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第五章:さよならの代償2

小突かれ倒れこんだ床は少しばかり冷たく、痛みが過ぎ去った後は心地よくすらあった。

けれど、すぐに新たな痛みが襲い掛かってくるなど考えるまでもなく体が知っていて、無意識のうちに痛みを逃がそうと体を小さく折りたたむ。

いつものように瞼をきつくつむり、奥歯を噛み締める。

奴らは手を抜いているものの相手が自分より随分幼いということは綺麗さっぱりと忘れているのだ。

立ち上がってやり返すのは得策じゃない。

痛みを与えられる時間が長くなるだけだ。

右手に痛みが走った後、ルルダーシェは反射的に手を払いのけた。

右手を踏みつけていた少年は無様にしりもちを着き、獣のような奇妙な悲鳴を上げた。


「お前っ!」


怒気で赤く変じた少年の顔には羞恥も混じっていたが、ルルダーシェの怒気に比べれば可愛いものだった。

少年は手の甲に彫られたイレズミを踏んだのだ。

紋章は己の証明。一族の歴史。全てをひっくるめた誇り。それを足蹴にされた。

飛び掛って頭突きをした。

ごつんという鈍い音がして頭の中にキンとした痛みが駆け巡ったが、ルルダーシェは止まらなかった。

呻いている少年めがけて拳を突き上げる。

むちゃくちゃに振り回すと次第に少年の呻きには涙が混じる。

呆然と見ていた少年の仲間たちが、やっと正気づきルルダーシェを後ろから羽交い絞めにしようとしたが、黒い瞳に射すくめられて逃げ去った。

もうやめてくれと顔を覆う少年の手の甲のイレズミ。

同じように踏みつけてやりたかった。

爪先を突きたてて削り取ってやりたかった。

ルルダーシェは手を振りあげて、やめた。

憎らしいのはこの少年だ。

彼らの一族を貶したいわけではない。

激情のままに彼らの一族を汚したら、ひどく惨めな気分になるのは自分だと幼いながらもルルダーシェには分かっていた。

少年はきっと悪夢を見るだろう。

他の一族を貶めることがどれほど卑劣で怖ろしいことか生まれたときから叩き込まれているのだから。

ルルダーシェは王の血を引いている。つた草の紋章は王家の印。

今宵の夢はひどく怖ろしいだろう。それで十分だ。


ぱちぱちぱち


聞こえてきた拍手に視線を巡らせた。


「ルルドよくやった!」


灼熱の太陽を背にした人影は光の世界に突然生じた災いのように黒かった。

闇の色を纏った人影は誰だか語らないが、ここでルルダーシェのことをルルドと呼ぶものはナジュールだけだ。

とんと一つ跳躍して同じ地面に足を落とせば、まごうことなくナジュールの姿があった。

闇色は髪と瞳に集約され、色彩を得た肌は褐色に輝いた。


「なじゅー……」


少年の言葉は最後まで吐き出されることは無かった。滑らかな乳白色の刃が首元に迫る。

切っ先が肌に触れ、ひゅっとか細い息が漏れた。

その刃の切れ味はこの国の誰もが知っている。


一人で獣を狩ったとき、この国ではやっと一人前だと認められる。

一の王子であるナジュールの狩りは早かった。

十歳に成る前には見事に群れの頭であるルーガを仕留め、今握っている刃を作った。

この刃でつい先日、ルーガよりさらに大きく凶暴な獣を狩ったばかりだ。


「お前らが父親の命令で勝手に私にまとわりつくのは構わない。尾っぽを振られたくらいでお前たちにやるものもないしな。だが選択を間違えたな」


切っ先は少年の甲に近づいた。

恐怖で小さな体ががたがたを震えた。


「与えられたものと同等を返さなければならない。サクヤに厳しく教わった。そうだろう?」


切っ先が滑った。

イレズミを分断するように赤い線が走った。

盛り上がった赤が甲を伝って乾いた砂にごくりと呑みこまれた。










いつもは夜明け前には目が覚めるのに、ルルダーシェが目覚めた時には太陽はもう姿を現していた。

部屋にたどり着いたままの姿で眠ってしまったので寝台の上には頭の被り物が解けて色鮮やかな川を描いている。

癖のない黒髪がその上を這う。

早く起きて身を整えなければ、そう思うのに起き上がるのも億劫で布地を巻き込みながらごろりと転がると、石鹸の泡のようにふわふわと全身を包んでしまう寝具がいけないのだと言い訳じみたことを考えながら唸った。

子供のころの夢を見るだなんて。

きっと昨夜、サルーのことをナジュールに尋ねることが出来なかったせいだ。

門をくぐるそのときまで、「何を馬鹿なことを言っているのだ」とヒイラギの作り話を笑ってくれると思っていた。

けれど赤い月を見上げて思ったのだ。

「当たり前だろう?」そう笑うナジュールの姿も容易に想像出来ると。


耳を澄ましても隣の部屋からは物音一つしない。

ナジュールにどう接すればいいのか。

考えあぐねた答えは結局見つからなかった。




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