表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
零課   作者: 大島集
壱話 始
3/7

壱話 二章~星羅の初事件~


 紅牙達が学校を出て二十分程が経った。現在二人は一軒のコンビニの前にいる。



「ねぇ、紅牙の仕事って、まさかコンビニのバイト?」



「違うよ。ここには買い物にきたの。ここの唐揚げ好きなんだよね」



 現に紅牙の手にはコンビニの袋がぶら下がっており、中にはレジ横で販売されている一パック数個入りの唐揚げが二パック入っていた。


 真理亜の質問に答えると、紅牙は袋から一パック取り出し早速摘まんだ。途端に紅牙は幸せそうな笑顔を振り撒けた。



「紅牙って、そんな顔するんだ……」



 横で言葉を失っている真理亜をよそに、紅牙は一つ、また一つと頬張りあっという間に完食し、コンビニで貰ったお手拭きで手を拭き始めた。



 食べ終わった途端、紅牙の笑顔はいつもの余裕を感じさせるものに戻った。



「……ごちそうさま――さてと。出勤しますか」



「あーあ、終わっちゃった……紅牙のあの顔、可愛かったのに」



 紅牙の意外な一面を真理亜は案外気に入っていた。真理亜のがっかりし、声のトーンを落としながら言った言葉を、紅牙は聞かなかったことにした。



「――それでどこに行くの?」



「あそこだよ」



 拭き終えたばかりの手で紅牙は車道を挟み、今居るコンビニの丁度目の前にあるビルを指差した。そのビルは星羅の仕事場でもある、非科学事件対策局だった。



 それは紅牙が、謎だった零課最後のメンバーであることを証明していた。



「ビル?清掃のバイト?それとも建設のバイトとか?」



 だが何も知らない真理亜は、紅牙の仕事をアルバイトだと勘違いしている。



「違うよ。そもそもバイトじゃなくて正社員なんだよね――何の会社かは後で説明するよ」



 ――多分二人が喧嘩して、あの人への説明が怠ってそうだし……


 訂正はしたものの、肝心の説明は後回しにした。紅牙は、明理と美裕が喧嘩し、星羅への説明が進んでいないと読んでいる。


 そのため新人の星羅への説明も、自分がやらなくてはいけないと思い、真理亜への説明もその時にと考えていた。




 二人は速やかにその場から離れ、ビルへと向かった。


 中に入ると星羅の時同様に三人の受付嬢が二人を出迎えた。しかし星羅の時とは違って受付嬢達は紅牙に話しかけた。



「あれ?月影君。その子は?」



 初めは右端に居た受付嬢が言った。



「僕に憑いた霊ですよ。良い子なんで大丈夫です。可愛いでしょ?」


 最後の一言に真理亜は嬉しそうに赤面し、紅牙が頭を撫で追い討ちをかける。


 その様子に唇を尖らせる受付嬢達。



「いいなー。私も月影君に憑いちゃおうかなー?」



「私も死んだら月影君に憑いちゃおう」



 紅牙が質問に答えると、続いて真ん中、左端の受付嬢が挨拶代わりの冗談を交わした。実際のところ、受付嬢達は本心で言っているが。



「はは……それは遠い将来が楽しみですね」



 冗談を言い返し、紅牙は三人に手を振りながら制服のブレザーの内ポケットからIDカードを取り出した。


 先に行こうとする紅牙に反し、真理亜は紅牙の手を掴み、歩みを制止させた。



「紅牙。あの人達、真理亜のこと見えてたよね?」



 揃いも揃って、自分が見えている特殊な集団を目の当たりにし、真理亜は不安な様子だ。


 ここまで来たらと、真理亜の不安の取り除くことも兼ね、大まかに組織の概要を紅牙は説明することにした。



「そりゃあ、最低限見えてなくちゃ、仕事が勤まらないからね――ここは真理亜ちゃんみたいな霊とかの非科学的な存在が起こした事件を扱う、秘密の組織だから」



「何それ?!カッコいい!」



 普通なら信じないであろうことを、真理亜は簡単に信じた。自身が霊だからという理由もあるが、真理亜にとっては紅牙の言葉であるのが一番の理由だった。


 それとは別に紅牙が朝話した『陰陽師や霊媒師に似た者』という言葉があったのも大きく影響している。


 そして真理亜の脳内では、和服を着た紅牙がお札を持ち、大きな影の様なものと対峙している姿を思い描いていた。尚且つ、『秘密の組織』という単語が真理亜の興味をよりそそり、不安も消え去った。



「カッコいいかは分からないが……危険なのには違いないよ――取り敢えず、紹介したい人達もいるから行こうか」



 紅牙は掴まれていた腕を振り払わずに、手を繋ぐ様にしてセキュリティゲートを抜けた。


 ここが霊も扱う組織である以上、例え霊であっても本来ならゲートを通るのに通行証が必要ではあった。


 だが紅牙に取り憑き、それを紅牙は容認しているので、セキュリティシステムには一人と認識され、問題なく二人は通過できる。科学的なシステムにも拘らず、現代の科学では証明できないシステムだ。


 誰ともすれ違うこと無く、エレベーターに乗り、二人は七階に向かう。




 零課のオフィスがある扉の前に着くと、中から紅牙が予想していた通りの明理と美裕が言い争う声が聞こえてきた。紅牙はドアに手を掛けたまま開けるのを躊躇った。



『嫉妬で私の役割を奪うのはどうかってことよ!』



『嫉妬してるのは課長の方っスよね?!だから権限使って席も移動させたんスよね?!』



「なんか、喧嘩してるみたいだけど……入るの?」



 真理亜は真理亜で知らない人達が喧嘩している中に入るのは抵抗があり、紅牙の横で躊躇いを言葉にしている。



「喧嘩の原因は知らないが……一旦、中を覗いてから決めようか」



 紅牙の提案に真理亜はアイコンタクトで同意し、二人は見つめ合いながら同時に頷く。


 真理亜は自分から物に触ることが出来ないので、自ずと開けるのは紅牙になる。


 紅牙は膝を地に付け、見つからないように音を立てず、少しだけドアを開けた。


 僅かな隙間から中を覗うために、真理亜が紅牙に覆い被さるようにして覗き込んだ。


 中では隣に座りあう明理と美裕が向き合いながら言い争い、それを止めようとするが割り込めずたじろいでいる星羅の姿を目視できた。


 最初こそ二人の言い争いを楽しんでいた星羅だったが、流石に三時間近くも聞かされれば、そんな余裕はなくなっている。



「うわぁ……美人さんばかりだ……ひょっとして、紅牙の彼女ってあの中にいるの?」



 中に居る三人には聞こえないように、紅牙の嘘を信じていた真理亜が感想を漏らしながら紅牙に訊ねた。


 彼女がいるというのは、あの場から切り抜けるための嘘の一つに過ぎなかったが、真理亜に訂正することを忘れていたため信じられていた。



「あー……さっきの彼女いるっていうのは、あの場を乗り切るための嘘だから忘れてくれ。まぁ、幸か不幸か美人揃いなのは否定しないよ」



「んー……でも一番可愛いのは真理亜だね。他の人達は綺麗って感じだし、永遠の十代の真理亜には可愛さでは敵わないね」



 ――凄い自信だな……確かに可愛いけど。てか、一応十代の娘もあの中に居るんだが……



 自分の中で完結させていた上、後々明理や美裕に話されると面倒なことになり得ないので、直接声には出さなかった。


 紅牙が何も言わないと、真理亜は話を本題に戻した。



「――それで、紅牙。中に入るの?」



「……いや、よそう。経験上、もう少し時間が経たないと、こちらの話を聞いてくれないからね。貞操を差し出せば別だけど」



 紅牙は一度見るのを止め、カバンから手帳を一冊取り出した。そして何も記入されていない適当なページを開き、一枚破り取るとそれを丸めた。



「何してるの?」



「一先ず、あの新人さんを助け出す……」



 言いながらドアをもう少しだけ開けると、紅牙は片目を瞑り、狙いを定めた。そして喧嘩している二人には見えないように星羅の足めがけて、丸めた紙を投げた。


 放たれた紙くずは一直線に星羅の足へ飛んでいき、見事に命中。


 ズボンの上からでも何か当たったのを感じた星羅は、足下に落ちていた紙くずに気づき、それを拾い上げ、首を傾げながら辺りを見渡した。


 すぐにドアが若干開き、二つの目が星羅を見ていることに気が付いた。



「あ、こっち見た」



 真理亜に言われるまでもなく、当然紅牙も星羅が気づいたことを確認できていたので、手招きをし、こちらへ来るよう指示を出す。


 紅牙達の顔がまともに見えない星羅は不審に思いながらも、近づいていった。明理達はそのことに一切気づいていない。



「あ、こっち来た」



 真理亜の実況と共に紅牙達はドアの前に居て邪魔にならないよう、立ち上がりその場から一歩引いた。


 間もなくして、星羅が音を立てずに部屋から出てきた。


 真っ先に紅牙が目に留まった星羅は、妹と同じで見惚れてしまい、彼女の時間が一瞬だけ止まった。


 だが恋愛に興味の無かったこともあり、星羅の興味は顔から、紅牙が着ていた妹と同じ学校の制服に変わり、紅牙の正体に変わる。



「高校生?……もしかして、あなたがもう一人の同僚さん?」



「その言い方ですと、二人から何も聞かされていないようですね――どうも。月影紅牙です。見ての通り高校

生なんで、平日は学校にいますけど……よろしくお願いします」



 名乗り終え紅牙が頭を下げると、つられて星羅も頭を下げた。



「初めまして。叶星羅です。こちらこそ、よろしくお願いします」



「ん?叶?どこかで聞いたような……」



 星羅が名乗ると真理亜は、何処かで聞いたその名前を思い出そうと腕を組み悩んだ。


 話を進めたかった紅牙は真理亜が自力で思い出す前に説明した。



「放課後、僕に話し掛けてきた三人組の女の子達の一人に、彼女の妹がいたからね。ほら、最後に話し掛けてきた子だよ」



「あぁ!あの人か!確か、紅牙が名前呼んでた人だよね?」



 思い出したことで真理亜はスッキリとした清々しい表情に変わったが、紅牙の方は目を丸くした。



「え?僕、名前呼んでた?」



「うん――そういえば……あの人、名乗ってなかったような……」



 紅牙はようやく自分が迂闊に名前を呼んでいたことを自覚する。



「あ、そっか。お姉さんのことを知ってたから、その経緯で妹のことも知ってたんだ」



 疑問が解決でき真理亜は満足そうに、納得の表情を浮かべた。一方で紅牙は『しまった』と呟きながら頭を抱えた。


 ――まぁ……あの場で誰も指摘してないし……大丈夫だよな……


 実際に紅牙と真理亜以外は気にもしていない。身分がばれるのを恐れている紅牙は、そうと分かっていても気にせずにはいられなかった。



「あの……お取込み中すみません。妹に会ったんですか?」



 会話に入れず、ずっと話を聞いていた星羅が、二人の会話に一段落ついたのを見届けると遠慮がちに訊ねた。


 紅牙は頭を抱えるのを止め、質問に答えた。



「まぁ、同学年なんで。ですが、クラスも違うですし、今後係わる機会は無いと思いますよ」



 別に紅牙が風花と係わってほしくないからという意味はなかったが、紅牙はそう星羅の質問の意図をそう受け止めていた。



「そうですか。ただ訊いただけなんで気にしないでください――それより、気になってたんですけど、一緒にいる女の子って……幽霊ですよね?」



 あくまで最初の質問は紅牙と共通の話題で打ち解けようとしてのものであって、星羅が訊きたかったのは真理亜のことだった。


 星羅としては、紅牙との会話中、何度も視界に入り気になって仕方なかった。



「はい。僕に憑いてる霊です。良い子なんで、仲良くしてやってください」



「どうも真理亜です。真理亜もここは今日初めてなんで、新人同士仲良くしてね」



「は、はぁ……」



 今まで星羅が見てきた霊は暗い雰囲気を纏い、近づき難いものばかりだったため、明るい雰囲気の真理亜を見て呆気にとられた。だが仕事内容を思い出し新たに疑問が浮上した。



「でも、いいんですか?ここって霊を退治する組織ですよね?」



 ――もしかしてあの二人、説明をほとんどしてないんじゃ……


 紅牙は今も口喧嘩をしている二人をドア越しに睨んだ。


 ため息を漏らすのを我慢し、疑問に答えるついでに、明理達がないがしろにした組織についての説明を受け継いだ。



「退治するのは、あくまで事件を起こした霊だけですよ――そもそも、明理さんはどこまで話してくれたんですか?」



「確か……何を相手にしている組織かってところまでです。だけどそれも途中で、霊以外にも相手しているけど、何を相手にしているのか聞きそびれてました」



 ――やっぱりほとんどしてなかったか……嫌な予感っていうのは、いつも当たる。


 我慢して溜めていた息を紅牙は今度こそ吐き捨てた。



「なるほど……なら続きは僕が話します。霊以外にも、妖怪、未確認生物、宇宙人などの科学的証明がなされていないものを相手にしてます」



 紅牙は指を折り曲げながら、流暢に説明を始めた。紅牙にとって新人に説明するのは、これで二度目になる。


 ちなみに一度目は、去年入った美裕への説明の時だ。


 美裕の時は組織の名前の由来を教え、組織の実態と建物の構図について話した。明理がそれを参考にして話すのを紅牙は事前に聞いていたので、どう説明をしていたのかを安易に予想はできた。



「え!妖怪とか宇宙人って本当にいるの?!」



「見たこともないから、全然想像がつかない……」



 真理亜は分かり易く驚き、星羅は目を丸くし弱々しく呟いた。二人の新人らしい反応を見て、紅牙はクスっと笑みをこぼした。



「妖怪の方はすぐに会えますよ――それから、場所変えませんか?お昼まだですよね?二人の喧嘩に付き合っていたんですもん」



 この提案は紅牙なりの気遣いだった。二人の喧嘩に付き合わせてしまった、お詫びだ。



「実はお腹が空いてて……そうしてくれると助かります」



 星羅は女性らしく恥じらいながらも、お腹を押さえながら紅牙からの提案を承諾した。




 紅牙達三人は、星羅の空腹を満たすため、一階のエレベーターホール奥にある社員食堂に赴き、四人掛けの席に三人は座った。紅牙と星羅は向かい合い、紅牙の隣には真理亜が座っている。



「……本当におごってもらってよかったんですか?」



 星羅は目の前にあるカレーライスと紅牙を交互に見ながら、申し訳なそうに訊ねた。



「えぇ。明音さん達が迷惑かけたお詫びです。それに僕は年下でも、先輩ですから」



「……じゃあ……遠慮なく。いただきます」



 最初こそ遠慮していたが、食べ始めた途端に幸せそうな表情に変わった。



「なんか……紅牙が唐揚げ食べた時みたいな顔……」



 真理亜が漏らした感想通り、星羅の好物はカレーで無意識のうちに紅牙同様の笑顔を浮かべていた。


 流石に二人連続で同じ顔を見た真理亜は、顔を引きつかせている。


 だが紅牙は自分と近しいものを感じるせいか、特にそのことには触れなかった。



「食べながらでいいんで、話の続きをしますけど。大丈夫ですか?」



「はい。お願いします」



 表情と違って、星羅の口調はしっかりとしていた。一応大丈夫と判断し言葉を続けた。



「じゃあ、次は組織構成についてです。ここには僕達零課以外に、五つ課が存在します」



「何だか警察みたいですね。ということは、課によって担当も違うんですか?」



 意見を言う際、星羅は食べる手を止めず、笑顔を振り撒けたままだったが、何気に質問は確信をついていた。



「そうです。壱課は霊と妖怪。弐課は未確認生物。参課は地球外生命体。肆課は神。伍課は都市伝説といった感じで、それぞれ適材適所の人材が配員されてます」



「未確認生物って?それに神や都市伝説っていうのも、よく分からないんだけど」



 今度は真理亜が紅牙に訊ねた。星羅も気になっていたのか、スプーンを加えたまま同意するように首を何度か縦に振った。



「まず妖怪っていうのは、科学で証明できない不可思議な能力を持ち、人間よりも遥かに寿命が長い存在。霊と違って、一般人でも視認できる。ただ人に紛れている事も多いですし、逆に人前にでないかで、素人が見つけるのは困難なんだ。一方で未確認生物は、遺伝子的にそこらの生物と変わらないが、ほとんど目撃されていない珍しい生物。有名なのはツチノコとか、ネッシーとか」



「ツチノコって本当にいたんですね……でも、ツチノコって事件起こすんですか?」



 紅牙が説明するのに都合のいい質問をした星羅は、既にカレーを食べ終えていた。



「人とコミュニケーションを取れない動物である以上、事件ではなく事故扱いです」



「じゃあさ、神が起こす事件ってどんなの?」



 真理亜は自分が幽霊であるため、不可思議な存在には理解力が高く柔軟な考えをしており、興味津々で早く次を聞きたくて仕方なかった。


 星羅がちゃんと理解しているのか心配ではあったが、一先ず続きを話した。



「神話にもいろいろありますから、神同士での喧嘩もよく起きるんですよ。人間で例えるなら組同士の抗争みたいなものです。それで人的被害がでないように対処するのが肆課の仕事になります」



「例えは分かり易いですけど……相手は神なのに、逮捕とかできるんですか?」



 元刑事だけあって、実体験と重ねることで、今回は星羅の方が理解力は上だった。



「肆課は巫女や神官を中心に構成されてますけど、普通の人には変わりません。神と戦おうものなら、全員殺されて終わりですよ……特に肆課のメンバーは非戦闘向けですからね」



 紅牙は笑いながら言ったが、星羅と真理亜の頭の中では世紀末の様な、荒野と化し多くの人々が倒れている東京を想像し、言葉を失っていた。



「でもまぁ、意外と聞き分けはいいんで、下手に手を出さなければ殺されることもないですけど」



『ほっ』



 ――やっぱり、大袈裟に捉えてたか。でも強ち間違いでもないいだよな。


 絶句していた二人だったが、紅牙の言葉を聞き揃って安堵の息を吐いた。二人の様子の変化を紅牙は楽しんだ。


 事実のみを伝え、からかってはいなかったが肆課について今はこれ以上、話さないことにした。どの課にも言えるが、今後係わる時に詳しく話せばいいだろう。



「さて、残るところは伍課が担当する都市伝説やですけど。主に情報収集が仕事です。都市伝説のゴールって、大抵は霊だったり妖怪だったりと、他の課の担当になっちゃうんですよ」



「なんだか伍課って楽そうだね」



 頬杖をつき言った真理亜の発言は真実とは異なっている。



「そうでもないよ。ネットや資料、伝承から都市伝説を見つけて、初めに捜査するのは伍課だからね。危険は少ないが、数は多くこなしてる」



「そうそう。案外、伍課って忙しいのよね。主にデスクワークだし、私には無理。それこそ美裕ちゃんみたいな頭脳担当が好まれるし、異動になんないかしら」



 紅牙の説明に同意したのは、星羅でも真理亜でもない。音もなく忍び寄り、いつの間にか空いていた星羅の隣の席に座っていた明理だった。



「ビックリした!いつからいたんですか?!」



「この人、さっき喧嘩してた人だ!気配なさすぎて、真理亜より幽霊みたい……」



 普通なら星羅達のように驚くところだが、紅牙は驚く素振りを見せていない。


 実のところ肆課の話をしている時に明理が食堂に入って来たのを知っていた。二人がいつ気づくかを、スケールの大きい二人の想像と共に楽しんでいた。


 声を出さずに笑っている紅牙とは対照的に、明理は怒っている。



「『いつから』はこっちのセリフよ。気が付けば星羅ちゃんはいなくなってるし、紅牙君も知らない間に来て、星羅ちゃんに説明してたし。おまけに何故か幽霊の女の子もいるし」



「すみません……だけど説明を放棄し喧嘩して、気づかなかったのは明理さん達ですよ?」



「それはそうだけど……でも、喧嘩を売ってきたのは美裕ちゃんの方だよ?」



 上目遣いに、弱い口調で言い訳された紅牙は、年下ながら大人になるしかなかった。


 確認のため紅牙が星羅に目線を送ると、彼女は曖昧な笑みで頷いた。



「……分かりました。美裕先輩には後で僕から言っておきます。それと、続きは説明していいですよ。元々、明理さんの役割ですし」



 それ以降紅牙は黙り、明理に説明を委ねた。星羅と真理亜はまた脱線しないか心配そうに明理を見つめる。


 二人の心配などつい知れず、明理は高揚とした気持ちで語りだす。



「じゃあ残ってる、私達の零課について説明するね!なんと零課は、全てを相手にするの!他の課のサポートが零課の仕事。つまりはオールラウンダー」



「え……私って、素人なのにそんな重要そうな所に配属されたんですか?」



「なーんて。そう固く考えないで。機密組織故に人数が足らないから、そういった便利な課も必要なのよ――さっきも局長から、別件で出払っている壱課の代わりに事件の捜査を頼まれたからね」



 ――え?捜査を頼まれた?


 余計な口出しをしないよう心掛けていた紅牙だったが、聞き捨てならないその言葉に眉を眉間に寄せた。



「あの、明理さん。今、『捜査を頼まれた』って言いませんでした?」



「うん。言ったよ?…………って、こんな所で呑気に話している場合じゃないじゃん!」



 明理は完全に忘れていた自分がここに来た本来の目的を、今更ながら思い出し、椅子を倒すほど勢いよく立ち上がった。


 明理が紅牙達の許に来た本来の理由は、捜査会議をするために星羅を呼びに来たことだ。


 その事を知らなくても、紅牙の確認と明理の慌てぶりで、誰もが明理の本来目的は分かっていた。


 後に続いて紅牙も片手で顔を覆いながら、ゆっくり立った。呆れているのがよく分かる。



「でしたら、さっさと零課のオフィスに向かいますよ。それと明理さんも後でお話があります」



 ずっと余裕を感じさせる口振りで話していた紅牙の口調が、覇気を感じさせる真面目なものに変わった。紅牙のスイッチが入った証拠だ。


 紅牙の合図で、座っていた星羅と真理亜も立ち上がった。


 急ぐあまり紅牙は星羅の食べ終わった食器を代わりに片づけ、星羅が礼を言う間もなく真理亜を連れて社員食堂を出た。その後ろから星羅と明理も続いた。


 ◇


 紅牙の少し後ろを歩く星羅は、表情や態度は変わらないが、先程見せた覇気を感じさせた紅牙の姿が頭から離れず、前を行く紅牙の後姿を観察するように見つめていた。


 ――もしかしてこの人、私みたいに何か抱えてるのかな?


 いつも『事件』と聞くと親の事件と結び付けようとし、目の色が変わる自分自身と紅牙が重なって、星羅には見えている。


 ただし復讐が目的の星羅と紅牙では、当然理由は異なる。それは彼女自身も理解はしているだろう。


 そんな星羅の横にいる明理は、エレベーターに乗る直前、ただ黙って移動するのは勿体なかったので組織についての説明で残っていた、ビルの構図について簡単にだが話しだそうとした。



「本当はゆっくり話したかったけど、時間も無いから他に重要な事を端的に話しておくね」



「……あ、はい」



 ――何だか……ここに来てから、自分らしくないなぁ……


 紅牙のことを考えていたため、星羅は一瞬反応に遅れた。星羅にとって事件のことよりも他人のことが気になるのは初めての経験だ。それを星羅は、自分で不思議に感じている。



「どうかした?」



「いえ、何でもないです……それで、重要な事ってなんですか?」



 明理は星羅の様子がおかしいのを察したが、受け答えはできていたので、非常識なことを言われ頭が混乱したのではないと知り、言及はしなかった。


 本題に入る前にエレベーターのドアが開いたので、四人は乗り、明理は改めて口を開いた。真理亜も明理の話が気になり、何度も明理に視線を飛ばしている。



「この施設の利用方法よ。一階には主に食堂。最上階は局長室や応接室がある。そして七階は零課のオフィスや資料室で、地下には射撃訓練場、運動場などが設けられてるわ」



「結構揃ってるんですね……二階から六階には何があるんですか?」



「他の課のオフィスとかだよ。階毎に一課ずつね。無駄に縄張り意識が高いから、用もないのに近づかない方がいいよ。特に壱課はね。私達とは犬猿の仲だから」



 星羅が最近まで勤めていた警察でも、自分達の仕事にプライドを持っているためか、他の管轄や部署に踏み入れられるのを嫌っている傾向があった。


 そのため星羅は理解できたが、真理亜は自分の立場上、怖がって紅牙にしがみついていた。



「怖がらせるつもりはないけど。そこの幽霊の女の子は特に避けた方がいいかな」



 紅牙の制服を掴む真理亜の握力が強くなった。



「大丈夫だよ。壱課の面々には僕も特に嫌われてるから。こちらからは近づかないよ。仮に向こうから来ても、守ってあげるから」



 真理亜の頭を撫でながら、紅牙が宥めたところでエレベーターは七階に着いた。



「説明は以上よ。もし、他に分からないことがあったら……」



「僕に訊いてください。零課に勤めて一番長いのは僕ですから」



『え……』



 星羅と真理亜の新人二人にとって一番驚愕する事実だった。



「そうよ。私が課長なのは年長且つ、紅牙君の次に此処に勤めてから長いから、普段は学校がある紅牙君の代わりね」


 だが紅牙と明理の顔を交互に見た二人は、今までの態度から紅牙の方が慣れている感じだったのを思い出し、妙に納得はできた。


 二人が何も訊かなかったので、紅牙は零課のオフィスのドアを開けて入った。



「遅いっスよ。こっちはとっくに準備ができてるんスけど」



 四人を出迎えたのは、頬を膨らませた美裕からの叱咤だった。


 彼女は相変わらずパソコンの画面を見ながらだったが、キーボードを打ち事件の資料をまとめる作業をしている。そのパソコンは、有線で大きなモニターに繋がれ、美裕のパソコンの画面を共有していた。



「お待たせして、すみません。美裕先輩」



「え?こ、紅牙君?!違うんスよ!けっして紅牙君を責めてたわけじゃないっスよ!」



 紅牙が来ていたことを知らなかった美裕は、謝る紅牙に慌てて近づき必死に訂正した。その顔は美裕が初めて見せる女性らしい顔だった。


 しかし、紅牙の隣にいる真理亜が視界に入った途端、鋭く睨みつける。



「――ん?ところで、そっちの馴れ馴れしく紅牙君に憑いてる女の子の霊は誰っスか?」



「今朝、僕に憑いた真理亜ちゃんです。悪霊や怨霊の類ではないですよ。だから害はないです」



「ふーん……でも取り憑いたってことは一緒に住むんスよね?紅牙君に何かしたら許さないっスよ。その時は監視の意味を込めて、アタシも紅牙君の家に住むことになるっスから」



 ――それ脅しになってないような……ただ月影君に迷惑かけるだけなんじゃ?


 星羅が思ったように、美裕の言葉は脅しにはならっておらず、全員が苦笑している。



「美裕ちゃんは紅牙君のこと好きだから嫉妬してるのよ。今年から一人暮らし始めたんだけど、そのマンションも紅牙君の隣の部屋を借りてるくらい好きなのよね」



 紅牙を挟み睨み合う真理亜と美裕をよそに、人間関係を知らない星羅に明理は耳打ちをし、それとなく教えた。



「それって一種のストーカー行為ですよね?」



「紅牙君が承認してるから問題ないよ――ちなみに私も紅牙君のこと大好きだから、逆隣りの部屋に住んでるんだけどね」



 ――だからこの二人、仲が悪いのか……さっき喧嘩してた理由が、男の取り合いとは。



 小声ながらも大胆な発言を含んだ説明を終えた明理は、いまだに睨んで威嚇し合っている美裕に向かって叱咤を飛ばし返した。



「――いつまでも嫉妬してないで、早く事件の概要を話してよ」



「…………そうっスね。今は紅牙君に免じて保留にするっスよ。流石に空気は読めるんで」



 明理が口を挿んだことで、頭が冷えた美裕は一言だけ真理亜に言い残し自分の席に戻った。


 他の全員もそれぞれが自分の席に着き、真理亜だけは紅牙の膝の上に座った。その行為に美裕や先程は嫉妬を表に出さなかった明理も不愉快そうに顔を顰める。



「ねぇ、紅牙君。始める前に一つだけ確認したいんだけど……どうしてその子、当然のように紅牙君の膝の上に座ってるの?」



「席が無いからですよ。学校でも同じ感じなので、気にしないでください」



 怒りを抑えながら訊ねた明理の質問に紅牙が答えると、紅牙から見えない真理亜の顔は優越感に浸り、正面に座る明理や美裕を挑発するかのようだった。


 現に、二人の笑顔は強張り、今にでも怒りが爆発しそうになっている。



「普通、気になるっスよ――席が無いならその子じゃなく、アタシを乗せてほしいっス!」



「まぁ……それでもいいですけど」



「えー!真理亜だけの特権だったのに!」



 思い切った美裕のお願いを紅牙が嫌な顔せず聞き入れると、美裕は小さく拳を握りながら立ち上がった。


 紅牙は真理亜を一度持ち上げてから立ち上がり、そのまま真理亜を自身の椅子に座らせた。


 パソコンの操作の都合で紅牙の方が美裕の席へ移動し、真理亜にしていたように美裕を膝の上に乗せる。



「アタシからお願いしといてなんスけど……これ照れるっスね」



 恥ずかしそうに俯く美裕とは対照的に明理は笑顔が引き攣り、怒りが爆発する寸前だ。



「まぁ。私は課長で誰よりもお姉さんだから、美裕ちゃんみたいに我が儘は言わないけど……一言だけ言うなら、照れてないで早く事件の説明してくれるかな?」



「いくらでもするっスよー。課長と違ってアタシは幸せな気分っスから――あ、そうそう。今回の事件っスけど、多分星羅さんにとっての入局祝いになると思うっスよ」



「え?私のですか?」



 美裕の言葉が気になり、星羅は訊き返したが美裕は答えずに、一回頷いただけ。その後、簡単に事件の概要を話し始めた。



「まず、事件が起こったのは丁度一週間前の四月一日っス。場所は驚くことにここから徒歩十分の所にある民家で、被害者はそこに住む三十代の夫婦っス」



「近いわね……そういえばその頃、警察が騒いでいたような」



「あ!それ私も知ってます。私がこっちに引っ越してきた日の出来事ですから……でも、その事件のどこが私への入局祝い何ですか?むしろ不謹慎な気がするんですけど」



「それは今からモニターに表示する遺体の写真を見れば分かるっス」



 美裕の指示で星羅、真理亜、明理の三人はモニターに、紅牙と美裕は正面にある美裕のパソコンに視線を向けた。


 キーボードを操作しモニターに映し出す直前、大事なことを思い出し、美裕は真理亜を一瞥した。



「――あ、それと。グロ注意なんで、霊の女の子には刺激が強いかもしれないっスね」



「うぅぅ……そういうの、苦手……」



 忠告された真理亜は両目を手で覆い、僅かな指の隙間からモニターを見た。ホラー映画のように苦手でも好奇心が有るが故のスタイルだ。



「じゃあ、映すっスよ」



 美裕がENTERキーを押すと、モニターに現場の遺体写真が映された。



「……確かにこれは、酷いわね……滅多刺し状態じゃない」



「加えて滅多切りですね……内臓も飛び出してますし」



「事前に一回見てたっスけど。アタシ的には、ベストスリーに入る惨忍さっスね」



 人の原型はほとんど留めておらず、周りには血肉が飛び散る二つの死体の画像に各々が感想を漏らし、真理亜に関しては完全に目を背け見るのを止めている。


 だが、ただ一人、星羅だけは誰も好んで見ないであろうその画像に釘付けになっていた。



「嘘でしょ……これって、まさか……」



 星羅の震えた声に誰もが反応し、星羅を見た。星羅が何を言いたいのか分かっていたのは、事前に資料を整理していた美裕だけだった。



「似てるっスよねー……星羅さんの両親が殺された事件に。というか、手口が一緒なんス」



 美裕は星羅のセリフを奪うと、よく分かっていない紅牙達の為にキーボードをもう一度叩き、新たな画像をモニターに出した。それは星羅には見慣れた両親の事件現場の写真だ。


 何度も刺され、切裂かれ、原型を保っていない状態は星羅の両親の遺体と全く同じだった。



「これが星羅ちゃんの両親の事件……ほぼ間違いなく同一犯の手口よね?」



「はい。入局祝いってこの事だったんですね……いきなりお父さん達の仇をとれるなんて」



 言葉の最後に星羅の口角が上がった。真理亜ですら分かるくらいに、殺気立っている。雰囲気が一変した星羅に全員が戸惑う中、紅牙が口を開けた。



「断言するのは早いですよ。美裕さんも『ほぼ』って言ってたじゃないですか」



「何言ってるんですか!どう見たってお父さん達を殺した犯人と手口が同じじゃないですか!」



 冷静な紅牙の意見に、星羅はデスクを叩きながら立ち上げり、声を怒鳴り散らした。



「『落ち着け』とは言いませんが、取り敢えず座ってください……」



 結果的に紅牙の言葉で多少は落ち着いた星羅は、一呼吸し言われた通り席に着いた。



「僕がああ言ったのは、不自然な点があったからです」



「やっぱり、紅牙君も気づいてたっスか……星羅さんの両親が殺された事件から、十年も間隔が空いてるし、

場所もかなり離れてるっス。それにその十年も、きっちり十年でなければ、曜日も日付も違うんスよ。手口

以外何の関係性も見当たらないんス」



 紅牙が考えていたことを事件の概要説明役の美裕が話すと、その考えに星羅は苛立ちを露わにした。


 事件の当事者であり、一番事件に詳しい星羅には二人の考えを否定できる確かな証拠があった。



「つまり、お二人は模倣犯と言いたいんでしょうけど……実はお父さん達が殺された事件って、公表されてないんです。だから模倣犯の線はないんですよ?」



 紅牙が一瞬目を細めたが、誰も気づかずかない。さらには目を瞑り、考え事を始めた。



「……なるほど。それだったら同一犯で確定させてもよさそうっスね」



「それで美裕ちゃん。その犯人に繋がる物とかって、現場に有ったの?」



「意外なことに、有ったんスよ。今、モニターに映すっス」



 言い終えると同時に美裕はモニターに、物的証拠が撮られた写真を映した。


 ようやく真理亜も手を除け、直接モニターを見ることが出来ている。


 そしてモニターを見ていた全員が首を傾げながら、口を揃えた。



『毛?』



「そうっス……だけど、人間の物じゃなく、二ホンオオカミの物っス」



「なるほど。決定的な証拠ですね」



 人知れず考えるのを止めていた紅牙のみ犯人の正体にたどり着き、他の三人は首を傾げたままだ。



「東京でオオカミの毛は、確かに珍しいですけど……どう犯人に繋がるんですか?」



「珍しいどころの騒ぎじゃないですよ。二ホンオオカミは絶滅種なんです。でもそれの毛が落ちてたってことは、その現場に居たってことになります」



「二ホンオオカミで該当する妖怪などの類はただ一つっス。ズバリ日本発祥の狼男っスよ」



 モニターが次に映したスライドは、日本の古い絵巻だった。そこには二足歩行で人より二倍くらい大きく描かれた狼が人間を襲っている墨絵が描かれている。烏帽子をかぶり、着物を着ている人が描かれていることから、平安時代頃に描かれたものだと推測出来る。



「狼男かぁ……手口は大きな爪で串刺しにし、切裂いたってところね」



「手口なんてどうでもいいです!いるかいないかです!それで何処にいるんですか?!」



『……さぁ?』



 星羅は鬼気迫る勢いで問い詰めたが、訊ねられた紅牙と美裕は自然と声を合わせて首を捻った。



「『さぁ?』って……さっき知ってる風なこと言っていたじゃないですか!」



「僕が言ったのは、狼男が犯人であるってことだけで、それが何処の誰かまでは、こんな少ない情報じゃ分かりませんよ。それに普段は人間の姿をしていますし」



「だったら、現場にでも行って、犯人が特定できる物を探すのが先決なんじゃないですか?」



 ――私、何言ってるんだろう……また熱くなって、冷静さが欠けてる。


 紅牙はもっともな意見を言っているのだが、星羅はそれを無責任な発言と取り、急かすように檄を飛ばした。


 それでも星羅は自分が言っていることは無意味だと理解はしている。今更、現場に言ったところで証拠となる物が無いのは明白だ。


 しかしそれを指摘する者は誰一人としていなかった。



「そうね。物的証拠は無くても、警察が見落としている手掛かりはあるかもね。警察は犯人が狼男だなんて思ってもいないだろうし」



「え?!いいんですか?だったら行きましょう!すぐに!」



 感情が高ぶっている星羅は自分の意見を尊重してくれた明理の許に寄り、その手を引いて立ち上がらせた。



「その前に、念のため星羅ちゃんのデスクには、警察時代に使い慣れているリボルバーが入っているから、それを持っていきましょう」



 手を放し自分の席に戻った星羅が言われた通りにデスクを開けると、ニューナンブ式リボルバーの三八口径という威力の高い銃が入っていた。日本警察が使用する拳銃だったため、手に持った時しっくりきた。弾は既に装填されている。



「すごーい……本物の拳銃だぁ……」



 星羅が銃を手に取ると、隣に座る真理亜が目を輝かせながらまじまじと見つめた。



「こっちには本物の日本刀があるわよ」



 明理は壁に立て掛けてあった幾つかの竹刀袋のうち一つを手に取ると、中身を少し出し日本刀の柄を見せた。



「カッコいい……もしかして課長さんは剣を使うんですか?」



「まぁね。正確には刀よ。それも普通のものとは異なって霊も斬れちゃうんだから」



 真理亜は堪らず身震いした。悪気の無い明理はそんな真理亜には構わず、話を元に戻す。



「――それじゃあ、行こうか。事件現場に」



「はい!」



 日本刀が入った竹刀袋を肩に掛け準備万端の明理が提案すると、上着の下にショルダーホルスターを装着し同じく準備万端の星羅は返事をし、真理亜も行く気になっていた。


 だが、紅牙と美裕は座ったままだ。



「アタシはここに残って調べものをするっス。日本には狼男の記述がほとんど無いんスよ。おまけに新入りにの二人に教えておくっスけど、狼男とか誰でも聞いたことある有名どころって、強敵なんスよ。強いからその名を轟かせたってところっスね。だから対策を調べないと。今の二人の装備じゃ、太刀打ちできないかもしれないっスから」



「そうですね。なら僕も……」



 紅牙も残ろうとしたが、事件現場を見てみたかった真理亜が目を潤ませ無言でねだってきたので、仕方なしに続く言葉を変えた。



「いや、僕は後から行きます。美裕先輩に調べてもらいたいことがあるんで」



「そう。だったら後程落ち合おう。何か分かったら、電話頂戴ね」



 明理は紅牙達に手を振り、部屋を出た。扉が閉まらないうちに星羅も明理に続いた。




 二人がビルから出たタイミングで明理の携帯電話に一通のメールが届いた。そのメールは美裕のパソコンからだ。開くと、被害者宅の住所が書かれ、地図も添付されていた。


 その地図に沿って二人は進み、被害者宅へと到着した。だが『立ち入り禁止』にはされておらず、見た目はただの空き家だ。


 二階建てで都会にしては大きな庭も有し、紛れもなく資産家だと判別できる。



「ここが事件現場となった被害者夫婦の那珂川(なかがわ)さん宅ね」



「あのぉ……ここまで来てなんですけど。警察手帳も無いのに入って大丈夫なんですか?」



 迷いなく進んでいく明理に、さっきまで積極的だった星羅は弱気になり訊ねた。元刑事だけあって法に触れるか否かは、気になるようだ。



「復讐をしようとしているのに、案外冷静なのね――でも、心配はいらないわ。私達は政府の所属で立場上は、警察以上だもの。それに鍵もちゃんとあるし」



 ――私が心配してるのは、誰かに見つかった時、どうするのかなんだけど……


 結局、星羅が本当に心配していたことは訊けず仕舞いで、明理は躊躇い無しに敷地内に侵入した。


 星羅も周りを見渡し、誰にも見られていないのを確認してから中に入った。



「まずは二人が殺害されていたリビングから見てみましょうか」



 明理の一言で二人は玄関からすぐのリビングに移動する。


 当然遺体は既に無く、血痕も綺麗に消されており、真理亜が思い描いているであろう、刑事ドラマのような事件現場らしさはなくなっていた。


 それでも狼男の仕業だと決定づける証拠は残っている。部屋のあちこちに付いている、平行に三から五個並んだ傷だ。明らかに都会にいるはずのない、巨大な獣の爪痕だった。



「あらら……こんなに狼男である証拠残しちゃって……まぁ、警察は争った時に凶器である大きな刃物の痕だと断定するだろうけど」



「私も幽霊が見えなかったら、絶対にそうしてます。というより今もまだ半信半疑ですが」



 二人は会話をしながら、ごく自然に部屋中を捜索し始めた。指紋を付けないようハンカチを手に持ったが、綺麗に整理され現場が保存されていないこの場所では、気になる物もなく出番はほぼない。




 案の定二人は、何も見つけられないまま刻一刻と時間が過ぎていき、小一時間が経った。



「はぁ……何も無いねぇ……紅牙君も来ないし、一旦局に戻らない?」



「もう少しだけ待ってください!」



 タンスの下を覗きながら懇願する星羅を明理は優しい眼差しで見つめ返し、捜索に戻った。


 何かある確率が低いのは承知していたが、復讐したいという星羅の想いを聞き入れた。



「――それにしても、高そうな骨董品が多いわね。犯人は金品が目当てだったのかな?」



 黙ったまま捜索するのが限界だった明理は、星羅と会話をしながら探すことにした。



「狼男がお金欲しさに強盗殺人なんてするんですか?」



「普段は人に紛れて生活してるから、あり得ない話ではないよ」



「そうだとしても、私の家は普通の家庭でしたから、動機は一致しないですけどね……」



 ――でもそうなると強盗殺人ではなくなる。お父さん達とこの夫婦に何か共通点が?


 一度頭に疑問が過った途端、星羅は顔を上げ犯人に繋がる証拠探しを中断した。


 明理も星羅と同じことに疑問を抱いたが、捜索の手を止め考えること数秒で音を上げ、頭を掻きむしった。



「……あー!もう!こういうの、苦手」



 明理が急に大声を上げたことで、驚いた星羅は体を跳ね上がらせ、目を大きくしながら明理の方を見た。



「びっくりさせないでくださいよ……」



「いやー、ごめんね。頭を使うのは、どうも苦手で」



「まぁ……私も頭脳派じゃないんで、行き詰って叫びたくなる気持ちは分かります」



 ――現段階じゃ何も思い浮かばないし、手掛かりを探すしかないか……


 感情的になり後先考えずに出てきたことで、二人はこれ以上進めなくなった。だが打開策を思いついた明理はおもむろに携帯電話を取り出す。



「頭の良い二人に、電話して意見でも訊こうっと」



 ――二人ってことは、調べものしてる、あの二人か……



 考えていた事が無意識のうちに口に出しながら、携帯を操作し、電話を掛けた。相手は犬猿の仲の美裕ではなく、紅牙だ。


 携帯の画面には、カメラに目線を合わせていない紅牙の写真が表示されている。完全に盗撮されたものだ。


 ――佐伯さんよりも、課長の方がストーカー体質のようだ。


 明理の携帯の画面が見えてしまった星羅だったが、電話が繋がってしまったので、何も言えなかった。


 そんなことなど知らない明理は、繋がった電話を耳から離し、スピーカーモードにして星羅にも聞こえるようにした。



「あ、もしもし。紅牙君?今大丈夫?」



『ナイスタイミングです。丁度、電話を掛けようとしてたところなんです』



「うそ!?それって私達の気が合うってことかな?」



 ――いや、違うと思いますよ……


 自分に都合の良いように紅牙の言葉を解釈した明理は、一人で盛り上がり、携帯を握りしめたまま段々体が前のめりに傾いていった。



『多分気は合うと思いますよ――けど、今は事件の話をしましょう。僕が電話を掛けようとしてたのは、新たに分かった事があったからです』



「どういうことですか?!教えてください!」



「あ、ちょっと!」



 せっかく進展しそうだったのに明理が別のことで頭がいっぱいだったため、星羅は明理の手から携帯を奪い取り、マイクに向かって明理の代わりに大声で答えた。


 携帯を取り上げられた明理だったが、すぐに携帯を返してはもらえなかった。



『もちろん教えるんで、できれば声をもう少しだけ抑えてくれませんか?』



 電話の向こうにいる紅牙の声が、最初よりも遠い。星羅達と違って携帯を耳に当てて電話をしていたため、咄嗟に顔から遠ざけたからだ。



「あ……ごめんなさい。以後気を付けます――それで分かった事ってなんですか?」



『その前に確認ですけど、その家に魔除けのお札や玄関に盛塩とかがあったり、家具の配置が風水的だったりしませんでしたか?』



「え?いや……無かったと思いますけど……」



 紅牙に訊かれたことは意外にも霊や占術に係わり、どれも印象に残るものだ。床付近ばかり見ていた星羅だったが、もし見かけていたら気づいていただろう。


 だが霊や占術に関しては素人の星羅では見逃しているかもしれなかったので、明理に視線で促せた。



「でも、まだ一階しか見てないから断言はできないよ?――だけど、紅牙君はどうしてそんなオカルトチックな物がここにあると思うの?」



『…………』



 星羅は明理に意見を求めて正解だったと胸を撫で下ろしたのも束の間、電話から紅牙の声が一切聞こえなくなった。それどころか画面まで真っ暗になっていた。


 充電を使い果たした自分の携帯を取り戻しながら、明理は言った。



「あらら……切れちゃった。そういえば一昨日以来、充電してなかったっけ」



「何、呑気に分析してるんですか!結構大事な話、してましたよね?!」



「星羅ちゃん。すぐに冷静さを失ったらダメだよ?」



 ――え?何で私が説教されてるの?確かに、感情的にはなりやすいけど……


 自分のことを棚に上げる星羅は眉をハの字にし、不満丸出しの顔をしている。



「紅牙君は『後で合流する』って言ってたじゃない。つまり遅からず紅牙君もここに来るはずだし、その時に聞けばいいと思うよ?だから今は紅牙君に言われた物を探そう?」



「……まぁ、そうですね」



 明理は上手く星羅を丸め込んだ。自分のミスを無かったことにしようとしたのはともかく、明理の言ったことはもっともだ。



「リビングにはそれらしい物はなかったし、まずは玄関にでも行ってみようか」



 非科学的なもの対しては素人であり零課の新人である星羅は、上司らしくリードしてくれる明理の指示に従うだけだった。


 リビングを出てすぐの所にある玄関に再びやってきた二人だったが、紅牙に言われたような物は無かった。


 在るのは二人の靴と夫婦の靴。芳香剤と観葉植物であるアロエが置かれているだけだ。



「盛り塩なんてどこにでも無いですよね?」



 見渡しながら確認を取る星羅だったが、明理はその質問には答えずに、珍しく引き締まった真面目な顔をしていた。



「いや、待って。芳香剤っていい匂いを発する物。霊っていい匂いが苦手らしいよ。それにアロエの様に葉が尖っている植物は、魔除けにもなる……外も見てみましょう」



「は、はい」



 初めて聞く明理の気合の入った声に困惑しながらも、星羅は靴を履いて外に出た。


 来た時は全く見ていなかった足下を注意深く見てみると、庭の地面で育てられていた植物と家の影で隠すように盛り塩が置かれている。



「あ……本当にあった」



 星羅が盛り塩見つけると、それを聞いた明理も遅れて家の中から出てきた。



「この見つからないような置き方で確信したわ。ここの夫婦は何かしら霊に係わっていた。芳香剤やアロエは、普通の家にあってもおかしくないけど……塩の置き方は普通じゃない」



 明理は近くで見るためにしゃがみ、星羅はその後ろから覗き込んだ。


 目の前のことに集中し視野が狭くなっている明理と比べ、星羅の視野は広く、視界の隅には庭が映っていた。


 加えて黒い手帳な様な物が落ちているのが、目に留まった。



「ん?何か落ちてますよ?」



 一応明理に報告してから、星羅はその物体の許へ近寄った。明理も顔だけを動かし、庭の方へ視線を向けた。



「これって……警察手帳?」



 落ちていた時は裏面しか見えていなかったので分からなかったが、屈んで拾い上げ、表面を見たことで、それが星羅には馴染み深い代物であるのが分かった。



「捜査に来てた刑事が落としたんじゃない?」



 ――手帳って無くしたら、まずいんじゃ……


 この場合、多くの人が次に取る行動は、開いて中を見て持ち主を特定する。そこで星羅も、拾った警察手帳を開こうとした。



「星羅ちゃん!危ない!」



 だが星羅が開こうとした直前、剣幕を変えた明理が声を荒らげながら星羅の許に駆け寄った。それも肩に掛けていた竹刀袋から日本刀を取り出し、袋を投げ捨て、更には鞘から刀を抜いた。


 刀を持ちながらも走るスピードはアスリート顔負けの速さだ。


 星羅は明理の声に反応し顔を上げると、まるで自分に斬りかかってくるように迫る明理に驚き、反射的に身を縮ませながら、目を閉じることしかできなかった。


 瞬く間に星羅の頭上に刀が到達したが、刃は星羅には向けられていない。


 そして視界の失っている星羅には『キィン』と金属同士がぶつかり合うような、かん高い音が耳に響いた。


 恐る恐る目を開けると、頭上には一本の刀と、巨大な薄茶色い毛皮の犬の手から伸びている五枚の鋭い爪が交差していた。


 明理が星羅に向かっていったのは、刀で動きを止めている手を星羅に振り下ろさせないためだったからだ。



「え……嘘…………でしょ?」



 手を辿り、その手の主を見た時、星羅は何も言えなくなった。


 三メートルはある巨大な体。獣のような唸りと臭い。鋭く尖った歯と目と長い耳。今二人と退治しているのは、現場に来る前に絵巻で見た狼男そのものだ。


 星羅が言葉を失ったが、突如現れた巨大な体に恐れたよりも、仇を討つ好機が訪れたかもしれないという喜びが勝っていたからだった。



「星羅ちゃん!避けて!」



 呆然としていた星羅だったが明理の声で我に返り、言葉の意味を知る。明理が抑えていた手とは逆の左手がフックの要領で弧を描き、星羅に襲い掛かってきていた。


 星羅は咄嗟に転がり回避したが、僅かに髪の毛の先端を掠った。反応が遅れれば間違いなく、星羅の体に突き刺さっていただろう。


 ――危なかった……それにしても何?このスピード……


 立ち上がって態勢を立て直した星羅だったが、相手が化け物であることを認識させられると、初めて恐怖を感じ背中に悪寒が走った。



「一人じゃ抑えられない……星羅ちゃん。援護お願い」



「わ、わかりました!」



 両手を使っているにも関わらず、明理の腕はプルプルと小刻みに震え、力の差が出ていた。


 明理が圧されているこの状況を打破すべく、慌ててホルスターから銃を抜き取り、まともに狙いを定めないまま狼男にめがけ発砲した。


 センスだけで撃った弾は明理の横を通過し、狼男の人間でいう心臓部に命中。


 だがその弾は狼男の巨体を貫くことはなく、衝撃を吸収するクッションの様だった。


 それでも突然当たった弾に一瞬怯み、その隙をついて明理は後方に跳び距離をおいた。



『いい腕だ……が、こんなものではわたしは殺せんよ』



 初めて言葉を話した狼男の声は変声機を通したかのように野太い。


 狼男は喋りながら付着した埃を取る感覚で、胸から弾を取り除いた。



「美裕ちゃんの言った通りみたいね。だけどその弾には対魔物の術が施されているから、致命傷にはならなくても、傷くらいは負わせられるんじゃない?」



 ――これって普通の弾じゃなかったんだ……


 弾を装填していた時に、普通の弾丸との違いはなく星羅は一瞬耳を疑ったが、現に明理の言葉通り狼男の胸からは血が流れている。



『確かにな……だがすぐに治る』



「生憎だけど、もう一つ……いや、五つ怪我があったら回復も遅れるんじゃないかしら?」



 明理が言葉を言い終えたタイミングで、明理の刀とぶつかっていた狼男の左手の爪全てが鋭さを無くし、砕け落ちた。



『その刀も小賢しい細工をしているようだな』



「ええ。相手は化け物だし、対策くらいするわよ」



『化け物か……後退した時に一瞬でわたしの爪を斬った、貴様の方が化け物だろ』



 皮肉めいた罵り合いだったが、このやり取りがお互いに隙を探り、隙を作らないための駆け引きだ。


 星羅にもそれは伝わって、銃を構え、目を離さないまま、ゆっくりと明理の後ろについた。武器の都合で、明理のサポートを自ら買って出た。



「私は強いけど、化け物って言われるのは心外ね。あなたみたいに人を殺してないのに」



『ならば、流石、超常現象対策局だ……と言っておこう』



 狼男が発した言葉に疑問を持った星羅は、狼男には聞こえないよう小声で明理に訊ねた。



「課長。秘密の組織じゃなかったんですか?私達の素性も、バレてるじゃないですか」



「秘密なのは人に対してだけ。パニックを起こさせないためにね。でも、奴らみたいな化け物の間では、私達の話はかなり拡がってるわ。何百年もある組織だし」



 星羅の些細な疑問に明理が答えると、狼男はその隙を見逃さなかった。明理が答え終わると同時に、明理をはるかに凌ぐスピードで二人に詰め寄る。


 それでも明理は反応してみせ、勢いよく振り下ろされた狼男の左腕をまた防いだ。


 しかし先程よりも増した腕力に刀が『ピキッ』と悲鳴を上げた。その音を皮切りに刃の部分に一筋の罅が入っていく。



「ヤバいかも……星羅ちゃん下がって」



 星羅の目から見てもこのままでは危ないのは明白だ。


 言われた通りに数歩下がり、加えて明理を助けるために再び発砲し、次は鋭い目に当たった。



『グゥッ……!』



 胸に当たった時とは違い、狼男は片目を押さえ苦悶する。その間に明理も後ろへ退いたが、直後に持っていた日本刀は、真っ二つに折れた。



「やっぱり、安物じゃ限界か……」



 明理は折れた刃先を見つめながら、ため息交じりに呟いた。


 これで形勢は圧倒的に星羅達の方が悪くなった。


 撃たれた右目を閉じ、そこから涙のように血を流しながら、狼男は左目で二人を睨んだ。



『やってくれるじゃないか……叶星羅』



「っ!どうして、私の名前を知ってる?!」



 自分の名前を呼ばれ星羅は大きく目を開き、今までにないくらい声を荒らげた。


 明理が名前で呼んでいたため、下の名前は知っていてもおかしくなかったが、苗字を知っているのはおかしい。



『ホッホッホ……決まってるだろ?お前ら姉妹の両親を殺したからだ。まさかあの時、見逃した娘が、ここまでになるとは』



 ――この笑い方…………まさか!


 口調こそ変えていたが、その独特な笑い方に星羅は聞き覚えがあった。



「………………全部知ってて、ずっと騙してたんですね……ずっと、ずっと、ずっと!」



 瞳孔を開ききり、拳銃を握る星羅の力が自然と強くなる。



「もしかして星羅ちゃんの知り合い?だったら犯人が分かったんだし、一旦退こう。このままだと、こっちが殺されちゃう」



「課長は黙っててください!これは私の問題なんですから!……今すぐ殺す!」



「まずいわね。今の星羅ちゃんに何を言っても無駄か……」



 怒りが沸々と湧き上がり、星羅の耳には明理の下した判断が全く届いていなかった。明理が星羅の肩に置いた手を、怒りのままに撥ね退けた。


 反動で明理は尻餅をつき、邪魔が入らなくなった星羅は鋭い眼孔で狼男を睨みつけ、怒りに任せて銃を発砲し始めた。


 元々、星羅の銃に装填していたのは六発。その内、既に二発を使い、残った四発を考えも無しにただ感情に任せて、心臓に二発、頭に二発、交互に撃ち込んだ。


 人間相手なら即死させられるが、狼男相手では多少の怪我を負わせ、少量の血を流させるだけの効果しかなかった。


 いくら撃っても無駄なのは、考えれば分かることだが、今の星羅にはまともに考えられるほどの冷静さは微塵も残っていない。


 残りの弾数さえ把握しておらず、四発撃ち終えても引き金を引き続け空砲が数発続いた頃に、ようやく弾切れに気づいた。


 その時には銃を構えるのを止め、絶望から殺気を込めて睨むことしか出来なかった。



『終わりのようだな……今度はわたしが殺す番だ』



 ――嘘でしょ……こんなところで、仇も取れずに死ぬの?ごめん、風花。


 狼男は短い宣言を言い終えると共に、左手を真っ直ぐ伸ばし、星羅の体を貫こうとした。


 だが星羅の体に到達する前に、明理が星羅のことを抱きかかえ回避すべく横に跳んだ。


 そのおかげで、星羅には爪が届くことはなかった。



「くっ……」



 だが星羅の代わりに苦痛の声を漏らしたのは明理だった。


 星羅は最初、地面に叩きつけられたのが原因だと思っていたが、起き上がり振り向くと明理の左腕から血が滲み出ていた。



『チッ……外したか。まあいい。次で仕留める』



「星羅ちゃんだけでも逃げて……ここは私が請負うから。武器は無いけど、今の星羅ちゃんよりは役に立つだろうし」



「課長?駄目です!課長こそ逃げてください。私の暴走のせいでこんな事態になったんでですから……」



 死を前にし、星羅は冷静さを取り戻す。そして自責の念に駆られ、本音では死にたくないが星羅は自分が犠牲になる覚悟をした。


 明理を逃がそうと、倒れていた明理を立たせる星羅。だが、目の前の怪物のスピードには勝てない。


 狼男は二人に向かって、背後から腕を振り上げた。



『だったら、二人まとめて死ね』



 間に合わないと踏んだ星羅は明理に覆い被さるようにして庇った。


 しかし振り下ろされる直前に大声が響き渡る。



「ちょ、ちょっと待ったー!」



 場にいた全員が、この場に合わない可愛らしい声のする方に注意を背けられた。


 狼男ですら振り下ろそうとしていた腕を、思わず止めている。


 その声の主は星羅達にとっては意外なことに真理亜のものだった。


 ――あの子。どうしてここに?


 狼男もまた視線を真理亜へと向ける。直後、『ドン』という爆発音に近い音が星羅達の背後から聞こえ、砂煙が激しく舞った。


 真理亜の登場の次は大きな物音。次から次へと起こる異常事態に、二人は何事かと振り向くと、起きた事態に納得ができ、明理は安堵の息を吐いた。


 先程まで猛威を振るっていた狼男は地にひれ伏せ、それを紅牙が踏みつける形で乗っている。援軍の登場で一先ず二人は命拾いしたのだ。



「お待たせしました――急に電話が切れたから、何かあったかと思って来てみれば……」



「た、助かった……流石紅牙君。惚れ直しちゃった。電話中に襲われて、大変だったのよ」



 ――課長。さらっと嘘ついてる…………だけど本当に助かるの?


 星羅はまだ明理ほど安心しきれていなかった。


 巨大な体をどうやって倒したのか謎だったが、特に武器も持たず、星羅からしたら紅牙に勝ち目は無さそうに見えた。



『いつまで乗ってるつもりだ!』



 だが星羅の心配をよそに狼男は初めて怒りを口にし、起き上がりながら紅牙を飛ばした。今までにない感情的になった姿だ。


 飛ばされた勢いを利用し、紅牙は涼しい顔でバク宙をきめ、着地してみせた。



「凄いパワーだな……こんなにも魔除けがある家で、ここまで力を出せるとは――それにしても、よく『犯人は事件現場に戻る』って言うが、一週間も経って戻ってくるとは、予想外だ」



『何か探ろうとしてるが無駄だ。お前もここで死ぬんだからな!』



 怒りのためか今まで以上の速さで、紅牙に鋭い爪をお見舞いしようとした。


 襲い掛かる攻撃に紅牙は退くのではなく、向かっていき爪が届く前に一発の蹴りを狼男の腹部に打ち込んだ。


 その瞬間、衝撃波が広がり星羅や明理の髪を靡かせた。


 一方で蹴られた当人は、苦痛のあまり苦悶の声を出せず、蹲る。



「肋骨数本ってところか……全力の蹴りじゃなかったわりには、上出来かな」



『お前、本当に人間か?この蹴りは異常だ……だが、お前もわたしを殺す術はないだろ?』



 血が混ざった唾を吐きながら、それでもなお自分が殺されないと思っている狼男は、不敵な笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がった。


 対して紅牙も、余裕のある通常時の顔を浮かべている。



「それはどうかな?ま、僕の徒手格闘なんだけど……あんた達、妖怪や怪物の類を殺す方法は大きく三つ。一つは人間には無理だが、化け物同士や神ならあんたらを殺せる。二つ目は、言い伝えや伝承にある儀式や工程をふんだ殺害法。最後は、対魔物や神殺しと云われる武器」



『その通りだが、いい事を教えてやる。お前の頼みの綱は最後の武器なのだろうが、わたしのような強力な相手では、中途半端な術をかけた弾や安い刀じゃ殺せない』



 狼男が言っていたのは、何も知らずに星羅が使っていた弾と明理の刀だ。


 紅牙は落ちている空薬莢と折れた刃を一瞥した。



「急ごしらえで悪かったわね!居るのを知ってたら、もっといいのを持ってきたわよ!」



 馬鹿にされたと感じた明理は、紅牙の背中越しに怒った。


 あくまで保険程度に携帯した武器だったので、勝ち目が薄かったのは分かっていたが、それを蒸し返されるのは、明理にとって不快以外の何ものでもない。



「まあまあ。落ち着いてください。そもそも『あれ』持って来てたら、警戒して姿現さなかったでしょう。そうすれば、星羅さんが奴の正体に気付かなかったはずです……それに切り札はちゃんとありますから……」



 紅牙は明理を宥めながら、緩く結ばれていたネクタイを外し、続いて制服のシャツのボタンを上から数個外していった。



「きゃー!紅牙くん、セクシー!今晩抱いてー!」



 鎖骨が見えたあたりで、明理は落ち着くどころか、更に興奮した。


 腕からの出血などお構いなく、更には鼻血を流し身悶えする明理に、星羅は頭が痛くなる想いだった。


 ――なんで、この人はこの状況で、こんなに元気なの?


 一応星羅も顔を赤くして、紅牙のことを見ていたので直接責めることはできずにいる。



『ホッホッホ。二枚目が脱ぐと画になるが、生憎そっちの趣味はなくてね……それで?何をしようとしている?』



 見た目では隙だらけだったが、対峙する狼男には紅牙に隙など感じられず、攻撃を仕掛けるのは殺されないとはいえ、自殺行為でしかなかった。


 紅牙は質問には答えないまま、首から掛けていたお守りを外し、お守りの袋を解き中身を掌に取り出した。


 中から出てきたのは二発の弾丸だ。それも普通の弾とは異なり、純粋な銀色に輝く。


 紅牙の出した弾丸を目にした途端、それが何なのか瞬時に理解し一歩また一歩と狼男が後退する。



「どんな魔物や妖怪、怪物も心臓に撃ち込めば殺せる切り札。否、最終兵器、銀の弾丸……貴重な物だが、こっちには二発もある。それも、叶さんの銃に込められるものが。この意味、分からないほど馬鹿じゃないでしょ?」



 紅牙の言葉が終わる前に狼男は怪我を感じさせない跳躍力で屋根へ跳び、一度紅牙を睨むと、屋根から屋根に飛び移り、人間など軽く上回る速さでその場から逃げた。



「ふぅ……取り敢えず、助かったかな」



 敵がいなくなり緊縛から解かれた紅牙は、力なく息を吐き、弾丸をお守り袋に戻した。


 呑気な紅牙の態度に、堪らず星羅は食って掛かった。



「ちょっと!追わないんですか?!殺すチャンスを、みすみす逃すんですか!」



「残念なことに、そうせざるを得ないんですよ。事情は後で説明しますんで、今は明理さんを、病院に連れて行く方が先です」



 紅牙の視線の先には左腕を右手で押さえる明理の姿があった。


 紅牙の促すような瞳で、星羅は自分のせいで明理が傷ついたことを思い出し、それ以上の反論はせずに三人と一体の幽霊は現場を去り、病院へと向かった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ