第五章:さよならの代償6
「贈り物を用意するのが良いのですけれど、一体何にするのかが問題ですわ」
「そうだね。何がいいかなぁ」
定番のケーキもいいけれど、それでは普段やっていることとそう変わらないからつまらない。
それに厨房は客人の料理をつくるのにてんやわんやで、快くスペースを貸してくれるとは思えなかった。
「う~ん」
せっかく贈るのならば今日か明日でなければ意味が半減してしまう。
あまり時間はなさそうだ。ここがジニスならばいいのに。玉の色合いと形を合わせて、たった一人への贈り物を作るのは難しくない。
「そうだ! お守りはどうかな? アリオスではどんなものがあるのか分からないけど」
「お守りですか」
「この前、ナジュール殿から貰ったのをジンがずーっと見てたから、欲しいのかなって」
銀で作られた透かし彫りが施された球体に嗅ぎなれない異国の香り。
今もセイラの首にかかっているそれに視線を向けながらハナはふぅと息を吐いた。
「欲しいわけではないと思いますわ」
「そうなの? じゃぁ珍しいからかなぁ」
球体がセイラの手の中でころりと転がった。
「嫉妬ではないですか?」
果たしてジルフォードにその感情があるのかどうかはハナには分からない。
ハナの願望に近いものだが、あながち間違えでもないのではと思えた。
けれどセイラは怪訝な顔だ。
「えっ? 何に対して? 私だけもらっちゃったから?」
セイラのこの鈍感ぶりは何だろう。
ハナの脳裏には一人の男の顔が浮んだ。筋骨逞しい髭面の男。セイラの育ての父親を自負する鉱山の長。
彼が悪い虫など付かないように大切に大切に育てたのだ。鉱山の皆は皆兄妹、家族として育ったからちょっとばかし危機感も薄い。
―うふふ。恨みますわよ。ダン!
「違います! 他の方が贈ったものをセイラ様が身につけているからですわ」
「えぇ?」
「私だって気に入りません。最近、セイラ様ったら他の方が選んだものばかり」
タハルの髪飾りにヒューロムの赤のドレス。
自分が一番似合うものを提供できるという想いがあるのに。見知らぬ一面を突きつけられてぐっと唇を噛むのもしばしば。
一番辛い時に一緒にいることさえ出来なかった。
さんざんケイトで発散したはずの鬱憤がまたもや体の奥から湧きあがる。
うらやましい。悔しい。哀しい。名前をつけるには複雑すぎる気持ち。
知らんふりするにも飲み下してしまうにも大きすぎる。
おどけて言うはずだったのに、つい拗ねた口調になってしまった。
セイラの呆れ顔が眼に入って余計に口元が歪む。
「何年一緒にいると思ってるの? ハナ以上に私の好みを理解してくれる人は母様しかいないよ」
つまりこちらではハナが一番だということだ。
どんなに言ってみてもハナの表情は晴れない。それどころか口を引き結び押し黙ってしまった。
セイラが身に着けているものはセイラの身に馴染んでいるだろう。
色も肌触りもセイラの好みどおりのはずだ。見た目の愛らしさにも胸を張れる。
けれど、最近ハナが用意したものといったらいかにセイラの好みに合いながらもアリオスの王弟夫人として相応しい格好になるかと考えたものだ。
どんなに外見を飾り立ててもセイラは傷ついた。
何の役にもたたなかった。
ほっと心を和ますことも、相手に立ち向かう勇気を与えることも出来なかった。
自分の仕事で負けたのだ。
「ハナ?」
「私、ダメダメですわ。私だけ何も出来ていないんですもの」
「ジンもねナジュール殿もそのままでいいって言ってくれたの。でもね、そのままじゃダメなのは知っているの。だから頑張れって、やらなきゃダメ
だよっていってくれるハナが必要なんだよ」
頬が熱くなった。
ぐずぐずと泣いてしまいたい。
「甘やかして欲しくって叱っても欲しくって。我侭だよね。でもいいやって思ったの。ハナはずっと私の甘さを諌めてくれるでしょう?」
「勿論ですわ」
それ以外にどんな答えがあるというのだろう。
ぐすりと鼻をすするといやな考えは吹き飛ばす。
「さっきナジュール殿もと言いましたよね? どういうことです?」
いつの間にそんな話をしたのだ。
セイラが弱っている時にあの不埒な男が一緒に居ただなんて到底許せることではない。
「あ~求婚された? その時にね。そのままでいいよって」
「はぁ? 求婚? 何を考えているんですか。あの変態!」
威嚇する猫のように髪を逆立てたハナにセイラは冷や汗を垂らした。
このまま殴りこみにいきかねない気迫だ。
「あっあれはナジュール殿の冗談だと思うよ。ね、だから落ち着こう?」
「冗談で求婚などする馬鹿ならば、唯じゃおきません!」
逆効果。火に油。そんな言葉がぐるぐる巡る。
「それにセイラ様」
急にハナの顔から怒りが抜けて、真剣な目がセイラを捕らえた。
「求婚なんて軽々しく口に出来ることではありませんわ。ナジュール殿を擁護する気持ちなんてこれっぽっちもありませんが、あの方冗談でそんなことを言うようには見えません」
「うん?」
「だからセイラ様も真剣に答えを出すべきですの」
どんな答えだって構わない。
きっとナジュールがそのままのセイラがいいと言ったのは本心だろう。
真綿でくるむように大切にしてどんな害からも遠ざけて、今のセイラのままでいさせてくれるだろう。
「ねぇ、セイラ様。何もかも抜きで考えてみてくださいな。アリオスもエスタニアも王女である立場もですよ」
「……うん?」
「今、幸せですか?」
「うん」
「それならいいのです。たとえ茨の道だってセイラ様が幸せだというのなら私はついて行きますからね」
「茨は嫌だなぁ。痛そうだもん。それより街の道を知っている案内人を見つけなきゃね」
落ち着いたハナにほっと一息ついたセイラは名案を思いついたと走り出す。
もうっと頬を膨らませながらもハナもその後を追って走り出した。
しばらくすると目当ての人物が見つかったようでセイラが声を上げた。
「クロエー」
前方にはいきなり呼び止められ困惑顔のクロエの姿があった。
話を聞いたクロエは二人を街へと案内した。
お守りをつくりたいというセイラの希望に沿う店に心当たりがあったのだ。
「まぁ」
通りを馬車が走っていく。
庶民の生活には似合わぬような大きな馬車だ。
祭りで混雑する通りにもやはり不釣合いで迷惑顔が馬車をにらみ付けてはっと目を反らす。
「珍しいですね」
クロエの口から漏れた呟きを拾ってセイラは首を傾げた。
「何が珍しいのです?」
クロエのことを嫌っていたハナも昨夜、彼女がセイラを助けた話を聞いてからは態度を軟化させていた。
セイラのことさえ絡まなければクロエのことは、まるで自分のことのようによく分かる。
「あの馬車の紋様はリブングル家のものです。こんな街中を通らなくてもお屋敷がある辺りから専用の道があります」
戦になれば軍馬がかける。
大型の馬車が余裕ですれ違える大きな道だ。
祭りといえども警備上一般人が入ることは許されない貴族専用の道。ほんの少し進むたびに立ち往生を強いられることなんてない。
「お祭り見学じゃないかな?」
「あんなに大きな馬車でですか? 邪魔になるのは分かりきっているのに」
「……そうですわね」
不思議顔の三人娘を置いて馬車は雑踏の中に紛れていった。
「まぁ、貴族の方の考えることなんて分かりませんわ。時間がないのですからさっさと行きますよ」
クロエの意見に同意した二人は馬車のことなど忘れてクロエの後を追った。
案内されたのはうねうねと入り組んだ裏街の通りにある小さな店だった。
「うっわぁ。綺麗」
店先には染物が所狭しとかけられている。
「これを作るのですか」
「いいえ。それは少し時間がかかりすぎますから。こちらなんていかがかと思いまして」
クロエが差し出したのは色とりどりの紐を編んでつくる飾りだった。手首や足首につけるらしい。
ちょっと頑張れば飾り帯にすることも出来る。
昔は戦地に旅立つ夫や恋人に編んで渡したものが今は装飾品として残っているのだという。
「クロエねぇちゃん。いらっしゃい」
店主は随分若かった。笑えばもっと幼さが際立った。
イリヤと名乗った彼もメイヤーの孤児院で育った一人だ。
「へぇ贈り物。エスタニアにはそんな習慣があるんだ。うちの商品を選んでもらえるなんて嬉しいなぁ。完成が明日になってもいいのなら染からやってみる?」
「いいの?」
「もちろん」
瞳を輝かせながら振り返ったセイラにハナは苦笑しながら頷いた。
「セイラ様のお好きなように」
王宮の一角で盛大にため息をついたものがいた。
せっかく美しく整えた爪も一晩でぼろぼろになってしまった。
イラついた時に爪を噛んでしまうのがキアの悪癖だ。
エスタニアのデナート発の流行色も不恰好な爪には似合わない。
どれもこれもみんなセイラのせいだ。思い出しただけでも腹が立つ。
どうにかこの鬱憤を晴らすことが出来ないだろうか。ひとしきり爪を噛むと指先にはじわりと赤が浮いた。
痛みに僅かに細めた視線の先に商人風の青年が立っていた。
ああ、とてもいいことを思いついた。
「ねぇ、そこのアナタ。頼みがあるのだけれど」
「なんでしょう?」
たくさんの色彩を纏った青年はにっこりと微笑んだ。