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第四章:赤い月夜と蝙蝠12

部屋の中からは椅子や机といった調度品が運び出され、厚い絨毯が敷かれた床の上に円を描いて座る。

中央には山と盛られた料理に、リューイの乳から作った酒が置かれている。

絨毯の鮮やかさに比べれば、料理はどこか色あせて見える。

その光景にうんざりしたキアは一人だけ椅子を窓際に置き、侍女を呼びつけて用意させたエスタニアのぶどう酒を口の中で転がしていた。

なんて馬鹿らしい。

ここにはエスタニア、アリオスの最高級のものがそろっているというのに、なぜ不味い自国のものをわざわざ作れというのか。

思い出しただけで気分が悪くなりそうな赤酒も用意しろと言ったのだ。

内装まで湿っぽいヒューロムのものを持ち出して、キアは父親の馬鹿さ加減にめまいがしそうだった。

アリオスのものを食べなれているジルフォードなどもっと辟易としているのではないか。

先ほどから全くといっていいほど食が進んでいない。

利用するために取り入ろうと思うのならば、少しでも心象を良くしておきたかったけれど、父親と彼の連れてきた取り巻きに囲われているので手出しは出来ない。

仕方ないけれど、横目で様子を探るのがせいぜいだ。

きっとジルフォードは酒が好きではない。

くせの強い乳酒を断ったのは当然としても、エスタニアのぶどう酒さえ遠ざけた。

部屋の中で異彩を放つジルフォードの白は別の世界のもののようだ。

とうとうと語る父の言葉など、届いているかどうかも怪しい。


「のう、ジルフォード。サンディアの、お前の母親のことだが」


伏せていた瞳が上げられ、リディアを見る。

リディアの部屋に招待されてから、かなり酒盃を干し、やっと本題に入る気になったようだ。

正面から視線を受けたリディアは一瞬、ぎくりと身を竦ませたが、酒の力に押されて調子を取り戻す。

いっこうに減らないジルフォードの盃に無理やり酒を注ぎ足すと反応を待った。


「何でしょう」


冷えた声だった。

ジルフォードが広間を後にする時に発した言葉より、さらに冷たく硬い。

明確に線引きされた世界に無遠慮に足を踏み入れた男を拒絶するような声だ。

酔いの回ったリディアにはその違いなどもはや区別がつかなかったのかも知れないが、キアは咄嗟に鳥肌の立つ腕を擦った。


「哀れだとは思わんか。王妃を務めた人間が寂れた屋敷に取り残されているなどと。サンディアは聡い娘だった。田舎で朽ちるには忍びない」


ジルフォードの西の離宮の思い出は、おぼろげで擦り切れてしまった夢のようだ。

まだ数人の侍女がいてサンディアが笑っている。

遠い遠い暖かな夢。

けれど、その中に先日見たほど嬉しそうな母の姿はあっただろうか。

どれほど鮮明に記憶が甦っても、きっと見当たらない。

哀れだなんてついとも思わない。

一度として尋ねたことも、手紙すら出したことの無い彼らにはサンディアの近況を知る手立ては無い。

リディアも、また彼の取り巻き立ちも彼女がどこにいて、どんな生活を送っているかなど知らないのだ。


「母上は、西の離宮を離れました」


「なに! では城にいるのか?」


「いえ」


言葉少なのジルフォードに苛立ちが増す。

それに比例するようにリディアの酒で赤くなった頬の色が更に増した。

ゆっくりと間を持たせた深呼吸は深く考え込んでいるように見せかけていたが、キアには怒鳴りつけるのを我慢しているようにしか見えなかった。


「ジルフォード。サンディアを城へ連れ戻せ。お前にはそれが出来るはずだ。今まで無下に扱われていた母親の権利を取り戻すのだ」


傍から見ているとリディアが熱を上げるたびに、ジリフォードは冷めていくような気がした。


「サンディアを五元帥の一人にするのだ。それがこの国のため。お前のためだ」



「そうだ」と相槌が打たれる中、首が振られた。

リディアの言葉に反抗するために。


「なぜだ!」


首をすくませるとりまきたちの横でジルフォードは雪像のように瞬きさえしない。    


「母上はそんなことを願ってなどいません」


彼女がやっと手に入れた場所は、ただのサンディアを受け入れてくれる。

背伸びをして、いつもぴんと神経を張り詰めていなくともあるがままを受け入れ、慕ってくれる。

見返りなど求めない愛情の温かさに再び触れることが出来たのだ。

あの幸せな空間を奪うつもりは無い。

そのためには見知らぬ親族を拒絶するのは難しいことではない。


「力が欲しいのは貴方だ」


爆ぜる寸前の果実のような赤い顔がどす黒く濁る。

やりとりを傍観していたキアは、いけないと思った。

此方が怒鳴りつけ、お前になど頼まないといってしまえば、向こうは嗚呼良かったと手を打つに決まっている。

向こうには憂いが一つなくなり、此方は貴重な金づるを失うことになる。

ジルフォードは馬鹿じゃない。

母親を盾にして傀儡にはなりえない。

父は選択を間違えたのだ。

いいや、目の前の人物をあまりにも軽く見ていたのだ。サンディアもジルフォードも。


一度怒りに我を忘れた父を止めるのはおこぼれを頂戴しようと張り付いている馬鹿共には無理は話だ。

追随して怒りを大きくする役にはたつが、冷静さを取り戻すようにやんわりと言葉を挟むことなど出来たためしがない。


「ジルフォード」


本当は新しいドレスで小汚い絨毯の上になど座りたくは無かったけれど、彼らの間に割り込むにはそうするより他は無い。

膝が絨毯の上についたとき嫌悪感がせりあがってきたけれど、ジルフォードの顔を見れば少しばかり和らいでいく。

ジルフォードにはヒューロムを思い出させるものは何も無い。

ちろと向けられた娘の視線にリディアは開きかけていた唇をぎゅっと閉じる。

可愛い一人娘に手を上げるどころか怒鳴り声一つ上げることが出来ないことを知っているキアは、その一瞥だけで父を関心から切り離した。

膝の上の白い手にそっと手を添える。

触れられることに慣れていないのだろう。憎らしいほど皇かな手がびくりと震え、手の下で拳を握る力が強くなった。

この青年は、此方の意のままに操れるほど愚かではない。

けれど、その脅威を完全に跳ね除けることが出来るほど人にも慣れていない。


「ヒューロムがどんなに貧しいか貴方に分かる? 皆を生かすために少しでも力が欲しいわ」


ヒューロムの貧しさは一夜中語り続けることが出来る。

苦しそうに寄った眉は本物だ。

望むままに生きるために力が欲しいのも本当のことだから自然と声に力が入る。

見上げたジルフォードの無表情が少しばかり乱れた気がして心臓の音がとんと跳ねた。


「私、勉強がしたいの。生きていくためには必要なの。大切なものを守るためにも必要なのよ。ねぇ、お願いよ。ジルフォード。ここにはすばらしい教師がたくさんいるのでしょう? 私をここにおいて勉強させて」


縋るような視線などお手の物。

貴族たちの間を渡っていく上での知識が圧倒的に足らないのは確かだ。

もともと苦労することは大嫌いだが、欲しいものを得るための労力を惜しむつもりは無い。

戸惑ったように瞳の色が揺れた。

やはりそうだと表面上は今にも泣きそうな表情を作りながら、心の奥底でくすりと笑う。

助けて欲しいと縋る方がこの可哀想で優しい青年は心が揺らぐのだ。

もう一押し。

涙でも流して見せようか。

キアの背後で来訪を告げるため、扉を叩く硬質な音がした。


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