第一章:見放された地より6
一旦はお開きになったものの、ナジュールはセイラについてきた。
そこにお目付け役のケイトまで加わって、ぞろりぞろりと書庫までの道のりを歩く。
短い道中の話は、専らホーンやウーフなどの話だったが、ケイトには口を出す事ができなかった。
今や、書庫の中にはセイラ、ジルフォード、ハナ、カナンのいつもの四人に加え、ケイト、ナジュールと彼の連れてきた少年が席に着いていた。
さすがにこの人数で入るには、カナンの部屋は狭いが、身を寄せれば、全員が座ることが出来る。
カナンは隣国の王子が突然現れたことに驚いたようだったが、快く迎え入れ、お茶の準備をしている。
一人機嫌が悪いのは、先ほどの抱擁を見てしまったハナだ。
大きな瞳を怒らせてナジュールを睨んでいたのだが、「ハナ殿は情熱的ですね」と意味不明の言葉を吐かれたのでそっぽを向いた。
マントを取り払ったタハルの二人は、奇妙な格好だった。
彼らが腰に巻いているのは見たことの無い動物のもので、その毛並みは固い。
恐々と触るハナに矢ぐらいならば貫通しないと言ったナジュールの言葉は、あながち嘘ではなさそうだ。
少年のほうは色鮮やかな布を頭に幾重に巻いている。
その瞳の色からナジュールと同じような漆黒の髪だと思うのだが、布の下からその色がのぞく事はない。
やはり目を引くのは、手の甲にほど施された刺青と、耳から長く垂れる銀色の球体だ。
耳飾にしては長いそれは魔除けなのだと言った。
球体の中には香が入っており、その香りで悪しきものが近づくのを妨げるのだと。
「へぇ〜」
確かに見せてもらえば、透かし彫りされた球体の中には何か入っており、不思議な香りがする。
エスタニアで魔除けと言えば玉の飾りだ。
その輝きによって魔を祓う。
「国によって、いろいろ違うん、ですね」
先ほどから変なところで言葉を切るセイラにナジュールは笑った。
「話しやすい言葉でかまいませんよ。セイラ殿。ここにいる皆が内緒にしておけば、怖い師に怒られなくてよいでしょう?」
漆黒の瞳はお見通しとばかりに細められた。にわか仕込みでは鍍金がはがれるのは時間の問題だ。
「なら、普通に話すよ。だから、ナジュール殿も普通に話して」
「……普通にですか?」
「そう、タハルで話してるみたいに」
その言葉に、ナジュールは頬を掻いた。
「どこか不自然な点が?」
「ううん。完璧だったよ」
彼はセイラのように分かりやすい反応ではない。
広間にいるときも、その態度はごく自然に見えた。
完璧だからこそ、どこか違和感がついて回るのだ。
「でも、なんか似合わないなぁと思って。だから、私なんかとは比べ物にならないくらい頑張って覚えこんだって感じがするのかなぁって。それに、怖い師って言ったでしょう?ナジュール殿にもいたんじゃないかなと思ってね」
「これは、まいった」
敬語をなくすと、途端にイメージにあってくる。
「タハルは野蛮人という噂が広がっているから、少しでも払拭しようと頑張ってみたんだが」
「挨拶できる人は野蛮人じゃないよ」
「ありがとう。セイラ殿。それでは、互いに師がいないところでは普段どおりにいこう」
セイラは同意するように微笑んだ。
「さっきのアロってやつがタハルの挨拶?」
「そうだよ」
ナジュールはさきほどやったように、胸の前で相手に手の甲が向くように掲げて見せた。
「こうやって、武器を何も持っていないことを相手に教え、自分が何者なのかを伝えるんだ」
「……何者って?」
「この刺青で分かる」
ナジュールの両の甲には同じ模様が彫られてある。
中央に二重の円があり、回りを不可思議な文様が埋めていく。
「赤は一の者。二の者からは他の色を使う」
「一の者?」
「……ああ、そうだな一の者は、最初の子どもの事だ」
「第一子ということですか?」
ハナの言葉にナジュールが頷いた。
「周りの文様で族名を表し、真ん中の模様が己のことを示す。ナジュールは太陽という意味だ。だから、私のは太陽の印だ」
ナジュールは背後に控えていた少年をよんだ。
「ルルドだ。お前のも見せてあげるといい」
ルルドと呼ばれた少年は、しぶしぶながら、セイラの前に手の甲を曝した。
彼は、どうやらナジュールほど、この空間に馴染んでいない。
彼の刺青は鮮やかな青だった。
「ルルドは慈しみの水だから、水の印だ」
中央の印は縦線が二本。
「へぇ〜面白いな」
身の乗り出して目を輝かせるセイラに、くすりと笑う。
「そうだな。セイラ殿なら、何がよいか。そういえば、エスタニアの姫君は女神の名を貰うそうだな」
「そうだよ。私はリーズ。月の女神の名をもらったの」
「月か。月なら単の円だ」
其処まで言うと、何かを思い出したかのようにはっと顔を上げる。
「なんと、セイラ殿は月の女神か。わが国では、月は太陽と夫婦だ」
セイラの手を取り、白い歯を輝かすナジュールにハナはピクリと米神をひくつかせた。
結婚している女性の手を掴みーしかも目の前には夫がいるー自分たちは夫婦だと嬉々として言っているようなものだ。
あくまで神話上の話だが。
そして、へぇ〜そうなんだと納得しているセイラにもちょっとばかし腹が立つ。
何度も言っているようだが、自覚というものを持って欲しい。
「月のセイラ殿、太陽の私。ぴったりだな」
飛びつかんばかりのナジュールの前に割り込み、さっとセイラを横に押しやった。
「確か、タハルの神話では月は太陽の傲慢振りに愛想をつかして、いつも反対の世界にいるのでしたわよね?」
こうして昼と夜が出来たのだ。
これはカナンに教えてもらったことだ。
「……いや〜ハナ殿は博識だな。このような女性がタハルにいてくれると嬉しいんだが。なぁルルド」
「嫌ですよ。こんな煩い女」
「うっうるさい……」
ふるりと揺れるハナの肩を宥めながら、ケイトは口元を引きつらせながら、ようやく言葉を出した。
「おっ落ち着きましょうね。ハナ殿」
「落ち着いていますわ」
そういいながらも、差し出す為に掲げたコップは怒りのためにゆらゆらと揺れている。
「とてもにぎやかですね」
無言でやりとりを見つけていたジルフォードはカナンの言葉に、やはり無言で頷いた。