言葉のナイフ 修道女の祈り
ご機嫌伺いに行くときは、いつも、先に手紙を書く。ラウロの手紙に返事が来たことはないが、突然訪問したところで追い返されることは想像に難くないので、毎回そうしていた。今日だって、ちゃんと手紙で訪問は知らせたのに、バルベリーニ侯爵邸にコルネリアはいなかった。
「姉上なら、いないぞ」
訪問した際に、エジェオが屋敷にいたのは初めてだ。とっても、嬉しそうに、コルネリアの不在を教えてくれた。
「どちらに?」
「知りたいか?」
「……お前、前より性格悪くなった?」
「いやだな!友よ!そんな顔せずとも、教えてやるよ。貸しだぞ」
オルビア教会は、ラウロが訪問したことのない小さな教会だった。デル・コルヴォでも、慈善の一環として、教会に寄付はするが、ほとんど訪問はしない。時折、母がバザーで集めた寄付金や、生活用品を届けているくらいだろう。
庭と呼ぶにはささやかな空間に、子どもたちの笑い声が響いている。少し大きな木に、手作りの粗末な板がぶら下がっていて、子どもたちがそれに順番に乗っていた。おそらくそれがブランコなのだろうと分かる。そこから、少し離れた場所で、地面に直接座り込む、レディたちが5人ほど。その中心には、柔らかく微笑んでいるコルネリア、コルネリアの膝には小さなレディ、周りにも座り込んだり、寝転んだりしている。コルネリアは、侯爵邸で決してそんな作法を許さないだろう。だが、今は、優しく子どもたちに笑いかけていた。
「お姉さまのご結婚は、そろそろなのでしょう?神父様が言ってたわ」
「きっと、とっても素敵だわ。白いウェディングドレスと、レースで縁取ったベール。物語みたい」
「いつもお話ししてくれる王子様と結婚するの?」
小さくてもレディはレディだ。みんな、結婚の話をキラキラとした目で語る。いつもお話ししてくれる王子様、そう膝の上の赤い髪の少女が言った。その言葉で思い出すのは、金髪碧眼の王子様のような容姿をしたオズヴァルドのことだった。コルネリアはなんと答えるだろう。
王子様とは結婚できないの。妹が結婚するから。
そう答えるだろうか。王子様、その言葉が、胸に突き刺さった。少しでも、オズヴァルドに近い容姿、スタイル、声、権力、領地、どれか一つでもあったら、コルネリアは今よりもう少し、ラウロに笑ってくれたのだろうか。
「……ええ、そうよ。王子様と」
わずかに迷って、そして悲しそうに微笑んでから、コルネリアは嘘をついた。現実を語るには、子どもたちがあまりに幼いと思ったのだろうか。軍人のように、まっすぐ言葉を投げつけるコルネリアには珍しい言葉の選び方だった。
「素敵。お姉さまの大好きな王子様、会ってみたいな」
「本当に、物語のようなんだもの。お姉さま、王子様はどんな人?きっと、物語みたいに金色の髪で、青い宝石みたいな目なんでしょ?それで、かっこよくて、」
「そうね、とっても素敵な方よ。涼し気な目元で、かっこよくて、お優しいの」
ぐさっと音がする勢いで、言葉が突き刺さった。子どもたちには優しく語りかけられている言葉も、ラウロにはナイフ投げの要領で突き刺さる。
「それで?それで?」
「背が高くて、少し筋肉質で」
サクッと綺麗に、またナイフが刺さる。抜く間もなくどんどん刺さる。
「頭が良くて、声も素敵なのよ」
「剣もできるの?物語みたいに、お姫様を助けるの?」
「残念だけど、剣術は見せていただいたことはないわ。でも、きっと、お上手だと思う」
ええ、そうでしょうとも。オズヴァルドはなんだってできる。きっと、剣術だってお手の物だろう。
「素敵!いいな。お姉さまの王子様。私も会いたい」
「だめよ。私の王子様は、私だけのものだもの。カーラ、あなたにも、あなただけの王子様がきっと現れるわ」
ああ、突き刺さった。最初のカタチが分からなくなるほど、めった刺しにされて、しばらくは立ち直れないかもしれない。ラウロが、とぼとぼと踵を返そうとしたときに、子どもたちの声が響いた。
「あの人、だれー?」
「……あの人は、デル・コルヴォ伯爵のご令息です。とても偉い方よ」
「偉い、人なの?あのお兄ちゃんが?」
「ええ、今日は、皆と遊んで下さるんですって」
振り返ると、子どもたちに先ほどまで見せていた微笑みを踏みつけにするぐらい、恐ろしい表情でこちらを見ているコルネリアがいた。
「あ、いや」
覗きをしていた訳では、と言い訳するよりも早く、子どもたちが歓声を上げる。子どもたちには歓迎されているが、コルネリアには全くされていない。人のプライベートに入ってくるな、その目が完全に怒り狂っているのを見て、ラウロは、裸足で逃げ出したくなった。だが、子どもたちに手を引かれてしまっては、逃げ出すこともできない。
「お兄ちゃん、鬼ごっこしよう!」
特にやんちゃな子どもたちを追い掛け回す羽目になって、息切れが甚だしい。いつも商会の仕事で、歩き回っているとはいえ、この全力疾走をさせられ続けると、狭いスペースでも息が切れる。汗が出て、ジャケットを脱いで、腕をまくった頃には、すでにコルネリアの姿はなかった。
「……置いてかれたかな」
「お姉さまなら、お祈りしてるよ。いつも、帰る前は、ドゥーモでお祈りするんだ」
すぐ近くで、ジータと修道女が話し込んでいた。完全に、今日は、やらかしている。2人きりになったところで、軍人・コルネリアが謝罪を受け取ってくれるとも思えないし、謝罪以上の会話を許されると思えない。まして、祈りの場だ。孤児院というコルネリアの私的なスペースに踏み入っただけで、あの態度なのだ。祈りの場に踏み込んだら、殺されないだろうか。小さなレディに手を引かれてドゥーモの前まで、連れてこられた。
「これ以上は、行ってはいけないの。お祈りの時間以外は、子どもは入っちゃダメなんだって」
「ありがとう、レディ」
そう言って、頭を撫でると、赤毛の女の子は、髪と同じくらい顔を真っ赤にした。ラウロもこれくらい小さな子どもには罪作りな男になれるらしい。思春期を迎えるころには、おそらく、鼻で笑われるようになる。
ドゥーモの扉をわずかに開ける。石造りの小さいドゥーモには、不釣り合いなほど立派なステンドグラスがあった。神の教えを伝えるステンドグラスは、午後の日差しでキラキラ光っている。石造りのせいで、どんなに足音を抑えようとしても、かんかんと響いてしまった。最前列の簡素な椅子の前で跪いて、コルネリアが手を重ねているのが見えて、反射で止まる。まだ3メートルほど距離があったが、気配の抑えようがなかったので、3秒後には睨みつけられているだろう。
祈りを捧げるコルネリアの横顔は、美しい。その瞼が持ち上がり、焦げ茶色の瞳を隠すように何度か瞬きがされた。立ち上がったコルネリアは、ゆっくりと振り返る。
怒られる、絶対、怒られる
焦りと、ドゥーモの涼しさで、先ほど走り回ってかいた汗が、嘘のように引いていく。
コルネリアは、じっと、見つめてゆっくり、こちらに歩き出した。
この後、冷たく、罵声を浴びせられるのだ。そう思うと、血の気が引き始めた。
一歩一歩が遅く感じて、そして、触れられるくらい近づかれた。婚約中とはいえ、適切と言えないくらいの距離に近づかれて、一歩引くべきだと思ったが、怖すぎて硬直して動けなかった。動かないラウロを下から見上げて、小首をかしげたコルネリアに、言語中枢がいかれ始めたのを感じた。
やばい、これ、また、やばいやつ
コルネリアが、ぴたりと、ラウロの胸に体を預けた。ちょうど、心臓のあたりに耳を当てて、右手が胸元に置かれている。コルネリアの柔らかい体の熱をシャツ越しにもろに感じた。
これ、ちょっと、待って、汗が
一気に体が熱くなり、先ほど引いたはずの汗が滝のように出始めた。
やばい、心臓が、心臓が、すごい
絶対、聞こえてる、てか、聞いてる
心臓が、早鐘を打ちに打ちまくっていて、正直、このまま死んでしまう可能性を感じる。コルネリアに、殺される。神の家で死んだら、そのまま埋葬されるだろうか。落ち着くために、深く息を吸ったが、それは失敗だった。
香りが、コルネリアの香りが
なにこれ、甘いんだが、やばいんだが
ああ、やばい、やばい、逆に自分、汗臭い
これ、手は、どうすれば、どうするのが正解
言語中枢が完全にやられたので、いつものように語彙力はなくなった。ぴたりと体をつけているコルネリアをそのまま抱きしめていいのやら、何なのやら、もう勘弁して、許してください、と叫び出したくなった時に、コルネリアはくるりと踵を返した。
コルネリアが、再度、跪いて手を重ねた時に、ドアが勢いよく開いた。先ほど、修道女と話し込んでいたジータだ。
「……何をなさっているのですか、デル・コルヴォ伯爵令息」
「あ、いや、何も」
「祈りを捧げているお嬢様の背後に立って、何も?」
コルネリアは、はっとしたように顔を上げて、振り返った。その表情は、怒っていて、瞳はこのドゥーモの気温よりも格段に冷たい。
「……いつから、そちらに?」
ついでに声も冷たい。先ほど感じた体温から発せられているとは思えない。北の大地のブリザードも、驚くほどの冷たさに、凍傷になりそうだ。
「え、あ、え、っと、5分くらい、前……です」
「祈りを捧げているお嬢様を、見ていたと?とても紳士のなさることとは思えません」
ジータは、ラウロを突き飛ばして、コルネリアを守るように立ちはだかった。
「お嬢様、この不審者になにもされませんでしたか?」
「ええ」
不審者。
仮にも婚約者だし、さっきまでのことは、じゃあ、何だったんだ。
ラウロだけが悪いのか?
「二度と、こちらには来ないでくださいませ。私の私的な空間ですので」
「あ……はい」
コルネリアにきっと睨みつけられると、全部、自分が悪い気がしてくるのだから、すごい。確かに、先ほど不純な気持ちを抱いたのだから、言い訳のしようがない。コルネリアと、ジータはさっさとドゥーモを後にした。今度こそ置いていかれたことに気づいたとき、少し、涙が出そうになった。