金色の髪 青色の瞳
コルネリアは、私室から見える庭を眺めながら、右耳のピアスに触れた。淑女らしくない作法ではあったが、咎める人間は、コルネリアの周囲にいない。青いサファイアのついたシルバーのピアスは、コルネリアが気に入ってよくつけているものだ。いつもとは異なり、身動きのとりやすいワンピースを身に付けた自分が、窓ガラスに映って見える。
「姉上」
ノックの音もせず、扉が開く音がして、コルネリアはゆったりと振り返った。スカートがわずかに広がる。踵の低い靴が、小さく音を鳴らした。
「エジェオ、ノックをせずに淑女の部屋に入るのは、」
「紳士の行いに反する、ですね」
そう言いながら、勝手に入り、勝手にコルネリアの私室のソファに座る。咎めるようにため息をついたが、エジェオになんら響いていないことは知っている。
「あなたが、この家に帰ってくるなんて珍しい」
「最近は、面白いことがありますからね。見逃さないために、たまには帰ってこないと」
足を組んだエジェオは、自分の爪を指でなぞっていた。
「姉上は、刺繍だの、嫁入り衣装だの用意しなくていいんですか?レオノーラは、もう、びっくりするくらい買いこんで、今も部屋でメイドたちと刺繍していましたよ?」
「向こうの家に、全てお任せしていますから、必要ないわ」
「おやおや、取り換えられたご自分の結婚には興味がないと」
エジェオは楽しそうにニヤニヤと笑っている。コルネリアは、睨みつけるにとどめて、近くに控えていたデボラに紅茶をいれてくるように促した。小さく礼をして、デボラが離れていくのを、視界の端で確認する。
「あなたね?デル・コルヴォ伯爵子息に、余計なことを言ったのは」
「はて、何のことだか」
「あの人と仲良くさせようだなんて、余計な真似はしないで頂戴」
「私はただ、姉上に不幸な結婚をしていただきたくないだけですよ」
コルネリアは、どうでもいいという表情のまま、エジェオの向かいの一人掛けソファに座った。
「デル・コルヴォ伯爵子息と私が結婚して、幸せになれるとでも?」
「なるかならないかは姉上次第だとは思いますけどね」
言葉を切ったエジェオは、いつものヘラヘラとした人を苛つかせる笑顔をひっこめた。一瞬だけ真顔になり、そして、小首をかしげながら大層不敵に笑った。その笑顔は、他人の不幸を楽しむ魔王のようだ。
「それよりも、よろしいんですか?そんなあからさまな呼び方で」
「何が言いたいの?」
「気づかれますよ」
ノックの音とともに、デボラが紅茶のワゴンを押して入ってきた。
「デボラ、もういいわ。エジェオは帰るそうよ。私も、出掛けます」
「えー、帰るなんて言ってないのに。それに、今日は、ラウロが訪問するって言ってましたよ」
「だったら?私は、出掛けます」
「どこに」
エジェオの質問に答えるわけもなく、コルネリアは歩き始めた。紅茶を前に顔をしかめているデボラの代わりに、ジータが外套を持って小走りに近寄った。その不作法を咎める表情をしたが、ジータは小さく微笑んだままだ。私室にエジェオを残したまま、歩き出す。ジータは、謝罪の言葉を口にしてから、全力疾走で玄関に向かった。おそらくは、馬車の手配をして、フットマンに外出する旨を伝えるためだろう。
コルネリアは、外套を手に持ったまま、ゆっくり歩きだした。
「あら、お姉さま?」
後ろから声がかけられて、振り返る。今日も誰もが羨む可愛らしさを惜しげもなく見せつける妹が、立っていた。そのイブニングドレスは、足元に行くほど深い青色になっていて、とても美しいものだった。首には大ぶりのサファイアがあしらわれたチョーカーが見える。
「レオノーラ」
「どちらに出かけられるの?」
「孤児院に行ってから教会に」
「また、ですの?お姉さまは、本当に熱心でらっしゃるわ」
あなたは、興味がなさそうね
そう言おうか迷って、やめた。ここで、話し込むのも時間の無駄だ。
「お姉さまは、なにをお祈りされているの?」
レオノーラは、コルネリアに近づいて、その両手を取りまっすぐに見つめてきた。これは、レオノーラの気が済むまで、付き合うことになりそうだ。
「みんなの健康よ」
「それ以外は?」
「幸せを」
「お姉さまの?」
「ええ、私の幸せも」
「お姉さまの幸せってなんですの?」
王子様との結婚?
そのピンク色の愛らしい唇が、そう形作るのが見えて、コルネリアは胸が締め付けられるような重苦しさを感じた。力いっぱい、コルセットを締められた時のような息苦しさだ。
「そうね、幸せな結婚も」
「でも……。じゃあ、他は?」
でもの後に何を言おうとしたのか、言いよどんで止めても分かる。
「孤児院の子どもたちの幸せよ」
「お姉さまは、慈悲深いわ。」
「子どもが好きなの」
小さなころのレオノーラも大層可愛かった。コルネリアの後を付いて回るレオノーラ。コルネリアがいなければ、何もできなかったレオノーラ。コルネリアは、レオノーラを確かに愛していた。そして、今でも、愛している。その形は、わずかばかり変わってしまったけれど。
「お姉さまは、子どもが好きなの?」
「ええ、そうよ」
「どんな子が欲しいの?」
「……健やかであれば、」
「でも、あるでしょ?自分に似ているとか」
「そうね……私は、天使のような子が欲しかったわ」
「教会の絵のような?」
「ええ、そうよ」
「……そうなの。そう、お姉さまは天使のような子が欲しかったのね」
レオノーラは、やっと満足したようで、両手を離し、愛らしく手を振った。
「気を付けてね、お姉さま。お帰りをお待ちしてますわ」
「ええ、行ってくるわ」
オルビア教会は、王都にある小さな教会だった。併設されている、孤児と寡婦のための神の家は、古い建物ではあったが、清潔であたたかだ。オルビア教会には小さなドゥーモがあり、そこには神の教えを伝えるステンドグラスがある。神の導きを伝える天使が複数、描かれていた。どの天使も、その姿は金髪碧眼の男児で、その愛らしさに、誰もが目を細めた。
階段を降りると、息を切らして外套を羽織ったジータの姿があった。馬車はすでに用意されていた。静かに振り返ると、階段の上にレオノーラが立っている。愛らしい表情のまま手を振る妹に、コルネリアは、手を振り返した。