表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/31

ピンクのマカロン 血の香り




 コルネリアは、家に帰って、手足を濡れたタオルで拭い、着替えた。頭痛がひどかったので、結い上げていた髪は下ろして、簡単にまとめなおす。口の中の苦いような甘いようなだるさが嫌で、水を一口飲んだ。


 「お嬢様」

 「なに?」


 帰宅後のコルネリアの整容を、壁際で見ていたデボラが迷ったように弱弱しい声を上げた。


 「レオノーラ様が、お呼びです」

 「なんて?」

 「ご気分が優れないそうで」


 小さなころのレオノーラを思い出した。いつも、コルネリアの後ろをついて歩き、姉がいなければ何もできなかったレオノーラ。誰がそばにいても、必ずコルネリアを呼び、傍に居てほしいとねだった。そのわがままは、思春期になっても、大人になった今でも同じだ。


 「行くわ」


 レオノーラの部屋は、南向きの明るい部屋だった。以前、この部屋の隣を使っていたけれど、コルネリアは東向きの部屋に移った。その時レオノーラはひどい癇癪を起したけれど、それが父の命令だと知ると、怒ることをやめた。父が、何を思って、コルネリアの部屋をうつしたのかは分からない。ただ、南にある美しい庭を、部屋から眺められなくなった。


 「……レオノーラ」

 「お姉さま、」


 ソファでぐったりとしているレオノーラは、唇を青くして、ハンカチを当てている。目の前には、色とりどりのマカロンが置いてあった。


 「どうしたの?」

 「気持ちが、悪くて。吐いてしまって」


 手桶や水を持った使用人が近くに立っている。それを見て、過剰な反応ではなく、本当に具合が悪いことが分かった。


 「何か、悪いものでも?」

 「食事は、皆さまと同じものを。ただ、このマカロンは」


 レディ・メイドのノエミが、ちらりとマカロンを眺めた。ピンク色のマカロンが半分、皿の上に残っていた。バラの香りと甘い味を一瞬、想像して、眉をひそめた。


 「これは、お義兄さまが、下さったの」


 婚約者が、妹に甲斐甲斐しく贈り物をしていたところで、傷つくような繊細な心はもとより持ち合わせていない。ただ、あの柔らかいふりをした微笑みが思い出されて、腹が立った。


 「……それを口にしてから、気分が悪いの?」

 「ええ、でも、その前から、少し調子が悪かったの」

 「そう。とりあえず、着替えましょう。コルセットは脱いで、ゆったりとしたワンピースに」

 「でも、お父様が、もうすぐ戻られるのに」

 「お父様には、私から言っておくわ。具合が悪いのだから、無理をする必要はない。夕食は、消化にいいものを、部屋に運ばせるから」


 目線で指示を出すと、ノエミとドナテッラが、レオノーラの着替えを手伝い始めた。寝室の枕を整えて、レオノーラを呼ぶ。


 「今日は、寝ていなさい」

 「……いや」


 レオノーラの小さな拒絶に、コルネリアは微笑んだ。本当に嫌がっているわけではなく、構ってほしい時の『いや』であることは、コルネリアでなくともわかる。


 「どうして?私は、あなたの体が心配なのよ」

 「お姉さまも一緒に横になって」

 「それは、できないわ。お父様と食事をしなければならないから」

 「いや。一緒に寝て。ここで、一緒に食事をして」

 「レオノーラ」

 「昔はしてくれたわ、いつも。風邪をひいた時もお腹が痛い時も、一緒に居てくれたのに」


 レオノーラが不安そうな表情のまま、コルネリアの手を引いた。レオノーラは昔と同じ、子どものままだった。この子が、領主夫人として一人で立てるのだろうかと不安に思うと同時に、罪悪感を覚えた。レオノーラの牙を奪い、1人で立てなくしたのは、他でもないコルネリアだったからだ。


 「……分かったわ。眠るまでの間よ?」

 「やった!」

 「レオノーラ」

 「ありがとう、お姉さま」


 不作法を叱ると、小さく舌を出して、コルネリアをベッドに無理やり引き入れる。普段着とはいえ、横になるには不適切な恰好であるが、着替える時間はくれそうにない。レオノーラがじりじりと、コルネリアの体に近づき、胸に顔を寄せた。そのまま抱き着いてくる妹の頭を撫でて、背中に手を回し、とんとんとリズムを刻む。


 「レオノーラ」

 「お姉さま、ずっと、こうしていて」

 「ええ、眠るまで、ずっと、こうしているわ」


 レオノーラのずっとが、本当は眠るまでではないことをコルネリアは知っていた。それでも、眠るまでと言ったのは、いつまでもこうしていることが出来ないことを、コルネリアが先に知ってしまったからだ。同じところに留まっていることはできない。たとえ、どんなに望んでも、2人がずっと、ここでこうしていることはできないのだ。


 「お姉さま、大好き」

 「レオノーラ、私もよ」


 心底幸せそうに、微笑んだレオノーラが静かな寝息を立てるまで、コルネリアはずっと赤子をあやすように、抱きしめ続けた。

 それから、数日して、レオノーラの妊娠がわかり、父は激怒した。レオノーラがさめざめと泣いている、父の執務室で、コルネリアは思った。人は同じところに留まっていることはできない。それをコルネリアは、レオノーラよりも先に知っていたはずだ。だというのに、置いていかれたと思った。レオノーラの妊娠を知って、コルネリアは初めて、レオノーラに置いていかれたと思った。

泣いて絨毯の上に座り込むレオノーラを抱きしめた。レオノーラを抱きしめているつもりで、本当は、レオノーラの腹の中にいる天使を抱きしめているのではないか、コルネリアはそう思った。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ