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片方のハイヒール シンデレラの割れた靴



 

 父は、いつもコルネリアに命令をする。家族という枠にいるはずのコルネリアを、他の家族と同様には扱わない。娘という立場にあるにもかかわらず、母親という役柄を押し付けられている、そう感じるようになったのは思春期からで、それまでは必死にそれに応えようとしていた気がする。父から久しぶりに渡されたプレゼントというには、いささか腹立たしい本の表紙を指でなぞる。開くつもりのない本は、真新しいままで、傷一つない。


 「お嬢様、どちらを?」


 ソファに座るコルネリアに、デボラがアクセサリーを見せ、ジータが声をかける。あれ以来、デボラがコルネリアに意見をしたり、声をかけたりすることは極端に減った。自分の本来の役目をデボラは思い出したようだった。


 「青いリボンを」

 「はい、お嬢様。髪に編み込みましょう。それに合わせて、こちらのワンピースでよろしいでしょうか」

 「ええ、何でもいいわ」


 コルネリアを鏡台に座らせて、ジータは髪に櫛を通し始めた。鏡には、鋭い目つきの冷たい印象の女が、無表情にこちらを見ていた。時折、思うのだ。この目が少し柔らかく見えたら、この眉が少しでも弱弱しい形をしていたら、この唇がもっと大人しくしおらしい形をしていたら、もう少し、皆、自分に心を寄せてくれたのではないかと。でも、それが本当は違うのだと分かっていた。他人に寄り添わず、厳しく接した結果であり、おそらくはこのきつい顔立ちもその結果に過ぎないのだろうと。


 「よくお似合いですわ」


 真っ赤な紅をひかれた自分の顔は、きつさを隠さない。母を失って、強い女であるよう自分に課した。でも、それで、コルネリアは何かを得ただろうか。これ以上、失わないために強く生きようとした結果、コルネリアは失ってばかりいないだろうか。


 「私が、お供いたしますね」


 ジータは、いつものお仕着せではなく、身動きのとりやすい質素なワンピースを着ていた。赤茶色の髪に、少し灰色がかった瞳、そばかすの散った肌が、ジータを少し幼く見せる。コルネリアは、ひどい疲れを感じていた。これから、行きたくもない場所に、行きたくもない相手と出向かなければならない。それが、憂鬱だというだけではない。この間、デル・コルヴォ伯爵邸を訪れて以来、コルネリアは、疲れていたのだ。

 何も返事をせず、ぼんやりとしているコルネリアの手を取り、ジータが歩き始めた。何も考えたくないし、何も答えたくない。すべてが面倒で、コルネリアは、ため息をつきながら馬車に乗った。

着いたのは、最近流行しているアメデオという名のシューメゾンであった。そこが、デル・コルヴォ商会が経営する店であることは、初めて知った。


 「コルネリア嬢!」

 「ごきげんよう」


 全く機嫌は良くないし、ラウロの声を聞いたら、ひどい頭痛もしてきた。父の言いつけが無ければ、そもそもこの場にも来なかっただろう。優しい微笑みをいつも浮かべている婚約者の顔を見ると、気分の不快感が強くなった。


 「こちらに」


 店に招かれる。革の独特の香りを感じて、思わずハンカチを持つ手に力が入ってしまった。整然と並べられている靴は、どれも色彩鮮やかだった。アメデオが流行している理由は、今まで、ほとんどぼんやりとしか着色できなかった革靴に、はっきりとした色彩を持たせられたからだ。既製品の棚がわずかにあるが、他はすべて木型から作られた迎えを待つ靴ばかりだ。最近流行している踵の高い女性ものの靴が、特に多い。


 「ここで、試着をしていただきます。奥で、木型から、職人たちが一つ一つ手作りで靴を作っています。ここの工房は15人勤めているんですが、最近注文が増えたので、人を増やそうかと思っているのです」

 「……そうですの」

 「ただ、最初からできる職人を探すのは大変なので、ここを教育の場にするのも良いかと思っているんです。注文数は制限せざるを得ませんが、長期の投資です」


 興味も持てなくて、返事をやめて、コルネリアは靴に興味があるふりをする。試着スペースと言っただけあって、あちこちに椅子が置いてあるが、どれも、とても品のあるものだった。


 「履いてみませんか?」

 「……いいえ、私は」

 「プレゼントです」


 コルネリアが、睨みつけると、ラウロは肩をすくめた。


 「お父君の言いつけで、プレゼントは拒めないはずです」

 「お嬢様、試着するだけですわ。最近流行の高いヒールの靴はお持ちではないのですから、試してみてくださいませ」


 ジータの言葉に、ため息交じりに、椅子に座る。ラウロが既製品の棚から持ち出したクリーム色のハイヒールの靴を手に持って、コルネリアの前に傅いた。普段、見上げるほど高い身長の男が、自分に傅くのを見て、コルネリアは不思議な感覚を覚える。


 「ちょっと、お嬢様に、何を!」

 「坊ちゃま!」


 コルネリアの足にラウロが触れようとした瞬間に、ジータと、もう1人聞きなれない声が言葉を荒げた。


 「……触れないでいただける?」


 コルネリアが小さく呟くと、先ほどまで飄々としていた婚約者は、いつもと同じように、素直に下がった。


 「失礼いたしました。お嬢様の試着は、私が担当いたします。モデスタと申します」

 「驚いたわ。アメデオでは、未婚の淑女の試着を、あろうことか男性がするのかと思った」

 「いいえ、そのようなことは、決してございません。これは、坊ちゃまが、」

 「流行のシューメゾンにあるまじき行為だと思ったのだけれど」

 「大変申し訳ございませんでした」


 年嵩のいった、モデスタと名乗った女性が懸命に頭を下げた。


 「コルネリア嬢、申し訳ない。今のは、私の過失で、アメデオの責任ではないです」

 「本当ですよ、坊ちゃま!紳士にあるまじき行為を、婚約者といえど、淑女になさるなど!」

 「もう、いいわ。早く終わらせてちょうだい」


 コルネリアの言葉に、素早く反応して、モデスタが靴を履かせてくれた。その間、もちろん、ジータにきつく睨みつけられて、ラウロは後ろを向いている。


 「立ってみてください。滑らかな革が美しいですし、踵が高いので、とてもスタイルをよく見せてくれます」


 高い靴になれなくて、コルネリアはわずかに顔を歪めた。


 「革は履いているうちに馴染んで、足を優しく包み込みます。これは、既製品ですが、お嬢様の足に合わせて作れば、もっと馴染むでしょう。坊ちゃま!慣れてらっしゃらないんだから、ほら、手をお貸しになって!」


 コルネリアは、バランスの悪さと、婚約者に触れることを天秤にかけて、致し方なく、わずかに婚約者の手に体重をかけた。


 「まあ、こうして並ぶと、とても絵になるわ!身長差も、とてもバランスがいいです」

 「……それなら」

 「いや!違う!コルネリア嬢、これは、流行りの靴だから。だから、プレゼントするだけです!色は、青がいいですか!」


 それなら、結構です。そう言おうとした瞬間に、食い気味に、ラウロが早口でまくし立てる。コルネリアは一層、頭痛を強く感じて、返事をしたくなくなった。


 「……もういいわ。後はお好きになさって」


 コルネリアのやる気のかけらもない返事に、なぜか喜んだラウロは、いくつか注文を付けるために職人のもとに行った。


 「お嬢様」

 「もう、帰りたいわ。」


 ジータは少し困ったように首を横に振った。それが、父の命令なのだと分かって、コルネリアはより一層、帰りたい気持ちが強くなった。






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