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狡猾な乙女 純真な痛み




 隣に立っていたコルネリアの視線がいつもより若干高い。その理由が、自分が贈った靴であることを噛みしめて、同時に口元が緩むのを抑えるため、奥歯も噛み締めた。あの教会で抱き着かれた時のように、心臓の音を聞く様子が、もう見られないのは残念だが、口づけするには良い高さになったというところまで、考えて、頭をかかえそうになった。なんて、不埒なことを考えているのか。

 今日は、カマルドリ修道院に招いていた。手紙を送った際には、「お断りします」というコルネリアの返事と、「もちろん、招待に応じる」という侯爵の返事が同時に返送されてきた。迎えに行くと、不機嫌なコルネリアと、無表情のまま微動だにしないデボラが、玄関に立っていた。カマルドリに興味津々な方のレディ・メイドが付いてくると思っていたから、予想外ではあった。


 「カマルドリは、修道院をそのまま改装しています。神の家だった役割を、忘れないために、積極的に孤児や寡婦の採用を行っているんです」


 修道院の外観は基本的に石造りで、少し冷える。足元が寒くないだろうかと様子をうかがうが、コルネリアは無表情を通り越して、氷でできた彫刻のようだった。


 「……修道院なので、清潔ですが、少し冷えます。化粧品の保管にはいいのですが、冬は寒すぎて。夏は心地いいと言われますが、寒くはないですか?」


 コルネリアは、一言も答えようとせず、化粧品の類にも興味がないのか、ぼんやりと質素な床の木目を眺めていた。商品の陳列スペースは、バラをイメージした装飾品がわずかに置いてあるばかりで、修道院のイメージを壊さないようにしている。足元には毛足の長い絨毯をひいていて、東方から取り寄せた、異国を思わせるものだった。すこし、デル・コルヴォ伯爵邸の中庭をイメージした。あの西洋と東洋が混ざり合うような不思議な空間が、女性の購買意欲を刺激すると思った。だから、瓶の類も、西洋然とした派手さを抑えて、東洋の丸みを意識した。


 「……コルネリア嬢?」


 いつものどの反応とも違う気がした。慇懃で冷たかった時とも、冷酷で攻撃的だった時とも、嫌すぎて投げやりだった時とも、もちろん2人きりの時とも、何かが違う。どんな言葉も、どんな反応も望んでいないかのような、『無』だった。なぜだか、とんでもない焦燥を覚えた。今まで、無視されることはあっても、わずかな反応で、コルネリアのことがほんの少しでも分かった。でも、今は、完全に何もない。嫌いでも好きでもなく、視界にも入っていない。そんな気がして、ラウロは怖くなった。


 「お嬢様」


 レディ・メイドは、侯爵の言いつけがあるのだろうか。コルネリアの発言を促したが、そのレディ・メイドに対しても、コルネリアは同じ反応だった。まるで、見えていないかのように、聞こえていないかのように、そしてそれが演技ではないのではないかと思わせるほどの『無』だった。


 「コルネリア嬢、こちらに」


 ラウロが、手を取る。エスコートの手ではなく、ただ、手のひらを握るものだったが、コルネリアは抵抗しなかった。本当に、何も感じていないかのようで、手のひらを握り返すことも振り払うこともない。


 「……お嬢様?」

 「この奥は、製品の精製やラベリングを行っています。少し、見学されませんか?」


 抵抗されないことを良いことに、ラウロは、関係者以外立ち入り禁止の扉に導いた。


 「おっと、デボラさん、あなたはここまでです」

 「なんですって!ご結婚されていないお嬢様を、男性と2人きりにするわけには!」

 「関係者以外立ち入りを禁じてまして、あなたは入れません」

 「お嬢様!お嬢様!!」


 後ろで、ティーノが、デボラを抑えている間に、コルネリアを扉の向こう側に通してしまう。コルネリアは、いつもの嫌味も、いつもの視線も向けることなく、ラウロについて歩いていた。化粧品にラベルを貼るスペースは、バラの香りに包まれていた。普段、作業をしている子どもたちには、今は休憩を与えている。


 「コルネリア嬢?体調でも?」


 コルネリアは、問いかけに全く応じる様子はなかった。2人きりだというのに、いつものような反応は全くない。


 「コルネリア嬢?」



 この間、晩餐会の前に、エジェオに捕まった際に言われたことを思い出した。



 「姉上のこと、分かったか?」

 「……いや、分かってることもあるけど」

 「まだか」

 「姉妹の間でなにかあることくらいわかる。でも家の中でのことまで、分かりっこないだろ」

 「お前、早く答えを見つけた方がいいぞ」


 これは、結婚してから答えを探す長丁場を覚悟していたラウロは、顔をしかめた。


 「……早く見つけないとだめなのか」

 「まあ、姉上が欲しくないならいいけど」

 「え、ちょっと、待って」


 エジェオは、さっさと屋敷の奥に行ってしまう。侯爵家の人間はみんな、こんな感じで、人を振り回して、放置する血筋らしい。



 「コルネリア嬢?」


 もう一度呼びかけたが、コルネリアはここではないどこかにいるように、反応がなかった。今日の服装が、婚約者である自分の色に近い理由は、これなのだと思った。ラウロを婚約者として認めたからではない。今日のコルネリアは、おそらく、されるがままだったのだ。


 「……コルネリア嬢、教えてください。あなたのことを」

 「……」

 「あなたのことも、ですが。レオノーラ嬢とのことも。どうして、妹君は、あなたの婚約者を奪うような真似をしたのですか。どうして、あなたはそれを認めたのですか。僕に対する態度は、どう解釈すればいいのですか。教えてください」

 「……知って、どうなるのですか」


 コルネリアから、初めて反応が返ってきた。触れ合っていただけの手を、ラウロが強く握った。その手は抵抗しなかったが、決して握り返そうともしなかった。


 「僕は、知りたい。あなたの全てを知って、あなたと生きたい」

 「私は、知りたくない。あなたのことなんて、知りたくない。あなたと共に生きたいなんて思ったことは、ありません」

 「それでも!それでも、僕は、あなたと」

 「私の言葉を、誰が信じるというのですか。今までも、そうでした。だから、誰にも言うつもりはありません。まして、あなたには」


 コルネリアと、視線が合わない。今まで、突き立てられてきた言葉の刃とは種類が違う。それでも、確実に心が凍えた。


 「信じて、くださいませんか」

 「信じろ?」


 コルネリアは自嘲気味に笑って、また、表情をすとんと落っことした。


 「レオノーラにかっこいい、大好きだ、そう言われ続けて、馬鹿みたいに際限なく、贈り物をし続けたあなたを信じろ?」


 ラウロの手のひらが握っていた手は、振り払われた。

 妹との関係。

 コルネリアの最も刺激してはいけないものが、それだというのは、今、よくわかった。でも、答えはそこにあることも分かった。


 「お好きにすればいいのよ。レオノーラを思い続けてもいい、愛人だって囲えばいい、子どもだって生ませればいい。私に、構いさえしなければ、それで」

 「コルネリア!」


 初めて、呼び捨てにした挙句、踵を返そうとしたコルネリアの左手首を掴んだ。この間までは履きなれておらず、助けを必要としたあの高い靴も、コルネリアは完璧に履きこなしていた。コルネリアは、いつもそうだ。誰の助けも必要としない。


 「そのように、呼んでいいなどと、許可した覚えはありません」

 「コルネリア、お願いだ、逃げないで」

 「逃げる?何から、逃げるというの?」

 「レオノーラから、それに、僕から」

 「私が、いつ、逃げたというの。話すことなどないわ。手を離してちょうだい」

 「コルネリア、お願いだ」

 「離して」


 顔など見たくないと、そらされる視線に屈せず、ラウロは、手首をつかむ力を強め、反対の手で腰を抱いた。先日は自然に受け入れたそれを、コルネリアはぞっとした目で見た。


 「離して!」

 「お嬢様!!お嬢様!!」


 扉をたたく音と、デボラのくぐもった声が聞こえた。コルネリアが初めて、大きな声を上げたことに驚いたが、手を離す気にはならなかった


 「離してって言ってるの!」


 コルネリアが体をねじって、右手を振り上げた。パシンという乾いた音と、左の頬に熱と痛みを感じた。叩かれたと理解するのに、少し時間がかかった。コルネリアは、はっとして、自分の手のひらを見ている。叩いた本人が一番驚き、一瞬後悔したような顔をして、それから、それを無表情で隠したが、まるで隠しきれていない。叩いた、手のひらが震えている。


 「あなたは、僕のことを、まるで、分かっていない」

 「な、なに?」

 「あなたから与えられるものなら、何でも欲しい。そう思う、僕の強欲さが」

 「なに、言って」

 「……こんな痛みも、あなたに与えられるなら喜びです。それくらい、思われていることが、分かってない」


 コルネリアは、どうしていいか分からないという顔を初めて見せた。迷子の子どものような、弱弱しさを初めて見せられて、ラウロは言いようのない感情を覚えた。こんな顔も、自分だけに見せてほしい。いつもの強くあろうとするコルネリアだけではなく、頼るべき人を探している弱さを見せてほしかった。コルネリアは、また、無表情に戻って、ラウロの腕から逃れた。それを合図に、ラウロも叩かれた頬に自分の手を添える。


 「お嬢様!!ご無事ですか!」

 「……ええ」

 「何が、あったのですか」


 デボラが焦ったように、部屋を見まわし、自分をおさえつけていたティーノを睨みつけた。


 「見ての通りよ。私は平気」

 「どちらかというと平気ではないのは我が主人ですねー」


 ティーノの間延びした言葉が、よほど、むかついたのか、デボラはティーノに右手を振り上げた。


 「やめなさい。帰るわよ」


 コルネリアが、手の届かない範囲に離れていく。エジェオは確かに言った。

 

 欲しいなら、気づけ

 

 コルネリアが、望まなくても、ラウロは知る必要があった。


 「……ええっと、なにがあったんですかね。もしや、やりすぎた?」

 「いや、何もしてない、というのは嘘だけど、今までで一番、何もしてない」

 「じゃあ、なにが」

 「分からない」


 知らなければならない。それは、ラウロを焦らせはした。だが、この頬の熱が、ラウロを満たしもした。コルネリアは、ずるい。それだけは、よくわかった。






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[気になる点] 同時ににやける顔を抑えるため 若気る(にやける) 男が女のように、色っぽい様子をしていること。 元々は男色の対象になった少年のことを指す。
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