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第五章:さよならの代償5

通された部屋の豪奢なこと。

ここにある全ての装飾品を持って帰ればどれほどのタハルの民の腹を満たすことが出来るだろう。

そんなことを思いながら、ナジュールは歩を進めた。

朝食をとりながらお話でもと声をかけられたのは、昨日の広間でだ。

丁度、セイラたちの一悶着の後あたりのこと。

そのときは、まさか城から出ることになろうとは思っていなかった。

今、ナジュールはタナトスの街の貴族の屋敷が立ち並ぶ一画にあるリグンブル家にいるのだ。


薦められた椅子と相手の間にあるテーブルは不必要なほど長く互いを隔てている。

これならば腹を割った話し合いなど出来ないだろうに。

いや、そんな話をする相手ではないからこの装飾なのか。

砂漠の変化を見分ける優れた目をもつタハルの民でなければ相手の眉の僅かな変化、口の端の角度などを逐一気づくことは出来ないだろう。

現に先に席についていた二人はナジュールの辟易した表情には気づいていない。

見たことのある顔だがどうもはっきりしない。

エリオだとかマリオなんて名前だったような気がするのだが、要らぬ災いの種を背負い込むことは無い。軽く会釈するのに留めた。


「さて揃いましたかな」


最後に入ってきた男は口元を僅かにほころばせた。

少しばかり彼の印象を柔らかくすることに成功したが元より厳しさを湛えた瞳の角が取れることは無い。

レイドス・リグンブル。前アリオス国王の右腕だと称された男。

両国間で小競り合いが耐えない日々にはタハルの戦士も彼には手痛い教訓を与えられた。

ロードの名と並んでタハルでは悪名を轟かせているが、ゆったりとした普段着で現れた男をナジュールは嫌いではなかった。

全身着飾ってこられると此方も構えてしまうし、目も痛い。


「朝から申し訳ありませんね。招きに応じてくれて嬉しく思いますよ」


「いえ、そちらもご多忙でしょう」


お茶を一口飲めばふわりと立ち上る花の香り。

申し分なくおいしいのだが、脳裏に甦ったのはカナンの淹れたお茶のことだった。

自然と口角が上がる。どれほど贅沢な部屋を作ろうともあの空間には敵うまい。笑うと全身から力が抜けた。


「先日、わが父であり、タハルの王であったウォーダンが亡くなりました」


レイドスは口元まで運んだカップをそのまま下ろした。

ウォーダン王の死は絶対に認めないものだと思っていた。

その事実が両国にもたらす影響を考えれば、少なくとも祭りが終わり使者一同が無事に帰るまでは黙っている方が得策だ。


「それはお気の毒に」


ウォーダンはまだ若かった。

自身の親を亡くし、長年仕えていた王を亡くした経験を持つレイドスの言葉に嘘は無かった。

ナジュールは曖昧に頷き己の腕に視線を落とした。

床についたウォーダンの腕はナジュールの腕の半分ほどの太さしかなかった。いや最期の時には3分の一ほどの細さだったのかもしれない。

日増しにやせ細りひどく苦しそうな呼吸をするようになった。

タハルを出る時に、あの姿をしばらく見なくてすむと安堵感があったのを覚えている。

星が落ちて訃報を知った時、リュオウはウォーダンに慈悲を与えたのだと思った。


無駄な感傷は捨て去ろう。ここは敵の真っ只中、味方は居らず、隠れる場所も無い。


「次の王は貴方でしょうか。ナジュール殿?」


「さて、どうでしょう」


二人の王子の力は拮抗している。

ナジュールは自身の力で支持者を集め、ルルダーシェには強力な母親の一族がついている。

幼い王子を傀儡にすれば自分たちの一族に有利な政をと思う貴族たちはルルダーシェの下へと集まりつつあるという話も聞いている。

弟の忌々しげに歪んだ顔が脳裏に浮ぶ。


「我々は、あなたに全面的に協力をしてもいいと思っています」


「見返りは何をお望みで? サンディア殿の復権でしたか?」


「いいえ、あの件は本人に断られてしまいましたので。今回お願いしたいのはウォーダン王と結んだ同盟の継続を」


『タハル国王ウォーダンの命がある限りローラ山脈より北をタハル、南をアリオスと定めその境界を軍事力によって侵すことのないよう、ここに記す』


「あの同盟を? タハルにとってはあまり良い条件とは言えないが」


ローラ山脈を越えぬことには、タハルはエスタニアにもジキルドにも手を出すことができない。

天然の檻の中だ。

元々、食糧支援の見返りに結んだ短期の同盟はタハルにとってはあまり面白みのないものだった。


「人材支援もお付けしましょう」


「……なぜ私を?」


アリオスにとってみれば、どちらの王子も条件は同じだ。

たまたま近くにいたナジュールに声をかけたとは思えない。


「貴方はどうやらアリオスを嫌ってはいないようなのでね。その原因はセイラ様でしょうか」


「ほう。なぜそう思うので?」


「貴方の耳飾。どこにいったのでしょうね」


ナジュールがセイラに贈ったことを知っていながらほくそ笑んだ。


「貴方が望むならば、あの娘をタハルにやってもいい。そうすればタハルはエスタニアとも繋がりが出来るでしょう? 」


「は?」


 人好きのする笑みで武装していたナジュールも怪訝な声を抑えることは出来なかった。

ついでに目を丸くした。言葉を反芻しようにもどこかに引っかかって上手く飲み込めない。


「わが国が貰い受けるはずの王女の候補は二人だった。その片方がセイラ様。もう一人は第7王女様でしたかな。なぜ彼女が選ばれたのかは単純明解、文句を言う後継者がいないから。けれど、エスタニアは二人とも差し出してもよいと言っていましたからね。かの国もタハルと友好的になりたいと思っているでしょうね」


「話が読めないな。それならばタハルに嫁ぐのは別の王女では」


「真に王女としてそだてられた女性がタハルで暮らしていけると?」


無理に決まっている。

互いに飲み込んだ言葉はきっと同じ言葉だ。


「アリオスにもセイラ殿が必要でしょう」


「セイラ王女はわが国での役目を果たしたのですよ。彼女は思った以上に働いてくれました」


アリオスの王子とエスタニアの王女の婚姻は、表面上、両国が友好関係にあることにしてくれれば良かったのだ。

今や、長く引きずっていた王家の闇を民衆の前にさらしたばかりか、受け入れられさえしている。

それで十分だ。いや、それ以上かき回されては堪らない。


「本当にそう思っているのならば、私は貴方を過大評価しすぎていたようだ」


射る様な視線を送られてもレイドスには痛くも痒くもない。

薄く笑みを浮かべるとお茶のお代わりを薦めた。

ナジュールは朝食を終えるまで、レイドスの食えない笑みを崩すことは出来なかった。





「城までお送りいたします」

 

屋敷から出てきたナジュールに向かって馬車の傍らで頭を下げたのは、まだ若いであろう女性だった。

見た目に反して声はひび割れ落ち込んでいた。


「女か。それにタハルの生まれだな」


 浅黒く焼けた女の手の甲は覆われていたが、動いた拍子にイレズミの跡が見えた。

タハルを嫌って出て行ったものは初めに、有無を言わさず入れられた刺青を消すというけれど抉れた傷跡は尚強くタハルの証を刻み付ける。

あれは誇り以上に枷だ。

タハルの地に、己の一族に、名に繋ぎとめるための鎖に等しい。

かつて女を縛った一族の名は、引きつれた傷跡からは知ることは出来なかった。


「なぜ、タハルを捨てた」


「タハルが私たちを必要ないと判断したから。ただ一片の慈悲すら無しに」

 

女の瞳は暗く曇った。

世界を拒絶して、脳裏に浮ぶ世界へと閉じこもる。


「慈悲が無ければお前が生きていることがおかしいな。タハルは小娘一人を生かすほど軟くは無い」


「生きていることが慈悲だとでも?」


女は鼻で笑う。

暗かった瞳には怒りを原料に嘲りが宿った。


「さぁ無駄話は終わりです。タハルの王子様。はやくお乗りください」


女は背を向け、場所の扉を引いた。

狭苦しい馬車の中は息が詰まる。


「一人で帰れる」


「貴方はいつもそうでした。人のことなどお構いなし。ですが、容認できません。貴方を城へつれて帰るのが私の役目ですから」


まるでお前のことなど全て知っていると言わんばかりの口調にナジュールの眉が上がる。

チリッと米神に走る痛みは不快だ。


「命からがらタハルから去り、アリオスで飼われるか」


「何とでも」


もはや女の顔に怒りも嘲りもない。

己の世界に閉じこもった時のように無表情だ。

ほんの少しの我慢だと自分に言い聞かせて馬車の中へと入る。

一瞬香った、どこか懐かしい匂いは何だったのか誰も答えをくれそうにはなかった。

馬車が動き始めて少し経つと、重心が傾いだ。

目の奥に光が灯り、平衡感覚が掴めない。

車輪が音をたてるたび体が四方に飛び支えていることが出来ない。


「なん、だ」


「ご安心を。毒ではありませんから。元より貴方が毒に強いことは知っていますからね。お父上が倒れてからは他国の毒にも体を慣らしておられたのでしょう? それはね、王子様。狂いの香ですよ」

 

女の笑い声が遠くなる。


「狂いの……」


砂漠の獣を操る狂いの香。


「配合をほんの少し変えるだけで人間にも使えるのよ。王子様」


脳裏に煌く光も急速に迫ってきた暗闇に飲まれていく。

最後の一つが飲まれると同時に女の傷跡の正体を知った。


「セイオンか」


たった一言で消え去った獣使いの一族。

それを知ったところで鉛のように重くなる身体を自由にする術は無かった。


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