第五章:さよならの代償3
優しい夢に揺らされてセイラはゆっくり瞼を開けた。
暖かくて心地よい。
頬をすべるのはジルフォード指先だ。
その気持ちよさに瞼がとろりと落ちてくる。
けれど、眠ってしまうのはもったいない。
もう少し。あと、ほんの少しだけ。
夢と現実が交差した曖昧な視界の中でジルフォードが笑う。
淡い。でも、ちゃんとした笑み。
夢と現実どちらが幸福だろう。
「セイ」
選ぶべくもない。
幻は名を呼んではくれない。頬を撫でる指先に熱は無い。見つめる瞳の色はきっと嘘っこだ。
親指が唇をなぞる。なんだか名前を呼んで欲しいと言われた気がした。
「ジン。おはよ」
「とっくに朝ですわよ。セイラ様」
「あっハナ。おはよう」
「はい、おはようございます」
いつのまにジルフォードの膝を枕にして眠ってしまったのだろう。
ハナもカナンの部屋も逆さにみえる。
もそもそと起き上がればカナンは朝食を用意し終わったところで、ケイトが申し訳なさ方に頭をかいていた。
起き抜けのぼうとしたセイラの前にカップいっぱいのお茶が運ばれてきた。
「何とか無事に年齢を重ねることができそうです」
そう言いながら笑うケイトの頬には影があった。
無視から始まり、怒鳴られ詰られ、溢れたお茶をかけられ、泣かれたかと思えば、いつのまにかマントを引っ張られていて危うくあの世に旅立ってしまいそうだった昨夜の出来事を思い出せば笑い声も乾いていく。
せめてもの救いは、そんな惨事を引き起こしたハナが少しばかり悪かったと思って余分にケイトの皿に菓子を盛ってくれたことだろうか。
セイラが帰って来たことによってお役御免となったケイトだったが、なんだか逃げ出す機会を失って明け方近くまで、お説教を聞く羽目になった。
ケイトとセイラの元気を吸い取ったハナは溌剌として元気だ。
「まったく、いつまで根に持っているのですか? そんな器の小ささでは出世なんて出来ませんわよ!」
「数時間ぐらい根に持たせてくださいよ」
あの酷い出来事はほんの数時間前のことだ。
固い壁に寄りかかって、少しばかりうつらうつらと夢の世界に片足を引っ掛けたぐらいでは忘れ去ることは出来ない。
苦笑を浮かべるカナンが入れてくれた濃い目のお茶が有難い。
一口飲めば体が軽くなる。頭がすっきりしてくれば昨夜の記憶は鮮明に甦り、よかったのかは微妙なところだけれど。
「んん~? ケイトって今日がお誕生日なの?」
引き金となったセイラも一睡してけろりとしている。
お茶を冷ましながら首を傾げた。
「お誕生日といいますか……今日はトワルなので」
「トワル?」
どうやらエスタニア生まれの二人にはなじみの無い言葉のようだ。
助けを求めるようにカナンに視線を向けると、カナンはにっこりと微笑み説明役を買って出た。
「エスタニアでは、季節の四女神のお祭りで、生まれた季節ごとに年をとるのでしょう?」
「そうですわ。セイラ様はハナメリーの第一月生まれですから、春雷祭で年をとりますもの」
エスタニアではハナメリーの第一月、第二月、第三月が春とされている。
トゥーラ、フープ、ユノーもそれぞれ三月あり、十二月で一年が巡る。それぞれの第一月には各地で盛大な祭りが行われ、そこで皆、年をとる。
アリオスも十二月で一年となるがエスタニアほど季節ははっきりとせず、夏はほんの数週間だ。
「アリオスではトワルと呼ばれる日、つまりシルトの祭りの中の日に一斉に年をとるのですよ」
「へぇ~じゃぁカナンも今日がお誕生日?」
「ええ正確に言うならば今日、明日のうちですが」
「ジンも?」
「そう」
「ハナさん」
「何でしょう?」
二人はこそこそと額を合わせた。
どうしたのでしょうというケイトの問いにカナンはくすりと笑う。
彼女たちの心情は手に取るようにわかる。
「これは、贈り物が必要だとは思いませんか?」
「ええ。思いますとも」
二人はにんまりと笑った。