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零課   作者: 大島集
壱話 始
4/7

壱話 三章~紅牙の計算~


 怪我を負った明理を近くの病院に連れて行った紅牙達。


 星羅は明理の治療を待合室で座って待っていた。


 心配するほどの怪我ではなかったが、狼男との戦闘から時間が経ち、起こった出来事を思い出す度、責任感で押し潰されそうになっている。


 背中を丸め落ち込む星羅の隣に、事件現場での出来事を美裕に伝えるために席を外し、電話をしていた紅牙と、紅牙から離れられない真理亜が腰を下ろした。



「月影君……さっきは助けてくれて、ありがとうございました。それから真理亜ちゃんも」



 紅牙達が来たことで、無理矢理笑顔を作って、顔を上げてお礼を述べた。

 

 紅牙と真理亜は星羅が無理に取り繕っていることくらい百も承知だった。



「魔除けが多くされていて、敷地内に真理亜は入れなかったけど、真理亜に気を取られている隙に紅牙が攻撃する……我ながらいい連携だったよね?」



 自画自賛し、真理亜は敢えて明るく振る舞った。



「それを言うなら『我らながら』だろ?」



 と、紅牙もいつも通りの変わらない態度で、話を真理亜に合わせた。



「あ、そうだね。主に活躍したのも、作戦考えたのも紅牙だし」



 星羅にさっきまでのことを考えさせないようにするための会話だったが、盛り上がっているのは二人だけで、星羅は一切会話には入らない。


 俯き続ける星羅に真理亜は『どうしよう』と、困り顔で紅牙に口だけ動かし訊ねると、紅牙は真理亜の期待に応えるように、星羅の顔を見ずに口を開いた。



「――叶さん。死人がでてないんだし、そこまで気にしなくていいと思いますよ。両親の仇がいたんですから、冷静な判断ができなくなるのは分からなくもないですし」



「…………分かりませんよ……両親が殺された私の気持ちなんて……風花くらいにしか。それに、そのせいで誰かに迷惑かけたことも、です……変に慰めないでください」



 紅牙の慰めは気を晴らすどころか、その逆効果になり星羅の顔はさらに曇った。


 慰めるのを失敗したと思い真理亜は慌て、紅牙の顔まで一瞬曇り、決意と同時に重い口を開けた。



「……少しは分かりますよ。今から十二年前に、僕の両親も殺されましたから」



 ――え?


 事件現場を出てからずっと俯いていた星羅が、初めて顔を上げた。


 だがそれは前向きになったからではなく、紅牙の言葉が信じられず自分の耳を疑ったからだ。



「殺されたって……本当……なんですか?」



「本当ですよ。僕が四歳の頃に目の前で……ちなみにその時、僕は隠れてたんで、助かったんですけどね。それから僕は孤児院で育って……って、僕の身の上話なんて興味無いですよね」



 本当は辛いであろう話を紅牙は冗談を交えながら、感情的にもならず平然と話した。


 初めて聞く紅牙の素性に、真理亜は驚いて目を剥き、星羅は同じ境遇のはずなのに、心の持ちようが自分とは全く違う紅牙が信じられずにいた。



「……どうして笑っていられるんですか?もしかして復讐できたから?」



「いや、僕は復讐しようとは思わなかったですね。殺した人達には娘が二人いて、僕が復讐したら、その娘さん達が悲しみますから……それに娘さんの一人は僕と同い年で、顔見知りでしたから」



 いつまでも引きずるような過去を、紅牙は他人事みたいに話す。


 自分と同じ筈なのに似つかないその様が、星羅にとっては怖かった。



「それでも親を殺されたら、普通は憎くて堪らないんじゃないですか?年のわりには大人びてるって言えば、聞こえはいいんでしょうけど、そこまで冷めていると、まるで化け物みたいですよ……」



 化け物。


 その一言を言われた紅牙は下を向き、星羅や真理亜から見えないよう自分の前髪で目を隠した。その上で、唇を吊り上げていて、自分の感情を隠しているようだ。



「ふっ……まぁ、憎かったですよ。でも、僕の両親を殺した二人は、十年前に亡くなってます。怨む相手もいなきゃ冷めますよ――何よりも叶さんの両親の仇と違って、僕の親を殺したのは人間です。僕が人を殺したら、それこそあの狼男と同じ化け物になってしまいますから……とはいえ、僕が化け物なのは間違いでもないですし」



 紅牙の言葉に星羅は引っ掛かりを覚えたが、それが明確にどこなのかは分からなかった。ただし、口調から今までの調子とは異なるのは分かっている。


 ――もしかして、怒らせた?今思えば、酷いこと言っちゃってたし……さっきから全然冷静になれない。


 星羅は自分が言い過ぎたと後悔した時には、紅牙は立ち上がって体ごと星羅から顔を逸らした。



「けれども、叶さんは前へ進むために仇を討ってください。そうしたら、叶さんや妹さんの心も救われるでしょうし、これ以上犠牲者をださずに済むんで」



 紅牙は背を向けたまま星羅に言い、その場から去ろうと歩き出した。



「待ってください。何処に行くんですか?……え?」



 星羅には紅牙の言葉が永遠の別れの様、何処か寂しく聞こえ、反射的に止めた。


 取り敢えず言い過ぎたことを謝ろうとしていたが、少しだけ振り返った紅牙の顔を見た途端に、言葉を忘れるほど頭の中が真っ白になった。


 星羅から見えている、紅牙の左半分の顔の口部。閉じた唇から出ていた、狼男よりも短いが鋭い一本の牙が彼女をそうさせた。


 見られたことを悟った紅牙は、慌てて口元を手で覆う。



「えっと、調べたいことがあるんで、お先に失礼します。明理さんのことは任せました。では」



 引き留めておきながら、結局星羅は言いたいことを言えずに、紅牙と真理亜の後姿を見送るこしかできなかった。



「ねぇ、紅牙。どうして口を隠してるの?」



「ちょっとね……でもすぐに理由はちゃんと話すよ」



 遠ざかる二人の会話を聞きながら、星羅は二人が見えなくなるまで紅牙を見つめ続けた。


 ――さっきの見間違いじゃないよね?あれはいったい、何だったの?


 星羅は答えの出ることのない自問自答に頭を悩ませた。


 本当は彼が仇である狼男と同類ではないかと考えては、それを彼女は必死に否定し、今度は本人が自信で口にした『化け物』という言葉を思い出し、何度も考え直す。


 仇である狼男の事や、復讐心に囚われ明理に怪我を負わせた後悔に恩人の紅牙の事も加わり、目先の事で精いっぱいになる星羅は精神的に限界が近かった。




 紅牙達が去り、二十分程が経った。


 待合室にいる誰よりも暗い顔をしている星羅の許に、治療を終えた明理が戻ってきた。



「星羅ちゃん。お待たせ……星羅ちゃん?」



「……え?あ、はい……すみません。ボーッとしてて」



 明理の呼び掛けに星羅はすぐに答えられなかった。


 当然、明理はその異変を見過ごすことはなく、心配する立場が逆転して先程まで紅牙が座っていた場所に明理が座る。それと同時に辺りを見渡しながら訊ねた。



「……ところで紅牙君達は?」



「調べものがあるとかで、先に帰りました……」



 会話が思うように弾まず、仕方なく明理の方から本題を切り出した。



「そっか……もしかして星羅ちゃん。自分を庇って私が怪我したこと、気にしてる?」



 星羅が心に抱えていた悩みの一つを明理は言い当て、星羅は俯き黙ったまま一度だけ首を縦に振った。



「……本当にすみませんでした。あの時、課長の言う通りにしてれば……」



「数針縫っただけだし、そこまで気にしないで。仲間なんだから、命を懸けて守るのは当然だよ――まぁ、紅牙君の引用だけど……救われた方は、気にしないなんて無理だよね」



「月影君のですか……?」



 名前が出ると星羅の頭の中で、牙を生やした紅牙の顔が再び映像として流れた。


 そのことでも悩んでいるのを、知りもしない明理は、気にも留めず話を続ける。



「うん。実は私や美裕ちゃんも入ったばかりの時に、それぞれ個人的な理由で感情的になって、紅牙君に怪我を負わせたことがあるの。さっきのは、その時に私が言われた言葉」



「でも私だったら、そんなこと言われても罪悪感は消えないですよ……」



「私もそう。あの時、紅牙君の腕を斬りおとした感覚は今でも残ってる」



 と、自らの手を眺めながら、今にでも泣きそうな顔で口にした。


 ――腕を?でも、月影君の腕は義手じゃなかった。



「……やっぱり月影君も、あの狼男と同じ化け物なんですね?」



 感傷に浸っている明理に他に掛けるべき言葉は無数に存在したが、星羅が選んだのは、紅牙のことだった。


 神経ごと切断されていたら普通は自由に動かすことはできない。しかし紅牙の腕を自由に動いており、星羅が紅牙の正体を決定づけるには十分だった。



「なんでそう思うの?」



 星羅が確認をとると、自分が怪我を負わせられても一切怒らなかった明理が、美裕との喧嘩の時とは比べものにならないくらい、機嫌を悪くし、その声は冷めきっていた。


 美裕との口喧嘩はお約束的な二人なりのスキンシップだったが、星羅の言い放った言葉は仲間内だからこそ、明理にとっては冗談では済まなかった。この場に美裕も居れば、同じく殺気を放っていただろう。



「だって、斬りおとしたはずの腕が有って、まるで再生したみたいに動かしているじゃないですか――それに……牙が生えている姿を見たんです」



 俯いたままの星羅には明理の表情が見えず、自分の答えがますます明理を不機嫌にさせ、しかめっ面にしていることを知らない。



「……話を変えるようで悪いけど。星羅ちゃん、紅牙君に何か言ったんじゃない?」



「どうしてそんなこと、訊く……ん……ですか……?」



 質問の意図が分からず、質問をしながら顔を上げた星羅は明理が顰めているのに、ようやく気づき、後半は言葉が途切れ途切れになった。



「いいから答えて。そしたら理由を説明するから」



「……は、はあ……確か月影君の両親が殺された話をしていて、仇を討とうともしない月影君に『冷めてて化け物みたい』って言ったら、様子が変わりました」



「そういうこと……じゃあ約束通り、訊いた理由を説明するね。まず大前提として、紅牙君は星羅ちゃんが思うように、生物学上人間じゃない。だけど、あんな狼男みたいな化け物なんかじゃましてもでもない……」



 明理は星羅を真っ直ぐに見据えて、真実だけを伝えるようにして言った。


 自分の事を話す時よりも真剣な明理の瞳に、星羅は吸い込まれそうになっている。



「じゃあ……いったい何なんですか?」



「まず、紅牙君の正体は吸血鬼なの」



 幽霊が見え、狼男にまで遭遇した今の星羅にとって、吸血鬼の存在を信じることなど容易い。その吸血鬼が、紅牙であることも同様に。



「吸血鬼って、ヴァンパイアのことですよね?ニンニクや十字架が苦手な」



「そう。その吸血鬼。でも紅牙君は人を襲っていなければ、血を吸ったこともない。吸血鬼の家系に生まれてしまっただけの、男の子なの。必死に人間として生きようとしていて、一番人間らしくて、かといって自分が人間じゃないことを認めてるから、痛みを常に抱えてるから誰よりも優しい――この意味、分かる?」



「…………はい。私、何も知らなくせに、自分が上手くいかなかったからって八つ当たりして、最低ですね。自身の全てを否定されたら、月影君もそりゃあ怒りますよね……」



 ほとんど紅牙のことを知らなかった星羅だが、明理の必死さが伝わる様子から、好意を抜きに真実だけを述べていることが分かり、紅牙への考えを改めた。


 正確には、紅牙の印象が元に戻ったといえる。優しく頼りになる年下の少年に。


 明理が言いたかったのは、紅牙が件の狼男の様な殺戮を繰り返す化け物と同様の扱いされるのが嫌ということだ。ただ、それは紅牙がというよりも、彼女や美裕等の彼に絶対の信頼を置いている者達がだろう。


 加えて今更ながら星羅は紅牙に言い放った言葉を悔いたが、それはある種、見当違いだった。



「怒らせたというよりは、傷つけたって感じかな?――紅牙君が感情的になると、犬歯が血を吸うための牙に変わるから、普段はクールを装ってるの。ただまぁ……怒りにせよ、哀しみにせよ感情的になったのには変わりないけどね」



 ――だから感情を抑えているのか……他人にその姿を見せたくなかったから。でも零課は素の態度でいるのは、みんなを信頼してるから。私を含めて……


 今日に限って、いろいろな意味で誰かを傷つけてばかりの自分に、星羅は嫌気がさした。



「やっぱ私って馬鹿ですよね?何も知らなかったとはいえ、傷を抉るようなことして。偏見だけで判断して。彼に会わせる顔がないですよ」



「紅牙君なら謝れば許してくれるわよ。だから、いつまでも落ち込んでないで、元気出して。っ痛……」



 慰めと言わんばかりに、明理は星羅の背中を叩いた。


 誤って怪我した方の腕を叩いてしまったため、星羅よりも明理の方が痛みをともなっている。



「ちょっと、大丈夫ですか?」



「平気、平気――会計、まだみたいだし……何話そうか?言っておくけど、これ以上暗い話は勘弁ね」



 腕をさすりながらも、やっと明理は笑顔を取り戻した。だが言いたいことを言い終えた明理は、星羅を元気づけなくてはいけないという気持ちとは裏腹に話題が思いつかなった。


 代わりに星羅の方は頭の中のモヤモヤが晴れ、今は仇である狼男のことよりも今は紅牙について多くを知りたいと望んだ。



「でしたら、吸血鬼のことを教えてください」



「いいけど……紅牙君を殺さないでね?その時は、私や美裕ちゃんを始めとした何人かが星羅ちゃんの命を本気で狙うよ?」



「そんなことしませんよ。ただ知っておきたいだけです」



 屍のように気が抜けた状態だった星羅が、はっきりした声を出し明理は安心した。


 そこで星羅から視線を外し、正面を向いて頼みに答えた。



「ふふ……冗談だよ――吸血鬼っていうのはね、自分の力を保つために血を吸うの。だから生きるのに必ずしも血を吸わなくてはいけないってわけじゃないの」



 ――だから月影君は、普通に生きていられるんだ……



「映画とかと全然違うんですね?じゃあ、血を吸われた人も吸血鬼になるっていうのは?」



「それも違うよ。吸血鬼になる方法は、吸血鬼の血を飲むか、遺伝だけ」



 ――月影君の場合は遺伝ってことか。ん?ちょっと待って……



「もしかして月影君の両親って、吸血鬼だから殺されたんですか?」



 ずっと落ち込んでいて声を潜めており、周りには星羅の声が聞こえない状況が続いていたが、調子を取り戻しつつあった星羅は声の大きさも元に戻りつつあった。


 そのため病院では不謹慎な単語が出て周りの患者が星羅を横目で見たが、星羅は気にしていない。


 正面を向いていた明理も周りからの視線は感じていたが、構わずに続きを話した。



「そう。だけどこの組織にじゃなくて、吸血鬼を退治する専門家……通称ヴァンパイアハンターにね。紅牙君の両親も人を襲っていなかったけど、ハンターにはそんなこと関係ないのよ。それは、陰陽師や霊媒師にも同じことが言えるけどね」



「理不尽ですね……だったら、月影君も危険なんじゃ?」



「それは大丈夫。日本にはもうヴァンパイアハンターは一人もいないし、陰陽師も吸血鬼は専門外。そもそも日本にいる吸血鬼が、紅牙君だけらしいのよ」



 傷つけておいてなんだが、紅牙の身が安全だと知り、星羅は安心した。


 一人では何もできないことを思い知らされた星羅は、無意識のうちに紅牙のことを必要な仲間だと思い始めている。



「陰陽師の定義とかよく分からないですけど、どうして吸血鬼は専門外なんですか?」



「陰陽師っていうのは妖怪や悪霊を退治してるんだけど、用いる手段が術を使うの。例えるなら魔法の様なものね。だけど吸血鬼にはそれが効かないの」



「不死身ってことですか?」



 星羅の問いに、明理は静かに首を横に振った。



「銀の弾丸を心臓に撃ち込めば、吸血鬼も死ぬ。今分かってる退治法がそれだけ。狼男と違って私が使っている術を掛けた刀で心臓を突いても死なない。ハンターなら他の方法も知っているだろうけど、正直どうでもいいかな」



『安倍さーん。安倍明理さーん』



 興味無さげに明理が言い、まだ話の途中ではあったが、明理の名前を看護師の一人が呼び話は中断された。



「あ、呼ばれたから、会計してくるね」



 明理は星羅に一言断りを入れ、会計に向かい、星羅はまた一人に。


 しかし今回は俯いていない。罪悪感は大分残っているものの、気は楽になっていた。




 それから五分もしないうちに明理は会計を済ませ、星羅の許に戻った。



「じゃあ、帰ろうか。星羅ちゃん、今までの人生に無いくらい疲れたでしょ?」



「そうですけど……事件があったんですよ?それに月影君にも謝りたいですし」



「その紅牙君からのメールで、『二人は先に帰って、今日は休んでください』だって。勤務の定時は五時で、もう過ぎてるしもう帰っても問題ないよ。せっかくだし甘えちゃおう」



 今の星羅の精神状態では、紅牙の申し出は情けない話ではあるが有り難かった。明理の後押しもあり、受け入れるのに抵抗はない。


 オフィスに荷物を置きっぱなしだったが、中には財布や香水、手帳などしか入っていなかったので、いちいち取りに戻らなくてもいいと結論付けた。


 二人は病院を出て、それぞれ自分の部屋があるマンションへ帰った。


 この後、零課のメンバー全員が同じマンションに住んでいることが、発覚するのは間もなくのことだ。


 ◇


 星羅達が病院を出た頃、紅牙と真理亜は零課のオフィスに戻り、明理が星羅に話した内容とほぼ同じことを紅牙の口から真理亜に話した。


 情報量としては本人の口からということで、星羅よりも真理亜の方が多く得られた。逆に同情されそうな親の話やハンターのことは、ほとんど省いたが。



「紅牙、カッコいいー……吸血鬼だからあんなに強くて、唐揚げが好きなんだ……」



 これが、真理亜の反応だ。怖がるどころか、その目は輝きを越して煌めかせている。



「いや。唐揚げ好きなのは、吸血鬼とは関係ないと思うんスけど……」



 真理亜の感想に、彼女の正面に座る美裕がパソコンを操作しながら冷静な意見を述べた。



「でも紅牙はガーリック味の唐揚げを食べてたよ?ニンニクって吸血鬼が苦手な食べ物だし、紅牙はニンニクを食べて吸血鬼の本能を抑えてたんじゃない?」



「半分正解。吸血鬼がニンニクを苦手としてるのは、力を抑えられてしまうから。そもそもニンニクは古代エジプトとかでは魔除けとして扱われてたから、それが歪曲して吸血鬼がだけが苦手と思われてるんだよね。それは十字架も同様だけどね……要するに血を吸う行為とは逆の効果。僕にとっては都合のいい食べ物ってこと――けど唐揚げ好きは、それとは別だけどね」



「紅牙のこと『好き好き』言ってるのに、紅牙のことわかってなかったんだぁ」



 半分しか正解していないのに真理亜は、挑発するような勝ち誇った顔を美裕に向けた。


 そして美裕は憎たらしいその顔に、右眉をピクリと上げる。



「わ、分かってたっスよ!そのくらい。それにアタシはどこかの幽霊と違って、役に立つんスよ。現に今も紅牙君のお願い其の二をやり終えたところっス」



「本当ですか?!流石、美裕先輩!頼りになります」



 自分の席に座っていた紅牙が堪らず、美裕の席まで移動しお互いの顔が触れそうな距離まで近づいて、パソコンの画面を見た。


 紅牙の無警戒なその行動に、身体中の体温を上げた美裕は我慢が効かず、キスをする様に自分の頬と紅牙の頬を偶然を装いくっつけた。


 だが彼女の真意を知ってか知らずか、紅牙を嫌がることもなく変わらずパソコンを眺めている。


 今度は美裕が真理亜に向かって勝ち誇った顔をしてみせた。


 苛立ちを覚えた真理亜は美裕を睨みながら、紅牙におぶさる形で画面をのぞき込んだ。



「どういたしましてっス。でも県警の名簿なんて何に使うんスか?それも星羅さんが以前いた所っスよね?この宮城県警って」



「そうですよ。狼男の正体は叶さんの知り合いで、ほぼ確定ですからね。彼女は人付き合いが少ないんで、真っ先に警察関係者が思い浮かんだんです」



 病院に向かう途中に明理から、自分が現場に来るまでの出来事を聞いていた紅牙は、狼男が星羅の知り合いであるかもしれないと聞いていた。


 オフィスに戻った紅牙は、美裕に宮城県警のサーバーへの侵入を頼み、美裕は二つ返事で了承し今に至る。



「それで?残業して調べるっスか?アタシは紅牙君と二人きりなんで、構わないっスけど」



「一応、真理亜もいるんだけど……」



 真理亜の呟きに、明理は落ち込み、その様子を見た紅牙は思わず笑いそうになった。



「まぁ、残業の必要はないですよ。思っていたよりも早くケリが着きそうですから。続きは家でやるんで、データをコピーして、僕のパソコンに送ってください」



「了解っス……」



 二人きりの残業を潰された美裕は著しくやる気を無くしながらも、頼まれた作業に取り掛かった。



「――ところで、紅牙君。他に何か掴んでるっスよね?じゃなきゃ『早く終わる』なんて言わないっスもん」



「ふふ……多分美裕先輩と同じことを掴んでますよ」



 にやける美裕に、同意し微笑む紅牙。二人だけで分かりあっていることに、真理亜は頬を膨らませ美裕を嫉んだ。



「でもまぁ、犯人が誰なのかは星羅さんが分かってるっスから、アタシらが頭を使う必要は無いんスけどね。やることといったら、確実に仕留めるために銀の弾丸を入手することくらいっスよ」



「そうですね……ま、念のためってやつですよ」



「念には念を……慎重な紅牙君らしいっスね――おっと、終わったっスよ」



「お疲れ様です。じゃあ、僕らも帰りましょうか」



 紅牙は自分の席に置かれていたカバンを取り肩に掛けると、それを待っていたと言わんばかりに、紅牙の右腕に美裕が腕を絡めた。


 負けまいと、真理亜も空いている方の腕に、自分の腕を絡める。



「あれ?真理亜の方から触れた?……これってレベルアップ?やったー!」



 真理亜は嬉しさから、絡める腕の力を強めた。



「何くっついてるんスか!今日出会ったばかりなのに、課長並みに生意気っスよ」



「そんなの関係ないよ。紅牙に甘えたい気持ちを抑えられないんだもん。それに、紅牙は親しみやすいから、なんだか初めて会った気もしないし」



 一般人には美裕と腕を組んで歩き恋人同士にしか見えないが、実際は両手に華状態。だが、喧嘩する二人に挟まれている紅牙は、疲れた顔をしている。



「取り敢えず、帰りませんか?」



 紅牙が間に入ったことで、二人は不毛な言い争いを渋々止めて、三人はマンションへ帰った。その間、紅牙を挟んだ二人が睨み合い、紅牙の居心地が悪かったのは言うまでもない。




 三人がマンションに着き、最後まで真理亜といがみ合い、紅牙との別れを惜しみ項垂れる美裕と別れ、三十分が経った。


 紅牙は自宅で本日から同居することになった真理亜と一緒に、美裕が送った県警の名簿を自分のノートパソコンで見ていた。


 本当なら到着してすぐに見たかったが、真理亜がリビングやキッチン、ダイニングや他にある三つの部屋も内二部屋を探索したために少々遅れた。


 ちなみに最後の一部屋は紅牙に危険だからと立ち入り禁止を言い渡され、渋々ながら断念した。



「それで、紅牙。名簿なんか見てどうするの?」



 訊ねた真理亜は紅牙のベッドに寝転んで、画面を覗いている。紅牙の方はベッドの下であぐらをかいて、画面を見ている。



「ここから叶さんと係わりがあった人を捜すんだよ。同じ部署にいた人とか、同期の人とかね。ようするに、僕なりの犯人捜しってところ」



 数千人もの名前の書かれたリストの中から、まずは一番上に載っていた『(いぬい)颯太郎(そうたろう)』という名前を開いた。


 名前、生年月日、階級、顔写真が表示され、乾が警視監であることが分かった。



「本部長か……狸おやじって感じで、見た目では悪い人に見えないタイプだな」



「ん?あれ?」



 閉じて次の名前を開こうとした時、真理亜が紅牙の顔とパソコンの画面に顔を近づけながら、首を傾げた。



「真理亜ちゃん、どうかした?まさか、この人、知ってるの?」



「知り合いではないけど……一週間前に、あの交差点で見た気がする」



「それ本当?」



 真理亜は少し自信が無さそうに浅く頷いた。一日に何万、何十万、それ以上に人が通る交差点で、顔を覚えていた可能性は低い。


 だが紅牙の疑念を気にも留めず、真理亜は言いのける。



「うん……人間観察くらいしかやることなかったから……でも、記憶力には自信あるんだよね。真理亜の少ない特技だよ」



 ――サヴァン症候群か。でもそれなら何故自分の追い立ちを忘れてる?……いや、今は星羅さんの方か。



「……だったら、確かめに行こうか?明日の朝一にでも。そうすれば、犯人に繋がる事も分かるだろうし。もしかしたら彼が犯人かもしれない」



 本来の紅牙の目的は、何時間もかけて名簿に目を通し、星羅に係わりのありそうな人をリストアップして、明日聞き込みにいくつもりでいた紅牙。


 だが、真理亜の情報を信じてみようと思った紅牙は、予定を大幅に変更した。


 ――出たとこ勝負になるが……ま、アドリブでなんとかなるだろ。


 もし真理亜の情報が間違いでも、適当な相手に聞き込み人脈を辿って犯人を突き止めればいいという、手抜きに近い案を紅牙は考えている。


 方向性が決まると残りの名前を流すように見終え、パソコンの電源を切った。



「さてと。予想外な事に時間もできたし、ゲームでもする?」



「やりたいけど……この家にゲームあるの?」



「あ…………無いね」



 殺風景な部屋を見渡し、紅牙は苦笑しながら言った。


 せっかくの機会だったので、紅牙は真理亜と一緒に家庭用ゲーム機を買いに出掛け、夕食を残っていた唐揚げで済ませると、二人は日付を跨ぐまでゲームに没頭し続けた。


 ◇


 四月九日、午前九時。


 多くの出会いがあった翌日。紅牙と真理亜は宮城県警本部の前に来ていた。紅牙は昔、この近くに住んでおり、彼にとっては一種の里帰りだ。



「紅牙ぁ……眠い……徹夜でゲームして、朝も早かったのによく元気でいられるね」



 真理亜は眼を擦り、あくびをしながら、携帯でメールを打っている紅牙に、もたれかかっている。



「僕は眠そうな幽霊を初めて見たよ――入力完了っと」



「ここに来てから、ずっとメール打ってるけど、誰に宛てたメール?」



「美裕先輩だよ。黙って来ちゃったからね。だから報告のメール」



 黙って来たことを悪びれずに、紅牙は笑いながらメールを送信し、携帯の電源を切ってポケットにしまった。



「それじゃあ、行きますか……タイミングもばっちりだし」



 これから会う相手に失礼のないよう、紅牙はネクタイを締め直した。学校は休みだったが、いろいろと都合がいいということで、紅牙の服装は学校の制服だ。


 制服姿の紅牙が駐車場に入ると、警官達は不思議そうに見ている。



「紅牙って、どこ行っても注目集めるね」



「普段は顔が原因だけど、今回は平日の朝に迷い込んだ高校生だからだよ」



 ふざけた会話をしている紅牙はそのまま建物の中には行かず、駐車場に停まっていた一台の車に向かった。その行動がより注目を集める。



「ねぇ。なんで、中に入らないの?」



「いくらイケメンでも高校生が急に『警視官と話したい』って言ったところで、門前払いされるのが落ち。だったら第三者を通さずに、直接話し掛けれるしかない」



 目指していた車のエンジン音が止み、中から一人の男性が出てきた。乾だ。


 乾の登場に、紅牙は離れていた距離を走って詰め、真理亜もそれに続く。



「君は……誰かね?」



 駆け寄ってきた紅牙を見て、自分に恨みを持った相手がナイフで刺そうとしてきたのだと勘違いし、年寄ながらも、その年や体格を感じさせない空手の構えで紅牙を出迎えた。


 それに対し紅牙は、攻撃の意志が無いのを示すために笑顔で両手を軽く挙げ、真理亜も紅牙に倣って同じように手を挙げる。



「敵意は無いです。でも、初対面の人間がいきなり駆け寄って来たら、警戒しますよね?すみません。紛らわしい真似して」



「……分かっているならいい。それで、結局君は何処の誰なんだ?」



 構えは保ったままだったが、紅牙への警戒を乾は多少解いた。



日向(ひなた)と申します。強いて言うなら、高校生探偵ですかね」



「え?日向?高校生探偵?」



 平然と氏名及び職業を詐称する紅牙に、真理亜は典型的な二度見をしたが、紅牙は人目が多いこの場所では、特に偽った訳を話さなかった。



「ホッホッホ……高校生探偵か。面白いこと言うんだな」



 ――この笑い方……特徴的だから覚えてる……あの狼男と同じだ。


 まだ紅牙の嘘を信じてはいなかったが、乾は構えを止めた。


 代わりに紅牙同様、笑い方で狼男を連想した真理亜が、殴ることするまともに出来ないのに、胸の前で拳を握り戦闘態勢を取った。


 しかし紅牙はというと、冷静なまま特に態度を変えない。



「冗談は言ってないんですけどね。二次元じゃなく、リアルにもちゃんといるんですよ」



「だが、高校生探偵なんて聞いたことないぞ?こんな仕事に携わっているのに」



「な、なんか怪しまれてるよ?紅牙が嘘ついた理由は分からないけど、そもそも紅牙は顔バレしてるんだから、長居は無用だよ。犯人はこの人で決まりだろうし」



 乾が狼男だとほぼ決定づけている真理亜は、紅牙があらぬ罪状で逮捕されたあげく、牢に入れられて身動きが取れない状況にされ、殺されるのではないかという想像をしていた。


 一方で紅牙の計算では、ここまでは順調で真理亜の言う通りにしようとは思っていない。



「それは事件を解決しても、名前を伏せてもらっているからです。活動場所も基本的に東京ですし、僕の存在を知らなくて当然ですよ」



「……なら、君の話が本当だとして、わたしに何の用だ?」



 乾からそう訊かれるのを待っていた紅牙は、訊ねられたタイミングで挙げていた腕を下ろした。



「八日前。東京の黒椿で殺人事件が起きたんです」



「ほう。それは知らなかったな……込み入った話のようだし、中で話さないか?」



「紅牙、ダメだよ!きっと二人きりになった途端に、殺すつもりだよ!」



 真理亜は危険を感じ、紅牙の腕を引いて逃げようとしているが、紅牙は全く動かない。動くつもりすらなかった。


 紅牙が日付と地域名を口にしただけで、警戒を完全に解き、態度を一変させたことで、真理亜が『乾を見た』という証言は、確かなものとなった。


 犯人だろうが、そうでなかろうが、八日前に東京へ来てなければ、紅牙を追い返すか、中にまではい入れないはずだ。


 むしろ犯人なら、中に入れなければ、怪しまれる。



「もちろん。あまり他人には、聞かれたくない話ですから」



「待った!今の無し!――紅牙、せめて課長さん達を呼ぼう?紅牙だけじゃ倒せないって」



 真理亜の姿が見えていないのか、見えていて無視しているのかは定かでないが、乾には真理亜の声は届いていなかった。



「では、本部長室にでも行こう。君の話は面白そうだ」



 すれ違い様に乾は紅牙の左肩を叩き、『付いてこい』と伝え紅牙を先導した。


 紅牙はそれに従いはしたが、十分すぎるほどに距離をとっている。


 理由は二つ。一つは紅牙も真理亜と同じ様に念のために警戒をしていたから。もう一つは真理亜と話すためだ。



「……真理亜ちゃん。気遣いありがとう。だけど、何も考えずに突撃するわけじゃないよ」



 乾に聞こえないよう、紅牙は真理亜の耳元で囁やくような、優しい小声で言った。



「でも話すことなんてあるの?行くだけ自殺行為だよ」



「話すことはある。誰が狼男なのか、はっきりさせておきたい」



 言いながら紅牙は真理亜の頭を撫でた。真理亜を言いくるめるには、紅牙がその頭を撫でるのが最適な方法だ。



「おーい。どうしたのかね?早く来たまえ」



「すみません。メールが来ちゃいまして。すぐ、行きます」



 会話こそ聞かれていなかったが、乾は開きすぎている紅牙との距離に不審を感じていた。紅牙は仕方なく、適当な理由を付けて距離を縮めた。


 それ以降、二人はしばらく会話がなく、建物内に入ると紅牙に加え警視監という奇妙な組み合わせに、警察官達の紅牙に対する注目は更に増した。



「ホッホッホ……ここまで婦警の注目を集めるのは初めてだよ」



「婦警さんの注目の的は、紅牙だけどね」



 喧嘩腰で真理亜が乾の言葉を訂正したが、相変わらず真理亜の声は届いていない。


 相手にされない真理亜が可哀想で、紅牙は真理亜の意見を代弁した。



「水を差すようで悪いですけど、高校生を引き連れてたら自然と注目されますよ?」



「……君ははっきりとものを言うタイプか。わたしとは反するタイプだな」



 口調こそ穏やかだったが、紅牙に対する乾の言葉は褒めたものではなかった。


 その言葉を最後に、紅牙達と乾の間に沈黙が訪れた。




 本部長室に着くまで沈黙が続くと思っていた紅牙だったが、その沈黙が突如として破られた。本部長室を目の前に、紅牙と乾の間に一人の男性が割って入ってきたからだ。



「君!ここから先は、関係者以外立ち入り禁止だ」



 いかにも『インテリ』という言葉が似合うその男は、眼鏡の奥にある鋭い目で紅牙を睨んでいる。


 そんな男の肩に、乾は宥めるように手を置いた。



「多守君。落ち着き給え。彼はわたしの客だ」



「客?高校生のですか?ご親戚か何か?」



「いや。まだわたしも信じ切ってはいないが、探偵らしい。わたしと多守君が、出張で東京に行った時、起きた殺人事件を捜査しているようだ」



 ――この人も、東京にいたのか。



「それでわざわざ?そもそも、こんな怪しい奴と二人だけになったら、危ないですよ?」



「危ないのはこっちだよ!」



 多守は紅牙を指差し、紅牙達の事情を知らなければもっともな指摘をした。


 それに対して真理亜は真理亜で、声が届かないだろうが反論はする。


 そんな二人の意見が確実に聞こえていたのは、紅牙だけだ。紅牙は仲介役を買って出た。



「でしたら、多守さんも同席してください。お時間はとらせませんから」



「……まぁ、いいでしょう。なら、同席させてもらうとしようか」



 紅牙の提案に多守が乗ったことで、真理亜も納得し一先ずは丸く収まった。


 人数が四人に増えたところで、特に会話が増えたわけでもなく、沈黙のまま本部長室に到着した。


 中に入ってすぐに乾は自分の椅子に、多守は来客用のソファーに座った。



「君も座り給え」



 テーブルを挟んだ多守の正面のソファーを差して、乾が気を遣ってくれていたが、椅子は一人掛け用で、座れば真理亜を膝の上に乗せることになる。


 狼男がいる可能性の高いこの場で、そんな和やかな光景を見せるわけにはいかなかった。



「長居はしないので、大丈夫です。では、早速本題に……」



「待った。まだ君の名前を聞いていなのだが」



 ――そういえば、この人には名乗ってなかったな。


 紅牙の言葉を遮ったのは、多守だった。



「そうでしたね――日向と申します。お見知りおきを」



「警視正の多守だ。見知る必要はない」



「何、この人?!態度悪い!学校での紅牙と同じ感じじゃん」



 ――いや、絶対に僕より酷い。


 学校での自分は演技をしているとはいえ、多守の態度よりも、真理亜の怒声の方が紅牙の心を少し傷つけた。


 真理亜の言葉を気にしつつも、紅牙は乾の方へ向き直った。



「……そうですね――では、改めて本題に入りたいと思います。乾さんには話しましたが、八日前、お二人が東京に居た日に、黒椿で殺人事件が起きました」



「ほう。初耳だな。確かに、僕達は東京にはいたが、黒椿には行っていない」



 明らかに乾に対して言っているが、横から口を挿んだのは多守の方だ。


 紅牙は多守を一瞥してから、答えた。



「初耳なのは仕方ありません。情報規制が掛かって、一般には情報が出回っていませんから。それに、警察もお手上げの事件なので、代わりに僕が個人的に調べていますし」



「そんな情報を知っているということは、高校生探偵というのも、あながち間違いじゃないのかもしれないな――それで……わたしの許には、どうして来たのかね?」



 次に紅牙に訊ねたのは乾だった。乾の質問のおかげで、話を進めることが出来る。



「事件があったのは、夜です。その夜に、事件現場近くの交差点で、乾さんを目撃したという女の子の証言があったんですよ。ですからその確認に来ました」



「そうか……確かにその日の晩は、野暮用で黒椿にいた」



「やはりそうですか……その野暮用っていうのは、殺人ですか?」



「いい加減にしろ!君らは、乾さんを犯人に仕立て上げようとしているのか?!」



 肝心の質問をしたところで、乾の反応を見る前に多守が先に反応した。


 紅牙と真理亜は同時に多守を睨みつけたが、その理由は二人とも別々だ。


 真理亜は単に話の邪魔をする多守がうるさくて、紅牙は多守の言葉の内容に対してだった。



「……疑うのが仕事の警察らしからぬ言葉ですね。証拠はないですが、疑うのには十分だと思いますけど?――それと、僕が聞きたいのは、乾さんの意見です」



 紅牙の言い回しに、多守は悔しそうに睨み返しながら、黙り込んだ。


 多守が黙ったことで紅牙は眼孔を元に戻し、目線も乾に戻した。



「君の言うことはもっともだ。しかし、犯人はわたしではない。そもそも被害者が誰なのかも分かっていないのだぞ?」



「…………そうですか。ちなみに被害者は三十代の、那珂川さん夫婦です」



 呆気ない返しをする紅牙に多少の不満と疑問があった真理亜だが、意味があっての態度だと思い、今回は何も言わなかった。


 だが真理亜の代わりというわけではないが、紅牙の返した言葉に乾は拍子抜けした。



「疑っているわりには、随分と聞き分けがいいのだな?もっと問い詰めるのが普通では?」



「……その通りなんでしょうけど、何も知らないって人に、聞くだけ無駄ですよ。それに八割方、犯人の正体も分かってますから……」



 紅牙は目を伏せながら言うと、制服の内ポケットから名刺入れを取り出し、更にその中から名刺を二枚出した。


 その名刺には『日向紅牙』という偽名と、紅牙の携帯の電話番号とメールアドレスが記載されている。



「――ですが、まだ十割ではないので、何か思い出すようなことがあったら、ここに電話で連絡ください」



 名刺の一枚を正面の自席に座る乾に渡した。



「思い出すも何も、わたしは一切事件のことを知らないんだがな……」



 ぶつくさと言いながらも、乾は紅牙が渡した名刺を受け取った。



「一応ってことで……多守さんにも。何かあったら、電話くださいね」



 次に渡された多守は無言を通したまま、奪い取るようにして紅牙の手から貰った。


 二人に渡し終えた紅牙は、多守に背を向け、出入り口である扉の前に立つ。



「――それでは、これで失礼します……あ、そうだ。一つだけ訊き忘れてました」



 ドアノブに手を掛け、開けようとした直前に、紅牙はわざと思い出したかのような素振りを見せた。



「何かね?」



「事件とは関係ない、僕の好奇心なんですが、乾さんの笑い方って特徴的ですよね?」



「自覚はないが、よく言われるよ。わたしの真似をする人は、大抵その笑い方をする」



「なるほど。迷惑してそうですね。同情します……それでは、今度こそ失礼します」



 会釈程度に頭を下げ、紅牙と真理亜は本部長室を出た。


 二人は部屋を出た後、すぐに出入り口に向かわず、本部長室のドアの前で佇んでいる。


 真理亜は今すぐにでも、この場から立ち去りたかったが、紅牙が目を閉じ、両手をポケットに手を入れ棒立ちになるという、彼なりの頭を使っている時の仕草で、今の会話の整理をしていた。


 そうして、ある可能性にたどり着く。


 今までの推測を覆すその可能性を証明するため、紅牙はこの状況を利用し餌を撒く事にした。


 紅牙が何を考えているか見当のつかない真理亜は移動したくても移動ができなく、紅牙を揺する。



「早くこんな所から、おさらばしようよ。犯人はあの乾って人で決まりだって。明らかに怪しいよ!」



 ――その言葉を待っていた。これで犯人を特定できる……後はこの餌に食いつくか。


 犯人を乾だと確定させている真理亜がそれを発言する。それこそが餌だった。



「……考えても仕方ないか。犯人はあの人で決まりだな」



「そうそう。分かったなら、早く課長さん達を呼んで、応援に来てもらおう?」



「そうだね。だけどその前に、もう一つ……いや二つだけ、やることがあるんだよね」



 ようやく、まともに紅牙と会話ができて真理亜は嬉しそうに笑う。


 その表情を見て、紅牙はこれから自分のやろうとしていることで、真理亜を悲しませるのではないかと密かに胸を痛めた。


 だが今回紅牙が撒いた餌、いわば作戦は真理亜が何も知らない事を前提にしているもの。仕方なしに説明の言葉を飲み込んだ。



「だったら紅牙、早く行こう?」



 真理亜は紅牙が何をやろうとしているのかも知らずに、紅牙の手を引き、出入り口へ歩き出した。



「真理亜ちゃん。一つだけ約束して?これから何があっても動じないこと。特に怒りとか、負の感情を抱くのはダメだよ?ポルターガイスト現象が起きちゃうから。そうなっちゃうと、関係無しに周りに被害でちゃうから」



「う、うん。それは気を付けるけど……何しようとしてるの?」



 優しさではなく哀愁漂う言い方に、上機嫌だった真理亜の胸がざわめく。



「たいしたことじゃないよ。だけど、これだけは言っておく。真理亜ちゃんが成仏するまで、僕は最後まで付き合う。約束するよ。僕は約束を破ったことはないことで定評があるからね」



「もしかして危険な事を、やろうとしてる?」



 心配して訊ねた真理亜の問いには答えずに、手を握ったまま先を歩く真理亜を追い抜き、紅牙が引っ張る形になった。その行動を真理亜は肯定と捉えた。


 真理亜は掛けられた言葉は嬉しかったが、それを上回る胸騒ぎを抱きながら手を引かれて紅牙の後を追った。




 しばらく歩き、出入り口付近で紅牙は本日三度目の注目を集めた。


 てっきり真理亜は、毎度のように周りを無視して先を行くと思っていたが、紅牙は急に立ち止まり、追いついた真理亜は紅牙の横に並んだ。


 首を傾げながら紅牙を見上げると、紅牙は周りを見渡していた。


 まるで、自分から目立つように仕向けているように。そんなことしなくても嫌でも目立ってしまうのが紅牙ではあるが。


 ――誰かいないかな……あ。あの人でいいか。


 紅牙としてはこれ以上目立つのは控えたかったが、紅牙の言う『やること』の一つに繋がる行為だった。この周りを見渡し、自分を見ている誰かと目を合わせることこそが。


 案の定、紅牙は一人の二十代後半くらいの婦警と目が合い、紅牙はその婦警の方へ行く先を変更し、更には話し掛けた。



「今、見てましたよね?僕に何か?」



「え……いや……カッコいい高校生がこんな時間に、それも本部長と一緒だったから気になって……あ、カッコいいと言っても、深い意味はないよ?」



 突然紅牙に話し掛けられ、婦警は顔を紅潮させながら、慌てふためいた。



「美人さんに『カッコいい』なんて言われたら、お世辞でも照れますよ――実は乾さんとはちょっとした知り合いで……今日は野暮用があって来たんですよ」



「もしかして紅牙がやりたかったことってナンパ?!だから『怒らないで』って言ったの!」



 笑顔で婦警を褒める紅牙と、照れ隠しに視線を上げ下げし、紅牙の顔をなかなか見られない婦警を見た真理亜は愕然とした。


 紅牙はというと、まだまだ序の口。挨拶代わりのスキンシップとして言った言葉だったので、二人が怒ったり、照れたりしている理由が不明だった。


 取り敢えず紅牙は真理亜の勘違いを正すためにも、本来の目的を果たすことにした。



「そういえば……乾さんと多守さんって、昨日休みでしたよね?」



「えぇ。来るのが昨日だったら、お二人にも会えなかっただろうし……私にも……キャッ」



 最後に余計に一言多く言い、婦警は顔から火が出る程に顔面を真っ赤に染め奥へと逃げて行った。



「何!あの女の子みたいな反応?!婦警さんだよね?!第一、照れるなら言わなきゃいいのに!――そもそも紅牙がナンパするからだよ?こんな美少女幽霊が隣にいるのに」



 ――え?真理亜ちゃん、会話聞いてなかったの?!


 真理亜の誤解を解くことができなかった挙句、説教までされたのは紅牙にとって計算外で、驚嘆する立場が変わった。


 それに伴い、紅牙は真理亜からの突き刺すような視線に我慢できず、真理亜の腕を掴み、急いで県警を出た。



 

 そして紅牙は近くにあった公園に移動した。


 平日の午前だけあって、人目は他にない。真理亜と話したい紅牙には、最高の環境だ。


 突然連れてこられ戸惑う真理亜の両肩に、紅牙は両手を掛け改めて誤解を解こうとした。



「こ、紅牙?ま、待って……いくら真理亜が可愛いからって、まだ出会って一日しか経ってないのに、いきなりキ、キ、キスだなんて」



 誤解を解くために、真剣な眼差しで真理亜の目を見つめた結果、更なる誤解を真理亜に与えてしまい、紅牙は大きなため息を吐いた。



「はぁー……流石に叶さんの両親が殺害された事件に係わる殺人事件の調査中に、そんな気分にはなれないよ」



「そ、そうだよね!……って紅牙こそ、さっきナンパしてたよね?」



 納得した真理亜は、再び紅牙を冷視する。



「あれはただ、彼女に訊きたいことがあったの。口説いてたんじゃなく、褒め返しただけ」



「ふーん。で?訊きたいことって?真理亜には、普通のナンパにしか聞こえなかったけど」



 紅牙としては、せめて『普通の会話』と言ってほしかった。



「だったら、違和感なく聞き出せたってことだ――その訊きたかったことっていうのは、乾さん達の昨日の予定……つまりアリバイだよ。僕らは昨日、東京で狼男に遭遇したからね」



 真理亜は目を瞑り、紅牙と婦警のやり取りを鮮明に思い出した。



「……あ!そっか!いくら狼男でも東京とここに、同時にはいられないもんね。紅牙はそれを確かめるために……さっきは変なこと言って、ごめん」



「いや、説明しなかった僕も悪いから」



 真理亜に納得してもらえた紅牙は、肩から手を離し、仕舞っていた携帯をポケットから出して電源を入れた。


 途端に着信を告げるバイブレーションが、頻りに震え出し、一分以上も時間を要した。


 それほど電話やらメールやらが届いていたようだ。


 ――多すぎだろ……でも、悪い気はしないな。



「凄い件数きてるけど……もしかして全部、美裕さんから?」



「百一件きてて、その内の百件が美裕先輩からだね。心配かけちゃったかな」



 紅牙は画面をスクロールしながら、愛のある美裕からのメールをみて笑顔がこぼれた。



「相変わらずのストーカーぶりだね……残る一件は課長さんから?」



「いや……待ちに待った、デートの誘いだ」



 嬉しそうな笑みを浮かべながら、紅牙は最新のメールを開き、真理亜に見せた。


 見せられた真理亜は、声に出してそのメールを読み上げる。



「えっと……『先程は無礼な態度で失礼した。実は君がいなくなってから、黒椿で怪しい男を見たのを思い出したので、詳しく話したい。一時間後に緑桜町(りょくおうまち)三丁目にある屋内駐車場二階に来てくれ。乾』……って乾?!」



 本文を淡々と読み終えた真理亜だったが、その送り主に驚き、声を大にして名前の部分を二度読んだ。



「そう。これで僕も、犯人を確定できた――じゃあ、行こうか?」



「行くって……まさかこの場所に?!絶対に罠だって!今回はよそうよ!」



「大丈夫。今のところ、全部思い通りだから」



 真理亜の勧告を一切聞き入れず、紅牙は携帯の地図アプリを使い指定された場所へ向かい始めた。


 一方で磁石の様に、紅牙に引き寄せられる真理亜は、紅牙に文句を言いながら、半ば強制的に紅牙と並んで歩いた。




 そして一時間後。二人は待ち合わせの場所である駐車場をうろついていた。人気の無さは公園よりも勝っている。


 約束の数十分前からいたが、二人は誰一人として見ていない。



「……車は停まっているが、人気はなし。おまけに監視カメラも無い。闇討ちには最適だ」



 紅牙はここへ来る途中にコンビニで買った唐揚げを抓みながら、感心している。



「よくこんな状況で唐揚げなんか食べられるね?明らかに敵の罠なのに」



 警戒心ゼロの紅牙に真理亜は、一時間経っても文句を言い続けていた。



「そんなに怒らなくても……物理攻撃しかできない狼男相手では、実体のない真理亜ちゃんに、危険はないんだからさ」



「そうだけど。今の真理亜には紅牙しかいないんだよ?一緒に学校行って、ゲームして、事件を追って……たった一日。されどその一日、一緒にいて、充実してるって分かったの。だから……」



 真理亜は敢えて続く言葉を飲み込んだ。言わずとも紅牙には伝わっていた。



「ありがとう……まだ一日過ごしただけなのに、僕なんかの心配してくれて。でも、真理亜ちゃんがこの世に留まる理由を、増やしちゃったことになったけど……ね……」



 紅牙は笑顔で真理亜に礼を言った。


 だがそれは突然訪れた。


 お礼を言っている最中、紅牙の腹部に激痛と生暖かい液体の感触が襲った。


 腹部からは刃に似た五枚の爪が出ている。



 急所を貫かれ紅牙は体の力が抜けていき、持っていた唐揚げを落とし、笑顔のまま自分の血溜まりに倒れこんだ。


 その際、五枚の爪は自然と体から抜けた。


 突然のことで真理亜はただ倒れた紅牙のことを、呆然と見下ろしていた。



『もっと頭の切れる男だと思っていたが、他愛ない。こうも呆気なく死ぬとはな』



 紅牙を貫いたのは他の誰でもなく、件の狼男だった。


 乾との約束時間丁度に、何処からともなく現れた狼男に、真理亜はようやく気づき、現実に目を向けた。


 今まさに、真理亜にとって最も恐れていたことが、目の前で起こっている。



「嘘……だよね?……『大丈夫』って言ったよね?約束守るって言ったよね?!」



 真理亜は紅牙に寄り添い、悲痛の叫びを口にした。


 その叫びに答えるように、紅牙は閉じていた目を僅かに開いて、消え入るほど弱々しい声で語り掛けた。



「はぁ……はぁ……大丈夫…………大丈夫だから」



「紅牙?!……大丈夫なんかじゃないよ!このままじゃ……」



 虫の息の紅牙だったが、残っていた力を振り絞り、真理亜の頭に手を置く。



『しぶとい男だ。普通なら即死しているはずなのに』



 うつ伏せに倒れている紅牙は、真理亜の頭に手を置いたまま、首だけを動かして足下にいる狼男を見た。



「……だろうな……生憎と頑丈なのが、取柄でね…………それにしても、とんだ挨拶だ」



『元々、ここに呼び出したのは貴様を殺すためだ。あんなに隙があったら、闇討ちを掛けるさ――何を考えていたか知らないが、一人でノコノコとやってくるとは』



 紅牙は徐々に残っていた力を失い、にやけている狼男の顔を見るのさえ叶わなくなった。


 力が抜け、真理亜の頭に置いた手だけはそのままで、元のうつ伏せ状態に戻る。



「悪いが……明理さん達と、叶さんの実家で、待ち合わせしてる……だから僕が待ち合わせに来なきゃ……不審に思う……それに、ここであんたと会うことも、報告してる……」



『だったら狙い通りだ。情報感謝するよ』



「……そうか……読めた…………あんたの狙い……とんだ里帰りになっちまった……かな」



 今にでも絶息しそうなほど弱っている紅牙だったが、表情は笑顔のままだ。



『ほう……やはり貴様は、頭が切れるようだな。敬意を表して、今すぐ楽にしてやる』



 狼男が紅牙に何をしようとしているのか、分かった真理亜は『やめて』と声を張り上げようとしたが、間に合わなかった。


 言葉を言い終えると、狼男は瞬時に紅牙の胸部を先程の腹部を刺した時と同じ様に爪で貫いた。


 心臓諸共貫かれ、今度こそ紅牙は力尽き、真理亜の頭から手が滑り落ちていく。


 そして、狼男は紅牙の死を確信し、ゆっくりと爪を引き抜いた。



「いや…………紅牙―!目、覚ましてよ!」



 何もできなかった真理亜は、動かなくなった紅牙の体を泣き叫びながら、ただただ揺する。


 そんな真理亜の悲しみに共鳴し、周りに駐車してある車の窓ガラスやミラーに罅が入り、中には割れているものもある。


 紅牙が危惧していた、ポルターガイスト現象が起こり始めている。



『お嬢ちゃんにとっては、良かったんじゃないか?これで彼と、あの世で永遠と一緒にいられるんだからな……フハハハハ……』



 真理亜の力の暴走など気にせず、狼男は自分の狙いが上手くいったことで高笑いをし、ポタポタと爪から紅牙の血を垂らしながら真理亜達の前から去っていった。


 残された真理亜には、去り際の狼男のセリフも、車が上げる悲鳴も耳には入っておらず、狼男がいなくなると紅牙の背中に覆い被さって泣き喚く。


 不憫にも、傍目からすれば転がる高校生と怪現象のみが映る。しかしこの場所では、それすら気づかれない。


 真理亜の声は誰にも届かず、窓ガラスが割れる音だけが鳴り響いた。


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