おしえて。
光の速度に達すると、時間の流れは止まるらしい。
♢♢♢
先日、婚約破棄というものがあった。
まぁ私はモブだから、端からぼうっと見ていただけだが。
社交界では、公爵令嬢様は王太子様と仲の良い男爵令嬢様に嫉妬して、男爵令嬢様を殺そうと企てたのだと囁かれてる。
けれど不思議なことに、公爵令嬢様と王太子様の仲は、あまり良好では無かった。それどころか、会うたびに空気が凍るほどだったとか。
………人というのは、何故、よくも知った風な噂をできるのだろうか。
さも、自分は全てを知るかのようなしたり顔で。
私は、私だったら、真実の全てを知りたい。
あらましを、成り行きを、全て知りたい。
そして知った上で……知識として蓄えたい。
♢♢♢
思ったとおり。公爵令嬢様の牢には、ロクな人員配置してない。
どうせもう、処刑されるだけだから?
もうみんな、この方のことなんて、忘れてるから?
「誰ですの?」
骨の奥にまで教育が染み渡っている公爵令嬢様は、私などの気配を察するなど造作もないらしい。
「……あなたは」
「辺境の、小さな伯爵家の者です」
「……そう。ふっ、わたくしを笑いにいらっしゃったのかしら?」
以前と変わらない強気な笑顔の裏に、疲れが見える。
彼女もまだ、年若い令嬢。無理もない。
「何故殺人を、企てたのです?」
「………そんなこと、あなた方が一番良くご存知でしょう。わたくしは、あの男爵令嬢に、悋気したのです」
そんなわけがない。あの細やかな計画。
矛盾ばかりが生じるじゃないか。
あれは、理性を棄てた動物ごときが、できることじゃない。
「私は、あなた様の無実を、信じております」
「賢くないですわね。あなたにわたくしの心など、分かるものですか」
「…………」
「普通の貴族家に生まれて、慈しみ優しく育てられて。わたくしからすれば、あなたたちこそ邪気のない、可憐な姫のように感じるわ」
かつての王族の次に裕福な、気高い公爵家の姫の言葉だった。
……そうだよ、わからない。
所詮私は、凡庸なモブだ。モブでしかない。
いかに世間を外れようとも、思考や行動は極めて陳腐。
垢抜けないつまらないことしかできない。
だからこそ私は、知りたかった。
肯ることは出来なくても、せめて知識として、知りたかった。
あなたを。その狂気を。奇行を。果てに、あるものを。
「……私がナイフを渡したら、あなたはそれを、どうしますか」
「馬鹿なのではないの。そんな危ないもの、どうもしませんわ」
自害も許されないのか。
彼女の掟は、あまりにも厳しい。
非合理的だとさえ思う。
この先の、惨たらしい拷問。吐き気を催すような最後。これを知ってさえ、プライドを通すのか。
いっそ哀しいほど、私には理解できない。
「何か望みは、ございますが」
「無いわ。下級貴族の施しなど、誰が受けるものですか。出ていきなさい」
薄ら笑う彼女は、きっと食事さえまともに食べてない。
「………畏まりました。お元気で」
「ふん。おまえもね」
♢♢♢
『普通の貴族家に生まれて、慈しみ優しく育てられて。わたくしからすれば、あなたたちこそ邪気のない、可憐な姫のように感じるわ』
耳にこびりついたこの言葉は、私を羨んでいるようにさえ聞こえた。
私は、自分が幸福で幸運な立場なのだと、知識を持って知ってる。
優しい父。母。兄もいる。家は大きくはないけど、幸せを感じるのには十分。使用人も領民も友人も、関わる人はみな良い人。
何か不満足があるわけでもなく、不幸せだなんてとんでもない。
でもこれは、私が手に入れた訳じゃない。望んだ訳じゃない。
幸運には感謝している。あの人達に、出会えたことも。
しかし、時々思う。
私はもっと、もがくように生きたかった。
努力して努力して、鮪のように泳ぎ続けて、止まったらそれが死になるような、そんな場所で生きたかった。
こんな、自殺する理由もない場所に、誰が望んで生まれるか。
私はそれが、それだけが知りたい。
まったく、人間の欲望というのは尽きないものだ。
私の目下の夢は、泳いで、時間のない世界へ辿り着くことだ。