第五章:さよならの代償16
落日が世界を染めている。
空には遮るものは何もなく、ヒューロムの赤酒でも流しこんだかのように街の隅々まで赤い。
しばらくすれば陽は王座を月へと譲り、青く澄んだ夜が来る。
今宵は大月。
春告げの祭りを締めくくるのに相応しい美しく大きな月が、世界の裏側で今か今かと出番を待っている。
路地では店主が空の具合を確かめながら、店じまいをしようか迷っているところだ。
月が天辺に来る頃には街外れの石舞台にいなければいけないのだから。
なんといっても一年に一度の祭りだ。大月は十年に一度。
その上、今年の春乙女はこの間エスタニアから嫁いできたセイラ王女だ。話題に乗らないわけにはいかない。
だがライバル店よりは少しでも多くの売り上げを得なければと互いに火花を散らせつつ、妥協点を探りあう。
それを笑うように急速に宵闇が忍び寄っていた。
城の一角にも赤みを失いつつある光が差し込んでいる。
「話は分かりました」
重く頷いた後、ルーファは固く瞳を閉じた。
考え込むような仕草に2つの人影は不動を貫き通す。
頭を覆う数多の色彩を帯びた布に腰を覆う毛皮。
腰には小ぶりながら殺傷能力を持ったナイフを帯びた彼らが王の執務室に招かれるなど異例のことだった。
彼らはタハルの使者5人のうちの2人だ。
小柄で吊り目の青年はケンフィと名乗り、ひょろりと背の高い細見の青年はゾーイと名乗った。
アリオスの生活にはいち早く慣れ、アリオスの衣装もうまく着こなしていたが一転今日はタハルの正装をしている。
「すぐに屋敷を用意させましょう」
「それには及びません」
ルーファの言葉を遮ったのはケンフィだった。彼らの間には何か取り決めがあるのかもしれない。
いつも発言をするのはケンフィだ。
ゾーイは俯き加減で常に黙っている。ただの引っ込み思案なのだろうか。
「我らはナジュール様と共にタハルに帰ります。お心遣い、ありがとうございます」
「それではお話が違うようですが……このままでは貴方方は危険なのでは?」
受け取った手紙には確かにウォーダンのサインがある。
二人の青年をアリオスで暮らさせて欲しいと書いてある。
ケンフィはウォーダンが亡くなった事を包み隠さずに話した。
毒によって徐々に身体が弱り死に至ったことも、その毒を盛っていたのが自分の一族であったことも。
そのことは王の指示であったことも。
王の死が公になれば、いずれ知れ渡ることになるだろう。例え、王の指図であったとしても王族を死に至らしめたことは、重大なる罪であり罰は免れない。
相手が現国王ともなれば、一族滅亡も十分にありえることだ。その前に、若く丈夫な青年を一人ずつアリオスへと逃がす手はずとなっていた。
「罰ならば受けましょう」
ゾーイも身じろぎ一つしなかった。
秘密を抱えたまま他国で生きるほうが苦しい。
ルーファは二人から手元の手紙へと視線を落とす。
国王暗殺の経緯を国王本人の手紙で知らされるなど、前代未聞だ。
謀りにかけられているとしか思えない。
だが、それに何の意味があるというのか。
「信じることが出来ませんか? ですが、アリオスでもまた同じようなことが起きているでしょう?」
「……同じこと?」
ルーファの問いにケンフィはしばし考える仕草をしたが、それが本当だったのかルーファの好奇心を刺激するための間であったのかは分からない。
だが、長らく平穏を保っていたルーファの心臓が跳ねたのは間違いではなかった。
「お父上はどのようにして亡くなられましたか」
「なに……」
「誰よりも頼りになる力強い王が急に力を失っていくようなことはありませんでしたか?」
ロード王は急逝した。
それまでは病ひとつしたことが無かった。
だからこそ彼が寝付いた時には、サンディアの呪いではないかと嫌な噂がたったものだ。
「まさか」
口の端に浮んだ笑みは最後まではもたなかった。
ルーファのうちにある考えが浮んだ。
父の墓を暴くという恐ろしい考えが。
もしも、毒により死んだのならば遺体には何かの痕跡が残るはずだ。
その考えを打ち消すように、扉の向こうから侍女が呼びかける。
「陛下。そろそろお時間です」
まだ、セイラが見つかったという報告は届いていなかった。