小さな髪飾り
旅の途中に立ち寄ったその街には海があった。
アスファルトが延びる先には砂浜が広がっており、ほんのりと潮のしょっぱい香りが漂っている。道に沿う白色だったはずのガードレールはまだらに赤錆びていた。
夜の海は暗い。街灯の光だけが頼りだ。
ささやかに波立つ海を見ているとなんとなくノスタルジックな気分になる。僕は咥えていた煙草にライターで火を点け、軽くふかした。
ふと背後に気配を感じる。振り向くとそこには髪の長い少女が立っていた。
白いレース調のワンピース。この気温にしては少し寒そうな格好だ。
僕は内心驚きつつも動揺を隠して声を掛ける。「お嬢ちゃん、こんな遅くに何をしているんだい」
「別に何というわけではないわ。ただ、海が見たくなっただけよ」
その少女は見た目の割にとても大人びた、形容しがたい含みのある話し方をした。
「あなたこそこんな時間にうろうろしていると不審者に間違われると思うけど」
「おじさんは怪しい者じゃないさ」僕は少し笑って言った。
「実際に怪しい人は皆そう言うのよ」
ワンピースの裾を揺らしながら少女は唇を尖らせる。よく見ると手入れの行き届いた黒髪の後ろには小さな花の髪飾りが着けられていた。
「ねえ、怪しい者さん」少女が問う。
「その呼び名はやめようね」
「生きることの意味ってなんだと思う?」
思わず「えっ」と僕は口から発してしまう。「生きる意味?」
右手の指に挟んだ煙草の火がちりちりと音を立てる。
「そう。あなたはどういう意味を持って生きているの?」
途端に周りが無音になったような感じがした。街灯の光にほんのりと照らされた少女の顔には妖艶な笑みがあった。おおよそ中学生には見えない年頃の娘が浮かべるにはちょっとばかり官能的すぎる表情のように僕は感じた。
「生きる意味かあ」と夜の海に向き直って僕は呟く。「ないんじゃないかなあ」
「じゃあ、あなたはどうして生きているの? 悲しくならないの?」自分の背中の後ろから少女の声が聞こえる。
「目的なく生きているわけじゃない。でもそこには意味なんてないんだ。あくまでも生きる意味なんて後付けさ。考えるだけ無駄なんだよ。大事なのは今、生きているという事実そのものなんだと僕は思うよ」
僕がそう言い終わると少し間があってから小さく声が聞こえた。
それは誰に向けたものでもない、といったような言葉だった。
「そうなの。そういう考え方もあるのね」
僕は彼女が今どんな表情になっているかが気になって、ぎこちなく微笑みながらも後ろを振り返る。
そこには誰もいなかった。まるで最初から陰ひとつ無かったかのようだった。いつのまにか煙草はフィルターの手前まで灰になり、ポロリと落ちる。
少女に向けた微笑のやり場に困り、僕は海に向かって自嘲気味に笑った。
翌日の朝、再びそこへ足を向けた。
昨日僕が立っていた辺りのガードレールの支柱には小さな花の髪飾りが添えるように置かれていた。