表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
零課   作者: 大島集
壱話 始
5/7

壱話 四章~十年の決着~


 紅牙がまだ、真理亜を悲しませることとなるより前の午前八時半。


 星羅は自宅で風花と一緒に、朝食をとり終えて、出勤しようとしていたが、風花がそれを止めた。



「ねぇ、お姉ちゃん。昨日は敢えて訊かなかったけど、どうかしたの?せっかく夕食にカレーを作ったのに、いつもの笑顔で食べてくれなかったし。話し掛けても上の空だし……らしくないというか、変だよ?」



「うん……昨日、いろいろあってね……一睡したおかげで大分落ち着いたけどね」



 ――昨日あった事を、言っておいた方がいいのかもしれないけど……信じないだろうし。それに、お昼もカレー食べちゃったってのもあるけど。


 言葉を濁されたことで、これ以上聞かない方がいいと思った風花は、席を立ち食器洗いをしながら、話題を変えた。



「そういえば、私もいろいろあったよ……変わってるけど友達も二人できたし、部活にも誘われて。その部活っていうのが、超常現象を調査する部活で」



 ――姉妹揃って似た様なことを……どうせ私に気を遣って、断ったんだろうけど。



「風花は部活とかやらないの?今の仕事は、基本的に五時で終わりらしいから、やりたいことやっていいんだよ?」



「本当?だったら、永久さん達のために一肌脱いで、部員になろうかな」



 皿を洗う手を一度止め、嬉しそうに笑顔を浮かべて星羅の方へ振り向いた。


 妹の笑顔を見て、思い詰めていた星羅の心に多少の余裕が生まれた。


 だがそれは、ほんの一瞬だけ。


 幼い頃に『幽霊が見える』と言い、散々な目にあった風花が、霊に通ずるオカルトに興味を持つことが考えられなかったからだ。



「……変なこと訊くようだけど……まだ幽霊が見えてるとか言わないよね?」



「へ?……いや……それは……そんなわけないよ」



 星羅が唯一思いついた可能性を問いかけると、今度は風花が言葉を濁らせ、歯切れが悪くなった。


 いつもの星羅なら訊かないような質問をされ、風花は動揺していた。


 風花も星羅が幽霊を見えているのを知らないために、急いで次ぐ言葉に『見えない』と嘘を言おうとしたが、それを妨げるように家のベルが鳴る。


 ピンポーン。



「あ、お姉ちゃん。誰か来たみたい。手が離せないから、お姉ちゃんが出て」



「……うん」



 話が打ち切られ風花は安堵し、反対に風花のおかしな様子に星羅は疑いの目を向けている。


 しかし客を待たせるわけにもいかず、追及を諦め、言われた通りインターホンに出た。


 インターホンを点け、表示された玄関先の映像には、何故かソワソワし落ち着きのない明理が映っている。



「課長?どうしたんですか?」



『よかった。星羅ちゃん、まだ居て……実は大変なことになってて。もう家を出れる?』



「えぇ。出れますけど……ちょっと待っててください」



 思い詰めた様な不安気な顔をしている明理に、首を傾げつつ星羅はインターホンを切った。既に星羅の興味は二転三転し、風花の霊感の有無から、明理に変わっている。



「――風花。私、もう行くね」



「うん。いってらっしゃーい――あ、それとお姉ちゃん。言い忘れてたけど、今日用事あるから、夕飯遅くなるかも」



「わかった。気を付けてね」



 皿洗いをする風花に挨拶を済ませると、星羅はリビングを出た。


 昨日と違い、本日は風花が見送る側だ。


 荷物を昨日からオフィスに置きっぱなしのため、星羅は持ち帰ってしまった拳銃を自室に取りに行ってから、玄関に向かった。


 玄関のドアを開けると、明理だけでなく何故か美裕もいた。


 明理と異なり美裕は、特に思い詰めている様子もなく、平常時のやる気の感じ難い表情だ。



「へぇー……本当に同じマンションに住んでたんスね。まぁ、立地条件がいいっスからね」



 星羅が出てきて、開口一番に美裕がにやけながら言った。



「美裕ちゃん、そんなこと話してる場合じゃないでしょ!事態は一刻を争うんだから!」



「課長は大袈裟なんスよ。別に珍しいことじゃないんスから」



 ――まずい……また喧嘩になる。それも家の前で。風花には見せたくないな。



「あの!落ち着いてください!ね?」



 機転をきかし、星羅が二人の間に割って入ったことで、喧嘩になるのを一先ず防いだ。



「危ない、危ない。こんな時に喧嘩してる場合じゃなかった……実はね、星羅ちゃん。紅牙君が行方不明になっちゃったの!」



 一旦落ち着きを取り戻した明理だが、すぐに平静ではなくなり、星羅の腕を力強く握り顔を青くしながら訴えかけた。



「え!……って、もう家を出ただけじゃないんですか?」



 明理の言葉に一瞬驚きもしたが、美裕の言うように大袈裟に捉えすぎているのではないかというのが、星羅の見解だった。



「でも、連絡が取れないんだよ?紅牙君、まめだから、私みたいに携帯の充電忘れないし」



「お取込み中とかじゃないですか?」



「それは聞き捨てならないっス!紅牙君とお取り込めるのは、アタシだけっスよ!」



「それも聞き捨てならないわね。私以外にそんな女がいるなら、切り刻む」



 ――私、そんなつもりで言ったわけじゃないのに……日本語って難しい。てか、課長、怖い……


 星羅の何気ない一言が切っ掛けで、明理と美裕の間には見えない火花が散る。


 それも明理は、落ち着きがなかったのが嘘かのように、冷静かつ瞳を黒く濁らせている。



「課長のヤンデレにビビる、アタシじゃないっスよ!」



「と、とにかく!局に向かいませんか?ね?」



 些細なことで喧嘩しそうになる二人に、半ば呆れ、星羅は強引に二人の背中を押し対策局に赴いた。




 普通ならば十分で行ける道のりを、星羅達三人は倍の二十分掛けて非科学事件対策局に到着した。時刻は九時になろうとしている。


 三人がそのまま七階にある零課のオフィスに向かおうとすると、受付嬢の一人が呼び止めた。声を掛けたのは、三人のうちの真ん中に座る受付嬢だ。



「零課のみなさーん!ちょっといいですかー?月影君からの伝言があるんですけどー」



 受付嬢の言葉に、ずっと喧嘩しそうになっていた二人が態度を変え、二人仲良く受付嬢の許に駆け寄った。


 この時ばかりは、一見運動神経の悪そうな美裕が明理に並ぶ総力を見せた。何だかんだ言って、彼女も紅牙の事を心配しているのだろう。



「二人とも態度の変わり様が急だな……おかげで少しは気が楽になったけど……」



 星羅も小さなため息を吐いてから、受付嬢の許へ行く。


 そうして三人が揃うと、呼んだ受付嬢は頭を浅く下げた。



「おはようございます。今日もいい天気ですね」



「挨拶はいいっスから!伝言を聞かせてほしいんスけど!」



 呼び止めておいてマイペースに挨拶から入る受付嬢に、美裕だけでなく明理や星羅でさえも多少の苛立ちを覚えた。



「そんな怖い顔しないでください。ちゃんと、話しますから……内容は『犯人の顔を拝んで来る。九時前に一度美裕先輩にメールも送りますから』とのことです」



 言われて美裕はすぐに、掛けていた大きめのショルダーバッグから携帯を出し、電源を入れて確かめた。



「……あ、確かに届いてるっスね……というか、丁度今送られてきたっス」



「メールも大事だけど、一人で犯人の所に行ったって方が重要じゃない?」



「確かにそうですよね。狼男を倒すのに必要な銀の弾丸も無いですし、一人でなんて……」



 明理や星羅の言葉に美裕はメールを開こうとした手を、一旦止める。



「……そう言われると、心配にもなるっスけど。紅牙君が、考えも無しに行くとは思えないんスよね。だって星羅さんからの情報無しで、犯人を突き止めるくらい頭いいんスから」



 ――てっきり佐伯さんも慌てふためくと思っていたけど、意外と冷静なんだな……



「うん……分かった。一度オフィスに行ってから、紅牙君の後を追おう」



 美裕の意見を聞いた明理は、落ち着きを取り戻したわけではなかったが、物事を考えられるほどには正気に戻っていた。



「そうっスよ。まずは星羅さんから、誰が犯人かも、聞かなきゃいけないんスから」



 美裕の指示に従って、三人は本来向かうはずだった七階に改めて向かった。




 オフィスに着き、明理は真っ先に部屋の隅に立て掛けられている、幾つもの竹刀袋の中の一つと、昨日折られた刀が入っている竹刀袋と入れ替えた。


 その一方で星羅は銃に弾を込め直し、昨日置いていったカバンを肩に掛け、出発する準備をしている。


 そして美裕だけは、特にやることもなくドアの前で紅牙からのメールを読んでいた。



「それで星羅ちゃん。いったい誰が犯人なの?」



 準備を終えた明理は、同じく準備を終えている星羅に本題を切り出した。


 まだ美裕はメールを読んでいる最中だったが、話を急いだ。



「……おそらく、私がここに来る前にいた宮城県警の本部長です。あの狼男は、本部長の癖である特徴的な笑い方と全く同じ笑い方をしてましたから、間違いないかと」



「やっぱり相手は警察関係者っスか。紅牙君とアタシの予想通りっスね」



 ちゃんと会話を聞いていた美裕が小声で呟いた感想に、他の二人は興味を抱いた。



「え?どうして警察関係者だと思ったの?」



「あー。そういえば、狼男に襲われたせいで、電話が切れて紅牙君から聞いてなかったんスよね――昨日、お二人が現場に行った後に紅牙君と事件を見直したんス。そしたら星羅さんの両親が殺された事件の方に違和感があったんスよ……」



 二人は揃って首を傾げた。


 美裕は一度話すのを止め、携帯をバッグの中に戻した。



「今になっては、犯人も分かってるのでなんですが、違和感だらけの事件ですよ?」



「そこっス。普通、そんなに奇妙な事件だったら、警察の上層部がここに情報を流すんスよ。今回の事件みたいに。だけど、ニュースになってないどころか、どの課の資料にも十年前の事件のものは無く、星羅さんをスカウトするにあたり、初めて対策局にご両親の事件の情報が入ったんス」



「それって、警察で隠蔽されてたってことよね?」



 組織のことをまだ、よく分かっていない星羅でも二人の話を聞いていれば、美裕の言っていたことは理解できた。


 ――本当なら十年前に解決できていたかもしれない、事件だったんだ……


 星羅は美裕が口にした事実に落ち込みかけたが、そんな暇がないのは承知している。幸いにも、美裕が話の続きをしてくれたことで、思い悩まずに済んだ。



「おそらく、そうっスね――だけど話はそれだけじゃないんス。お二人が現場に行く前、紅牙君が『愛する美裕先輩にお願いしたいことがある』って言っていたの、覚えてるっスか?」



「そういえば、言ってましたね……『愛する』は余計ですけど」



 こんな時でも変わらぬ美裕イズムに、明理は眉を顰め、そのフォローを兼ねて星羅が苦笑いしながら答えた。



「そのお願いが、警視庁のサーバーにアクセスして、過去十年に似た事件が無いか探すことだったんスよ。そしたら紅牙君が睨んだ通り、十数件も隠蔽されてたっス」



「そうだったのね――でも、紅牙君はどうやって犯人を導き出したの?」



 明理が当たり前ともいえる疑問を美裕にぶつけた。ところが、饒舌に話していた美裕が、首を何度も横に振りながら、肩を竦める。


 昨晩の紅牙と真理亜のやり取りを知らなければ、知る由もない。



「さぁ?アタシもそこは謎っス。狼男と戦った後に、紅牙君がここに戻って来て、再度アタシにお願いし、今度は宮城県警のサーバーをハッキングしたんス。それで名簿を入手して紅牙君に渡しただけっスから」



「どう推理したか気になるところだけど……早く紅牙君の所に行かないと……」



 美裕が知る限りの事を説明し終えると、明理は自分の携帯で新幹線の時刻表を検索しだした。



「――三十分後に出るのがあるから、それで行こう?今出れば余裕で間に合うから」



「行くのはいいんスけど……その前に星羅さんに訊きたい事があるんスよ」



「え?私にですか?」



 事件について心当たりがあることは全て話した気でいた星羅は、美裕に何を訊かれるのか見当もつかなかった。


 もし昨日紅牙を傷つけた事を非難されるなら、黙って受け入れようと覚悟を決める。


 だが鋭い視線を向ける彼女からの一言は、誰も予想はできないであろう、斜め上の一言だった。



「星羅さんって、紅牙君と昔からの顔馴染みなんスか?」



「……え?そんなわけないですよ。どうしてそんなこと訊くんですか?」



 質問の意図が分からず、星羅の方から美裕に訊ね返した。


 明理も口を出さなかったものの、星羅と同じ様に首を捻っている。



「さっきの紅牙君からのメールで、気になるところがあったんスよ。『僕の後を追って、宮城に来るでしょうが、県警には行かずに叶さんの実家に行ってください』って部分っス」



「確かに気にはなるけど、それがさっきの質問にどう繋がるの?」



「その続きに『叶さんの手で仇を討つのに、必要な物がそこにあるんで』と書いてたんス」



 今回の美裕の説明に、二人はいまひとつ、納得がいかなかった。メールの文面からは、紅牙と星羅の接点らしいものは読み取れなかったからだ。



「でもそれって、紅牙君達が知り合いというより、紅牙君が星羅ちゃんに関する何かしらの真実を知っているって感じじゃない?」



 明理は美裕の説明に納得がいかないのを伝えると、星羅もそれに頷き、肯定した。



「確かにアタシも課長達と同意見っスから、念のために訊ねただけっスよ――どういう経緯で知ったのか不明っスが、重要な事なのは確かっス。それと追伸もあるっスよ」



『追伸?』



 星羅と明理は自然に息を合わせて復唱した。



「えぇ。『美裕先輩も行けば、一連の事件の被害者の共通点も分かりますが、危険も伴います』ってことらしいっス。優しいっスよねぇ……非力なアタシの心配してくれて」



「言われてみてば、被害者の共通点が今回の事件の最大の謎かもね。紅牙君はそれが何かを、知ってるんだろうけど」



 追伸が自分宛てでないことに、少し落胆した明理だが、内容には興味を抱いた。無論、事件の当事者である星羅は、より持っている。


 そんな二人に無視されたことで、美裕はこれ以上、スマホの画面をうっとりを眺め惚気るのを控えた。



「そうっスね……星羅さんの両親以外の被害者にはあるんスけど……それで星羅さん。紅牙君の指示通り、実家に行くっスか?」



「え!その決定権は長である、私にあるんじゃないの?」



 素ではあるが、わざとらしく驚く明理に、面倒そうな顔を向けながら美裕は訳を話した。



「どうせ、課長は行くって答えるじゃないっスか――何よりも、行ったら星羅さんが今まで知らなかった事を知るんスよ?それ相応の覚悟は必要だと思ったんス」



「……それ。紅牙君の言葉でしょ?メールに書いてたんじゃない?」



「あ、分かったっスか?紅牙君が、来るなら同意してからとのことで……それで、どうするっスか?アタシの予想だと、ヘビーそうっスよ」



 美裕は明理に指摘された後、改まって訊き返したが、星羅の答えは決まっていた。今となっては、美裕の意見は不要だ。



「もちろん、行きます。それでケリが付くなら」



 星羅は何の迷いもない眼差しで決意を口にした。


 この時はまだ星羅自身、紅牙が知っている真実の重さを軽視していた。


 ◇


 約三時間後の午後十二時。


 星羅達三人は新幹線から電車を乗り継ぎ、低い山の麓にある星羅の実家へやって来た。


 移動に二時間半掛かったが、電車の乗り継ぎも待たず、東京と宮城の区間の移動としては、かなり早い方だ。そのため、緊迫するこの状況で誰一人、余計なストレスはない。


 ただ、新幹線の車内で百件ものメールを紅牙に送ったのにも、一通の返事もない事に、『紅牙君なら大丈夫』と高を括っていた美裕も、流石に表立って紅牙を心配し始めている。



「へぇ、此処が星羅ちゃんの実家か……それで、どうやって、中に入るの?」



 二階建ての一軒家を前にし、明理は途方に暮れそうになった。



「それでしたら大丈夫です。ライフラインは通ってないですが、所有権は私にあるんで、この鍵で中に入れますよ」



 星羅はバッグの中からキーホルダーを出して、一本の鍵をぶらつかせて明理に見せた。


 そのまま星羅を先頭に三人は家のドアに近づき、星羅がドアを開けて、中に入ろうとした時に、美裕が星羅の体の前に片腕を出し、制止した。



「ま、待つっス。先程の紅牙君からの指示メールには、実は他にも書かれてたことがあるんス。『後で僕も合流します。だけど、これ以降連絡が無かったら、狼男がそちらに行く可能性が大きいので用心してください』って……不安にさせないよう黙ってて、ギリギリまで待ってたんスけど……」



「連絡が無かったのね?でも今のところは、他に人の気配もないし、入っても大丈夫だよ」



「課長、気配とか読めるんですね。まぁ鍵も閉まってましたし、大丈夫かと――月影君から連絡がないのは、気掛かりですが」



 美裕の心配をよそに、明理は目を閉じ第六感を通して気配を探り、星羅は見渡して安全なのを確認してから家の中に入った。


 二人が中に入った後、美裕はつい携帯の電源を入れたが着信はない。



「……せめて安否くらい知らせてほしいっスよ――何を知っていて、何をしようとしてるかは、まだ不明っスけど。取り敢えず、期待してるっスよ。紅牙君。それから心配かけた罰として……ぐへへ……」



 声に出して自分に言い聞かせたことで、美裕は心配な気持ちを払拭し、代わりに好奇心と欲望で空いた心を埋め尽くす。


 そうして気持ちを切り替えた美裕は、顔を引き締めた後、二人から一足遅れて家内に入った。


 先に入っていた星羅と明理は上がらずに、美裕が入ってくるのを玄関で待ち、その間、明理は玄関の至る所を見て回っていた。



「……星羅ちゃん。もしかしてこの家、事件当時のまま、片づけてないの?」



 埃が積もった靴箱や大小様々な靴。花瓶には花弁が散り枯れた花茎だけとなった花。十年間放置されたのが歴然だ。



「警察が捜査した時に、いくつか物色はしてましたが、それ以降は手を付けていないです。証拠品が出てくるかもしれなかったですから。でも、遺体の痕跡は残ってないですよ」



「残ってたら異常でしょ。だけど、ほとんどそのままなのは、今となっては逆にありがたいわね」



『…………』



 明理の言葉を最後に、誰も喋らないどころか動きもしなかった。


 その理由は埃や汚れだらけの家に、靴を脱いで上がるのを生理的に拒んだからだ。家主である星羅でさえ渋っている。


 言葉が無くても、全員が同じ理由で止まっているのは星羅も分かっていた。



「……えっと……土足でいいですよ?これ以上汚れても、同じですから」



 星羅は実家に土足で上がる罪悪感を吹っ切り、二人が遠慮しないよう、まずは自ら靴を履いたまま家の中へ上がった。



「申し訳ないけど、正直助かったよ……お邪魔しまーす」



 続いて感謝を述べながら明理が上がり、美裕は星羅に一礼してから上がる。



「それで、来たのはいいんですけど、何をすればいいんですか?」



 実際にメールを読んでいるのは美裕だけなので、ここからは美裕頼りだ。


 けれども紅牙からのメールには、具体的に何をするかまでは書かれておらず、何をすればいいか美裕も知らない。


 それ故、美裕は星羅の質問に憶測で返答するしかなかった。



「そうっスね……星羅さんが知らない事でも、親なら知ってるんじゃないんスかね?」



「お父さん達の幽霊はいないですよ。霊が見えるようになって、最初に確かめましたから」



「まぁ、幽霊になること自体が珍しいから。いない方が当然だよ?更に、真理亜ちゃんや受付嬢の真ん中に居た娘みたいに、生きてる人とほとんど遜色ないのは、もっとレア」



 美裕の言葉をそのまま捉えた星羅に、明理は昨日のお返しと言わんばかりに美裕に変わって説明をした。


 美裕からすれば、余計な説明を自分の口から言わずに済み、怒りなどの感情は特には無い。



「へ?……え?今朝話したあの人、幽霊だったんですか?!」



 ――考えてみれば、私達が出勤した時間に月影君は、既に宮城にいて。その紅牙君が伝言を残していったのなら、彼女は朝早くから居たことになる……いや、それを踏まえても全く気付かなかった……


 ちょっとした情報のつもりで言った事に驚かれ、明理と美裕は多少呆れた。



「そこに関心するの?まぁ、いいけど……とにかく、話を戻すよ。一応死者と話す方法に降霊術があるけど、私も美裕ちゃんも紅牙君も専門外だから、残念なことにそれも出来ないわ……」



 続きは美裕の口からと、明理は目で促す。



「そういうことなんで、残る方法は日記や手帳を見ることっス。重要な事なら、何かに記してある可能性もあるっスからね――両親の書斎とかないっスか?」



「あ。そういう意味でしたか。お父さんの書斎なら、入ってすぐの扉の先です」



 玄関から入り、すぐ目に入る扉が二つ。片方は開かれておりリビングに通じている。


 星羅が差したのは、廊下を挿んで向かい合っている、もう一方だ。


 二人に視認させた後、星羅はバッグから、刑事時代から使っている布製の手袋を出し、それを填めてからドアノブを握った。


 手袋を填めたのは指紋をつけないためではなく、あくまで手を汚さないためだ。明理と星羅も同じ理由で、手に覆うようにしてハンカチ広げた。


 そうして星羅が部屋を開放した途端、書斎に長年溜まっていた埃が煙の様に舞い、ドアのすぐ近くにいた星羅がその被害にあった。



「ケホッ、ケホッ……これは……定期的に掃除しないと、ダメですね……」



「この事件に方が付いたら、そうするべきね」



 星羅は顔の前を手で扇ぎ、明理は目を擦りながら、三人は入室した。


 書斎は八畳の広さで正面には窓と机。向かって右手側の壁際には、本棚が所狭しと並んでいる。



「これだけ本があれば、何か分かるかもしれないっスね」



 ハウスダストに対し、何の影響も無い美裕はドアに近い本棚の上段から、本を一冊ずつ気になる記述がないか、大まかに目を通しだした。



「美裕ちゃん。よく平気だね……私は埃の少なそうな机や中の抽斗を探すよ」



「でしたら、私は佐伯さんを手伝いますね。一人では無理でしょうから」



 明理は正面にある机を、星羅は美裕とは反対側の本棚を、それぞれが探索を始めた。




 探索開始から五分後。


 紅牙だけが知っている真実が何かを、黙々と三人は探していたが、四つある本棚のうち、初めに取り掛かった一つの全ての本を探し終えた、美裕が報告のために口を開いた。



「一つ目終わったっスけど。あるのは、小説ばかりで、日記も無ければ、本の間に何か挟まってもいなかったっスよー」



 一度手を止め、一息つく美裕と違い、星羅は全然進んでいない作業をしながら話した。



「もう終わったんですか?――ただ、こっちも同じ感じです。昔お父さんに『この部屋には入るな』って言われてたんで、私もこの部屋が怪しいと思ってるんですけど……」



「そうだったんスか。そうでしたら、この部屋に何があるか詳しくは知らないんスね?」



 初めて叶家のルールを聞き、美裕の書斎に何かあるという期待値が上がる。



「私はそうですね。だけど、確か前に……」



「っ!二人とも、静かに!」



 星羅が何かを言おうとした時、明理がその発言を大声で妨げ、会話を止めさせた。


 当の明理は、探索を中断し、窓の外を眺めている。



「どうしたんスか?血相変えて」



 明理に言われた通りに、美裕は声量を抑えて訊ねながら、明理の横に移った。



「ここからじゃ見えないけど、こっちに近づいてくる気配を感じる……」



 紅牙からのメールの内容からして、この状況でこの場所に来る人物は、運が良ければ紅牙。悪ければ狼男だ。


 けれども三人はメールの『危険が伴う』という部分が気になり、悪い方を想定してまったため、緊張が走った。



「まずいっスね……まだ何も見つけてないっスよ」



「そうね……一先ず、私が玄関で待ち伏せて、入ってきたと同時に斬りにかかるから、星羅ちゃんは少し下がって、銃でのサポートをお願い」



「分かりました。昨日と同じ陣形ですね」



「だったら、非戦闘員のアタシは大人しくこの部屋に隠れてるっスよ」



 正面玄関から入ってくる保証はないので、美裕は窓に警戒の目を向け、明理と星羅は退室し、明理が指示した通りの配置につく。


 星羅は銃をホルスターから抜いて構え、明理は竹刀袋から刀を取り出し、竹刀袋の方を床に置いた。当然だが、出した刀は昨日のものとは、大きく異なる。


 ――綺麗な刀……


 星羅の目には、その刀が青白い輝きを纏っているように写っている。それは比喩などではなく、実際に発しているものだ。


 刀に見入っている星羅の視線に気づいた明理は、刀を抜いて小声で語りす。



「この刀は『村雨』っていうの。架空の刀と言われるほど、凄い剣なんだよ。大昔に妖怪退治を目的に作られたから、狼男にも有効な武器の一つだよ」



「あの……抜いた時から、霧みたいなのが刀身から出てるんですが……」



 霧が出ているだけでなく、青白く輝く光力も増している。



「うん。これが村雨の凄いところで、私の感情に比例して効力が増す仕組みなんだよ……と、説明はここまで。気配がもう傍まで、来てるから……」



 そう言って明理は村雨を前に突き出し、入ってきたと同時に心臓を貫こうとしていた。



「もし、気配が月影君のものだったら?」



「きっと、かわしてくれるよ。でも、紅牙君だったら入る前に、外から声を掛けるはず」



 ――鍵を持ってないんだし、そうかもしれない……だったら、来たのはやつの方……


 銃を構えている星羅の手に力が入る。自分の使用する銃弾では、ほとんど効果がなく、星羅自身の手でケリをつけられないのも、理解はしていた。


 そのおかげで、昨日の様に冷静さを失うこともない。


 程なくして、何者かがドアに近づき『カチャカチャ』とドアから音を出させ始めた。


 それはドアを開けようとしている音ではなく、解錠しようとする音だった。


 さらにはドアの向こう側にいる人物は、声を発した。



『……あれ?開いてる……壊れちゃったのかな?』



 聞こえてきた声は、紅牙でも狼男と疑っている乾のものでもなく、可愛らしい少女のものだ。



「え?女の子の声?」



 ――というか、この声って……


 予想外の事態に明理は刀を下げ、星羅も銃を下ろした。


 そして、星羅には誰の声か安易に予想がついた。


 とにかく、狼男でないと分かった明理は一気に警戒心を無くし、村雨を鞘に納めようとしたが、その前にドアが開いてしまった。



「だ、誰かいるんですかー?……ひっ!か、か、刀?!も、もしかして強盗ですか?!金目の物は無いですよ!は、早く出て行ってください!」



 勇気があるのか、怖いのか。目を閉じながらながらも、少女は明理に訴えかけた。


 強盗に間違われ、明理は刀を鞘に納めた後、頬を掻いて困惑を露わにしている。


 だが、少女の正体を知っている星羅が間に入ったことで、一変した。



「風花、落ち着いて!この人は、今朝家に来た私の同僚で、今は捜査中なの」



「……え?お、お姉ちゃん?!え?え?どういうこと?」



 少女の正体は星羅の妹の風花だった。


 すっかり明理に目を奪われていた風花は、姉の存在に今の今まで気づいていなかった。


 口調こそ冷静なものだったが、内心では風花同様に星羅も訳が分からず、慌てている。



「それはこっちのセリフよ!何で風花がここにいるの?」



「いや……実はその……昨日からお姉ちゃんの元気が無かったから、私なりに事件を調べて、手掛かり見つけて、少しでもお姉ちゃんに元気になってもらおうと思って……それに今日は学校休みだし」



「風花……でも、ここは危険だから!」



 本来の風花なら恥ずかしくて口にしないような事だったが、星羅が問い詰めた際の顔には怒気が帯びており、その迫力に負け自白した。


 狼男との決戦の場になるかもしれない危険なこの場所に、唯一の肉親を近づけたくないという想いが、自身でも知らぬうちに星羅の顔つきをそうさせた。



「星羅ちゃんは、姉想いのいい妹がいるみたいだね。私は天涯孤独だから羨ましいよ」



 明理が配慮し、口出ししたことで、星羅の顔つきも和らいだ。



「すみません。課長。お騒がせして。妹はすぐに、帰しますから」



「えー!せっかく、ここまで来たのに。そもそもお姉ちゃんは何の捜査で来てるの?」



「そんなことはいいから。早く帰りなさい」



 風花の気持ちは嬉しかったが、捜査の邪魔になると思い星羅は風花に走り寄って、質問には答えずに、風花を押し出して強制的に帰宅させようとした。


 しかし、意外にも風花の我が儘を明理が援護する。



「待って、星羅ちゃん。この際、妹ちゃんにも事情を話さない?彼女も当事者なんだから」



「それはそうですけど……でも、いいんですか?機密組織なのに」



 ――それに、吸血鬼や狼男なんて言われても、信じないだろうし……



「まぁ、秘密にしてくれればそれでいいし。彼女も霊感があるみたいだから……」



『彼女も?!』



 星羅と風花は声を荒らげた上、その声を揃えていた。


 不意に大声を出した二人に、明理はびくつき、その肩が躍った。


 一方で二人は、次の瞬間には睨み合っていた。



「……やっぱり、まだ見えてたこと、隠してたのね!部活の話が出た時から、怪しかったのよ!」



「お姉ちゃんこそ、見えてるのを隠してたの?!普通、私に言うよね!?」



「……もしかして、二人とも内緒にしてた感じ?余計なこと言っちゃったかな?」



 明理は良かれと思い、言ったことだったが、それが原因で姉妹喧嘩を始めてしまった。



「はい、そこまでっス。喧嘩なんかしてる場合じゃ、ないっスよー」



 頭を抱えそうになっていた明理だが、仲裁役の登場でそうせずに済んだ。


 その仲裁役を買って出た美裕は、待機していた書斎から顔だけを出している。



「あ……佐伯さん……すみません。こんな時に……」



 美裕の登場で、星羅の熱くなった心は一先ず、静まった。



「喧嘩は事件が終わってから、勝手にやってほしいっス。今はその子に全ての事情を話したり、隠された真実を探したり、やることが多いんスから。本当は巻き込みたくないんスけど、しょうがないっス」



「そうだね。美裕ちゃんの言う通りだよ――それで、妹ちゃんはこれからどうしたい?これ以上足を突っ込んだら、平和な日常が崩壊しちゃうわよ?」



 明理は、星羅を風花から引き離し、書斎へ戻る前に風花に確認取り、対して風花は迷いのない顔で答える。



「お願いします。お姉ちゃんがどんな事をしてるのか、気になりますし……それに、この家で捜査してるってことは、親が殺された事件の捜査ですもんね?だったら尚更です」



「ふふ……なら決まりね。星羅ちゃんも、それでいいでしょ?」



「…………はい」



 ――風花の気持ちを考えたら、その方がいいんだろうけど……


 星羅は明理の案にはあまり乗り気ではなかったが、風花の想いや立場を考えて渋々承諾した。そうして星羅と明理は風花も加え、美裕の待つ書斎へと戻った。




 戻って早々に、主に星羅が組織のことや昨日、今日の出来事を風花に話した。明理はその傍らで補足をし、効率化のため美裕は会話には加わらず、探索を続ける。


 星羅や明理が説明したのは、あくまでも今回の事件に関する上で必要な知識だけだったが、紅牙の話になった際に、明理が必要以上のことを話したために、十分近く掛かった。



「ふーん……月影君って、吸血鬼なのに唐揚げが好きなんですね……なんか、かわいい」



 そして話が全て終わり、感想として述べた第一声がこれだ。


 三人は呆気にとられ、美裕に関してはつい探索を止めた。



「いや、風花。もっといい感想があるでしょ?月影君に関してなら、せめて吸血鬼だった事に対しての驚きや、『同じ学校の生徒なのに』って驚きがあるでしょうが。昨日だって接触したんでしょ?」



「それ星羅ちゃんが言う?姉妹揃って、変なところに感心を持つし、順応性も凄いわね」



「真理亜ちゃんもそうっスけど。どうして唐揚げに興味を持つんスかね?」



 三人が各々呆れている理由を聞いた風花だが、風花は風花で唐揚げに興味を持った理由が、ちゃんとあった。



「唐揚げに関してなんですけど……親を亡くしてから一か月間、親戚の家に引き取られるまでの間、私達は施設にいたんです。そこで私が仲良くなった男の子も、唐揚げが好きだったんで」



「そういえばいたね。他人とも係わろうともしないし、特に私達姉妹を避けてた、風花と同い年の子が。風花がしつこくアプローチして、向こうが折れたんだっけ?」



「だって、家族もいないのに、友達もいなかったら寂しいじゃん。まだ子供だったから、迷惑がられてるのにも気づかなくて……と、ともかく、その子が月影君に似てたんでつい」



 途中から星羅も参戦し、二人は思い出話に花を咲かせていたところ、明理と美裕からの冷ややかな視線に気づいた風花が、慌てて話を終わらせた。



「そう――それで、結局妹ちゃんは、私達の話を信じてくれたってことでいいの?」



 話をもとに戻すためにも、明理は念のため風花に確認をとり、美裕は再び本を手にした。



「あ、はい。妖怪の実物は見たことないですが、さっき言った男の子も、いるって言ってましたし、同級生にオカルトに詳しい人達がいて、丁度昨日資料を見せられましたから」



「変わった趣味の子ね……幽霊と違って妖怪は一般人でも見える上、写真にも写るから、オカルトマニアとかなら、資料があってもおかしくはないか。男の子の方は謎だけど」



「それは見たことがあるからだそうですよ……あれ?そういえば、課長さんって『安倍明理』って名前なんですよね?さっきの友達の一人に、『安倍明音』っているんですけど……」



 風花が何気なく出したその名前に、明理の顔は一瞬だけ曇った。


 だが彼女の顔を見たものは誰も居ない。又、曇った理由を知る者もこの場には当人以外は居ない。


 そして何事も無かったかのように明理は、すぐに優しい笑顔を作り直した。



「悪いけど知らないかな。『安倍』なんて珍しい苗字じゃないしね。そもそも私、天涯孤独で、家族なんていないんだよね」



「あ……すみません。知らなかったとはいえ、失礼なことを言って」



「別に気にしてないよ。まぁ、近い将来には紅牙君と明るい家庭を築いている予定だし――さ、私の話はこれくらいにしておこう」



 明理本人は快活に振る舞っているが、全然気にしていないということはないだろう。それを汲み取ってか、紅牙の名が出ても美裕は珍しく喰いついていない。


 しかし様子を見ていた星羅には、心配なことがある。


 それは自分と同じように、妹までも紅牙を傷つけるようなことを言ってしまわないかだ。



「風花。月影君のことだけど……」



「あー……それも納得はできたかな。普通の人間じゃないって、感じはしてたからね。学校での振る舞いに理由があったのも分かったし――でも、さっき話した、『こーくん』にも雰囲気が似てたから、悪い人じゃないって思ってるよ」



 星羅の心配事は伝えるまでもなく、風花の方が人を見る目は凌いでいるらしい。


 彼女が安堵すると入れ替わるように、明理と美裕には心配事が増え、尋常ではない程の胸騒ぎに襲われていた。



「ん?こーくん?……もしかして、その『こーくん』って男の子っスけど、紅牙君本人じゃないっスよね?」


 代表して抱いた不安を吐露する。


 ――流石に二人とも考えすぎなんじゃ……


 明理と美裕の紅牙を愛する二人には、ただ特徴が似ているだけの他人とは思えなていなかった。


 対して星羅は笑い飛ばそうとしていたが、風花は思い詰めた顔をしている。



「……ずっと『こーくん』って呼んでたから、本名は思い出せないんですが、実はその子にも霊が見えていて、私の初めての理解者だったんです。でも、彼はよく『自分は人間じゃない。化け物なんだ』って言ってました。当時の私は信じていませんでしたが……って、お二人ともどうしたんですか?!」



 最後まで聞かなくても、明理と美裕には男の子が紅牙であることは、確定事項だった。


 星羅や風花には話していなかったが、紅牙はこの地方の出身で、子供の頃は自分を『化け物』だと言い、自虐的になっていた事。それらが繋がり、二人はあからさまに肩を落とした。



「いや……うん。気にしないで、何でもないから」



「そうっスよ。別に強力なライバルが現れたとか、思ってないっスから」



 ――あ、思ってるんだ。でも、さっき風花が言ってたこと、私も初耳だったな……


 二人が紅牙に好意を寄せているのを、風花は知らないため、この状況を唯一把握しきれていない。



「……もしかして紅牙君が伝えたかった真実って、これだったのかな?」



「いや、それはないっスよ。事件とは何の関係もないんスから……気を取り直して探すっスよ――そういえば、星羅さんの妹が来る前、星羅さん、何か言おうとしてたっスよね?」



 若干落ち込みながら探索に戻り、本を手にした美裕は風花が来る直前のことを思い出した。


 美裕に訊ねられなければ、星羅もすっかり忘れたままだった。



「そうでした!前に、風花がこの部屋に秘密があるって言ってたんです」



 だが当時まだ幼かった風花の言葉を、星羅は構ってほしい嘘だと思っていたので、内容までは覚えてはいなかった。


 その点では、風花が来た事は三人には救いだ。



「妹ちゃん。それ本当?!」



「へ?は、はい。まだ幼い時の記憶ですけど。勝手に入って荒らしたんで、お父さんに凄く怒られたから、よく覚えてます。確か奥から二つ目の本棚の真ん中の段の丁度真ん中の本を抜くと、奥に木製のスイッチがあったんです。怖かったんで、押さなかったですが」



 風花の言葉が終わると、明理は美裕に目配せをし、美裕は頷いてから指定された本棚の本を抜き取り、携帯をライト代わりにして奥を覗き込んだ。



「……あ、本当にあったっスよ…………じゃあ。早速、押すっスね」



 美裕以外の三人は何が起こるか分からない恐怖心から、固唾を呑んで見守り、反対に押そうとする美裕は、好奇心から口角を上げ、楽しんでいる。


 そうしてスイッチを押すと、『カチッ』というスイッチの音を掻き消す程大きい、何かが落ちた様な音が、廊下から聞こえてきた。


 四人は音が鳴った廊下に出ると、二階に続く階段の横に穴が開いており、更にその穴には地下へ続く階段があった。



「これは、地下室への入り口っスか?……ずっと手入れがされてなかったから、あんなに大きい音が鳴ったみたいっスね――こんな物があるなんて、二人の両親はどんな仕事してたんスか?」



 いの一番に近づいた美裕は、危険が無いか触って確かめたり、覗いたりした後に訊ねた。


 三人も後ろから近づき、先程の美裕の問いに星羅が答える。



「お父さんは警察官で、お母さんは図書館の司書でした……だけど……」



「隠し部屋なんて変だよね?――間違いなく、ここに何かある……行きましょう」



 誰も懐中電灯を持っていなかったため、各自が携帯を出し、一人ずつしか降りられない階段を、帯刀した明理、星羅、風花、美裕の順に降りた。




 十数段の階段を降ると、待っていたのは一枚の扉だ。


 明理は迷わずにその開き戸を押して開けた。


 するとそこにあったのは、およそ八平米の広めの部屋。


 そして部屋に入った一同は言葉を失った。


 山積みにされた古書、血痕が残るソファー、散らかっている他と違い整頓された机。


 何よりも目を引いたのは、壁に掛けられている数々の武器だ。ライフル銃や拳銃だけでなく、鉈や連接棍棒まで時代や種類に関係なく揃えてある。


 吸い寄せられるように星羅と明理は、武器が掛けられている壁へ歩を進めた。



「星羅ちゃん。ご両親って本当に警察と司書だったの?それとも、この現代の日本で趣味が狩りだったとか?」



「いえ……聞いたこともなかったです……それにこれって、狩りの道具ではないですよね。明らかに殺傷を目的とした武器」



 二人が武器を触りながら会話する横で、美裕は積まれた古書を漁り、風花は唯一綺麗に整頓されている机を見ていた。


 そこで風花は机上に置かれていた小さな箱を手にした。



「ねぇ、お姉ちゃん。何かあったよ……何が入ってるんだろう?」



 風花は箱を開けずに星羅に渡し、受け取った星羅が慎重に箱を開けた。



「……弾丸?」



「いえ、銀の弾丸っスね。未使用の」



 横から覗き見た博識の美裕が答えた。箱の中身は欲していた銀の弾丸だと。


 弾丸は全部で十発。箱にはもう二発入っていた痕跡もある。しかし美裕を除く三人は、その跡をたいして気に留めなかった。



「何故あるのか理由は不明だけど……薬莢も入ってるし、これで狼男を倒す手段を獲得できたってことね――けれども、新たな問題が山積みよね……」



 三人は黙り、考えてみたがそれらしい理由は何も浮かんでこない。


 そんな三人とは違い、一人周辺を漁り続けていた美裕は手掛かりを見つけつつあった。



「なら、問題を片づけるまでっスよ。興味深いものを見つけたんスけど、ここじゃあ、暗くてうまく読めないんで、一度戻らないっスか?」



「賛成。ここには長時間居たくないし、何か見つけたなら、そうするべきだね」



 カビの臭いや、蜘蛛の巣が不気味さを醸し出し、明理だけでなく星羅や風花も、我が家ながら嫌悪を覚えている。


 このままでは手詰まりなのには違いはなく、僅か数分で四人は地下室を出た。



「佐伯さん。何を持ってるんですか?」



「適当に選んだ本と、何かのリスト。それから日記っスよ。アタシの予想だと、とんでもなく、最悪な真実が分かりそうっス……杞憂に終わればいいっスけど」



 地下室を出た際、美裕は一冊の古書と二冊のノートを持ち出していた。


 それらが気になった星羅は美裕に訊ねると、美裕は答えながら、自分で知らないうちに渋面を作った。


 ――最悪な真実……お父さん達はいったい何を?


 美裕の表情で姉妹以外に明理も、不安な気持ちを増幅させながら、四人は美裕が持ってきた古書などを読むために、日当たりの良い、書斎に戻って来た。



「じゃあ、まずはこのリストからっスね。アタシも中身は見てないんで……どうぞっス」



 見る権利は姉妹にあると考え、美裕はリストを星羅に渡した。


 星羅は持ち帰った、銀の弾丸が入った箱を机に一旦置き、リストを受け取る。


 そうして全員が注目する中、星羅は表紙に『LIST』とだけ書かれたノートを開き、パラパラとページを捲り、流すように読んだ。


 リストに書かれていたのは人の名前だったが、名簿のようにただ名前が書かれていたわけではない。名前の横には住所が書かれており、最大の問題は名前の上からバツ印がつけられ、消されているような点だ。


 それは最後のページの最後の名前まで続いた。



「何これ?……お父さん達、裏稼業で殺し屋でもしてたのかな?」



「風花、こんな時に笑えない冗談やめてよ!優しかった二人がそんなことするわけ……」



 星羅は認めたくなかったが、地下室のことを思い出し、完全には否定しきれなかった。


 逆に風花はこの事実を客観的に見れている。姉と比べて両親との思い出が少なく、姉と二人で過ごした時間の方が長いからだ。



「……ごめん。お姉ちゃん……でもさ、何か危ない仕事をしてたのは、間違いないよね?」



 大切な姉を怒らせてしまった罪悪感から、自分が正しいと思いつつも風花は頭を下げた。



「二人の気持ちは分かるけど、まだ何も分かってないんだからさ……」



 気まずくなるのを避けるためにも、明理は一声かけたが、その途中に美裕が急に星羅からリストを奪い取った。


 そしてページを必死に捲り、終盤のあるのページで止めた。



「……見間違いじゃなかったっス…………三人とも、ここの名前見るっスよ」



 美裕は開いたページにある二つの名前を指差し、三人に見せる。



『……っ!』



 その名前を見た三人は、驚きで目を見開いた。美裕が指している箇所には、『月影鋭牙(えいが)』と『月影哀歌(あいか)』の二つの名が記されていた。



「佐伯さん。この月影ってまさか……」



「そのまさかっス。以前、紅牙君にから聞いた、ご両親の名前と同じなんスよ……ここから考えられるのは、お二人の両親と紅牙君の両親は、何らかの係わりがあったってことっス」



「係わりかぁ……何だろう?もちろん、紅牙君はそれが何か知ってたのよね?だから、星羅ちゃんが必要とする銀の弾丸が、ここにあることも知ってたんだろうし」



 疑問を口にした明理をはじめ、星羅や風花が辿りつけていない真実を、美裕は既にそれがどういったものか、解き明かしてあった。


 美裕にとってここからは、答え合わせになる。


 だからこそ美裕の顔色は優れない。


 それがばれないよう、美裕は顔を伏せつつリストを閉じ、机に上に置くと代わりに一冊だけ持ってきた古書を星羅に渡した。



「日記を読む前に、まずはこれっス。日記を読めば全てが分かると思うっスけど。せっかく持ってきたんスから。推理しようじゃないっスか……この本から読み取れることを」



「は、はぁ……分かりました」



 ――何でわざわざ遠回りを?佐伯さん、何か感づいてるみたい……



 美裕の取り繕った言葉に星羅と明理は、その態度を怪しんだ。


 特に明理は、いつもなら推理は紅牙とだけ共有する美裕が言った言葉とは思えず、何か分かっているのは確信していた。


 星羅は首を傾げながら美裕に渡された本を、風花や明理と共有しながら開く。



「…………これ、洋書じゃないですか……私、英語苦手なんで。課長、お願いします」



「いや、私の方が無理。私、中卒で高校行ってないし……ここは現役の高校生に」



「その……私の英語力も授業で習ったことくらいなんで……すみません!」



 美裕が星羅に渡した洋書は、星羅から明理に。明理から風花に渡り、風花から美裕に戻って来た。


 美裕はこの場の偏差値の低さと、資料をしっかり選んで持ち出せば良かったとの後悔でため息を吐いた。



「はぁ……妹さんはいいとして、年上二人は情けないっスよ?しょうがないっスね…………」



 結局自分が読むことになった洋書の解読を始めた美裕だが、一行一行読むにつれ表情は険しくなっていく。


 堪らず明理が訊ねる。


「美裕ちゃん、何て書いてあるの?」



「……そうっスねぇ…………真実ってやつっス。『純血の者は十八歳で成人を迎え、以降は年を取らず寿命も無い』……らしいっスよ」



「美裕ちゃん?それ、本の内容?」



 美裕が口にした本の内容に、全員が困惑の色を見せる。そんな中、美裕は明理の質問に一度だけ頷き、さらに続ける。



「こうも書いてるっス。『おまけに再生能力も高く、ほとんどの傷は負わせても瞬く間に治る。中には体を霧状にする力を持つ者もおり、攻撃が効かないこともある。しかし不死身というわけではない。人間が可能な殺害方法は以下の二つ。首を切り落とすか、心臓を銀の弾丸で撃ち抜くこと』」



「それって何かしらの化け物の、退治の仕方?取り敢えず、殺し屋ではなさそうね」



 ――人助けってことだよね?良かった……人殺しじゃなくて……


 明理の言葉に星羅と風花は、一先ず胸を撫で下ろした。


 だがそれも束の間の出来事だ。



「続きを聞けば、その化け物の正体が分かるっスよ……『それから極稀に、血を一滴も吸わずに生きてきた者もいる。それらは全ての能力が格段に落ち、再生能力も例外ではない。そのため、特殊な武器を用いなくても、簡単に殺すことができる』……これで分かったっスか?」



 ――血を吸う?それって……吸血鬼のこと……?


 本の続きを聞いた星羅と風花は心安心感など一瞬で消えた。


 洋書に書かれていたことは、前日に明理や紅牙から聞いた、吸血鬼の特徴と一致していたからだ。


 それでも二人は真実にまだ辿りついていない。否、辿りつくことを恐れていた。


 二人とは違い、明理は美裕に続いて、ようやく紅牙が伝えようとした真実が分かり、二人に代わって明理の問いかけに答えた。



「なるほどね……狩りは狩りでも吸血鬼狩り……つまりヴァンパイアハンターだったのね」



「おそらく、そうっスね――これで一連の事件の、被害者の共通点も分かったっスよ。被害者は皆、裏稼業で陰陽師だったり、霊媒師だったり、エクソシストだったりしたんス」



「あー……だから紅牙君は、確認のために那珂川さんの家で魔除けグッズを探させたんだ。つまり犯人の動機は、自分達が生きるのに邪魔な存在だったってことね」



「そうっス。調べて分かったんスけど、那珂川さんを始めとした被害者達は裏では結構有名だったみたいっスよ」




 二人の会話中、ほとんど会話の内容が入らず、姉妹は思い詰めた顔をしていたが、風花は思い切って、震わせながら口を開けた。



「あ、あの……ヴァンパイアハンターってことは、さっきのリストに書かれてたのって吸血鬼の名前だったんですよね……その上のバツ印はもしかして退治した証……ですか?」



 風花はやっとの思いで、言葉を絞り出した。


 現実と向き合おうとする妹に感化され、星羅も避けていた疑問と退治する。


 ――多分、風花だけじゃなく、課長や佐伯さんも、同じことを考えてる。


 風花は直接、言葉にはしなかったが、何を言おうとしているかは十分に伝わっていた。


 それは星羅達の両親が、紅牙の両親を殺したのではないかということだ。


 そして、それが紅牙の知っていた真実なのではないかと。



「……それはこの日記を読んでから決めるっス――正直、アタシは黒だと思うっスけど」



「美裕ちゃん、言葉選びなよ――とにかく見てみよう?話はそれから」



 美裕から、星羅か風花に向けて差し出した日記帳を、明理が奪い取ると、最後に記されたページを開き、星羅の手に乗せた。



 受け取った星羅はそれが全員に見えるように前へ出した。その手は少し震えている。



「最後のページには、二日分……それも十二年前っスか」



 ――十二年前……確か、月影君の両親が殺されたのも……


 美裕の言葉以降、全員が口を閉ざし、日記を読むのに集中した。洋書の時と違い、誰かが代表して読むということはない。



『二〇〇五年十一月二日。多くの協力者のおかげで、最後の吸血鬼である月影一族の末裔を退治する用意ができ、いよいよ明日、討伐する。月影一族は日本の吸血鬼の始祖であり、強力な力を要するため万が一に備えて、この記録を残す』

 


 一日目の記録を読んだ時点で、紅牙の両親を殺したのは星羅達の両親だということは明らかだ。


 紅牙の先祖のことなど、今は微塵の興味を持たなかった。


 目を背けたい気持ちを誤魔化し、星羅達はそれぞれ苦渋を顔に出しながら、次を読んだ。



『十一月三日。遂にこの国から吸血鬼を葬り去ることができた。始祖である月影を相手に命懸けの狩りになると思ったが、幸いにも何かの記念日らしく、ケーキや料理などを準備している隙に仕留められた。用意した弾丸も二発だけで済み十発も残せた。罪深き血統を継ぐ男と、吸血鬼を愛し、吸血鬼に堕ちた女には相応しい呆気ない最後だ。ともかくこれで代々続いた家業も終わり、娘達に継がせず自由な道を歩めさせられる』



 読み終えた姉妹の顔色は悪くなっている。覚悟していたとはいえ二人には大分応えた。


 美裕もこれには同情し、慰めるために声を掛けた。



「そこまで落ち込まなくていいんじゃないっスか?一般的に考えたら、人の為にやってたんスから……まぁ、一般の人達は吸血鬼の存在なんて、知らないっスが……」



『その通りだ。気を落とすことはない。貴様らの両親は我々にとっても脅威だったからな』



 美裕の背後から聞こえた、美裕の言葉に同意する野太い声に戦慄が走った。


 書斎の出入り口を背にしている美裕も、俯いていた星羅と風花も、音もなく忍びよってきたそれに気づけなかった。


 初めて耳にする声だが、美裕にはそれが誰なのか分かり、すぐさま振り返る。



「狼男っスか……すっかり忘れてたっスよ。また、最悪なタイミングで来てくれたっスね」



「……あれが……狼男。本当に居たんだ…………ちょっと、いや、かなり怖いかも……」



 美裕は虚勢を張りながら、ゆっくり距離をとり、風花は初めて目にした狼男に畏怖し、目に涙を溜めながら姉の後ろに隠れた。



『いや最高のタイミングだ。自分の両親の事を知って、落ち込んでる最中だからな――それにしてもまだ仲間がいたとは、ヤツを始末して正解だった』



「やつ?それって紅牙君のことっスか?」



 狼男の言葉に、美裕は眉を顰める。



『あぁ。一番厄介そうだったからな。腹と心臓を貫いて、人気の無い所でな……ホッホッホ』



 狼男の言葉に美裕は大きく目を開き、絶望感を滲み出した。


 ――こいつは月影君が、ほぼ不死身の吸血鬼なのを知らない……けど佐伯さんのこの顔は?



「佐伯さん。何か策でもあって、演技してるんですか?」



 星羅は狼男には聞こえないよう耳打ちをしたが、美裕の表情は変わらない。



「……あの洋書の内容、覚えてるっスか?紅牙君は、血を吸っていない極稀な存在なんスよ……」



 ――『簡単に殺すことができる』……まさか、本当に殺されたの?


 美裕が絶望した顔を浮かべた理由が分かった星羅は、身体を震わせた。


 それだけではない。昨日、紅牙自身が言っていた、『化け物同士なら殺せる』という言葉も、星羅の精神に追い討ちをかけた。


 紅牙の昨日の言葉は、言い換えるなら怪物同士なら力量の差。人間が化け物と戦うための面倒な準備や儀式、武器など要らないという事。


 ――まだ、昨日の失言のことも、ご両親のことも謝れてないのに……こんな奴に親だけじゃなく、彼まで……



『何をこそこそ話している?――せっかく来たんだ。もう一人くらい……』



「殺させると思う?私の仲間を目の前で」



 戦意喪失気味の星羅や美裕が動けない中、狼男の言葉を遮り、皮肉にも続きの言葉を、明理が書き換えた。


 その上で、狼男の背後から頸部に村雨の刃を突き付けている。



『貴様!いつの間に……』



 流石の狼男も明理に背後を取られ、威勢を失った。



「ふふ……お前の気配を感じて、私はすぐに部屋から出た。そして気配を消し、逃がさないために背後に回ったってところ――それよりも……二人とも!しっくりしなさい!」



 明理は狼男に対して勝ち誇ると、一変して星羅と美裕に檄を飛ばす。


 ――課長?



『落ち込むのは無理ないだろう?同僚をわたしに殺されたんだからな』



 狼男の発言に、明理のこめかみの血管が浮かび上がる。



「お前なんかに、紅牙君が殺されるわけないわ!――美裕ちゃんは分かってるでしょ?紅牙君は私達にとって大事なひとであり、ヒーロー。簡単に死なないし、ピンチの時には助けてくれる……だから惚れたんでしょ?星羅ちゃん達も、落ち込むことないよ」



 冷徹に歯を首筋に突き付けている姿とは裏腹に、明理が掛けた言葉は優しいものだった。


 その言葉に美裕の暗かった顔も晴れ、いつもの喧嘩腰な態度で返した。



「……分かってるっスよ……課長と違って、アタシは頭を使うんで、ちょっとばかりマイナスに考えてただけっス。それと、紅牙君はヒーローじゃなく、王子様っスよ」



 ――『王子様』って……佐伯さん、可愛い。


 美裕の発言に星羅は思わず、クスリと笑みが零れた。



「お二人がそういうなら、そうなんでしょうね……まだ共有した時間は短いですが、私の……いや私達のために、ここまでしてくれたお二人の言葉ですから」



「お姉ちゃん…………私も信じてみようかな……月影君には、こーくんか、どうか訊きたいし」



『おめでたい奴らだ。現実を受け入れようとしないとは……』



 明理のおかげで活気を取り戻した三人に、狼男が一言放った。


 だが、明理は『黙れ』と言わんばかりに、突き付けていた村雨の刃を首に押しつけ、毛皮を一枚切裂いた。



「受け入れてないのは、そっちでしょ?この状況を見て、何とも思わないの?」



『あぁ。貴様らは、わたしを殺す手段を持ってないのだからな』



「それはどうかな?最強と謳われる吸血鬼が、首を落とされて死ぬ……もしかして、狼男も、お前ら怪物のほとんどがそうなんじゃない?それにお前を殺すのは私じゃない――星羅ちゃん用意して」



 明理に言われ、星羅は机に置いていた小箱を手に取り、開けた。中に入ってある物を見た途端に、狼男の鋭い目が丸くなった。



『そんなものまで、見つけていたとは……これは想定外だ。こうなれば……』



 そして独り言を呟いた狼男の姿が、明理の前から一瞬にして消え、次の瞬間には書斎の出入り口正面にある窓ガラスが割れていた。


 その素早さに、近くにいた明理でさえも反応できない。



「昨日より格段に速い……ま、絶対に逃がさないけどね」



 この事態に最初に対応した明理は、狼男が逃げたとされる窓から飛び出し、後を追った。


 明理が出て行くのに連れ、星羅と美裕は割れた窓がある背後に目を向けた。


 だがそこに、二人の後ろにいたはずの風花の姿は見当たらない。



「あれ?風花は?」



「まずいっス!妹さん、多分人質に取られたっスよ!あの素早さを考えたら、ヤツにとったら造作もないっス」



「風花!」



 明理に続き、星羅もガラスの破片で怪我するのを恐れずに窓を飛び越えていった。


 その時、星羅は手に持っていた銀の弾丸を落とし、床にばら撒けた。



「まったく……課長といい、星羅さんといい。目の前の事しか見えてないんスから……」



 一人、書斎に残った美裕は文句を言いながら、床に散らばった弾丸を拾い集めてから、屋外に出た。


 怪我を恐れた美裕だけは出る時に、窓からではなく玄関を通てだが。


 ◇


 星羅が、明理から僅かに遅れて庭に出ると、明理は唯一の敷地外への出口である門を背にし、狼男が敷地外へ出るのを防いでいた。


 しかし向かい合っている狼男は、美裕の言った通り、風花の首を太い腕で締めつけ、人質としている。



「風花!」



「お姉ちゃん……ごめん……」



『おっと!近づくな。元刑事のお前なら分かるだろ?』



 身体を震わし、涙を流す風花の許に少しでも近づこうとした。だが、狼男が首を絞める力を強め、苦しさから星羅が苦悶を表情に出したため、忠告を聞き入れて立ち止まるしかなかった。


 ――刑事じゃなくても分かる……近づけば、あいつは躊躇なく殺す……


 悔しさのあまり、星羅は唇を噛みしめる。


 だが最後に庭に出てきた美裕は、その状況を見ても比較的に落ち着いており、狼男を刺激しないよう、出来る限り距離をとって星羅に近づいた。



「星羅さん。きっと、大丈夫っスよ。落ち着きない課長が、落ち着いてるんスから」



 ――本当だ……というより、笑ってる?


 狼男と風花にばかり目を奪われていて、美裕に言われるまで気づかなかったが、焦ってもいいこの場面で明理は一切慌てず、星羅には狼男と向き合う明理の顔は笑顔に見えた。


 星羅と美裕の会話を余所に、明理と狼男の間でも会話は行われている。



『さぁ、退くんだ。でなければ、娘の命は当然ないぞ』



「……そうね。星羅ちゃん達の復讐も大事だけど、命には代えられないか。退くから、人質を解放しなさい」



『まずは、退け。解放はそれからだ』



「分かったわ。でも正体が分かってる以上、逃げたところで無駄だと思うけど……」



 話がまとまり、明理と狼男はお互いに牽制し合いながら、弧を描くように距離を保ちお互いの位置を入れ替えた。


 それに伴い、星羅と美裕の方は明理に合流する形となった。



「課長が条件を呑んだんだから、早く風花を離しなさいよ!」



『いや、まだ駄目だ。わたしが、この場から逃げ切るまではな』



「ふざけるな!そんなの、風花の安全がまったく保障されて……」



 約束を破られ、怒りのままに食い掛かろうとした星羅の肩に手を置き、明理は星羅の発言を中断させた。その代わりに明理が、口を開く。



「とことん卑劣ね。だけど、残念。お前はここから逃げられない」



『逃げられないだと?貴様、何を言って……る……?』



 ただの挑発やはったりには聞こえない明理の発言に、狼男は眉を顰め、質問を投げかけようとした。


 だがしかし、最後まで台詞を言い終える前に、狼男は自分の身に起きていることに気づいた。


 突然、視界が空へ向き、風花を抱えて背中から倒れそうになっていた。


 ――え?何が起こったの?


 この事態に、星羅や美裕も目を瞠り、風花も対処しきれず、混乱して脚をバタつかせる。



「流石!一瞬で足を払うなんて」



 全員が混乱する中、明理だけが一部始終を見て、嬉しそうに笑い、星羅達にも何が起きたのか漸く理解できた。


 そして、間髪入れず怒声が響く。



「……その汚らわしい手で……ふうちゃんに触んな!」



 バランスを崩し倒れると思われた狼男の巨体は、怒声と共に、より高く宙を舞った。


 落下予測地点には、脚を高く上げた怒声を発した人物が立っている。


 その場にいた全員が、その姿を見ずとも、誰の仕業か一瞬で分かった。



「紅牙君!」



 ――月影君……やっぱり生きてたんだ……


 真っ先にその人物の名を呼んだのは美裕だ。


 零課の三人が紅牙の生存に胸を撫で下ろす中で、紅牙の怒声を上回る悲鳴が庭中に響いた。



「いやぁー!落ちるー!助けてぇー!」



 狼男が蹴り上げられた衝撃で、風花は解放されたものの、狼男よりも高く宙に放り出され、既に落下を始めている。地面までの距離はおよそ五メートル。


 紅牙は美裕に名前を呼ばれているのに、気づいてはいたが、答えずに勢いよく地面を蹴り跳んだ。


 跳躍力が足りないと思われたが、途中狼男を踏み台にして跳躍力を伸ばす。


 その甲斐があり、狼男は地面に強く叩きつけられ、紅牙は余裕で風花に届き、風花の背中と膝裏に腕を回して抱き寄せたまま、門を背にして地面に着地した。


 風花が助けられ、星羅はようやく本当の意味で安心できた。



「……こーくん……?」



 紅牙の顔を間近で見た風花は、その顔が昔出会った男の子の顔と完全に重なり、『こーくん』が紅牙なのだと確証を得た。


 それに自覚なく呟いた昔の呼び名を、紅牙は抵抗なく受け入れていた。



「ごめん。危ない目にあわせて……でも、何で此処に居るの?」



 風花がいる事情を知らない紅牙は、当然に疑問に思い訊ねた。


 そこへ、念のため門の外に隠れていた真理亜も駆け寄り合流した。



『……それは、わたしが訊きたい……何故、殺したはずのお前がここにいる!』



 紅牙の疑問が解消する前に、立ち上がった狼男が、まるで化け物を見るかの様な目を紅牙に向ける。


 相対する紅牙は、風花を下ろした後、にやけて自分の牙を見えるようにした。



「本名を名乗ってなかったな。僕の本当の名前は、月影紅牙……純血の吸血鬼ってところ」



『月影だと?馬鹿な!この国の吸血鬼は滅んだ……それに月影一族に倅はいないかったはずだ』



 狼男の驚きようは、今までで最高のものだった。


 星羅や風花が紅牙の正体を知ったときよりも、格段に驚いている。


 一方で紅牙は、自分の言葉を証明すべく、腕を大きく広げた。



「僕が最後の生き残り。まぁ、僕の両親が僕の存在を徹底的に隠蔽してたんで知らなくて、当然ですよ――それに人間だったら、あんな攻撃を受けて、生きてるはずないですしね」



 紅牙の服装は今朝と異なり、ブレザーの下には制服の白いシャツは着ておらず、ネクタイも当然締めていない。


 ブレザーの下はインナーとして着ていた黒い半袖だけを着、ブレザーともに刺された箇所に穴が開いている。


 さらに首元には、固まった己の返り血がこびりつき、見た目だけでいったらボロボロだ。それでも、当の紅牙は笑顔を振り撒き、余裕を感じさせた。



『確かにそうだ……だがお前からは、わたし達の様な化け物特有の血の匂いは、一切しなかった。吸血鬼という、最高位の種族なのに』



「それは単に、血を吸ったり、あなたみたいに人を襲ってないからですよ……多守さん」



『え!多守?!』



 紅牙が口にした狼男の正体を差すその名に、星羅と真理亜は打ち合わせも無しに、同じ台詞を口にし、同じ様に驚いた。



「星羅ちゃん。何をそんなに驚いてるの?多守って本部長のことよね?」



「いえ……本部長の苗字は乾です。多守さんは確か警視正でした」



「え?!あの狼男って警視監じゃなかったの!」



 二人に続いて明理までもが驚き、大きく眼を開いたが、美裕はどこか納得したような表情だ。加えて紅牙が続きを話すのを、今か今かと楽しみに待っている。


 そんな美裕の視線に気づいた紅牙は、狼男から視線を外さずに、『どういうこと?』と何度もしつこく訊く真理亜の頭を撫でてから、狼男へ問いかけた。



「みんな、あなたの正体を聞いて驚いてますね。あなたの作戦通りですか?狼男の正体を本部長と思わせるのは」



『……ほう……変な事を言うな。どうしてそう思うか、聞かせてもらえるか?』



 紅牙の問いに対する狼男の答えは否定も肯定でもなく、全員が気になっている根拠を訊ねるというものだった。



「いいですよ。答え合わせといきましょう?――まず、あなたが昨日、黒椿の事件現場に現れたのは、落とした警察手帳を取りに来たから。落としたのは恐らく、犯行直後ではなく、次の日。まだ東京に居たあなたは、死体確認のために捜査とでも称し、現場を見に行った時」



「え?なんで次の日なの?紅牙」



「犯行直後だったら、先に捜査していた他の刑事達に証拠品として見つかって、今頃逮捕されているだろうし」



 紅牙の答えに、真理亜は納得の表情を浮かべる。


 そして次に狼男が訊ねる。



『……もしそうだとして、わたしの正体が多守であるのと、それがどう関係する?』



 紅牙と美裕を除く全員が、同意するかのように数回首を縦に振った。


 そんな中、紅牙は不機嫌そうに顔をムスッとさせている。



「そりゃ、まだ話の途中ですから。割り込まないでください――それで落としたのに気づいたのは、こっちに戻って来てから。取りに行こうにも忙しく一週間が経ち、ようやく昨日休みが取れて現場に行けたが、そこには事件を捜査する明理さん達の姿が。特に叶さんは顔見知りで、出るに出れなくなった……」



「そこであんたは、狼男の姿で出て行き、特徴的な笑い方を真似て本部長に成りすまし、罪を全て着せようと考えた……そうっスよね?紅牙君」



 美裕には既にこの段階で紅牙の推理が分かり、紅牙のセリフを奪ったが、話の邪魔をされても紅牙の顔は不機嫌なものにはならず、むしろ笑顔だった。


 ――佐伯さんならいいんだ……というより、狼男だから駄目なのか。


 理由は単純で、犯人である目の前の狼男を嫌っていただけだ。



「正解です。美裕先輩。それに乾さんも多守さんも、事件当日は東京にいて、昨日は休日。罪を着せるのに、本部長の乾さんは最適だったってことです。何より乾さんを知っている叶さんが、その場にいましたから」



「あー!紅牙が婦警さんに乾の昨日の予定を訊いた時、一緒に多守の予定も訊いてた!」



 真理亜はさり気なく紅牙が訊いていた事を思い出し、大声を出した。


 紅牙は褒める意味合いで、真理亜の頭をまた撫でる。撫でる行為は、紅牙の癖になりつつあった。



「そう。アリバイが無いのは乾さんだけじゃないってこと。ですよね?多守さん」



『……それだけで、わたしの正体を決めつけるのか?』



 認めようとしない狼男の発言に、紅牙は思わずため息を吐いた。



「往生際が悪いですよ?自分では気づいてないでしょうが、あなたは三つのミスを犯してる。一つは、乾さんと二人で話そうとしていた時に、あなたが来たこと」



「言われてみれば、タイミングが良すぎる……そうか!昨日顔見られてたし、真理亜達を監視しようとしたんだ」



 紅牙の真理亜を撫でる勢いが増し、真理亜はくすぐったそうに照れた。


 明理と美裕は何も言わなかったが、真理亜に恨みの籠る視線を送っていた。



「真理亜ちゃん。かなり優秀だね――あれで容疑者が加わったと言っていいでしょう。それで二つ目のミスは、その監視中のとある発言。『君らは、乾さんを犯人に仕立て上げようとしているのか』って言ってましたよね?」



「月影君、それってミスですか?罪を着せようとしている相手を庇う。むしろカモフラージュには良い手じゃないんですか?」



 星羅はムスッとされるのではないかと、不安になりながらも声を張って疑問をぶつけた。


 相手は星羅であるため、もちろん紅牙の表情は優しいものだ。



「実は、乾さん達に名乗った時、僕は『個人的に事件を調べてる』って言ったんです。なのに『君ら』ってのは、おかしいですよね?考えられるのは、真理亜ちゃんが見えていたか、僕が組織的に動いているのを知っていたか。もしくは両方か……まぁ、どれにしても怪しいですが」



 ――月影君、そんな細かいところまで……


 紅牙の推理している姿を初めて見た星羅は、声には出さず称賛した。



「――最後に三つ目。乾さんとの会話を終えた後、僕を殺そうと呼び出したメール。あれで多守さんが犯人だと確信しました」



「メールで?……うーん……ダメだ。真理亜じゃ、あの内容の不審な点は分かんないや」



 メールの内容を思い出して考えたが、今回ばかりは真理亜も音を上げた。


 それでも紅牙は変わらずに、頭を撫で続けている。



「いや。問題なのは、内容じゃなくて連絡手段。僕はあなた方に連絡先を教えた際、『ここに電話してください』と念を押したのに来たのはメール……そうしなかったのは、声を聞かれたくなかったから。その理由は言わずとも、分かりますよね?」



 最後の一言だけ、紅牙は真理亜にではなく、狼男に投げかけた。



『……』



 狼男は紅牙の言葉に、沈黙を返しただけだ。肯定とも受け取れるそれに、紅牙は流暢に佳境に入った推理を続ける。



「……そう。成りすますため。実際に呼び出しのメールは、乾さんの名で届きました。僕がお二人の連絡先を知らないのをいいことに、ね」



『っ!まさか、わざと連絡させたのか!』



 紅牙の推理だけでなく、真理亜も知らなかった紅牙が講じていた策に気づいた狼男は、冷静さなど失い、身体を震わせた。


 もう自分の正体のことなど、どうでもよくなっている。



「えぇ――あなたは今まで自分の障害となる人達を、殺してきた。それは僕らも例外じゃなかったはず。そこであなたは、考えた。単身で来た僕を殺し、遅れて来る他の仲間に殺したことを伝える。後は逃げるだけ。怒りで冷静に考えることも、判断もできなくなった明理さん達が、犯人と疑う乾さんを殺すのを待つだけでいい、と。そうすれば自分は助かる。ま、冷静な判断ができる美裕先輩がいる以上無理だろうけど」



「え!紅牙、そこまで分かってたってことは、わざと死にかけたの?!真理亜が、どれだけ心配したと思ってるの!」



 頭上に置かれた手を残したまま、限界まで頬を膨らませた真理亜は紅牙の体を揺さぶり、怒りをぶつける。


 紅牙の無茶に明理や美裕も、遠くから怒りを視線で送った。紅牙の頭に過るのは『説教』の二文字。



「ごめんね。だけど、多守さんをこうして追い詰めるには、必要だったし。大目に見てよ」



 紅牙はというと、反省の色を全く見せず、笑って誤魔化した。


 だが姉妹は、自分達のために危険を冒した紅牙に罪悪感と、頭の良さへの羨望が混ざった眼差しを向けていた。


 そんな二人の気持ちを代弁するかのように、黙っていた狼男が口を割った。



『……そうか。全てはお前の掌の上、というわけか……もう隠しても仕方ない。どうやら、認めるしかなさそうだ――しかし何故、お前がそこまでする?知っているのだろう?叶の一族が、お前の家族を殺したのは』



 狼男の一言に、星羅と風花の胸が痛んだ。二人は紅牙から目線を外した。



「でも、二人が殺したわけじゃない。それと理由だが、当時親を亡くし、悲しむ叶さん達の姿を見た。彼女達にそんな顔をさせたあなたが、許せなかった。個人的な理由だけどね」



 ――え?そ、それって、昔から気に掛けてくれてたってこと?風花はともかく私まで?……もしかして私の事……す、好きってこと?それも、昔から。そういえばあの頃、私のこと美人って。


 紅牙への罪悪感から目を逸らしたはずの二人は、紅牙の話した理由を愛の告白と受け取り、顔を赤く染めた。


 落ち込む顔は見せても、悲しんだ顔は親が亡くなった当時にしか見せていなかったので、その顔を知っている紅牙は、二人の中で『こーくん』であると既に確定していた。


 その事が後押しし、約二名が舞い上がっていたりすることとなったが。



『それだけか?!それだけのために、命を懸けたのか!』



 姉妹には目もくれず、狼男は紅牙の言葉の意味が分からず驚嘆する。対して紅牙は笑って答えた。



「それは価値観の違いってやつですよ。大切な人のために命を懸ける。それが僕の当然」



『分からん。僕は、自分の命が一番大事だからな。どうやら、お前とは分かり合えないようだ――自白し後がない今、わたしが次に取る行動も、頭の良いお前なら当然分かってるのだろう?』



「もちろん。口封じのために、皆殺し……ですよね?」



 紅牙の言葉に、顔を赤くしていた星羅や風花を含め、全員の顔が強張る。


 星羅と明理はそれぞれの武器を構えた。



『フッ……正解だ』



 そして狼男は鼻で笑うと、風花を人質にとったときと同じように、一瞬にして六人の前から姿を消した。


 それにより風花と真理亜は慌てふためく。



「消えたー!何処行っちゃったの?」



「ねぇ、こーくん……最初に殺されるのって、もしかして私?」



 特に不安がっていたのは風花だ。事件への耐性もなく、戦闘方法もない自分が狙われるのではないかという恐怖で、足が震えている。


 安心させようと紅牙は真理亜の頭の上に置いていた手を、風花の肩に移した。



「大丈夫、守るから。それと消えたんじゃなくて、素早く移動してるだけ」



 そう言った紅牙は、吸血鬼が故に身体能力が高く、正確に狼男の動きを目で追っている。


 動きを追っているのは、目を閉じ気配を探っている明理の二人だけだ。


 ――最初に狙うとしたら、戦えない風花か佐伯さんか、飛び道具を使う私……


 とても二人のような芸当ができない星羅は、予想して警戒することしかできない。


 取り敢えず、星羅は一人で風花と真理亜を守る紅牙を案じ、風花の周辺を警戒した。


 しかし、狼男が牙を剥いたのは、星羅の予想した三人ではなかった。


 狼男を星羅が視認できるようになった時、その巨体は紅牙の前に現れていた。


 紅牙は透かさず、肩に置いていた手を利用して風花を強めに押して、離れた場所へ飛ばし、真理亜のことも空いている手で、風花とは逆方向に押し飛ばす。


 飛ばされた二人は運動神経が良くないのか、受け身を取れずに盛大に転んだ。


 二人に謝る暇も与えられず、紅牙に向かって鋭い爪が真っ直ぐ襲い掛かった。


 それを紅牙は寸前のところで、真理亜が飛んだ右方向へ転がり回避する。


 だが二人を遠ざけたことで、紅牙の回避が遅れ、左頬に掠り傷ができていた。



「いきなり僕の所に来るとは……モテる男は辛いねー」



 渋面を浮かべながら紅牙は立ち上がり、頬を伝う血を手で拭う。



「おかしい……紅牙君に、いつもみたいなキレがない」



 一見、余裕のありそうな紅牙だが、明理の目にはそう映らなかった。



『雑魚から狙っただけだ。吸血鬼として覚醒していないお前の、能力は通常の吸血鬼よりも格段に落ちる……本当は、刺された傷が癒えていない上、血が足りず、立っているだけでやっとなのだろ?』



 言い終えると同時に狼男の姿は、紅牙の後ろから前へ移っていた。


 回避不可と判断し、紅牙は振り向きざまに蹴りをいれ、振り下ろされる大きな腕をはじく。



「見くびらないでもらいたい。魔除けのないこの場所では、昨日より楽に動ける」



『それは僕も同じだが、強がるな。お前がお嬢ちゃんを助けた時に、傷が開いて再び血を流している。僕は鼻が利くからな、黒い服で目には見えなくても、匂いで分かる』



「流石、犬だな。お鼻がよく利くことで……でも、それをいちいち言う必要はなかったんじゃないか?」



 僅かにだが、紅牙の足許に何滴かの血が垂れていた。狼男の言葉が無ければ、誰も気づかなかっただろう。


 ――課長が言ってたのは気のせいじゃなかった……あれ?課長?


 注意が狼男に向いていたため、星羅が明理に目を向けた時には、明理の姿はなかった。



「課長はこんな時に何処行ったの?!こうなったら、私が……」



 万全ではない紅牙を掩護すべく、無意味だと承知の上で構えていた銃を撃とうとしたが、その銃を美裕が片手で掴み、発砲を防いだ。



「待つっス。的は紅牙君の向こうっスよ?動いたら当たるかもしれないっス。それにヤツは昨日よりも力が増してるんで、その弾じゃ牽制にもならないっスよ。なので、これ」



「あ。拾ってきてくれたんですか?ありがとうございます!」



 美裕はもう片方の手に持っていた、銀の弾丸入りの箱を見せた。


 星羅はお礼を言いながらその箱を開け、中から一発だけ取り出した銀の弾丸を銃の中の弾丸とを入れ替えた。



「でも、まだ撃っちゃダメっスよ。紅牙君に当たったら、それこそ死んじゃうっスから」



「分かってますよ……でも助けないと……」



 無自覚に、紅牙は自分の腹部を隠すように抑える姿を見て、不安から焦りが生じた。



「それなら、姿を消した課長が動いてるはずっスよ」



 ――え?課長が?


 紅牙や風花、真理亜の周りを見渡したが、星羅は明理を見つけることができなかった。




 星羅が明理を探している間に、紅牙と狼男の短い睨み合いが終わりを告げる。


 腹部を走る痛みに紅牙が、牙を鳴らした一瞬の油断をついて再び腕を振り上げた。



『隙を見せたな。月影の血筋もこれで終わりだ!』



 一度は蹴り飛ばした腕を、紅牙は何もせず、振り上げられた腕をただ見つめる。


 さらには、死ぬかもしれない瀬戸際に渋面を笑顔に変えた。



「……終わるのは僕じゃない。あなたの方だ」



 まるで言葉が合図だったかのように、『ボトッ』と重い物が落ちる不快な音が鳴った。


 その瞬間、真理亜と風花は嫌悪感から思わず目を逸らした。


 落ちた物の正体は、紅牙に振り下ろさせるはずだった、狼男の左腕だ。



『僕の腕…………?……ぐあぁぁぁ……!』



 軽くなった肩を見て、そこで初めて狼男は激痛を感じ咆哮した。


 血が噴き出る肩口の切断面は、刃物で斬られたもの。それが出来るのは明理以外この場にいない。



「また背中が、がら空きだよ?お前も私と同じで、興奮すると周りが見えなくなるタイプみたいだね。ちゃんと紅牙君の相棒……いや、妻である私のことも視野にいれないと」



 明理の声が聞こえたのは、狼男の背中からだった。


 狼男の体が邪魔で星羅達からは、その姿が見えず、星羅がいくら見渡しても見つからないのは仕方ないことだ。


 ただ、紅牙は腕を切断する刀の軌道が見え、明理の存在に気づいていた。


 紅牙の顔が笑っていたのは、宣言通り勝利を確信していたからだ。



『貴様!またしても!こうなったら、貴様から殺してやる……気配を感じられ、剣の腕があっても、人間ではこのスピードに追いつけないはずだ……』



 狼男は人間以上の身体能力を持ち、頭も切れる紅牙が弱っている間に仕留めるつもりでいたが、戦闘面では紅牙と並ぶ明理の登場に、狙いを変えなければならなかった。


 残っている右腕で、今度は明理を貫こうとした。


 されど腕を斬られ、その痛みと怒りから明理の実力を正しく見抜けておらず、伸ばした右腕は明理に到達する前に失った。



「浅はかね……これだけ近ければ、初動から次の攻撃を予測できる」



 斬られた際に痛みはなく、腕が無くなったことに気づいた時に痛みが走る。


 そんな芸当ができるほどに、明理の技量は高い。昨日の戦いよりも、格段に実力を発揮している。


 それを最初の腕を斬られた段階で気づかなかった時点で、狼男の負けは決まっていた。



 

 両腕を失い、その苦痛から狼男の絶叫が聞こえると思っていた一同だが、次に聞こえてきたのは、ボキボキと骨が折れ、砕ける、嫌悪を感じる音だった。


 音と共に狼男は両膝を地面に着き、紅牙の体も力が抜けるように右へと傾き始めた。



「星羅さん、今っス!今なら、あれの動きも止まっていて、紅牙君も邪魔にならないっス」



「はい!分かってます!……これで終わりにします……私達姉妹の復讐を」



 星羅が構え直し、照準を定めるまでに一秒もかからなかった。紅牙や明理とは異なって、星羅には狼男の速さを見極める術はなく、集中し隙が生まれるのを待っていたからだ。


 ――奴が動きを止めたのも、きっと月影君のおかげだよね。ありがとう……


 倒れゆく紅牙に今は届けられない感謝の言葉を、心の中で唱え、未だかつてないほど、重く感じる引き金を引いた。


 両親を亡くしてからの日々と、幾多の想いを乗せた銀色に輝く弾丸は、銃声が鳴るとほぼ同時に狼男の背中から心臓が撃ち抜かれた。


 弾丸は明理の顔の横を通り、そこに立っていたなんでもないただの木に当たり、勢いを削いだ。


 狼男は声を発することもなく、大きな体が前のめりに崩れ落ちた。


 毛で覆われた巨体は、倒れるに連れて小さくなり、毛皮も無くしていった。残ったのは半裸で両腕のない成人男性が、横たわる姿だけ。




 狼男の面影すらない男の許へ、星羅、風花、明理の三人は駆け寄った。



「……やはり月影君が言った通り、多守さんだったんですね」



 髪は乱れ、眼鏡も外していたが、星羅にはそれが多守であるのは一目で分かった。


 人間体に戻り、ピクリとも動かなくなった多守に星羅は話し掛けたが、目は開いたまま瞬き一つせず、既に息を引き取っている。



「撃たれてから、即死だったみたいね。私が腕を斬り、紅牙君が何かして手負いだったし」



「何かじゃなくて……動けないように、背骨を折ったんですよ。狼男にも勝る速さで……」



 明理の言葉を訂正したのは紅牙だった。だがその様子はみすぼらしさに拍車が掛かり、口からは血が流れ、目はほとんど開いていない。呼吸も荒く、真理亜の肩に右腕かけて立っている状態だ。


 後ろからは美裕が不安そうな顔で気を揉んでいる。



「紅牙君、ダメっスよ!横になってなきゃ!まだ傷口が塞がってないんスから」



「大丈夫ですよ。こんな傷。不死身の吸血鬼ですから……って、言ってもダメですよね?」



 紅牙のふざけた言い回しに、その場に居合わせた全員が紅牙に強い眼差しを向けた。



「もうバレてるんだよ。紅牙君が不死身じゃないってこと。今まで隠してたみたいだけど、不死身じゃないのは、この家にあった本に書かれてたし、この狼男も言ってたしね」



「今までも、今日も、危険な事は全部、紅牙君が引き受けてきてたっスけど。今回ばかりは、その事を知ってアタシでさえ心配したんスよ。申し訳ないと思うなら休むっス」



 明理と美裕の二人は、ボロボロの紅牙に遠慮なく詰め寄り、表情と強気な発言で紅牙を圧倒させた。二人に責められた紅牙は気張るのを止め、真理亜の肩から腕を落とし、地面に寝転んだ。



「そんな怖い顔しないでくださいよ。僕が悪かったです。怪我人は怪我人らしく、寝てますよ……だけど、これからも危険な事はするんで、ご了承を」



「えー!するの?!そこは普通、『しない』って答えるところでしょ!」



 紅牙の発言に真理亜が吃驚した時には、当人がすやすやと寝息を立てていた。



「吸血鬼なのに紅牙君が対策局にいれるのって、化け物だから危険な事をさせても構わないって名目があるからなんスよ。だから否定はできないんス」



「それはいくらなんでも、月影君が可哀想なんじゃ!」



 紅牙の寝顔を見て、よだれを垂らしかけるほど顔がだらしなく、その上、携帯で寝顔を撮りながら話す美裕の態度に、星羅は少しの苛立ちを催した。



「あくまで名目っスよ。局長は紅牙君に優しいんで、そんな命令出さないっスから。でも、紅牙君にしかできない仕事もあるっス。それに、紅牙君は自ら危険に突っ込むタイプなんスよ」



「誰かを守るため。それが人でも人外でもね。特に大切な人のためなら、尚更」



 明理はその大切な人が自分であることを暗示させるように、台詞の最後にウインクした。


 ――大切な人……それって、やっぱり……わ、わ、私?


 ところが星羅はウインクの意味を『今日の出来事を考えたら、それが誰なのか察するでしょ?』と、問われているのだと一段と勘違いを増幅させた。


 それは風花も同じだ。傷が開くのも恐れず、自分を助けてくれた事を思い出していた。



「何で顔を赤くしてるんスか?姉妹揃って。何か良からぬことでも、考えてたんスか?」



 何時しか、写真を撮り終えていた美裕が、そんな二人を半目で見ながら言った。


 美裕の指摘にまたまた姉妹揃って、顔を触り、頬を隠す。おまけに声まで合わせた。



『してないですし、考えても無いです!』



「……まぁ……そういうことにしておこう?仇を討てたのに、イジメたら可哀想だよ」



 嘘をつくのが下手な二人を見兼ねた明理は、『今回だけは』と見逃すよう、美裕に促した。



「今回だけっスよ?――さてと、事件解決のメールをさっき局長に送っておいたっスから、この遺体も直に始末されるんで、後は帰るだけなんスけど……」



 ――けど?


 美裕は言葉を途中で区切り、寝ている紅牙を一瞥し、次いで明理を見る。


 それがアイコンタクトの役割を果たし、明理が言葉を続けた。



「その前に一つだけ訊きたいことがあるの。星羅ちゃんは、この仕事を続ける?元々、仇を討つために刑事になったんでしょ?それが出来て、星羅ちゃんには私達と違って家族もいる。いくら紅牙君が危ない事を引き受けても、危険なのには変わらないからね」



「それって今なら辞めれるってことですか?…………でも、続けますよ。この仕事」



 今まで生きる意味でもあった復讐を成し遂げた星羅には、有り難い提案ではある。


 だが全てが終わった今、星羅には別の想いが馳せていた。



「理由を訊いてもいいかな?」



「確かに復讐が大事でしたけど、元刑事として誰かを守りたいって気持ちもありますから。それにこの仕事は、誰でも出来るわけじゃないですし」



 ――もう一つ……月影君の両親を奪ったのがお父さん達なら、せめて月影君だけは守りたい。



 最後の理由を星羅は胸の内に閉まっておいた。


 そんな事を紅牙が望んでいないのは、分かりきっていたからだ。それに明理や美裕を勘違いさせるかもしれない。



「まるで紅牙君みたいに、真っ直ぐっスね――アタシや課長も過去にいろいろあったんスけど、それに区切りがついた時、紅牙君に同じ事を訊かれたんスよ。だから今回は紅牙君に代わって訊いたんスが、答えもアタシらと同じだったっスね」



 ――同じか……私を自分と重ねてたから、個人的な事にも親身になってくれたんだ。



「ちなみに、私達が続けようと思ったのは、紅牙君がいるっていう理由が大半だけどね」



 付け加えた明理の一言が、あたかも自分の心を読んでいるようで、星羅は若干の寒気を感じた。実際はただの思い込みにすぎない。



「そうそう。紅牙君で思い出したんスけど……零課に入るってことは、吸血鬼を殲滅しようとしていたご両親や先祖を裏切る事になるっスよ?」



 ――やっぱり、心を読まれてる?……少しくらいなら、言っても大丈夫かな?



「月影君が言ってたじゃないですか。『親は関係ない』って。親不孝になるかもしれませんが、私は自分の決断と月影君を信じます」



 少しと思いながら、星羅は胸に秘めた想いをほとんど喋っていた。明理達に話すと同時に、両親にも自分の想いを伝えるために。


 紅牙が起きていたら、照れ臭くて言えなかっただろうが、会話に入らなかった真理亜が、寝ている紅牙の頬をずっと突いていたので、もしかしたら起きていたのかもしれない。


 ――そういうわけだから。お父さん、お母さん。私には月影君を殺すことはできないよ。私と風花は、うちの家系がやってきたことを肯定しきれないから。


 すべての真実を知った我が家を見て、星羅は親を敵に回す覚悟で新たな誓いを立てた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ