アンティークのウェディング 心のない婚約
コルネリアは、不機嫌を隠すことなく座っていた。客間の向かいのソファには、ラウロが座っている。その背中は、いつもより丸い。ラウロは身長が高い。元婚約者のオズヴァルドに容姿も、スタイルも、権力も、宮廷での地位も負けるラウロが唯一勝てるのが、富と身長だ。その身長をなぜか、気にしているラウロはいつも、姿勢が良くない。それが、コルネリアの前では特にひどくなる。
「何か、ご用で?」
いつもと同じ問いかけをする。ラウロは、わずかに視線をさまよわせて、コルネリアを見た。
「結婚式の準備のことで」
「私、そちらの家に全てお任せするとお手紙に書いたはずですが」
「それは、そうなんだけど、さすがに、ドレスは試着してもらわないと」
コルネリアの視線に耐えかねて、ラウロが目を逸らした。客間はいつものように冷え切っている。夏になっても、コルネリアとラウロの間には、この冷たい空気が流れるだろう。
「お嬢様、それでしたら、私室に参りましょう」
つい最近、結婚の準備をするなら色々手が必要になると、レオノーラが貸してきたレディ・メイドのジータ・マッツェオが声をかけてきた。デボラよりは、ジータの方が、心を込めて仕えてくれるが、コルネリアがそれに応えることはない。レオノーラがいるこの家で、コルネリアが誰かに感情を傾けることは生産性がない。
「いいえ。私室に入れたくないわ」
誰をと言わなくても、分かったのか、ラウロはギュッと手を握りしめた。
「ですが、試着は、ここでは」
「衝立を持ってきて。あなたは、そっちに行ってちょうだい」
あなたという呼びかけに、ラウロは顔を上げた。静かに立ち上がって、部屋の隅に立つ。従僕もそれに従って、隅に立った。
「あと、レオノーラを呼んでちょうだい」
コルネリアは、運び込まれた衝立で部屋を区切り、試着に取り掛かる。曾祖母の代から引き継がれているアンティークのウェディングドレスは、とても大切にされているらしく、非常に状態がいい。質も、正直、今のどのウェディングドレスにも勝る美しい絹で、しかも金糸で縁取られていた。デザインは、最新とは言えないが、シンプルだから古臭くなくて、ロイヤルウェディングで使われてもおかしくない出来だった。
「あら、ラウロ様、ごきげんよう」
「レオノーラ嬢、お久しぶりですね」
「前のように、ノーラとは呼んで下さらないの?」
「あ、いや、オズヴァルドの不興は買いたくないからさ」
「嫉妬して頂きたいから言ったのに、残念だわ」
くすくす笑うレオノーラに、ラウロがどんな表情をしているか見なくたって分かる。2人の気安い会話は想定の範囲内だが、コルネリアは、奥歯を噛みしめる羽目になった。
「お姉さま、よろしくて」
「ええ、入ってきて」
衝立をわずかにずらして、レオノーラが入ってきた。着替えはすでに済んでいるが、長いベールは被らずに飾ってある。
「まあ、とても素敵!」
「そうかしら?」
「胸元だけ詰めれば、完璧だわ」
コルネリアの気にしていることをさらりと悪気なく言ってしまうのが、レオノーラだ。おそらくは、ラウロと従僕にも聞こえただろうが、2人にどう思われようとどうでもいいので、受け流す。
「本当に、素敵だわ。お姉さま、身長も高くて、すらっとされているから、すごく似合うわ。それに、王女様の結婚式のように、気品が溢れている。これ、金糸でしょう?ベールも、すごく、綺麗。ベールは金糸だけじゃなくて、銀糸も使っているのね」
コルネリアは、後ろを確かめるためにくるりと回った。
「羨ましい。お姉さまのウェディングドレス、本当に素敵。似合ってて、羨ましい」
レオノーラがこれだけ羨ましがるということは、真実、自分に似合っているのだろう。コルネリアは、慎重に、言葉を選ぶことにした。
「そうかしら?私は、あなたのウェディングドレスの方が羨ましいわ。私だって、本当は、ベルティーニのメゾンで作りたかったのに。アンティークなんて、言葉はいいけど、古臭いじゃない」
「お嬢様!」
聞こえる、そう、デボラが注意したが、それは形ばかりのものだ。ラウロに聞こえることを分かっていて、レオノーラに不仲を分からせるために、コルネリアは言葉を選んだのだ。とたんに、レオノーラは微笑んだ。
「お姉さまにこのドレスはすごく似合っているわ。そんな贅沢を言っては、ラウロ様に申し訳ないわ」
アンティークのウェディングドレスへの執着心は、一瞬で消えたらしい。コルネリアは、自分が、選んだ言葉が間違っていないことを理解した。
「もういいでしょ。着替えるわ。デボラ、手伝ってちょうだい。レオノーラ、見立ててくれて、ありがとう」
「いいえ、お姉さま。綺麗なお姉さまの姿が見られて、私、幸せだもの」
レオノーラは、また、わずかに衝立を開けて出ていく。
「ラウロ様、お姉さまのウェディングドレス姿、とってもお綺麗だから、楽しみにしていてくださいね」
「……ああ、そうですね。協力してくれて、ありがとう」
「いいえ、お義兄さま」
「あ……はい」
「お義兄さまと、呼んではダメだった?」
「いや、レオノーラ嬢にそう呼ばれるのは、なんだか、慣れないなと思っただけで。今度からは、そう呼んでください」
「こんな素敵なお義兄さまが出来て、私は幸せ者ですわね」
レオノーラがふふふと笑う声がする。ラウロが戸惑いながらも、微笑む姿が想像出来て、コルネリアは、冷たい雰囲気を強くした。デボラは、それを見て、目を細めている。
ラウロと夫婦になるはずだったレオノーラが、その地位をあっさり捨てて、オズヴァルドに乗り換えたくせに、今度は、お義兄さまなどと呼んで、惑わせるんだから、たちが悪い。レオノーラにとっては、悪気なく、義理の妹として、友好に会話しているに過ぎないが、きっとラウロにとってはそうではない。未練のある婚約者にそう呼ばれたら、おそらくは、気が狂いそうになるほど嫉妬するか、お義兄さまと呼ばれる新たな道に目覚めるかのどちらかだ。
これだから、男は
コルネリアは、デボラにコルセットを締められて、わずかに息を吐き出した。ドレスを着なおすと、いつものようにおざなりにラウロに挨拶する。レオノーラにお義兄さまと呼ばれて顔を赤くしているラウロに、一層冷たい視線を向けて、私室に戻った。