宇宙のどこか
何か金属のぶつかり合うような音がしたと思ったら、体が宙に浮いていた。
「うわっ?」
慌ててもがくが、ふわふわと浮いていて手足が届く範囲には何もない。
どうして浮いてるんだ。まさか、無重力? ここは宇宙なのか?
周囲の景色もよくわからない、たぶん倉庫か何かだと思うけれど。
倉庫と言っても、壁はトタン板とかコンクリートではなく、平らな鉄板か何かで作られている。まるでSFの世界だ。
そんな倉庫の中を、瓦礫か何かと一緒にぐるぐる回っている。
ぐるぐるぐるぐる。あ、なんか気持ち悪くなってきた。誰か降ろして……
何か不可視の力に引っ張られて、床に叩きつけられた。同時に重力が戻ってくる。痛かったけれど、気持ち悪さは吹き飛んだ。
しかし、ここはどこなんだろう。
「うぇあじうゆかむろむ?」
「えっ?」
話しかけられた。しかし何語なのかもわからない。
顔を上げると、青い瞳が、心配そうにこちらを見おろしていた。
俺の前にメイド服を着た少女が立っていた。たぶん年齢は十五歳かもう少し上ぐらい。足首まで隠れるぐらいスカートの長いメイド服とか、最近だと滅多に見ない。俺を観察するように首をあっちにこっちに動かすたびに、さらさらと長い髪が揺れる。
倒れたままなのもよくない気がして、慌てて起き上がった。
「は、初めまして」
緊張しながらも挨拶する。すると、少女の色の薄い唇が言葉を紡ぐ。
「どんちゅすぃくせむあんげじ?」
「わ、わからないよ?」
コミュニケーションが取れそうな気がしない。
これはマズイぞ、本当に聞いた事もない言語だ。それにメイド服もコスプレとかではないようだ。
まさかとは思うが、ここは異世界なのか? 異世界転移なのか?
一応、試してみるか。
「ステータス、オープン!」
叫んでみるが、何も起こらない。
「スキルリスト! メニュー画面! チートモード! インスペクト、エンタイア、コマンドリスト!」
いろいろ試してみたけどダメだった。
異世界転生なのに翻訳系スキルも取得できないなんて、完全に積んでいる。
「ぢゅうゆぅるずゆあこんさせす?」
「……」
何を言っているのかわからないけど、バカにされたような気がする。いや、傍から見たらおかしい人に見えるかも知れないけど、こっちも必死だよ。
メイド少女は部屋の隅の棚から、何か太めのボールペンのような物を持ってきた。俺の腕を取り、先端を押し当てる。
バシュッ、と圧縮空気のような音がした。
もしかして注射、ジェット・インジェクターの類だろうか?
何かの毒じゃないかと不安になったけど、そんなことはなかった。むしろ妙に頭がすっきりしてくる。
少女は、正面から俺を見据えて、改めて問うてくる。
「言語をインストールしました。これで言葉が通じますか」
「あ、ああ。ちゃんとスキルもあったんだ?」
「……本当に通じていますか?」
「通じてる。大丈夫、たぶん……」
自信はなかったが、そう答えるしかない。
「それはでは、ついて来てください」
「あの、ここはどこなの?」
「申し訳ありませんが、調査が終わるまで余計な知識は与えないことになっています」
「調査?」
少女の後をついて歩いていき、倉庫のような部屋をでる。そこから続くのは妙な感じの廊下。長い廊下をうろうろと歩かされて、ようやくどこかの部屋にたどり着いた。
部屋の中央に椅子があって、そこに座るように命じられた。座り心地は悪くないが、なんか歯医者の椅子に似ているのが気になる。
両手をひじ掛けに乗せる。ちょうど手の位置に、何かのボタンがあった。
「これから、映像を見せます。知っていると思ったら右手側のボタンを、知らないと思ったら左手側のボタンを押してください」
「え? これって何かのテスト? やらなきゃダメ」
「始めます」
正面の壁に映像が映し出される。
太陽とその周りをまわる惑星、だと思う。右のボタンを押す。
鳥、たぶんカモメが映し出された。これも知ってる。
タイプライターのような物。これは、知ってると答えていいのか。まあ右でいいか。
クラゲのような生き物が触手でタイプライターを叩いている。何かのSF映画だろうか? これは知らない。
いくつもの動物や昆虫。半分ぐらいは見覚えがある。
人の顔。これはほとんど知らない。
機械のような物。宇宙戦艦みたいな画像が何枚も出てくる。全部知らない……あ、いや、ミレニアムファルコンは知ってる。あと縦長のロケットが出てきたから知ってるって答えたけど、大丈夫だろうか? 本当はH2とサターン5型以外は知らないも同然なんだけど。
いくつもの建築物。ピラミッド、自由の女神、エッフェル塔、五重の塔、国連総本部……大体は知っている。時々、知らない建物の映像が出る。
そして国旗。日本とかアメリカとかはまだいい。フランスはちょっと自信がない。色の順番は青白赤で有ってるよな? 右のボタン押したけど、ひっかけ問題だったら嫌だぞ。
200枚ぐらいの写真を見たかと思う頃、テストが終わった。
「これ、なんだったの?」
「あなたの出身を調査しました。あなたの出身は23世紀のソルです。間違いありませんね」
「いや、21世紀だけど?」
妙な沈黙が流れる。メイド少女は目を逸らした。
「……誤差の範囲です」
「えっ、ちょっと待って? 今はいつなの?」
もしかして、23世紀よりも先の時代なのか。
200年を誤差と言い切るのだから、1000年とか2000年ぐらい先なのかもしれない。
というか、異世界じゃなかったんだな。
「今のは、知能や知識の範囲を確認しただけです。テストはここからが本番です」
「うん?」
「ソルの座標はわかりますか?」
真剣な口調で問われた。
座標? 座標とか言われてもな。天文学者でもなければ答えられないだろう。
「さっきから、ソルって言ってるけど、それは地球がある太陽系の事を言ってるんだよね?」
「そうですが」
「座標とか言われても……えーと、オリオン腕?」
「ここもオリオン腕です、たぶん」
「たぶん?」
まずいぞ、これは。
少なくともここは、地球ではない。ましでや太陽系でもない。銀河系を飛び出してはいないようだが、確信をもってそうと言い切れない状態にあるらしい。
本当にどこなんだ、ここは。というか、いつなんだ?
「あのさ……今って、西暦何年なの?」
「星歴8500年です」
は? 星歴? 何それ?
「その星歴? それって西暦に換算すると?」
「星歴元年が26世紀ごろに相当するという説が主流です」
「説? 主流?」
もう時間が経ち過ぎて、それすらはっきりと言い切れないようだ。西暦でカウントし続けてくれればよかったのに。
だとすると、ここは元の時代から9000年後、という事になる。
「じゃあ、ここは、どこなんだ?」
「ここは……」
メイド少女は答えを言おうとし、それから誰かに呼び掛けられたように背を正した。
「ごめんなさい。まだ言ってはいけないようです」
「うん?」
まるで誰かから指示を受けたようだ。通信機は見当たらないけど、翻訳装置を注射器で入れるような世界だし、無線も体内かもしれない。
「最終確認に移ります。あなたは、肉眼で星を見た事はありますか?」
「まあ、多少はあるけど……」
「ソルの座標を確認するため、あなたの記憶の中の星空を読み取ります。そして現実の恒星の位置と照らし合わせて、大まかな位置を推測します」
「わかった」
「では、少し目を閉じていてください」
俺は目を閉じる。何か規則的な電子音が聞こえる。
しかし、星空ねぇ? 星とかちゃんと見たことあったかな……などと思っていたら、花火の日とか、スーパームーンとか、そういう断片的な情報が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。
これ、全部、9000年前の出来事なのか。本当に? 時間が経ちすぎているし場所もどこかわからないし、本当にもう帰れないの?
「終わりました。目を開けていいですよ」
メイド少女に声をかけられて、目を開ける。
なぜかハンカチを差し出された。
「え?」
「泣いていますよ」
「あ、あれ?」
ハンカチを受け取って目じりを拭く。そんな俺に向かってメイド少女は丁寧に一礼する。
「ご協力ありがとうございました。これで全ての情報収集が終わりました」
「うん」
「お嬢様の許可が出たので、お教えします。この場所は……」
「うん」
「ここは、メルモーザ星系、元祖大英博物館です」
「メルモーザ? 大英博物館?」
だから、どこ? そんな事言われても、わからないよ?
っていうか、地球がどこにあるのかも知らない人たちが、大英博物館とか名乗っていいの? 訴えられたりしない?
突っ込むタイミングが遅いような気もするけど、一応言っておく
しっかりしろよ、英語だぞ