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第四章:赤い月夜と蝙蝠9

店主はヒイラギのことを良く覚えていた。

いくらおいしいからと言って、棒切れのように細いヒイラギが5人前の蜂蜜パンをぺろりと食べたのが印象的だったのだろう。

友達を連れてきたと言うヒイラギの言葉に笑みを浮かべ、店で一番良い席へと案内してくれた。

一番といっても通りが見下ろせる他はほんの少し机が大きなくらいだが、他の席からは距離があり話の邪魔をされることはなさそうだ。

注文はもちろん蜂蜜パン。

ついでに蜂蜜酒も人数分頼んでおいた。

ヒイラギと自分の関係をどうセイラに説明しようかと悩んでいたルルドのことなどお構いなしに、ヒイラギは自分がタハルの人間であることをあっさりと話してしまった。

さすがにルルドが二の王子であり、自分がその付き人であることまでは話さなかったけれど、うっかりと話してしまいそうな軽さがルルドの頭を悩ました。

ルルドがため息をついている間に頼んだものは早々にヒイラギの胃袋へとおさまり、蜂蜜酒を飲んだセイラは机の上に、ぐてりと伸びる。

飲んだくれたオヤジのような姿に頭さえ抱えたくなった。


「お前は何を気落ちしているんだ! 貴族からの陰湿な扱いなど日常茶飯事だろう」


セイラの足がぷらんと揺れる。

反論する気力さえ無いらしい。


「セイラは、エスタニアの小さな街の生まれなんだよ。貴族はいないし、彼女の意地悪する人なんていなかった。やっと慣れてきたところで、手痛い仕打ちを仕掛けたのが夫の一族となると悲しぃでしょ?」


察してあげてよ。そんな視線を受けてルルドはむすと眉をしかめる。


「何でそんなに詳しいんだ。お前は」


タハルに何か伝わってくるとしたらノースの道からしかない。物資だって情報だって手に入るのは極端に遅い。

入ってきたところで自分のところに回ってくるのはずいぶん後のことだ。

エスタニアの王女がアリオスに嫁いだという情報だって、タハルを経つ少し前に聞かされただけだった。

広間に行っていないルルドに、セイラに一番ダメージを与えたのがジルフォードの一族だったなんて知る由も無い。


「僕は盗み聞きが得意なの」


ヒイラギはくすくすと笑って蜂蜜酒を一口飲んだ。

甘い甘い蜜色の飲み物は喉の奥をとろりと落ちていく。

体の中心に落ちるとそこから全身がふおんと緩やかに温かくなって心地がいい。

タハルの地だって嫌いではないけれど、食べ物となると話は別だ。

自国のものが一番だと言い張る可愛らしい主もこの時ばかりは可哀想になる。

いやいや、ルルダーシェの場合、何だかんだといつも可哀想な気がしないでもない。

肩肘を張らずに認めてしまえば楽なのに。

まぁ、今大事なのは主よりセイラの方だ。

ジニスに帰りたいなんて言われたら、面倒なことになる。


「セイラはさ、自分が悪かったと思っているのでしょ? だからそんな顔してる」


「……んー」


一体、どんな顔をしているのだろう。

目じりの熱っぽさから赤くなっていることは予想が出来るけど、他はよく分からない。

でも、きっと情けない顔なのだろう。


「自覚できているならもう少し勉強しなきゃね。いくらセイラとエスタニア王室との関係が希薄だからって、セイラは王女様だって認められて、その看板背負っているんだからね。周りへの影響力を知っておかなくっちゃ」


「影響力?」


身体を伏せたまま視線だけでヒイラギを見上げると、蜂蜜酒を飲むのを止めて、組んだ指の上に顎を乗せて笑っている。

先ほどまでと同じ軽い笑みだというのに、グランと対峙したときのような気持ちになって、セイラは身体を起こした。


「間違っても、格下の国の一臣下に役立たずなんて公衆の面前で言われちゃいけない立場なんだよ。言われたとしても、あら羽虫がうるさいわねぐらいの態度を取らなくちゃ。ぼくのお勧めとしては、まぁ、あの方頭大丈夫かしらっていう態度だけどね」


うふふとヒイラギの口元が不気味に弧を描く。


「確かに、お前じゃなかったら相手はそんな態度には出なかっただろう」


セイラの要領を得ない説明と、ヒイラギの言葉だけで状況を察したルルドもどうやらヒイラギと同じ答えを導き出したようだ。


「……そうなの?」


「有利な立場にいるエスタニアが、お土産持たせて王女様を嫁がせる必要なんてないでしょ? ジニスってカンタスやデナートと同じくらい有名な街なんだよ。そこの権利を気前よくあげちゃう? そんな寛大なことが出来るなら、聖母の娘をお嫁にくれたよ。三人もいるんだし。だから、ヒューロムの何とかっていう人たちが、セイラの故郷に口出しは出来ないし、アリオスだって同じことなんだ。セイラはそこで、怒っちゃダメだよ。ましてや逃げたりしちゃもっとダメ」


「……はい」


「お前はただ笑って立っているだけでよかったんだ。それだけで周りの人間は、あの馬鹿は何を言い出すんだと思ってくれただろう。きっとすぐにアリオス王も口を出したはずだ。それなのに、お前がわめくし、逃げるしでジニスの件は本当なのかと周りが思い始めたら厄介だぞ」


「やっかいって……」


「ジニスの利権が絡んでいるならヒューロムに力を貸そうじゃないかって思う連中も出てくるって事。ヒューロムが力を持つってことは、王子様にも関わってくるよね」


セイラは身体をしっかりと起こして慎重に頷いていたと思ったら急に頭を抱えて机に突っ伏し、ルルドとヒイラギを驚かせた。


「ああ~ジンを置いて来ちゃった……心配してくれたのに、ほっとけなんて言ったし、他の王女様がよかったかなんて愚痴を言うし。呆れられたかなぁ……嫌われたかも」


「もうすこ~し、重要な話をしていたはずなんだけどなぁ」


「どうしよう!」


政にも関わるような利権の話をしていたはずなのに、いつのまにかお悩み相談と化している。

まぁ、いいのだけれどと蜂蜜酒をすするヒイラギの横でルルドは半眼になった。

真面目に話を聞いてやったのが馬鹿らしい。


「さっさと帰って、謝るなりなんなりすればいいだろう」


どうして少しでも心配してやったのだろうか。

もしかして唯、空腹で元気が無かっただけなのではないかとさえ思ってしまう。


「そっか。そうだよね。帰ったほうがいいよね。うん。帰ろう。そうしよう」


あわただしく帰り支度を始めたセイラの前にヒイラギが人差し指を立てて見せた。


「セイラ! ついでにもう一つアドバイスしてあげるよ」


「ん?」


「あのね、今日広間に来てた人たちはね、貴族の中でも外交に長けている人たちなんだよ。話し方歩き方からみっちり計算づくの人たち。彼らの一言で戦になりかねないんだから、そりゃぁ神経もピリピリしてる。そんな人にさ、ほんの数ヶ月前にお姫様生活を始めたセイラが勝てるわけなんてないんだよ。むしろ勝っちゃったら、あのおじさんたち可哀想だよ」


言われてみればそうなのだ。

グランだって所詮は付け焼刃だが無いよりましだからとセイラの小さな頭に情報を入れ込もうと苦心したのだから。

セイラは、こっくりと頷いた。

疲れきった頭にも身体にも温かく甘い飲み物が効いたのだろう。

素直に言葉が頭の中に入ってくる。


「相手の領地で勝てないなら、勝てるところに誘い込むことを考えなきゃね。自分の分からない話題をふられたら、それに詳しい人間を引っ張り込むとか、うまく話題を摩り替えたりとかね。ユリザ王女はそういうのうまいと思うよ」


「ねぇさま?」


姉の有能ぶりはタハルにまで届くほどなのか。

今回のセイラの失態を厳しい目つきで見つめるユリザの姿が用意に脳裏に浮かび上がった。


「そ。一度、じっくり観察して真似してみればいいんだけど。ユリザ王女じゃなくても、この人いいかもと思ったら真似してごらんよ。さぁ、ルルド様も何かアドバイス!」


「なっ何で僕が」


「ついでに?」


何か言いたげに口を開きかけたが、ぎゅっと引き結び、おもむろに耳飾を外すとセイラに向かって転がした。

耳飾の先についていた球体の飾りはセイラがナジュールから貰った物よりは小ぶりだが透かし彫りの細工は緻密で、回転するたびにカラカラと乾いた音がした。


「ルルド?」


「開けてみろ」


言われたとおり、小さなつまみを見つけ引っ張ると球体はぱくりと二つに割れた。

中から出てきたのは楕円の粒だった。

茶の地に赤い縞がある。

目の前に翳してもセイラには、これが何なのか分からない。


「何これ?」


「植物の種だ」


つるりとした表面は、ガラスのようで種のようには見えなかった。

心もとない小ささなのに、見た目よりも重さがある。


「砂漠に強いもの同士を掛け合わせた。まだ試作段階だが」


「試作段階って、ルルドがやってるの!」


「そうだ」


ルルドはむすっと顔をゆがめたまま頷いた。

セイラから種を受け取ったヒイラギは手のひらの上でそれを転がした。


「すごい!」


「なんて馬鹿なことをやっているのか」


「え?」


「タハルの人間の大半はそう考える。あの地はもう死んでいて植物なんて生えないと。……誰からも好かれるなんて無理は話だ。誰からも理解されるのもな。やれることはやっておけ。それでもダメなら認められることを諦めろ」


「それじゃ、分かんないよ。まったく言葉が足りないんだから。時には自分らしく我を通すことも必要だって言っているんだよ」


「うん。分かった。お礼にルルドにも良いこと教えてあげる。植物のことならカナンに聞くといいかも」


「カナン?」


ルルドより先に反応を示したのはヒイラギの方だった。

大きな目をさらに開いてセイラを見つめている。


「もしかして、カナン・スフィア?」


「あ……ごめん。下の名前は知らないや」


そういえばなんと言うのだろう。

いつもカナンとしか呼ばないから知らなかった。


「その人物がどうかしたのか?」


「嫌だなぁ。知らないんですか? ルルド様。彼は『夜のお茶会事件』の主犯ですよ!」


はて、厳しいタハルの歴史上にそんな可愛らしい名前をつけられた事件があっただろうか。

しかも他国の人物が関わっているとなったら、かなり大きな事件だが。


「夜のお茶会事件?」


眉を寄せるルルドの隣でセイラは瞳を輝かせながら身体を乗り出した。


「もう二十数年前の話だけど、タハルがアリオスに奇襲をかけたことがあるんだ。その年は本当に凶作で年が越せるかどうかも分からないほどタハルは弱ってた。どうにか命を繋ぐだけの作物を奪うためにローラ山脈の辺りを荒らしてた。そしたら当然アリオスが出てくるよね。野営してた彼らの背後から少数精鋭で突っ込むはずだったのに……」


「に?」


「一人の兵士にお茶に誘われちゃったんだ」


「はぁ?」


ルルドの眉間の皺は深くなった。


「暗闇に紛れて忍び込んだのを見つけられただけで、もうダメだと思ったのに「お茶しませんか」ってのほんと誘われたらしいよ。ついでに今度の飢饉をしのげるだけの援助をするから戦いをしばらく止めましょうなんて言い出した」


なんだかとってもセイラの知っているカナンっぽい。


「当然、そんなにいい条件なんてありえない、何故だと聞き返したらなんて言ったと思う?」


「なんて言ったの?」


「もうすぐ畑に植えた作物の収穫時期だから、それまでに帰らないとだって」


ヒイラギはケラケラと声高く笑った。


「確かに、それでアリオスには損は無いんだよ。恩は売れるし、その年は豊作だったし、今まで貯めていたものを考えるとそう難しいことじゃない。軍を出すほどお金はかからないし、彼らにはノースの道を通ってまでタハルに攻め込む気は無かったから、どうしたって荒らされるのは自国でしょ? その負担を考えると援助のほうがましってこと。最初からそう言われていたらむっとしてただろうけど、作物のためなんて言うから拍子抜けしちゃったんだろうね。彼らは友好条約を結んで今に至るってわけだよ」


「……今?」


「そう友好条約を結んだのは我らがウォーダン王とアリオスの先代のロード王だよ。珍しくタハルとアリオスの関係が友好なのはこの条約があるからだよ。だけど、条約はウォーダン王が在位にある間っている条件があるけどね」


ウォーダン王。タハルの現国王。

その名にルルドは唇を噛み締めた。それを見ないふりをしてヒイラギは笑う。


「名前まで知っている人は少ないかもしれないけど、そういうことがあったのは事実だよ。良かったら、セイラの知っているカナンに聞いてみてよ」


「うん。そうする! 色々ありがとう。もう帰るよ。ジンに謝りに行かないといけないし」


空は赤みを越えて青くなりつつある。

活気に満ちていた路地は、暖かい灯りに照らされて別の色彩を得てきらきらと輝いている。

遠くに見える城門にも松明が燃え始めていた。

世界が夜の装いへと姿を変える。


「勉強もちゃんとする」


頑張ってと手を振られて、セイラは笑顔になった。

今にも倒れてしまいそうだった青白い顔はどこにもない。


「早く行けよ。こういったもんは時間が経つほど難しいんだからな」


「うん。ありがとね。ルルド」


「! いいから行けよ!」


怒鳴るように言い放つ、ルルドにもう一度礼を言って走り出す。

真白な靴には羽が生えているのかと思うほど足取りは軽い。


「うふふ」


顔を真っ赤に染めたルルドをにやにやと見つめると、彼の頬はさらに赤くなった。


「その気味の悪い笑いを止めろ!」


「誰の受け売りですかねぇ」


記憶が正しければ、仲直りは時間が経つほど難しいと教えてやったのはヒイラギだ。

ナジュールとたわいも無い喧嘩をして、ぐずぐずと泣いていた幼いルルダーシェに。


「ふん!」


「それにしても品種改良なんてね。最近、こそこそと何かしていることは知ってましたけど」


「言ったところで、馬鹿にするだろう」


「しませんよ。ちなみに、これセリオンとトイをかけました?」


「よくわかったな……なんだ、すでに実験済みか」


ヒイラギの故郷にはすでにある。

だか、何人もの技術者を使ってやっと出来た代物だ。

暑さにはとても強いが、予測不可能な寒波には弱い。

砂嵐の多い地域では、根付く前に飛ばされてしまう。

結局は失敗作だ。

家族を人質に働かされていた技術者たちは、もろとも砂の下で眠っている。

ルルドは落胆するもヒイラギが感嘆したのは事実だ。


「あと、リュオウもかけた」


「リュオウって……リュウの頤に行ったんですか」


タハルの中で一番過酷な地帯。

絶え間ない砂嵐に、そこにだけ棲む獣たちに剣は通じない。

屈強な兵士でも踏み入れることを拒む場所。

そこには小さなオアシスがある。

王が即位するとそこを訪れ禊をするのが慣わしだ。

けれど、何百と護衛を連れて行っても帰ってこなかった王もいる。

リュオウはそのオアシスに生える植物だ。

砂漠の女神リュオウの化身と呼ばれているその植物は、何十メートルも根を伸ばし、砂嵐でも飛ばされない。

柔らかな茎にはたっぷりと水分が含まれており、切れば甘い水が零れ落ちる。

残った茎は繊維を解いて織ることも出来る。

魅力的な植物には違いは無いが、行くまでの労力に見合うかどうかは分からない。


「あそこにいるのはルーガのような可愛い獣ではないんですよ? ああ、もう本当に馬鹿なんだからルルダーシェ様は! あまりの馬鹿っぷりに獣も食べるのを止めたのかしら」


「あいつらは香を焚いていたら、襲ってはこない」


「だから、馬鹿だって言ってるの! 確かに香は効くけど、消えてしまったらもうお終い! ちょっとでも風向きが変わったら背中からばくっとやられるんだから」


「風向きが変われば、嵐の合図だ。奴らも己の腹具合より命が大事だろう?」


「はぁ、もう知らないよ」


呆れた顔を作りながらも、背中を冷たい何かが撫でていく。

たった一人で砂漠を渡る技術を誰が教えた。

獣が嫌う香の配合は誰に教わった。

星読みの方法は。

ルルダーシェの近くに居たのはヒイラギとサキだけのはずだった。

大事に育てたはずの甘ったれの泣き虫王子が、どこか違う生き物のようにさえ思えてきた。

本当にユザの下した選択は正しかったのだろうか。

狂いのないはずの計画が、とうの昔に破綻しているのではないか。

蜂蜜酒のおかげで温かくなったはずの身体がすっと冷めていくのを感じながら、どこか面白いと思ってしまっている自分がいることにヒイラギは気がついた。



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