前編
ガランドは数多くの標高の高い山々に囲まれた険しい環境の国だ。しかも民族も多様に分かれており、何時の時代も血で血を洗う残酷な争いが絶えないでいる。
そんなただでさえいつ破綻してもおかしくない不安定な国が、さらにとんでもない災厄に見舞われようとしているのだから、世の中が常に残酷であることを改めて思い知らされる。
それは、ドラゴンによる殺戮だ。
事の発端は山に囲まれたガランドの中でも、比較的標高の高いガーディス山にて起こった。この山のふもとにはかつて繁栄を誇っていた古代都市の史跡があるのだが、その付近を通る旅人や行商人から相次いでドラゴンの目撃情報が確認されたのだ。
当初はただ話題を集めるだけの噂話に過ぎないとして国は対応を渋っていた。しかしある日、傭兵を雇った大規模な行商人の一行が無惨に惨殺された事件が起こると、国中はドラゴンによる殺戮がついに始まったと大混乱に陥った。
特に問題のガーディス山の付近の町には終末論者が現れる始末で、どうにか真相を突き止めない限りはこの混乱は収まらないようだった。そしてついに、国は万が一死なれても構わない都合の良い人間を集め、現地調査に送り込む事になったのである。
悪路を行く馬車はガタガタと揺れながらひたすら山道を登っている。
僕はそんな馬車の引っ張る荷台に乗っていた。この狭い荷台の中には数多くの武器装備と僕を含めた四人の訳ありの戦士が詰め込まれていた。
「にしても、金になる仕事だと言われて飛び付いたが、ドラゴン討伐とはなぁ!」
僕の向かいの席に座る大柄の男は酒で焼けたようなガラガラ声でそうぼやいた。
「どうせ噂につけこんで暴走した野党か山賊の仕業に過ぎないでしょうよ。さっさと片付けましょう」
僕の隣に座る眼鏡をかけた紳士風の男はそう言いながら済ました顔で自前であろう剣を磨きながら座っている。
「あんたらぁ、随分気を抜いてるようだが、死ぬような目に遭おうがお構いなしの危険な仕事だって分かってんのか?」
大柄な男の隣に座る小柄の胡散臭そうなおっさんはドスの効いた低い声でそう言った。
その一言で荷台の中は重苦しい空気で包まれる。今回きりとはいえ、これからはお互いの命をあずけ合う仕事仲間だ。場の空気が乱れるのはまずいと思い、僕は思わず口を開いた。
「えっと…とりあえず、僕たちはまだお互いをよく知りませんし、まずは自己紹介から始めませんか?」
シーン。そんなものは必要ないと言わんばかりの冷たい空気が漂ったが、僕は構わず続けた。
「ま、まずは僕から。僕の名前はロイド・キャルベン。ここからは遠い少数民族の町で衛兵をやってました。かくいう僕もその少数民族の一人なんですけど……」
「知ってますよ。あなた、ウェル族の方ですよね?」
全員の目線が僕に突き刺さる。どうやら、皆さんよくご存知の様子だ。
「俺ぁ知ってるぜ。最近独立運動で国と揉めてる奴等だろ? 成る程、通りでこんな危険な仕事に就かされてる訳だ」
「ガハハ!! つまりお前は国からしたら死んでもらって上等の使い捨て要員ってこったなぁ!」
小柄なおっさんと大柄な男は嘲笑するような口調で僕を責め立てる。
ああ、まただ。こんな扱いには正直もう慣れてはいるが、腹立たしい思いが僕を煮えたぎらせる。
「都合の良い使い捨て要員なら私たちも同じはずですよ。私の名前はレイ・クロスフィード。悪名高い傭兵団の参謀をやっていました。本来は傭兵団ごと刑務所にぶちこまれる予定でしたが、自由を条件にこの案件を引き受けました」
思わぬところから助け船だ。眼鏡の知的なこの男はレイというらしい。他の二人も何だかんだでレイにつられるように自己紹介を始めた。
「しゃあねぇなぁ! おう、俺の名前はボルド・ガバーノだ。元々国で兵隊やってたんだが、ちと色々あってな。今回は金になるってんで話に乗ったわけよ」
大男はボルドと言うらしい。ボルドがしゃべる度に向かいの僕は彼の酒臭さに苦しんだ。
「俺ぁ、サルジ・リットだ。隣の国から亡命したんだが、スパイ疑惑だのなんだのでこのザマさ。そこのレイさんと同じで自由を引き換えにこの狭苦しい荷台に乗せられてるってわけだ」
最後の小柄なおっさん、サルジが自己紹介を終えると再び荷台は誰も喋らなくなってしまった。僕は不安感を覚えながら荷台の小さな窓から外を眺める。もうそろそろふもとに着きそうだ。目的地はすぐそこだろう。
そうこうしていると、いよいよ僕たちは古代都市の史跡の入り口に辿り着いた。
今回の僕たちの任務は、ドラゴンの真相解明と願わくば問題解決そのものだ。与えられた調査の期間は一週間で、その一週間の間この廃墟と化している史跡の近くでキャンプを張り、調査を続けることになる。
「さて、積み荷を降ろしましょう。一週間分の食料と各自の武器装備を、私達の生命線そのものですから」
僕たちは急がしく荷降ろしの作業に取り掛かる。四人の人手があるとはいえ荷物の総量は中々のもので、早くも僕は汗ばみながらせっせと作業を進めた。
「おい、さっさと終わらせろ。人殺しドラゴンのいる山に長居するのはごめんだよ」
ここまで馬車で僕たちを運んでくれた御者は苛立ちながら僕たちが作業を終えるのを待っていた。随分と無愛想なやつだと僕は心の中で愚痴を溢した。
ようやく荷物が片付くや否や、御者は勢いよく馬車を方向転換させ山を降りだした。
「一週間後また来る。ま、せいぜい死なないように頑張りな」
それだけ吐き捨てると、馬車はみるみる視界から遠ざかって行く。こうして僕達四人はこの山に取り残された。大自然に囲まれているはずなのに、まるで密室に閉じ込められたかのような閉塞感を僕は味わった。
「武器の管理は各々が行ってください。食料の管理は私が責任を持って行いますので」
レイは淡々とした口調でそう言うと食料の仕分けを始めだした。
「おい待てよ。なんでお前がそんな偉そうに仕切ってんだ? ああ?」
ボルドはでかい声でレイに詰め寄る。その気迫に僕は思わず唾を呑んだが、レイはあくまで冷静な様子だ。
「あなた方のような明らかに不摂生な生活をしている人に大事な食料は任せられませんよ。ここは私が一番適任でしょう」
「おうおう…… てめぇ、この野郎!」
まずい! 僕はとっさに二人の間に入った。
「よ、よしましょうよ! 僕達は仲間なんですから、ね!」
代わりに殴られると思い僕はビクビクしていたが、そんな僕の様子に同情したのかボルドは殴りかかろうとした手を引っ込めた。
「チッ… いいか、少しでも何かギろうと企みやがったらドラゴンのせいにしてお前をぶっ殺すからな!」
なんてベタな脅迫だろう。ともかく、何とかトラブルは回避できたようで僕は胸を撫で下ろした。
「ありがとうございます、ロイドさん。あなたはまだまともな人のようで、色々と助かりますよ」
レイは僕にそっとそう言うと少しだけ優しく微笑んだ。僕はそれが嬉しくなって思わず笑みを溢した。
「い、いえいえ! さっきも言いましたけど、僕達は命をあずけ合う仲間ですから!」
「…ふふ、そうですね。あなたの言う通りだと思います」
結局初日は荷物の整理とキャンプの設営だけで大半の時間を費やしてしまった。日が傾き始めると山の気温は大きく下がり始める。暖をとるため僕らは乾いた木々を集め焚き火を灯した。幸いここガーディス山の一帯は乾燥が著しいので、レイが持参していた磨ぎ石と他の石を用いてすぐに火種を作りそのまま炎を灯すことに成功した。
「明日は二人一組のチームを組んで史跡を探索しましょう。ドラゴンなんていないと思いますが山賊ぐらいは出てもおかしくないので、単独行動はくれぐれも厳禁でお願いしますよ」
「あいあい、分かりましたよリーダー様」
ボルドは相変わらず不満そうだがとりあえずは同意しているようだ。サルジはというと、ここに来てから妙に無口で今もボーッとキャンプの火を見つめている。大丈夫だろうか。
「おい、酒もあるんだろ? どこにある? 一杯ぐらい飲ませろよ」
ボルドはやけにソワソワした口調でレイに問いただした。馬車で感じた口臭から察したが、やはりこのボルドという男は大の酒好きのようだ。
「やれやれ…… アルコール類は向こうに並べた樽の右から三番目と四番目に入ってます。飲みすぎて仕事にならない、なんて悪い冗談はやめてくださいよ」
レイの忠告に対して返事もせずにボルドは一目散に酒樽に向かっていった。これは先が思いやられそうだ。
こうして初日はあっという間に終わってしまった。危険が増す夜中は、数時間毎に一人ずつ交代しながらキャンプの外を見張ることになった。おかげでまともな睡眠はとれそうにないが、衛兵時代にこのような警備は嫌というほど経験しているので僕は特別気にはならなかった。
次の日は前日のレイの提案通り二人一組に別れて史跡を探索することになった。といっても、命綱の食料や装備を山に潜む誰かに盗まれてはかなわないので、片方のチームはキャンプ地の警備にあたるようにし、夜間と同様に交代しながら探索を行う事になった。探索の効率は落ちるが一番安全な作戦であることは間違いない。
サルジが何故か自前のトランプを持参していたので、それで簡易なくじを作りチーム分けを行った。その結果僕はサルジと組む事になった。前日のこともありボルドとレイを二人だけにするのは不安だったが、くじの結果に口を出すのも変だと思い僕は受け入れることにした。
かつて繁栄を極めた古代都市の史跡なだけあり、想像よりも規模は大きくかつての建物や道路の保存状態も良好だった。しかし、それにより周りの見通しは悪く道も入り組んでおり、探索は思ったよりも進みが悪くなりそうだった。
僕はこの史跡を初めて訪れたのだが、探索していると何故だか懐かしいような不思議な気持ちが沸き上がってきた。たいそうな史跡に心のどこかで感動しているのだろうか。
「なぁ、ロイドの兄ちゃん。どうも臭いとは思わないか?」
昨日から殆ど黙っていたサルジが突然そう僕に話しかけてきた。
「え!? ぼ、僕そんなに体臭いますかね…?」
「バカ、その臭いの話じゃねぇよ。どうも今回のヤマ、俺ぁ何か変だと感じるんだよ」
ストレートにバカと言われ僕はカチンときたが、怒ってもしょうがないのでサルジの話の続きを聞くことにする。
「変ってどういうことですか?」
「まず、第一に静かすぎる。こんな立派な史跡で建物も残っている。野性動物や訳ありの人間が住み着いていてもおかしくないのに、俺達以外の生き物の気配すら感じられねぇ」
「第二に、傭兵を雇った商隊が全滅してる危険な現場に俺達四人だけ送り込むのがそもそも妙だ。本当にこの問題を国を挙げて解決したいならもっとしっかりとした部隊を送るのが普通だろうに。はなから問題の解決なんて目的にしていないようにしか思えん」
僕は驚いた。このサルジという男、昨日まではどこか陰鬱な人のような印象しか受けなかったが、本当はかなり抜け目のない男だったようだ。
「じゃ、じゃあこの任務の本当の目的って何なんですか…?」
「さぁな、さすがに俺もそこまでは分からん。だがな、ロイドの兄ちゃん。十分気を付けることだ。大体こういう怪しいヤマには裏がある。ドラゴンなんかより恐ろしい何かが潜んでる可能性が高いと俺ぁ思うね」
僕は何だか恐ろしくなり思わず身震いし辺りを見渡した。そんな僕の弱気な様子を見てサルジは溜め息をつき、さっさと先へ進みだした。置いてかれてはたまらないので、僕は慌ててその後を追うのだった。