無垢なる証明 愛するためのそれ
コルネリアは、妹の髪を櫛で梳いた。
「お姉さま」
「ん?」
結婚式の朝、娘の髪を梳かすのは、母親の役目だ。鏡台に赤いベリーの実を置くのも、そうだ。朝の露を被った実を、コルネリアは、手ずから摘み取った。ベリーを口に運び、酸っぱさにほんのわずかに、顔をしかめた。
「レオノーラ、寂しくなるわ」
「お姉さま、寂しい。寂しい。一緒に来て」
「それは、できないわ。でも、いつでも会えるもの」
「会いたい」
レオノーラは、鏡越しに、コルネリアを見た。今のレオノーラは、コルネリアを母のように見つめる。金色の瞳の瞳孔がぽっかりと開いて見えた。
「ええ、私も会いたいわ」
にこりと微笑み、また髪を優しく梳く。
「お嬢様方、いえ、今日から、レオノーラ様は、奥方様になりますわね」
「いやよ!ここではお嬢様って呼んで、いつまでも」
「本当に、お嬢様はいつまでも子どもでらっしゃる」
くすくすと笑って、ドナテッラは、時間ですと告げた。梳いていた髪を、最後に撫でた。母親の役割を、押し付けられたと思っていたが、一方で、それを望んでいたのは確かだ。
「レオノーラ、幸せになりなさい」
母親が子どもにするように、つむじにキスをして、微笑んだ。これから、レオノーラはベルティーニのウェディングドレスに着替えて、聖堂で、オズヴァルドと結婚する。控えの部屋から、離れて、コルネリアは中庭を歩いていた。後ろに控えていたジータが、何度もちらちらとコルネリアを見ているのが分かる。それは、コルネリアの視線の先に、金髪碧眼の圧倒的な美貌の男が立っていたからだ。白いタキシード姿で、庭の木の青々とした葉に触れていた。
「……コルネリア嬢」
「カロージェロ様。ごきげんよう」
2人で会うのは、半年ぶりだろうか。コルネリアは、精いっぱい、優しく見える微笑みを浮かべた。鏡の前で何度も、練習した優しい微笑みを。また、コルネリアをジータがちらちら見る。
「こんなところに居てはいけませんよ。結婚宣誓の前に、新郎が新婦に会うのは縁起が悪いと言いますもの」
「あなたは、新婦の姉です」
コルネリアは、わずかに微笑みを曇らせた。
そう、コルネリアは、オズヴァルドの妻にはならない。なれないのだ。
「妹に会ってしまったら、という意味ですわ」
「……そんな顔をさせるつもりは」
「そんな顔?」
「傷ついた顔です」
オズヴァルドは、じっと、コルネリアを見つめた。青い瞳が、とてもきれいで、コルネリアの愛用しているピアスのようにキラキラしていた。
「コルネリア嬢、私は、あなたのことが分からなかった」
「そうですか?私は、あなたを懸命に支えようとしたわ。それを、あなたは分かっていると思っていました」
「……コルネリア嬢、あなたは、確かに私の善き婚約者でした。懸命に学び、行動し、努力を怠らなかった」
それを、オズヴァルドは知っていた。それでも、レオノーラを選んだ。
「尊敬をもって、私に接してくれた。私も、それを返した」
「ええ、そうでしたわね」
「でも、婚約破棄の1年前、あなたは急に変わった。私に愛情を傾け、懸命に言葉を渡した。だから、戸惑いました」
ジータは、え、と小さな声を上げた。
「私たちの間にあった親愛とは違うものを、あなたは証明しようとしていた。それも、私ではない、誰かに対して」
「……何をおっしゃっているの?」
自分の婚約者には絶対に向けない微笑みと、柔らかな口調を、今となっては、妹の夫になる人に向けている。この人の隣に立っている未来は、コルネリアの手の内から零れ落ちた。それが、確かに悲しく、苦しかったはずだ。そうあるべきだから。
コルネリアは、一歩、義弟となる人から下がった。
「その証明は誰のためなのですか」
先ほどまで、オズヴァルドが触れていた緑の青々とした葉を見つめた。そこから、日の光が透けて見え、その眩しさに目を細めた。オズヴァルドはその葉に触れるために手を伸ばしたが、ラウロはきっと、かがまないと枝にぶつかってしまうだろう。想像する婚約者は、ぶつかった後に、恥ずかしそうにこちらを見る。それに、嬉しそうに応えるのは、レオノーラだ。コルネリアはただ、それを冷たく見つめることしかできないだろう。