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第五章:さよならの代償14

「これは何の真似なのかな? ヒイラギ」


今しがた鋲がうなりを上げて青年の頬の横を通り過ぎていった。

傷一つついていないものの、白い髪がはらりと揺れる。

赤い瞳が剣呑に光る。

背筋が凍えそうな視線を受けながらヒイラギは盛大に顔を歪めた。


「それは、こっちのセリフですよ。ローダさま! 今回のことは僕らに任せてくれるって言ったじゃないですか」


自分の良いところは何事も長く続かないことだとヒイラギは理解している。

悪く言えば飽きっぽいのだが、それが感情となればまた別の話だ。

恐怖も嫌悪を感じることが出きるが、持続しないのだ。

先まで引きつっていた顔の筋肉はすでに日常と取り戻し、凍りついた舌は滑らかに動く。

何も危機は去っていないのにヒイラギが抱いた恐怖は跡形も無く溶け、ここにいるはずの無いローダの存在に怒りさえ沸いてきた。

その怒りさえ次第にどうでも良くなってくる。


「何でこんなところにいるんですか? 余計なお世話ですけど、心配でもしてくれたんですか? 本来貴方は家にいるはずでしょう?」


「……最期を見届けようかと思ってね。でも、私としたことがすっかり花を持っていくのを忘れてしまったよ。失敗。失敗。まぁ、あったところですぐに干からびてしまうけどね」


「最期って……タハルまで行ったんですか」


「うん。しっかり見てきたよ。ウォーダンは死ぬ前に私のことを化け物と呼んだよ。可哀想に。それ以外に罵る言葉が思いつかなかったんだね」


「ウォーダンってタハルの王様……」


セイラの呟きを聞き取ってローダと呼ばれた青年は楽しげに笑う。


「そうだよ。ウォーダン王。だけどもうすぐ前国王って呼ばれるようになるかな? 」


ウォーダン王が亡くなった。それでは、ナジュールは父親の死に目に会うことができなかったのか。

セイラはナジュールの様子のおかしかった夜のことを思い出した。

彼は何らかの方法でいち早く、ウォーダン王の訃報を知ってしまったのだ。


「王子様のことを思っているの?」


ヒイラギのせいで開いていた距離が一気に縮まる。


「自分のときのように最期に立ち会うことが出来なくて可哀相?」


「え?」


確かにセイラは母の最期に立ち会ってはいない。

ジニスの誰もがあんなにも急に逝ってしまうとは思っていなかっただろう。

いつもの生活が始まるはずだった。


「なんで?」


「私は何でも知ってるよ」


ローダが耳を澄ます。

ヒイラギもそれに習ったが彼の耳には何の音も聞こえては来ない。

闇の中を透かしてみようと目を細めたが、あまり効果はなかった。


「面倒ごとがやって来そうだねぇ」


ローダの言葉に遅れること数瞬、闇の中から黒い獣が飛び出した。影だと思ったのは流れる黒髪だった。まるで尾のようにざんと揺れる。

今の今まで気配など無かった。

正真正銘、獲物を狙う獣のようにしんと息を殺して機をうかがっていたのだ。 

乱入者が見知った少年の輪郭を描き出す。


「ルルダーシェ様!?」


「ルルド?」


一瞬、ヒイラギの方が早かった。重なるようにセイラの疑問が続く。

いつでも飛びかかれるような姿勢を保ちながらルルドはちらとセイラを見る。

全身が血で塗れているが本人のものではないと分かると、前方を睨みつける。


「お前は何者だ!」


「そういう君は何なのさ。いきなり刃物を突きつけるなんて礼儀知らずだよ」


「ルルダーシェ様です。タハルの二の王子の」


ヒイラギのため息交じりの答えにローダは僅かに目を大きくし、ルルドの上から下までとっくりと視線を巡らせた。


「これが次の王様? 随分……弱そうだね」


星読みの技術に香の配合、その他諸々の情報を与えれば少しなりとも評価が変わるかもしれないと思ったがあえて報告はしない。

ローダが最も重きを置く「力」においてはルルダーシェは全くの不適合者だ。

「弱そう」それは全く持って相応しい第一印象だった。


「何をわけのわからないことを言っているんだ!」


ルルドの噛み締めた奥歯がぎりと鳴る。


「ふ~ん。まだ一度も術をかけたことがないんだ。大丈夫かなぁ? 大好きな兄上を失ったショックの上に重ねれば大丈夫かなぁ」


「兄上に何をした!」


ルルドが振りかざしたナイフはまるで奇術でも見ているかのようにふっと消えた。

ナイフは弾かれ、放物線を描きながら決して手の届かないところまで飛んで行き、地面に激突する瞬間に儚い音を立てた。

消えたナイフの変わりに現れた剣はルルドの首元に突きつけられた。

トッドを刺し貫き赤く染まった刃が更に血を吸おうとルルドの無防備な喉を狙っている。

ごくりとセイラの喉がなる。

今度はルルドが犠牲になるという恐怖ではない。

ロードは弱者をいたぶる様な残酷な笑みを浮かべてはいるが殺気は感じられない。

怖ろしいのは、相手武器を巻き込んで弾き飛ばす剣さばき。

あれはカエデの動きだ。

セイラの剣の師匠であり、ジルフォードの師匠でもある。

何故繋がっていくのだ。

母にカエデに、ローダが。



「ああ、もう。めんどくさくなりそうだから、帰るね。ヒイラギ、ちゃんとしてよね。どうして、皆ばらばらぐちゃぐちゃと勝手に動くのかなぁ」


青年は苛立たしげに頭を掻き毟ると、ナイフを構えるルルドなど存在しないかのように無防備に背を向けて歩き出した。


「待て!」


追いすがろうとするルルドの前にヒイラギが立ち塞がり、真剣な顔で首を横に振る。

あれはルルドの太刀打ち出来る相手ではない。


「一体どういうことなんだ! 誰なんだあいつは! どうしてお前が此処にいるんだ」


ルルドとて慣れない道に闇雲に突っ込んでいくつもりは無い。

けれど分からないことが多すぎる苛立ちから声は次第に熱を帯び、睨みつける相手はヒイラギへと変わる。


「そういうルルダーシェ様はどうしてここに?」


「城ではセイラがいないとちょっとした騒ぎだ。兄上も姿が無いし……だから二人の行方を追ってる城の奴らのあとをつけてきたんだ」


「うげげ。ってことは他にもこの中に面倒な人物がいるってことか」


厄介だ。

サクヤと連絡が取れていないことも気にはなるが、あの人がセイラに興味を持ってしまったことにも心がざわついた。

長期的に考えれば、此方の方が面倒だ。

さて、力が抜けたように座り込んでいるセイラをどうしようか。


「兄上はどこだ?」


「……ナジュール様のところにはサクヤ様がいると思うけど」


「サクヤが」


ほっと胸を撫で下ろす主に忠告を一つ。これで最後になってしまうかもしれない。

綻びを一つ見つけられてしまえば、たとえサキの術をうまく使ったとしても、この甘ったれの主の下にいることは出来ない。


「あまり安心しない方がいいですよ?」


「どういう意味だ?」


「前に言ったでしょう? 僕はルルダーシェ様を王様にしたいんだって」


ルルドの渋面を見ながらヒイラギは低い声で笑う。

初めて会ったときから図体は確かに年相応に大きくなったのに、眉間に深く皺を刻むこの顔は幼い頃のぐずる時の顔に似ている。


「嬉しいことにサクヤ殿も同じ意見なんだよねぇ」


「そんな馬鹿な。サクヤは兄上の付き人じゃないか。兄上の優秀さは国の皆が知っている」


「でも……死んでしまったら王様にはなれないですよね」


息を飲むルルドの横でのろのろとセイラが視線をあげる。

まだ大丈夫そうだ。少し心もとないけれど、ルルドに預けて幕引きをしよう。


「どうして、そんな考えを……ユザ」


「知っているなら話は早いや。そう。これははるか昔の復讐劇。僕やサキは裏方で表にはでないのだけど、ちょっと動きすぎちゃったかなぁ」


操り人形の王子を作るのが目的だったのだが、一時の放任主義がよかったのか案外逞しくなってしまった。


「裏方は幕の内側に引っ込まなきゃ。しばらくお別れですねぇ。ルルダーシェ様」


「お前の顔なんて二度と見たくない」


「……それは残念」


役者が挨拶をするようにヒイラギが腰を折る。

「待て」と伸ばした腕は空を切る。先ほどまではっきりと見えていたヒイラギの輪郭は急に曖昧となり薄闇に溶けていく。

完全に消えてしまう前にセイラの掠れた声が問う。


「ヒイラギ。さっきの人は誰?」


「う~ん。亡霊……かな」


ヒイラギの影が完全に消える前に、何とか口に出せた問いの答えはどうにもあやふやで、決して望んでいたような答えではなかった。

薄闇の中に取り残されたのは三人。

一人にはもう息が無い。セイラはトッドの頬を撫でた。

触れた身体はまだ温かい。

ゆるりと冷たさが増していく。

閉じた瞼の下の瞳が夢見た未来は二度と訪れない。

ゆっくりと耳に心地よい声はもう二度と聞けない。

何もかもが一瞬のうちで夢の中を彷徨っているかのようだ。

唯一現実味を帯びたトッドの死が重い。



「ここにいても仕方が無い。いくぞ」


セイラは素直に立ち上がらない。

地面に伏した青年に視線をやったまま微動だにしなかった。


「トッドを置いてはいけないよ」


街から追いかけてきてくれた心優しい青年をこんな暗くて寂しい場所においていけるわけが無かった。

たとえその身体が自分のものよりもだいぶ大きくて、とても運べないとしても諦めようだなんて言えない。


「気持ちは分かるが、つれてはいけない」


一度、この道を通ったことのあるルルドにはここの厳しさが骨身に沁みている。

危険な箇所はたくさんある。大荷物を背負って進むことが出来るはずが無い。


「でも、このままじゃ」


「ここは死者の国へ続くノースの道だ。無事にたどり着ける」


タハルでは死者の国はノースの道を下った地下にあると信じられている。

死者の国の入り口には巨大な門があり、番人がいる。

生前の行いが良ければ、門は開かれるが悪ければ門番は獣に姿を変えその牙で捕らえようと追いかけてくる。

逃げようとむちゃくちゃに走り回れば、迷路にはまり込み永久に出ることができないといわれているのだ。

だから死者には獣避けの香を持たすのが慣わしだ。

ルルドはセイラが首からぶら下げていた香入りの耳飾を手に取った。

覚えのあるナジュールのものだ。

奪うと仰向けにしたトッドの胸の上へと置く。これで無事に死者の国へとたどり着くことが出来る。

セイラを助けようとしていた無垢な青年にきっとリュオウは恩情をくれるだろう。


「こいつの死を無駄にするかどうかはお前次第だ。僕は兄上を助けに行く。それで此処を出て、タハルに帰る。お前はどうする? 屍にすがり付いて死んでしまうか?」


死すら糧に。

タハルでは死者への祈りは短い。

それは生者への区切りの言葉。



「どうする?」


「……行く。行くよ」


トッドの最期を皆に伝えなければいけない。

大きなおにぃちゃんが好きだった子どもたちは何日も姿を現さないトッドのことをきっと心配しているに違いない。

それにセイラを心配しているであろうハナ。

『色なし』の意味。

膨れ上がった不安は立ち止まることを許してはくれない。


「ごめんね。トッド。ありがとう」


セイラは差し出された手を取り、重い一歩を踏み出した。













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