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エメラルドグリーンの春 私のための冬

 


 教会にラウロが勝手に現れた時、言いようのない怒りを感じた。自分の領域に入られたことに怒りを感じ、勝手な行動に怒りを感じた。すべての人に門は開かれているが、そこを通れる人は限られる。今日も青い服に、いつものシルバーとサファイアのピアスをして、コルネリアは、デル・コルヴォ伯爵邸を訪れていた。バルベリーニ侯爵邸の暗い生成り色の大理石でできた屋敷とは違う、白の壁に青の屋根は夏の空を連想させた。ふと目に入った中庭には、白い噴水と、小さな青いタイルが所せましと並べられていて、そこだけ異国に迷い込んだかのような不思議な場所だった。それを、遠目に見ながら、コルネリアは、興味などない顔をして、耳の飾りに触れた。

 オルテンシア・デル・コルヴォ伯爵夫人に手紙で招待を受けたのは1週間ほど前だった。礼儀作法に則った手紙を受けてしまえば、コルネリアには断る手段がなくなってしまう。異国情緒あふれる中庭から、直接、奥庭に続く道を歩く。そこは、バラのアーチになっていて、今は、咲いていないバラの姿を想像させる青々とした葉と、小さなとげが見えた。いつもは機械のように従っていたデボラも、自分の仕える屋敷との差をありありと感じているのか、視線をせわしなく動かしていた。


 「……コルネリア嬢」


 アーチの先は、花ではなく、緑の庭が続いていた。ラウロの瞳の色を連想させるような、たくさんの緑が、コルネリアの前に広がる。そこには、ラウロと、ラウロによく似た線の細い夫人が立っていた。金色の繊細な髪に、緑の瞳、日に焼けていない肌は白く、年齢を感じさせない幼い愛らしさを持った女性だった。その人を目の前にしても、コルネリアは、挨拶の言葉も、お辞儀もせずに、ただ立っていた。


 「……えっと、母上、こちらが、コルネリア・バルベリーニ侯爵令嬢です。コルネリア嬢、こちらが、僕の母で、オルテンシア・デル・コルヴォ伯爵夫人です」


 まずいと思ったらしいラウロの紹介に、オルテンシアが、微笑みを浮かべた。その微笑は静かに怒りをたたえていたけれど、コルネリアは表情一つ変えなかった。社交場では、身分の低いものが、高いものに、許可を得てから挨拶をする。この場で最も地位が高いのは、侯爵令嬢であるコルネリアだ。ただし、嫁ぐ身であれば、その限りでないことをコルネリアは知っていた。社交場でのルールでは、コルネリアが許可を与えるまで、挨拶はできない。一方、こういった場面では、コルネリアが許可を仰ぎ、コルネリアから挨拶をすべきだ。その、母と婚約者の小さな争いを、ラウロは、無かったことにしたかったようだが、おそらくはなっていないだろう。姑の中で、コルネリアは、教育すべき嫁になったに相違ない。


 「ラウロの母です。今日は、来てくださって、ありがとう。いつまでも、ラウロが会わせてくれないから、しびれを切らしちゃったの」

 「コルネリア・バルベリーニでございます。本日は、お招きいただき、ありがとうございます」


 完璧なカーテシーをしてから、表情を消したまま、ゆっくりとその顔を見た。オルテンシアは、どこか、レオノーラを思い出させる顔をしていた。


 「レオノーラちゃんは、よく来ていたのよ。姉妹だって聞いていたけれど、あまり似ていないのね」

 「母さん!」

 「まあ、ラウロ。人前では、母上って呼びなさいっていつも言っているでしょう?」


 試すような言葉だ。コルネリアを揺さぶって、感情を引き出したら、何か得られるとでも思っているのだろうか。


 「レオノーラとは違って、冷たいとよく言われます」

 「あら、自覚があるのね?」

 「母さん!」

 「ラウロ、そんなに怖い顔をしないでちょうだい」


 許可なく席についてやろうかとも思ったが、コルネリアは、静かに待つことにした。レオノーラは、よく、デル・コルヴォ伯爵邸を訪ね、義父母とも交流を持っていた。出かけた後には必ず、コルネリアに報告していたから、その関係は知っていた。義理の母が、レオノーラを人形のように愛で、その愛らしさを可愛く思っていたことも知っていた。レオノーラの天使のような一面を、愛していたことも知っていた。だから、コルネリアは、それと対局であることを隠さなかった。バルベリーニ侯爵邸で、愛らしく優しい春は全てレオノーラで、厳しく冷たい冬は全てコルネリアであったように、ここでも同じように振舞うだけだ。


 「コルネリアさんは、カロージェロ伯爵に嫁ぐ予定だったのでしょう?オズヴァルド殿は見目もよいし、宮廷での地位も高いわ。それに領地だって持っていて、将来は領主になるはずだったわ。妹になんて譲りたくなかったでしょうね?」

 「……もう、決まったことですので」

 「それに比べて、我が家は、伯爵とはいえ商会を営む卑しい職業貴族。領主夫人となる予定だったあなたには、下賤に思えるでしょう?」

 「父には、嫁ぎ先で、よく仕えるよう、言われております。それが、領主から商家に変わったまでです」

 「……そう。あなたが、オズヴァルド殿を慕っていたのは知っていたわ。オズヴァルド殿とは恋仲だったのでしょう?」

 「カロージェロ様のことはお慕いしておりますが、支えるべき相手が誰かくらいは、分別がついております」


 夫人は、苛立ちを隠さなくなり、1人だけ席に着いた。先ほどまで懸命に止めに入っていたラウロも、母の怒りの前で、静かにすることを選んだらしい。


 「うちの息子は、確かに王子様って感じじゃないし、皆があこがれる貴公子でもない。働きづめで、宮廷での権力にも興味はないし、お金稼ぎくらいしかできないわ。でも、私の大事な息子なの。それが、どうして、あなたなのかしら。優しい奥さんを望んでいたのよ?あなたの妹は、いつも息子に笑いかけて、素敵だって言葉を惜しまなかった。なのに、なんで、あなたなの」

 「私にできることは、夫を支えることです。それ以外は、他の方に求めていただいて構いません」

 「なんですって!」


 青筋を立てている夫人の瞳を、瞬き一つせず、見つめる。父は、自分の選択で、己を幸せにも不幸せにもできると言った。その言葉は、正しいと思った。だから、他の全てを不幸せにしても、自分の幸せを選ぼうと、コルネリアは思った。


 「……もういい、もういいわ。あなたと話すのは疲れてしまった。ラウロ、屋敷の案内でもして来なさい。私は部屋に戻ります」

 「母上、あとで、話が」

 「分かったから、もう。コルネリアさんも、わざわざ来てくれてありがとう」


 もう二度と会いたくないわ。そう続くのだろうなと思いながら、コルネリアは、義母の背中を見送った。屋敷を案内されたところで、コルネリアは興味がわかない。どうせ、子どもを産んだ後は、適当な別邸にでも引っ込む予定なのだから、この屋敷について深く知る必要はない。


 「デボラ、帰るわ」

 「お嬢様!」

 「なに?」


 ラウロは、迷ったようにコルネリアとデボラを見ている。案内すべきか、とりあえず、座らせるべきか迷っているのだろうけれど、どちらも、コルネリアは必要としていなかった。


 「あのような態度では、今後、一緒に生活されるというのに」

 「私は、模範的な答えを言ったまでよ」

 「今後、どのような仕打ちを受けるか、考えてされたのですか!?」

 「当たり前だわ。これで、姑からいびり倒されることになるでしょうね、きっと。でも、たとえ、今日、どんな態度をとったとしても同じよ。レオノーラと比べて、あれがだめ、これがだめと言われ続けるのが関の山よ」

 「分かっていらっしゃるなら、なぜ、こんなことを」

 「でも、これで、あなたは満足でしょ?デボラ」


 名前を静かに呼ぶと、デボラは、硬直した。コルネリアは、そこでゆったりと鷹揚に、レオノーラを意識した微笑を浮かべた。デボラが誰を主人と定めているのか、知っていたからだ。青くなったデボラを見て、コルネリアは微笑をやめた。緑の庭の美しさが、コルネリアの汚さを引き立てているようだ。義母が、レオノーラを愛する理由が、分かる気がする。汚れがなく、まっすぐで純真なレオノーラは、この庭によく似ている。そう思った。







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