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第四章:赤い月夜と蝙蝠13

扉を叩く音は思いのほか室内に響き、ジルフォードの意識も一瞬向こうへと向いてしまった。

そうなれば、今涙を流したところで効果は薄い。

ため息を飲み込んだキアも憤然と扉へと視線を送る。

射るような視線を受け、びくついた侍女が扉を開けると二つの人影が見えた。

手前の女性は深い青色をしたアリオスの侍女服を着ており、少し後ろにいる少女は息を呑むほど美しい赤を纏っていた。

実際その色を目にしたヒューロムの侍女は禁忌の色を見てしまったかのように小さな悲鳴のようなものを上げて目を伏せた。

顔を伏せたままの侍女に代わり、クロエがセイラを中へ入るように促した。

客を前にして何も出来ないなど侍女にあるまじき失態だと僅かに咎めるような視線を送ったがまだ少女のような侍女は気づくことは無かった。


「遅れてしまいましたか」


クロエに導かれて部屋に入ってきたセイラに一同ははっとなった。

今日中に再び目の前に現れることは無いだろういう予想を打ち破られたこともあるが、彼らの表情に感嘆が含まれていたのは、きりりとした立ち姿のためだろう。

昼間の甘く柔らかな雰囲気をかもし出していた少女は一変して勇ましい。

その姿を見てキアは何故か歯噛みしたいほど悔しかった。

自分が捨て去ろうとしているものを身に纏い輝かしいセイラが疎ましい。

振り向いた拍子にジルフォードから離れた手に我知らず力が入る。

握り締め皺の寄ったドレスは自分が望んだものだというのに、急に価値の無いガラクタになってしまったような気がした。


「赤酒をお持ちいたしました」


差し出されたビンを受け取ったリディアの侍女はうろたえた。

他のものを入れるなという命を受けているが、まさか侍女の身分で王女に出て行けなど言えるはずが無い。

そろりと主を伺ってもリディアはセイラを見つめて、いや、彼女の纏う色を見つめたまま指示をする素振りも見せない。

うろたえた侍女が声を上げる頃にはセイラはクロエによってジルフォードの傍へと導かれている。

扉が開いた瞬間からジルフォードの視線も思考も完全に奪われたままだ。

揺れていた色は、もうセイラしか見ていない。

セイラが微笑めば、ぞくりと震える。

慄いたように。縋るように。


ああ、なんて気にくわない。


キアは立ち上がるとジルフォードの視界を遮るように前に出る。

セイラに詰め寄ってみても昼間の弱さは何処にもない。

キアを見つめる瞳には憤りも怯えもない。

それがまた怒りを生む。


「ちょっと、セイラ様をお呼びしたつもりは無いのだけれど。これはヒューロムの一族のための集まりなのよ」


出て行け。

ただの小娘などお呼びではない。

キアの言葉は強く、クロエでさえ不快感で眉が寄る。


「お前もよ。誰も通すなと言ったでしょう!」


飛び上がった侍女は顔を伏せて唇を噛んだ。

彼女の顔にはどうにか失敗を取り戻そうという思いよりも、もうダメだと絶望で色付けがされてる。

クロエの見た限りキアに主を務まらない。

アリオスを足がかりにしようとするならばなお更だ。

アリオスでは女主と侍女は一つの隊に等しい。

侍女に慕われない女主はやっていけない。

どうにかうまく擦り寄ってキアがここで暮らすようになってもいくらももたないだろう。


「クロエ。君は帰って」


小さく告げられた言葉に憮然とした。

こんな状態で置いていけるわけがない。

そんなクロエの心情を呼んだのか、セイラは頼みたいことがあるのだと微笑んだ。


「ハナにね、心配かけてごめんって伝えといて」


「……わかりました」


大丈夫だろう。

今のセイラにはハナを気遣う余裕もある。

この部屋の中で一番落ち着いているのはセイラだった。

ここは彼女の舞台だ。張り合えるものなど誰もいない。


「貴女もよ! セイラ様」


背後からヒステリックな声がクロエを襲う。

伴って部屋から出て行かなかったことが腹立たしくて仕方がないらしい。

主の言葉は絶対。今ならばセイラの言葉を忠実に実行するのがクロエにとっては正しいことだ。

すばやく部屋を出て、伝言をハナへ。

無駄な動きは一切しないこと。

けれど、クロエは一度だけ後ろを振り返った。

閉じていく扉の向こうでセイラの腰に白い腕が巻きついた。


「セイラは妻です。それでも認めないというのならば、此処にいる必要はない」


そこには心優しい青年の顔は無かった。


「ジルフォード!」


「招かれもしていないのに来てごめんなさい。気に入らないのなら直ぐに出て行きます。だけど、先ほどの非礼に対する謝罪の時間をどうか与えてください」


そういうとセイラは居住まいを正した。


「遠いところをわざわざお越しくださったのに、話も聞かず飛び出してしまい申し訳ありません」


セイラは深々と腰を折った。


「一つだけ訂正をさせていただきたいのです。ジニスが私の持ち物ではないことは事実です。どうかこれだけは知っておいてください。けれど、双方が納得しヒューロムとジニスが手を組むことに否やはありません」


「なに?」


「互いの技術をうまく使って新たな商品を作り出すことには賛成です。けれど、私が出来るのは相談の場を設けるだけ。一方的にジニスの誇りを切り売りしろと言われても彼らは納得しないでしょう」



「セイ。今回の和睦にジニスは関係ない」


ルーファに確かめたのだから間違いは無い。

二国間で交わされたのは婚姻による和睦をはかるということのみ。

ジニスを引き合いにだす必要はないと告げたジルフォードを見上げてセイラは微笑んだ。


「そ。だから、これは純粋に商売の話。親族だとか故郷だとか関係なくね。利益が絡んだ複雑な話は私向きではないし、ジニスには優秀な商売人がいっぱいいるから彼らに任すよ」


昼間は一瞬で頭に血が上ってしまったけれど、ジニスの利益になることをセイラがつぶしてしまうのはもったいない。


「交渉の場を持ちたいという話ならばいつでも伺います」


言いたいことを言い終えた後はさっさと退散することにしよう。

長く居座って彼らの機嫌を損ねたいわけではないのだから。


「では失礼しますね」


どうするかと視線だけでジルフォードに問えば、同じ結論を出したようで無言で頭を下げ退室することを告げる。

怒りに歪んだ顔をしたキアなど視界にも入ってはいない。

差し出された手に己の手のひらを重ね歩き出す。

扉をくぐる寸前、今まで黙っていたリディアが口を開いた。


「それはヒューロムの色だ」


「はい。とても美しい」


リディアが何を想ったのか、きつく引き結んだ口元から読み取ることは出来ない。

部屋から出てしまうのは簡単だった。

二人の足取りを鈍らしたのはキアの焼け付くような視線と、リディアの一言だけだったから。




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