星の見える 遠い場所
コルネリアは深い青色ともとれる紺色のドレスを着ていた。レースで首まで覆われていて、オーガンジーの生地を重ねたスカートは、少しコルネリアのイメージとは異なっているかもしれない。ほとんど見えない足元に、ラウロから渡された高い踵の靴を履いていた。ラウロから贈られたもので、身に付けたものは今まで一つもない。わずかに長すぎたスカートを誤魔化すために、致し方なくあの靴を履いたのだ。
婚約者が迎えに来て、コルネリアの服装を一通り褒めたが、靴に関してだけは何も言わなかった。ほとんど見えなくても、いつもと視線の高さが違うことで、おそらくは気づいただろうが、ラウロは何も言わなかった。
モンテヴェルディ伯爵夫人から晩餐会の招待を受けて、コルネリアはラウロと共に訪れていた。2人の仲が、良好でないことは、すでに社交界に知れ渡っていたので、2人揃って招待を受けることはほとんどなかった。モンテヴェルディ伯爵夫人は、うわさ話が大好きな性質で、2人の不仲を確認するために呼んだことは分かっていた。夫人の低俗な趣味に付き合うのは気分が悪かったが、ここで、良好な関係を演じたいとも思わなかった。晩餐は、長い食卓で、カップルが並ぶように配置されている。横を向きさえしなければ、話す必要もない。時折、近くに座る夫人や紳士に話しかけられるが、適当に愛想よく相槌を打っていれば済む話だ。ラウロから時折、視線を感じたが、全く無視して、一言もしゃべらずに食事をとり続けた。ラウロは、そういった視線や行動が、社交界の噂を助長する理由になっていることが分かっていない。捨て犬のようなラウロを、棒で殴るコルネリアという構図を、皆が見たがっていることがわかる。
「……っコルネリア嬢!」
女性はティールームへ、男性はシガールームへ移動する最中、声をかけられたが、無視した。今日は、挨拶の言葉すら交わしていない。
「コルネリア、こっちよ」
「クラーラ」
それぞれに、親しい人を見つけて、小さな集団を作っている女性陣の中で、コルネリアはクラーラの近くに座った。
「久しぶりね。相変わらずね、コルネリア」
「……変わりようがないわ」
「よくあの捨て犬を、無視し続けられるわね。あなた、もしかして猫派?」
「話すことなんて、無いもの」
メイドがいれた紅茶に手を伸ばしながら、コルネリアは答えた。端に座っていたクラーラとコルネリアの元に、モンテヴェルディ伯爵夫人がわざわざ足を運んだ。それを見て、この人の趣味は相当たちの悪いものなのだと思った。
「モンテヴェルディ伯爵夫人、とても素敵な晩餐会でしたわ。お招きくださって、とても嬉しいです」
「バルベリーニ侯爵令嬢、今日もとても美しいわ。触れたら怪我をしてしまう氷の華のようだわ」
誉め言葉とも嫌味ともとれる言葉に、コルネリアはわずかな微笑で答えた。
「最近、あなたが、カロージェロとの婚約を破棄して、デル・コルヴォと結びなおしたと聞いていたけれど、本当だったのね」
「最近、というほどではございませんけれど、事実ですわ」
「そうなの?今日一緒に来ていた方が、婚約者?」
招いたのは夫人だというのに、とぼけたように尋ねてくる。まるで、婚約者には見えなかったという嫌味なのだろう。
「ええ、そうですわ」
「カロージェロ伯爵令息とは、仲睦まじい様子だったけれど、今度は、違うのね?」
「……婚約を結んで日が浅いですから、それほどお互いを知りませんの」
「そう」
夫人は言葉を切って、紅茶を一口飲みこんだ。
「私ね、デル・コルヴォ伯爵夫人とも親しいのよ。」
「そうですの」
「ええ。オルテンシア様に、姪っ子を紹介してくれないかって言われたのよ。私の姪は、気性も穏やかで、見目も愛らしいのよ。そう、すこし、あなたの妹に似ているわ。」
「それは、素晴らしいお嬢様なのでしょうね」
同意を求めるように、クラーラに視線を向けると、クラーラも頷いて微笑んだ。
「鮮やかな金色に、同系色の瞳で、少し幼く見えるのだけど、とても可愛らしい子で。でも可哀そうに、お父君が、私からすると、妹の夫に当たるのだけれど、その人が事業に失敗してしまって、持参金を用意できなくなってしまって」
「まあ」
「しばらくは、社交界に出ることも難しいわ。婚約者もまだ決まっていなかったから、若い姪の貴重な娘時代を、くすぶらせるのはかわいそうだと思っていたの」
「それは、お気の毒なことですわ」
気性の優しさ、見目の愛らしさ、たったそれだけの言葉なのに、コルネリアは攻撃されている気分になった。自分の悪いところをあげつらわれているようだ。
「でも、それはそれは熱心にオルテンシア様に紹介してほしいと言われていて、なんでかしらと思っていたのよ」
「お話を聞く限りとても素晴らしいお嬢様ですもの、デル・コルヴォ伯爵夫人もお会いになりたくなったのかもしれませんわ」
「ええ。自慢の姪ですから、会わせようと思っているのよ」
そこで、他の夫人に呼ばれて、モンテヴェルディ伯爵夫人は、断りをいれて席を立った。
「……夫人の趣味の悪さには驚くわね」
「クラーラ、やめてちょうだい」
「自分の姪を愛人にする話を、婚約者にする?」
コルネリアは、冷めかけた紅茶に息を吹きかけて、ため息を誤魔化した。こうなる可能性を考えなかったわけではない。義務は果たすが、それ以上は、他に求めろと言ったのはほかでもないコルネリアだ。だから、失望よりも、安堵を感じた。
「コルネリア嬢は、どうなさりたいのですか」
今日、迎えにきた婚約者が、弟のエジェオに捕まっている間、いつもラウロに付き従っていた従者の男に初めて話しかけられた。
「私は、あなたに発言の許可をした覚えはないのだけれど」
コルネリアが、冷たくそう告げると、あからさまにため息をつかれた。
「どうでもいいですけどね。あなたのせいで、俺の仕事が進まないんですよ」
「それは、あなた自身の能力の問題ではないの?」
私に責任を求めるのは、間違っているわ
そこまで言うと、男はぶぜんとした顔をした。
「あなたは、自分に瑕疵がないと?」
コルネリアは、初めて男と目線を合わせた。使用人という立場を超えた発言を咎める視線だったが、男はそれを気にした様子がなかった。おそらく、ラウロはこの男にある程度の裁量を与え、結果、発言権を認めているのだ。コルネリアが、決して、使用人に認めないものを、ラウロは簡単に認めるのだろう。コルネリアとラウロはきっと、そんなところでも理解し合えない。
男の言う仕事が、その時は、なんだかは理解できなかった。でも、今は分かる。
「これで、いいのよ」
「コルネリア」
「私には、これで、いいの」
これで、いい。コルネリアの王子様は、きっと一生変わらない。だから、これで、いいのだ。冷たくなった紅茶に、もう一度息を吹きかけて、コルネリアは笑った。
「……泣いているみたい」
クラーラの小さなつぶやきも、聞こえないふりをした。コルネリアは真実笑っていた。悲しいことなど何もない。自分が望んだとおりだったからだ。でも、クラーラはコルネリアに心で泣いていることを求めているようだった。
ふと、コルネリアは、ただ、遠くへ行きたいと思った。誰も、コルネリアに役割を押し付けたりしない、そんな遠くへ行きたくなった。