜ばれるだろうデザインもわかっているつもりだし、いきなり自分の色を選ばないところは得点が高いと思う。婚約者に自分の色を身に着けさせるのは一般的だが、今の関係を考えると、いきなり、それは、コルネリアの『嫌い』に拍車をかける可能性があった。今まで、異常に丁寧に接せられていたが、今日から、どんな扱いを受けるだろうかと、恐怖しながら、バルベリーニ侯爵邸についた。
「よくぞいらっしゃいました」
「ああ、コルネリア嬢は?」
「お嬢様でしたら、お庭に」
「……ああ、そう。僕も庭に行っていいのかな?」
「いいえ、客間でお待ちいただくように言われていますので」
フットマンの言葉に、やっぱりなという気持ちを抱いた。そもそも、婚約者の出迎えもせず、庭にいて、しかも客間で待っていろというのは、相当、この婚約を嫌がっている証拠だ。もう少し親しくなったら、自分の色のものをプレゼントしてみようかと思っていたのだが、もうその考えは捨てることにした。
客間に案内されてから、紅茶を3杯注がれて、調度品の鑑定を3周くらいしたところで、コルネリアは現れた。ピンと伸びた背筋、座ったままのラウロを上から見下ろす視線、二つが相まって、ものすごい圧力を感じた。立ち上がると、遅れたことを丁寧に詫びて、挨拶の口上を述べて、完璧に淑女の礼をして見せたが、その間、微笑みは一切ない。相手のことをよく知らないにもかかわらず、ここまで嫌われていると、さすがにどうしていいか分からない。
「今日のご用件は?」
「え?あ、えっと、」
ご機嫌伺いに、1週間に1度ほど、必ず婚約者に会うようにしていた習慣を引き続き続けることにしたとは、言いづらくて、ラウロは言葉を濁した。コルネリアは、どうでもよさそうに、ティーカップを持ち上げる。その所作の一つ一つがすごくきれいだが、表情は相変わらず、凍っていた。
「ご機嫌伺いでしたら、今後不要です。会うのは、必要な時だけで、構いませんわ」
「あ、いや、でも。僕たちは、結婚するんだし」
「それで?」
それで
そう言われてしまうと、何も返事が出来なくなる。
結婚するんだし
それで?
この会話は、倦怠期を通り過ぎて、氷河期の会話だ。何とか、微笑もうと思って、失敗したのを、コルネリアは静かに見つめてくる。
「ああ、あの、これを持ってきたんだ。君に似合うと思って」
ラウロの後ろに控えていた従僕のティーノ・ザンニが、ベルベットの箱を取り出した。少しでも、コルネリアの興味を引いてくれたらと願わずにはいられない。綺麗な瞳が少しも動かないのを見て、興味は引けないかもと弱気になる心をぐっと抑えた。ティーノから受け取った箱を、ラウロが手渡そうとするが、コルネリアは一向に動こうとしない。後ろに控えているレディ・メイドが、ラウロから受け取った。この距離でも、直接受け取ってくれないのか。これが、淑女の作法なのか、コルネリアの拒否なのかは分かりかねた。レディ・メイドが、箱を開いてコルネリアに見せる。わずかも表情は動かずに、片眉だけが上げられた。レディ・メイドは、箱を閉じて、ラウロに渡してきた。
「えっと、気に入らない?」
「いいえ。このような高価な品は受け取れませんので」
「でも、婚約者だし、これくらいは」
「それは、デル・コルヴォ家が、我が家よりも裕福であるとおっしゃりたいのですか?」
「そ、そんなことは」
彼女の機嫌を損ねたのか、最初から損なっていたのか、答えはなんとなく後者だと思うが、一切受け取る気がないということはよく分かった。ここまでされなければならない理由は、無いと思うけれど、この婚約が、コルネリアにとってものすごく不本意であることは伝わってきた。コルネリアの気持を踏みにじったのは、実の妹と、愛していた婚約者、ならびに、父親なのだから、これから人生を共にするラウロは寄り添ってあげるべきなのだが、この綺麗な顔に、全力で拒否され続けると、さすがに心へのダメージがすごい。
「そんなに、嫌なら、お父上に仰ったら?」
思わず、口にしてから、しまったと思った。コルネリアは、ラウロがこの間、間違ったセリフを言ってしまった時と同じ顔をした。心底、嫌いですという表情だ。
「父は、絶対に、この結婚を進めるでしょう。娘のうち、どちらがどちらの家に嫁いでも父が得られるものは同じです」
権力と金、どちらの娘が、どちらの家に嫁いでも、バルベリーニ侯爵は同じものを得られる。
「この家では、たいてい妹の意見が通ります。それが父の思惑と同じであれば、拒否される理由はないでしょうね」
「なんで、ノーラの意見ばかりが通るのですか?」
その瞬間、睨みつける力が強くなって、ラウロは自分のミスに気づいた。
「いや、レオノーラ嬢の、です」
「妹の癇癪が面倒だからか、妹が母に似ているからか、私が父に盾つくからか。どれかは分かりませんし、どうでもいいです。理由が何であれ、結果は同じですから」
「あの、でも、このままでは、誰も幸福にならないかと」
「私は、駒ですから。決められた道を歩きます。あなたが夫となるなら、支えますし、必要なら世継ぎも生みます。でも、心は自由にさせていただきます。あなたも、そうなさっていいわ」
「お嬢様、」
さすがに後ろに控えていたレディ・メイドが苦言を呈したが、それを片手をあげることで、コルネリアは、制した。コルネリアが男だったら、おそらく、筋金入りの軍人になっていたことだろう。想像して、ラウロは顔が引きつるのを感じた。浮気を推奨されて、たいていの男が喜ぶのが貴族社会だが、ラウロはそんな面倒ごとはごめんだった。女性は一人で十分であると、今まで商会で見てきた女性たちのことを想像して思ってしまう。だが、ここまで拒否されていると、夫婦生活が本当に心配になってきた。
「僕は、何か、あなたに嫌われるようなことしましたか?」
「ご自覚がないの?」
コルネリアは、心底、嫌そうにそう言って、立ち上がる。レディ・メイドがそれに従って、ついて出て行ってしまう。つまり、見送りもなしということだ。
「僕、なんか、した?」
「記憶にある限りは、なにも。コルネリア嬢に嫌われたのは、初めて会った日からです。妹君の婚約者として、紹介された時、コルネリア嬢は、非常に不快な顔をなさっていました。レオノーラ嬢はお気付きではありませんでしたが。」
「その時、僕、なんか、変なことした?」
「いいえ、丁寧に紳士的に接してらっしゃいました。おそらくは、」
そこで、ティーノは言葉を切った。
「おそらくは?」
「生理的に受け付けないのでは?」
それは、どうしようもないな。フットマンが慌てて、客間に現れて、案内がなかった非礼を詫びた。鷹揚に応えて、ラウロは、ため息をぐっとこらえた。仲良くする気がまるでないのはよくわかった。コルネリアは生理的にラウロを受け付けられないのか。領主夫人になるべく領地経営まで学んでいたコルネリアが商会の奥様になるのは、プライドが許さないのか。理由は分からないが、とりあえず、すごく疲れた。ものすごく、胸が痛む。ラウロは自分があまりもてるタイプではないことを重々承知していた。でも、人をあまり不快にする容姿ではないし、清潔感だってある、センスはいいと思うし、紳士的に接するし、頭もいい方だ。富は十分あるし、社交界ではそれなりに人気な方だった。可愛い婚約者は、ラウロを気持ちいいくらい持ち上げてくれたから、少し、のぼせ上っていた部分はある。でも、ここまでこてんぱにされると、胸が痛い。コルネリアの綺麗な顔で、嫌いだと前面にだされると、どうにかして仲良くなりたいという気持ちでさえしぼみそうになる。
「婚約破棄をお考えになっては?」
「侯爵に睨まれたら王都で商売がしにくくなる。それに、2人と婚約破棄してしまったら、コルネリア嬢の評判が落ちかねない。」
「お優しいですね。美人だからですか?」
「違うよ」
「好きな女の姉だから?」
ラウロは、ティーノを睨みつけてから、馬車の外を眺めた。商会に戻ったら、たくさんの仕事が待っている。それをこなしている間は、コルネリアのことを考えずに済む。気が少し楽になって、目を閉じた。一粒ダイヤモンドのネックレスをどうしようか、頭によぎって、ラウロの眉間にしわが寄った。