第一章:見放された地より5
薄汚れた一団が王城へ続く大通りを進んでいく。
灰色のマントは叩けば、盛大に砂埃が上がりそうだ。
彼らが乗っている馬だけは、体格も良く美しい毛並みをしているので、余計に乗り手をみすぼらしく見せている。
頭から足先まで、しっかり覆った姿では、相手がどんな人物なのか察する事ができずに、人々に不安を抱かせる。
蹄の轟きと嘶きに子どもたちは振るえ、母親の影に隠れていく。
大人たちは、何者なのか見極めようと視線を送るのだが、恐ろしいものと視線が交わってしまう前にと自然に瞼が下がってしまう。
時折、風に煽られてマントの裾が大きく揺らぐとその下には、見たことの無い獣の毛皮がのぞくのだ。
祭りに合わせて陽気な音楽が流れる中、それはとても異様な光景に思われた。
門番の誰何の声が上がった時、誰もがほっと息をついたと言うのに、頼みの綱の兵士はさっと慌てて頭を下げると門を開けてしまったのだ。
何故。
どうしてあんなものを通したのだ。
そんな声が聞こえてきそうだったが、まさか門番の年若い兵士も、目の前を通りすぎていく不気味な一団が自国の国王とタハルの国王の署名が入った手紙を持っているなどと思っていなかっただろう。
バクバクと鳴る心臓は本当に通してよかったのだろうかと、その手紙を見た後でも思っているからだ。
彼の心音が落ちついたのは、元帥であるハマナ・ローランドがその一団に深々と頭を下げてからだった。
「意外にこじんまりと来たんだね」
セイラがつい漏らしてしまった呟きは、広い空間に溶けて相手までは届かなかっただろう。
アリオスのお偉い方がひしめく広間に導かれてきたのはたったの五人だけだった。
隣国からの使者、しかも王子が来るとのことだったため、もっと仰々しく団体で来るのかと思っていたが違ったらしい。
まだ、誰もマントを脱いでいないのだ。
目深に被ったマントのせいで表情が読み取れない。
不敬であろう。
そんな想いが幾人もの内で燻ったが、それを声にすることはなかった。
この対面が重要な意味を持つ事を誰もが理解していたからだ。
王座から続く階段の前で足を止めると、先頭を歩いていた背の高い人物がフードを取り払った
現れたのは強い色をもつ青年だ。
彼の瞳とうねった髪は全ての光りを吸収しているかのような濃い黒。
夜の深淵。
それが意思を持ち人の形を象る。
耳を彩る銀と胸の前に掲げられた手の甲に施された刺青の赤が異彩を放っていた。
「アロー」
伸びやかでいて、不思議な音を持つ声が広間の中を走った。
よく通る声は、部屋の隅に隠れるようにしている侍女の下にまで届いたであろう。
けれど誰も、言葉の意味を取りかねた。
「アロ?」
反応を返したのはセイラだけだ。
おそらくタハルの挨拶なのだろうと感じ取ったセイラは、同じように相手に手の甲を向けてみた。
青年はセイラを視界にいれると表情を緩めた。
「タハルの挨拶は通じないかと思いましたが、通じたようですね」
にかっと笑われると、口元から真白な歯がのぞき、小麦色肌とのコントラストが目に焼きついた。
はっきりとした目鼻立ちと強烈な色は、アリオスにはない美しさで見た目を引くのだが、柔らかな言葉が踏み込んでくる不快感を与えない。
青年の挨拶はタハルに悪いイメージしか持っていなかった人物に少なからず、そのイメージを緩和させる効果をもたらせた。
「お初にお目にかかります。アリオスの王よ。我が名はナジュール。この度はタハルの我侭をお聞き入れくださったこと感謝いたします」
「アリオスにとってもタハルとの友好が深まるのは歓迎すべきことです。祭が終わりまで、ゆるりとおくつろぎください」
「そうさせていただきます」
それぞれの口上を述べ終えた後に、ナジュールは先ほど挨拶を返してくれたセイラへと視線を向けた。
「そなたがセイラ殿?」
「うっ、はい」
頷こうとするとグランの顔が脳裏にちらつき、思わず言葉使いを正す。
もちろんグランのいう微笑も加えようとするのだが頬が引きつりそうだ。
「そして、ジルフォード殿」
セイラの隣に佇む青年の姿をみて、何故かナジュールは小さなため息をついた。
他国の王子を目の前にしてため息をつく理由など分からない。
僅かに含まれた落胆が、広間の雰囲気を微妙に変化させる。
「ジルフォード殿は隠された王子、しかも魔物だと聞いていたものだから」
今度は確実に空気が変化した。
疑心を含みながらも友好的だった場が、魔物の一言でぴりりと緊張した。
今まで和やかに微笑んでいた夫の雰囲気が僅かばかり揺らいだのをダリアは肌で感じていた。
ナジュールの付き人も場の雰囲気が変化したのを感じ取って、そっと彼の手を引いたが、彼には通じない。
「ウーフのような人物なのか、ホーンのような人物なのかと楽しみにしていたのですが」
数瞬、空気が弛緩した。
緊張が解けてというよりも、一瞬それを作り出していた人々のうちに空白が生じたのだ。
えっ?
何のことだ?
ウーフ?
誰それ?
誰一人として言葉には出さなかったが、同じような困惑が人々のうちに沸いたのを見ることが出来た。
「ホーンはさすがに無理だね」
やはり、ついていけたのはセイラだけだ。
隣のジルフォードを見上げると、そんな一言を漏らした。
「! セイラ殿はへインズの剣を知っているのですか?」
「もちろん」
へインズの剣は子供向けの冒険物語。
ウーフやホーンはその中に出てくる魔物の名前なのだ。
一度は読んだ事のある夢物語。しかし、誰もこんな場所で聞くとは思っていないため、その意味にたどり着けない。
ホーンは巨大な角を有した魔物のことだが、それを思い出せたのは幾人いたか。
「なんて素晴らしい!」
「うわっ!」
抱きつかれた。
あまつさえ、そのまま一回転させられたのだ。
長身のナジュールに抱きかかえられると当然、足は宙に浮き、振り回されれば遠心力でぴんと伸びる。
幸いな事に誰にもぶつからずにすんだのだが、突風のような抱擁が終わった後には、微妙な空気が流れていた。
「このようなところでへインズ談義が出来るなんて!」
しんと静まり返った広間にナジュールの嬉しそうな笑いだけが響いていた。
どうやら、この人物まわりの空気を読まないらしい。
おかしくなった場の雰囲気をおさめたのは賢明な国王だった。
「今日はお疲れでしょう。部屋に案内させます」
その一言に、救われたのはナジュールの背後でうろたえていた付き人ばかりではないだろう。
緩んだ雰囲気は元に戻ることはなく、人々は気の抜けたような足取りで広間を後にした。