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ほつれた糸 ほどけない糸



 

 「レオノーラ?レオノーラ、どこにいるの?」


 コルネリアは、庭を見まわして、淑女としては褒められない小走りで、探し回っていた。気に入っていたピンク色の靴が、レンガの道を叩いていた。


 「レオノーラ?」


 どんどんと声が大きくなった。周りにいるメイドやナニーは、コルネリアに気を配りながら、レオノーラを探してくれている。


 「おねえさま」


 幼いレオノーラの声が聞こえて、コルネリアは我慢できずに走った。少し大きな植込みの隅で、レオノーラがうずくまっているのを見た瞬間、コルネリアは、迷わず抱きしめた。


 「レオノーラ!」

 「おねえさま」


 幼いレオノーラには、まだ、正確に発音するのも難しいようだった。


 「だめじゃない!勝手にいなくなったら!どれだけ心配したか」

 「ごめんなさい」

 「あなたがいなくなったら、私は、」

 「おねえさま、ごめんなさい、泣かないで」

 「お姉さまを心配させないで」


 コルネリアは、レオノーラを失うことを、とても恐れていた。

 母を失って、愛してくれる人がいなくなってしまったレオノーラを代わりに愛してあげなくてはいけない。父は、コルネリアに、母親代わりとしてレオノーラとエジェオを愛するように求めた。一つ下のエジェオは、母親代わりに接する姉を、煙たがった。年が近いが故だろう、早々に、あの子は寄宿舎に入ってしまったし、時折、会ってもふざけるばかりだった。でも、レオノーラは違った。レオノーラは、コルネリアの愛情を受けてすくすく育った。レオノーラに対して、コルネリアが愛情を注げば注ぐほど、レオノーラからも愛情が返ってきた。

 あの時の幸福を、コルネリアは真実、愛と呼ぶことが出来る。

 でも、それは、きっと、母を失って、愛情に飢えたコルネリアが、レオノーラからの愛を受け取りたかったがゆえの行動だったのだ。母親代わりと言いながら、レオノーラに母親の愛の代わりを求めていたのはコルネリアの方なのかもしれない。

 コルネリアは、レオノーラを懸命に愛した。4つしか変わらないレオノーラを、真綿で包み込み、大切に大切にした。その愛情が、正しかったのか、今となっては分からない。


 「おねえさま」

 「レオノーラ、どうしたの?」

 「あのね、絵本をよんでほしいの」

 「ええ、こちらにおいで、レオノーラ」

 「あのね、あのね、これは何てよむの?」


 膝にのせて、絵本を読む。子どもたちの集まりに少しずつ出るようになったレオノーラは、自分が少し遅れていることを自覚し始めてしまった。それに気づいて、コルネリアは、子どもたちが集まる場に、レオノーラを連れて行かなくなった。異常な、コルネリアの行動にドナテッラが気づくまでの間、コルネリアは、レオノーラに何も与えなかった。愛情以外は何も与えなかった。父がその報告を受けるまで、コルネリアはレオノーラに教育らしい教育を与えなかった。字を覚えさせず、行儀を覚えさせず、作法を覚えさせず、癇癪を許し、心のコントロールを教えなかった。

 何もかも、レオノーラを一人で立たせないためにしたことだった。歩けなくすれば、レオノーラはコルネリアの元からいなくなることが絶対にない。幼い、歪んだ愛情を受けた、レオノーラも、また歪んだのかもしれない。

 レオノーラに教育を施さなかったことを、父に叱責された。コルネリアは、そこまで気を配れなかったと言い訳した。その言い訳は、父を簡単に納得させた。コルネリアも、また、子どもだったからだ。それ以降は、父の言いつけ通り、レオノーラに教育を与えた。

 レオノーラは元来、頭のいい子だ。与えられたものを、与えられた分だけ吸収することが出来た。だから、今度は、コルネリアは、なるべく与えないようにした。礼儀や作法は教えても、計算や法律、経済や貨幣のこと、常識とよばれるもの、その全てを与えなかった。刺繍や芸術、歌や音楽、与えても霞にしかならないものしか与えなかった。


 「レオノーラをどうしたいんですか?姉上は」

 「エジェオ、久しぶりに帰ってきて、開口一番、挨拶もなく、それですか」

 「あれでは、レオノーラは一人で生きていくことができません」

 「レオノーラは一人で生きる必要などありません。いつかは殿方のもとに嫁ぐのですから」

 「……それまでは、あなたの庇護のもとにいるということですか?あなたのような強かさも、知識も持たずに」


 エジェオは、最初にコルネリアの歪みに気づいた。そして、たぶん、レオノーラの歪みにも一番に気づいたのは、エジェオだ。

 最初におかしいと思ったのは、コルネリアの大切にしていたウサギのぬいぐるみがなくなった時だった。母からもらったもので、手縫いのウサギのぬいぐるみを、コルネリアは大切にしていた。それは、レオノーラのクローゼットから切り裂かれた状態で見つかった。問い詰めても、レオノーラは泣くばかりだった。次に、髪飾り、その次には、ブローチ、コルネリアの大切にしているものが、なくなるたびに、レオノーラは泣いた。泣いて、誤魔化して、誰の追及も受けないようにした。

 そのうちに、レオノーラは、コルネリアが責められるような言い方をするようになった。気にかけていたメイドの配置換えを頼まれた時のことだった。


 「だって、お姉さま、パメラのこと、全然休ませてあげないでしょう?パメラが可哀そうだわ」

 「パメラが言ったの?」

 「違うわ、パメラは、そんなこと言えないわ。気弱で優しい子だから」


 コルネリアは、女主人として役割を果たすため、人に厳しく接するようになっていた。まだ、子どもと言える自分に、従ってもらうために、殊更、それを意識するようになった時期でもあった。だから、コルネリアは、レオノーラの言葉に反論することが出来なかった。コルネリアは、パメラに必要以上に辛く当たっていたのかもしれない。そう思った。それ以来、少しずつ、少しずつ、レオノーラは、コルネリアの周りにあるものを盗っていった。


 「姉上、これは、どういうことでしょう」

 「エジェオ、挨拶なしに、開口一番、それですか」

 「ごきげんよう、姉上。どういうことですか」

 「……どうしたも、こうしたもないわ」

 「なるほど。レオノーラは与えられなかった結果、自分で爪を研いだということですね」

 「……いやな、いい方をするのね?」


 レオノーラは、与えられなかった知識の代わりに、容姿と知恵を使った。


 「でも、姉上は、気づいてないんですね?」

 「何に?」

 「レオノーラが、姉上から盗るものは、全部、大切なものですよ」


 ウサギのぬいぐるみ、髪飾り、ブローチ、パメラ、ドナテッラ、友人たち、順番に思い出しながら、確かにそうだと思い当たった。


 「だから、何だというの?」


 周りにあったもの全てを盗られて、コルネリアの周りはとても静かで、寂しい場所になった。


 「レオノーラは、確かに姉上の愛情を受けて育っている。レオノーラにとっては、姉上の大切なものは、全て敵だ」

 「どういうこと?」

 「姉上の愛情を奪う敵だ。自分以外に姉上が愛情を向けることを、レオノーラは許せないんですよ」


 それは、あなたの責任だ


 そう言われるまで、コルネリアは、こうなった理由が分からなかった。


 「姉上の愛情の全てが、レオノーラのものでなければならない。だから、大切なものを全て奪うんです、レオノーラは」


 でも、今ならわかる。コルネリアの歪みは、レオノーラを歪ませた。だから、レオノーラは、コルネリアのものを欲しがる。大切にしているものの全てを、レオノーラが奪っていくのは、コルネリアの愛情を自分のものにしたいため。コルネリアは、この時、自分の責任を強く感じた。

 いつまでも2人きりでいられるなら、それでも良かったのだ。でも、思春期を迎え、初潮が来て、それが絶対に叶わないことだと分かって、コルネリアは、覚悟を決めた。奪われた上で、悪い立場に立たされて、冷酷だ、無慈悲だと言われても、レオノーラが嫁ぐまで、大切に守って愛そうと、覚悟を決めた。それが、歪んだ愛情を与えた、自分が唯一できることだと思った。






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