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そしてもう一人。
これまでの3人とも、他の教師にチクチクと嫌味を言われる要因となるなど、不幸にも彼らを受け持ってしまった至極平凡な一教師としては迷惑極まりない存在なのだが、こいつこそが、自分にとっては最上級に厄介な存在だ。
こいつのおかげで何度こうやって、個性豊かな羽高教員の中でも特に胸糞悪い人物が陣取っているエリア――入りたくも無い保健室までの往復を強要されたかしれない。
「入るぞー」
引き戸を開けると、こちらを振り返った保健室のアフロ……もとい、忍木戸教諭、ピンク色のルージュを薄く引いた口元で人差し指を立てた。
真っ黒な縮毛で出来た巨大なアフロ頭。黒人のそれとはいかないまでも日に焼けた浅黒い肌。190センチはあるという巨体が白衣を着て、やけに小さく見える背凭れ椅子に窮屈そうに腰掛けている。
女らしい仕種に眉根を寄せつつ、保健室の奥――締め切られた乳白色のカーテンまで歩み寄る。一気に引くと、黒髪の男子生徒がなんとも幸せそうな面で熟睡していた。
盛大に溜息をついてから、一応、様子を覗き込んでみる。身を屈めた拍子に、後ろで一つに結んでいた自身の髪が肩からさらりと流れ落ちた。
相田純平。
極めて平均的な容姿と成績のコイツが、何故名物生徒と称されてしまっているのか。
『不幸の申し子』と称されているこの男子生徒は、天沢萌とは反対に不幸の星の元に生まれてきてしまったらしい。
例を挙げると、コイツの頭上には何故かほぼ毎日、何かが降ってくる。
球ならまだかわいいもの。例えば、校内に飾られた絵画、例えば教室に掛けられている時計、たとえば図書室の本棚、グラウンドのゴールポスト、美術室の石膏胸像……今日なんかは、人体骨格模型に押し倒されたらしい。
「……おい。こいつ、爆睡してないか?」
「そうみたいねぇ」
私に構わず、忍木戸アフロは机に戻って何か書き物をしている。
「身の丈160センチで十数キロある骸骨と熱い抱擁をかまして卒倒した、と聞いたが……どこも怪我して無いってのか?」
「怪我らしい怪我といえば……後頭部に出来てるたんこぶね」
「たんこぶだと?」
「ええ。そう。大方、倒れた拍子にどこかにぶつけたのね」
「それぐらいの怪我なら日常茶飯事じゃないか。いちいち私に連絡寄こさなくてもいいだろう」
「と、可愛い生徒の心配一つロクに出来ない教師の出来損ないのあんたでも一応担任だからねぇ……」
「あのな。こいつの心配なんぞしてたらそれこそこっちの身が持たん。入学してから――いや、今月に入って何度コイツがここに抱えられてきたと思ってるんだ?」
「……それに、たかがたんこぶ、されどたんこぶ。頭の怪我は怖いから、養護教諭としては一応、病院に連れて行ってほしいのよ」
「またか。っていうか、何度も言ってるが、子供じゃないんだ。幾ら保護者と連絡がとれんからって、病院くらい一人で行けるだろ」
ギッと錆付いた音を立て、椅子を僅かに回転させた忍木戸アフロは、自分を見て意味ありげに笑む。
「あら。子供よ。まだ未成年だもの。それに子供じゃなかったら……こんなに無防備な健康優良男、放っておかないわよ。あ、た、し」
「…………………………おい。相田。いい加減起きろ。もう十分すぎる程知ってるとは思うが、ここは魔の巣窟だぞ」
一度視界に入れるだけで問答無用で相手を総毛立たせ戦意喪失させると言われる羽高の養護教諭、忍木戸祝人――通称、妖怪オカマアフロの放った強烈な一撃に全力で背を向けて寝こけている生徒の身体を揺する。
「…………んぁ……、ってあれ、……ミキティ?」
「ふざけた名で呼ぶな」
極稀に発動する貴重な善意を仇で返す可愛げ無い生徒に、神の鉄槌を下してから睨みつけてやった。
「いってぇ……っ なんなんだよいきなり……」
「その様子じゃやはり大丈夫そうだな。おまえ。午後の授業はいいから、病院行って来い」
「は? 病院? ……つうか俺、どうしたんだっけ……」
拳固で殴られた箇所をさすりつつ半目のまま身を起こす相田。どうも混乱して状況を把握できないでいる様子。
そりゃあ、まぁ、仕方ないだろう。なにせ骸骨の求愛だなんて強烈なものを全身で受け止めたのだからな。
しかしこれじゃあ身を挺して想いをぶつけた骸骨も浮かばれないだろう。説明してやろうと口を開きかけた所で、保健室の引き戸がガラっと開いた。
「忍木戸先生、相田純平の様子を看に来たんですが」
低いがよく通る声が室内に響いて、長身の人物が顔を出した。色素の薄い髪と肌、赤茶けた瞳の見目麗しい男子生徒――途端に保健室のアフロの小さな眼がキラキラと光輝く。
「あらぁ! 飯沼君〜!」
手にしていた書類を宙に放り出すと忍木戸アフロは男子生徒にくねくねと駆け寄って、うら若き乙女のように両手を胸の前で組んだ。
「どうも。先生、今日もお元気そうですね」
すでに慣れてしまったのか、巨体をくねらせる忍木戸アフロに臆すことなく笑顔を返す飯沼修二。と、突如忍木戸アフロが鼻血を吹き出し、回転しながらその場に崩れ落ちた。
「……今日も最っ高……っ」
悶絶し――最期に恍惚とした表情で呟いて、彼女……いや、彼は動かなくなった。
心配して助け起こそうとする飯沼修二を、「いいからいいから」と手をぱたぱたやって制止する。近づいて、踏みつけた主の代わりに訪問客を迎え入れてやった。
「あれ? 美樹本先生。早かったですね」
「まぁな。例によって例の如く足元の変態アフロが一大事だと連絡寄こしてきやがった。で。そっちは? まだ授業中だろ」
「あぁ。純……相田君が心配だったので、抜けさせてもらいました」
我がクラスを受け持っている生物の担当教師は…………女だったな。堕ちたか。
飯沼の苦笑に内心舌打ちした。
忍木戸アフロの反応は行き過ぎているが、他の女教師だって自分の目から見れば似たようなものだ。
生徒だけでは決して無い。その脅威に曝されているのは大人達だって例外ではなかった。始末が悪い事に飯沼修二は女教師キラーでもある。兄妹揃ってこいつらは教員の癌であった。
「純、生きてるか」
飯沼修二は自分を横切ると、開いたままだったカーテンの向こうを覗き込んだ。
「…………修二……。つか、俺…………どうした?」
「覚えていないのか。いや、実に羨ましい限りだ。なにせ俺はまだショックから立ち直れないんだからな。まさか骸骨まで俺のライバルだったとは思わなかった」
「…………あー……。なんとなく……」
思い出してきた、と、盛大な溜息と、ベットの軋む音が聞こえてきた。
程なく、頭を抑えた相田純平が無遠慮にカーテンを開けて出てくる。
「飯沼。ついでだ。相田を病院まで連れてけ」
途端に至極不満そうな顔になる相田純平の後ろから、爽やかな笑みを浮かべて飯沼修二が歩いてきた。
「いいですよ。というか、なにしろ僕も彼を説得しようと思ってここに来た訳ですから」
成る程。「心配」とは、相田が受診を拒むことを懸念しての事だったようだ。
「毎回毎回大袈裟なんだよ……病院って。見て判るだろ? 俺はこの通りピンピンしてるっての」
「見た目はな。残念ながら病院って所は、目に見えない箇所の異常を発見してもらう所でもある。という訳で、純。おまえの意見は通らないよ。嫌がってるのを連行して憎まれるのは辛い所だが、それ以上におまえが心配でな」
「嘘付け。おまえその面、絶対面白がってるだろ」
「そんなことはない。楽しんでいるだけさ」
「ほらみろおまえやっぱり…………って離せ! 引っ張るな! 俺は大丈夫だっつってんだろっ 聞いてんのかこら! 修二!」
飯沼は相田の腕を掴むと強引にずるずるずると引っ張っていく。長身の飯沼に対し、体格で負けている相田は成すがままだ。
そうして保健室の引き戸を開けると、相田を廊下に押し出してから、くるりと体ごと自分に振り返った。
「では、美樹本先生。僕は相田君を送ったら戻りますので。後はよろしくお願いします」
にこりと笑んで、戸を閉める。
しばらくの間、廊下から相田の抵抗の声……いや、叫びが木霊していたが、それも次第に小さくなっていった。




