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第五章:さよならの代償4

思い立ったら即実行の二人だが、カナン手製の朝食の誘惑に勝てるわけも無く食後のお茶もたっぷり飲んでから飛ぶような勢いで書庫を後にした。

アリオスではトワルに贈り物をする習慣が無いため、二人の急ぎように頭をひねっていたケイトも仕事があると何度も朝食の礼を言いながら帰っていった。

今、部屋にはカナン一人だ。

少し前にジルフォードも何処へ行くとも告げずにふらりと姿を消した。

何処へ行くのかは見当がついていた。決断を下したのだ。

ジルフォードと幾度、共にトワルを過ごしただろう。

初めて会ったのは、カナンの腰ほどの背も無い幼い子どもだった。

瞳を隠すようにいつも下を向いていたから更に小さく見えたものだ。

その子どもが今やカナンの背を抜き、自分の道を歩もうとしている。

こぽりと湯が沸いた。

もう少ししたら、控えめなノックが部屋の中に響くだろう。

互いに老いた身体を詰り、その年月を愛おしむための潤滑油としてこの日のために取っておいた最高の茶葉をふんだんに使ってやろう。

勿論、取り寄せた時の代金は相手持ちだけれど。

全ての準備が整い、さぁ後は客人が来るだけという段になると、思ったとおり控えめに扉が鳴った。




ジルフォードは前を見据えた。

午前中の透明な光を受けて輝く廊下が長く続いている。

今までならば人通りが無い時を狙って、月の明りを頼りに歩いていた廊下。

今でこそ人の姿は見えないけれど、そこ此処で人の気配がして、忙しげに歩き回っている。

ほんの少し歩いていけば、誰かに出会うだろう。

何もかも見ないふり聞こえないふり、月夜に現れる夢幻そのもののように誰にも姿をみせないふりはもう止めた。

正面から向き合えばぎくりと体を軋ませるのは相手のほうで、慌てて視線を逸らしていく。

怖ろしいのだろう。気味が悪いのだろう。

ジルフォード自身も鏡を覗くたびに違う瞳の色が怖ろしかった。

何度もたった一つの色を留めようと努力しては失敗し、絶望した。

本当に魔物のように血を吹いたように真っ赤な瞳ならいいのにと何度思ったか。

その色がどれほど禍々しくとも、ただ一色ならば憂いは半分にもならない。

いっそのこと無ければよかった。

優しい孤独を手に入れるために突いてしまおうか。きっと自ら作り出した暗闇は、シーツに包まって震えて過ごす夜よりは暖かい。

その誘惑は常にジルフォードに付きまとった。

今でも、夜中にはっと目が覚めた時などは、確かな形となってジルフォードの横に居座った。

部屋の闇に目が慣れてしまう前に、ぎゅっと瞼を閉じれば脳裏に輝くものが走る。

陽光を弾く髪の色。

セイの色。それ以外に思いつく名はなかった。

どうしてセイラは一つの色にたくさんの名をおくってくれるのだろう。

セイラの付ける色の名は優しくほろほろと心に沁みた。

干からびた瞳を暖かな水がとぷりと沈めたのは一度や二度ではない。


思考を中断したのは重い靴音だった。


「よう、ジルフォード。珍しいな。お前がここら辺を歩いているなんて」


ここは王の執務室が近い。

ジルフォードに話しかけるジョゼを見かけた幾人かが眉を顰めて通り過ぎる。

立ち話は得策ではない。会釈だけですませようと思ったジルフォードの心情を呼んだように逞しい腕がジルフォードの腕を掴む。


「あんまり気にするんじゃねぇよ。貴族連中に俺の評判が悪いのは元々だ」


いくら武の国だと言えども、国が安定してきてからは戦果よりも政の中で力を伸ばしてきた貴族も多い。

そんな貴族の中には、昔のアリオスの体質そのものの軍部は力だけの能無しだと思われている節がある。

特にジョゼは貴族上がりではないためにその風当たりは同じ将軍という地位にあるキースよりもずっと強い。

軍部改革と称して、貴族の子息だけで両軍を編成しなおそうという動きもあったそうだが、「これだから頭でっかちの坊ちゃん方は」と失笑と共に立ち消えたそうだ。

もしも実現していたら、アリオスは縮小していったに違いない。

その他もろもろもあって、ジョゼ・アイベリーと一部の貴族とは仲が悪いのだ。

事あるごとにジョゼを将軍から引きずり下ろそうと画策しているらしいが一向に成功しない。



「あいつらが何を言おうとやすやす月影から降りろなんて言えねぇんだよ。俺を選んだのは月影なんだからな」


ジョゼの腰の漆黒の剣。

月影、陽炎両軍の将軍を選ぶのは貴族でも、王でもない。

軍の象徴でもある剣そのものが選ぶのだ。扱えなければ将軍には選ばれない。

ふさわしくないものが持つと、その刃によって命を落とすという噂もある。

そして、ふさわしい主を見つけたとき、共鳴したようにキィンと高い声で鳴くという。

ジョゼが月影を受け取ったのは怒号に悲鳴、大地が轟く音に金属がぶつかる音が渦巻いていた戦場だったため、そんな音がしたかどうかは定かではない。

けれど、手にした瞬間に思ったのだ。これは己のものだと。


「俺より月影に気に入られるやつがいたら、躊躇なく譲ってやる。だがな、それまでは誰がなんと言おうが俺が月影の持ち主だ。お前が気にすることじゃない」


ジョゼは細い背中を力強く叩く。

自分の身の振り方は心得ている。やっと殻を抜け出した雛に心配してもらわなければならないほど弱いつもりはない。


「お前、もっと欲張れよ。全部、叶いやしないだろうが、願うのは悪いことじゃない」


ジルフォードが他人のことばかり思って身を引く必要なんて無いのだ。

俯いたままのジルフォードのちょっと強く叩きすぎたかと危惧していると、紫色の瞳がジョゼを見た。


「……たぶん私はジョゼが思っているより欲張りだ」


正確には欲張りになったというほうが正しい。

以前のジルフォードの願いは、サンディアが生きていることだけだった。

ほんの少し前までは、その願いにカナンが用意した空間が加わっただけ。

それだけで十分だと思っていた。

居心地の良い書庫は、願いすぎだとさえ思っていた。けれど、雪の降る頃から願いはどんどん増えていった。

願うばかりではいけないことも分かっている。


「ここに居て良いと胸の張れるように……努力してみようと思う」


にっとジョゼの口の端があがる。

「頑張れ」と同じところをはたかれてじんと痛んだ。

ジョゼと分かれた場所から執務室までは目と鼻の先だ。

ドアの前には数人の貴族が陣取っていた。

見覚えのある兄の取り巻きたちだ。

何処で会ったことがあるのか鮮明に思い出すことが出来るというのに、彼らの名前も役職も全く分からない。

自分の無関心さを改めて知った。


「王に何用です?」


一歩踏み出して問うた鷲鼻の男は、集団の中でいつも真っ先に行動を起す。

ルーファと初めて対面といっても、偶然廊下で出会ってしまったときも、誰よりも早く進み出てジルフォードの視界を遮った男だ。

今も、扉の前に立ちふさがって執務室に近づけてなるものかと息巻いている。

だか今日は弟としてではなくアリオスの一臣下として扉を叩く。初めてのことだ。


「ジルフォード・アリオスからルーファ王に謁見を申し入れる」


相手はジルフォードを執務室にいれるものかと口角から泡を飛ばす。


「ルーファ王は多忙だ。お分かりでしょう?」


「長くはかからない。時間が空くまで待たせてもらいます」


「そんな時間はないと言っているのです!」


「お前たち私を過労死させたいのか?」


「るっルーファ王」


次第に声が大きくなれば、執務室の中にまで聞こえるのは当然のこと。

ルーファはジルフォードを手招きした。


「私が呼んだのだ。しばらく下がっていてくれ」


「しかし!」


更に言い募る男に満面の笑みを浮かべると、男はしぶしぶ一歩下がった。

あの笑みの時は何を言っても無駄なことを知っているのだ。

王に何かあれば、ジルフォードを八つ裂きにすると言わんばかりの厳しい顔の前でぴしゃりと扉は閉められた。



「よく来たな。さぁ、こちらへおいで」


ルーファが体を伸し、ソファを指し示す。朝から凝り固まった身体がポキリと音をたてる。

時折、体を動かしてはいるのだが、机仕事ばかりだと体がなまってくる。


「兄上は仕事のし過ぎです」


「なに、今日は逃げ出すタイミングを見失っただけだよ。外に怖い連中が張り付いていただろう? まぁ、おかげでお前に会えたけれどね。ああ、そうだ。注文の品が出来ているよ」


ルーファが棚が取り出したのは小ぶりな瑠璃色の箱だった。

開けてみれば銀の指輪が入っている。


「セイラ殿は月の女神だからね。マルスと月の紋章にしてみたよ」


この指輪は王族であるという証であり、サインをする時に使うものだ。

ルーファの指にもはまっているものは歴代の王に受け継がれているものだ。王族それぞれに違う意匠が使われている。


「今日はどうした? これが目的ではないだろう」


まだ出来上がったとは告げていない。

先ほど届いたばかりで、トワルに間に合ったことにルーファも胸を撫で下ろしていたところだ。


「これを」


手渡されたものをみて驚いた。

そこに連ねられた二人分の名前。


「……これは」


最後に押されたのはジルフォードの印だ。

この間インクをつけた痕さえなかった印章が頭に浮んだ。

これが意味するのはジルフォードが始めてアリオスの王子として決断を下したということだ。


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