第五章:さよならの代償9
「なんてこと」
心臓の音がうるさすぎて吐き気がした。
不明瞭な説明を何とか噛み砕き事態を把握した途端に全身から血の気が引いていく。
死人のような顔色のイリヤを見ながらクロエは己の顔色を悟った。
「どうして目を離したの」
ほんの一瞬、雑踏の中にあのマントを見た気がしたのだ。
セイラを掴まえていたマントの主を。
気をやれば、あっという間にセイラの姿は見えなくなった。店まではすぐ其処だ。
駆け出した割には心の奥底で大丈夫だという気持ちもあった。
「クロエねぇちゃ……どうしよう。おれ……」
恐ろしい人物に妹を人質に取られ、セイラまで浚われてしまった。
彼が誰なのか、なんのためにこんなことをしたのかも分からない。
昨日の夕刻に突然現れた少年は、協力しなければ妹の命はないよと言ったのだ。
妹のメルはたった一人の肉親だ。
どんなことをしてでも守らなければと思っていた。
なのに、なのに。
「にーや?」
入り口から此方を覗き込んだのはイリヤによく似た女の子だった。
床に座り込んでいる兄を心配そうに見つめている。
「……メル?」
「にーや。どうしたの? お腹痛い?」
とてとてと足音を立ててメルがやってくる。
どこにも怪我をしたようではない。
「お前、どこに」
震える手が小さな肩を掴む。
ちょっぴり痛くてメルは顔をしかめたが、もっと辛そうな顔をしている兄の頭を、かつて母にしてもらったように優しく撫でた。
「トッドにーやと一緒にメイヤーさんのところに行っていたのよ」
「トッド……」
セイラに名を貰った青年は子どもたちから見れば小山のように大きくて大人気だ。
彼に肩車をしてもらえば空を飛んでいるような心地がするのでわれ先に子どもたちが集まってくる。
「そう。トッドにーやは誰かを追いかけて行っちゃった。セイねーやが居たって言うけどメルには分からなかったの」
メルはしゅんと肩を落とした。
メルは不思議なお話をしてくれるセイねーやも大好きだ。
いっしょに追いかけようとしたのだけれど、イリヤが心配するから帰れと言われれば無理についていくことは出来なかった。
けれどそれはよかったのだ。にーやがボロボロと泣くのだからメルは涙を拭いてあげなければいけないのだ。
メルはぎゅっと抱き込まれて笑った。にーやはいつもお前は子どもだからと言うけれど、これではにーやの方が小さな子みたいだ。
「どうしよう。クロエねぇちゃん。俺、セイラさんにひどいこと」
耳鳴りがうるさい。
けれどもクロエの頬には熱が戻ってきた。
「裏街の皆に伝えて! トッドを探してって」
トッドの姿ならばどこに居ても目に付く。
これから月影軍に知らせよう。情報が多い方がいい。
「わっ、分かった」
「でも、危ないと思ったら身を引いて。無茶だけはしないでって伝えてよ」
「うん! メル、マサおばさんのところにいってろ」
「うん。にーやいってらっしゃい」
背後にメルの声援を受け震える足を懸命に動かしてイリヤは裏街を走った。